第三節 カワルセカイ。-⑫
「し、死ぬ」
「お疲れ。佐藤くん」
ミーシャが水を渡してくれる。
「佐藤はこの程度でばててたらダメだぞ」
と熱血な高島くん。
「そうよ。もっと、体力つけなさいよ」
と他人事の早見さん。
「ふぁ、ファイトです」
応援してくれるのは三田さんだ。
「情けないわね」
いつも通り貶してくるのは安村さんだ。
昼休みの体育館の一部を僕らのクラスが借りることが出来たので、それぞれお昼ご飯を持ってきてバスケをしながら昼食をとる。この場にいるのはミーシャ、早見さん、三田さん、安村さんと高島くんと高島くんのバスケ仲間が数人だ。他にも安村さんの取り巻きも何人かいる。こんなクラスの行事に真剣に参加するのはいつ以来だろうか?事件以来だ。計算するのは簡単だ。
「おや?誠くんじゃないか」
ネットを挟んで反対側には舞さんもいた。
「どうも」
舞さんの声に反応したのは僕の周りにいる人たちもだ。
たくさんの人に囲まれる風景を見て舞さんの瞳が少しうるうるし始めた。
「ままま、舞さん?どうしたんですか!」
「いや、だってつい数日前までボッチだった君がこんなに友達が出来て」
「と、友達じゃないですよ!」
とすぐに否定するのは安村さんだ。
「で、でも、舞さんが思っていた通り、佐藤は別に危なくないから近くにいるだけですよ」
「素直じゃなくてかわいいな!君は!」
と抱きつかれる。
嫌がる風を装っているけど、なんかうれしそうだ。
「佐藤。飲み物買いに行くけど行くか?」
「大丈夫。荷物番してるよ」
「悪いな」
高島くんは友達数人を連れて飲み物を買いに体育館を出る。
「光さん。男子がいないんで私たちもバスケやりません?」
安村さんの取り巻きの女子が安村さんを誘う。
「そ、そうね」
もの惜しそうに舞さんから離れる。
「せっかくだから宮本さんと早見さんと三田さんもせっかくやないない?」
「いいじゃない」
と乗り気の早見さん。
「わ、私は、そ、その」
「行くわよ!三田さん」
「ええ~」
と乗り気じゃない三田さんを引っ張る。
「ほら、茜も」
「わかったよ」
「いってらっしゃい」
「うん。行ってくるよ」
手を振ってミーシャを見送る。
しゃべり方は全然宮本さんじゃないけど、ミーシャはしっかり宮本さんを演じている。
「楽しいかい?」
舞さんが僕の隣に座る。
「…まぁまぁです」
「嘘を言うんじゃない」
「すみません。楽しいですよ」
「でしょ?ひとりでいるよりもみんなといるほうが楽しいでしょ」
舞さんは終始笑顔だった。
「きっとみんな誠くんの本当の部分を見ていっしょにいてくれているんだろうね」
「どうですかね?」
「きっと、そうだよ。でも、誠くんがこれだけの仲間に囲まれるようになったのは茜さんのおかげかな?」
必死にボールを追いかけるミーシャを見つめる。
「そうですね。最初はいろいろ信用できない部分もたくさんありましたよ」
宮本さんの体に転生している以上、そのままミーシャが宮本さんの体を持ち逃げする可能性があった。ミーシャが宮本さんの体を人生をすべてを奪ってしまうんじゃないかって不信感が強かった。
「関わってみないとわからないことは多いっていうのは確かにそうかもしれませんね」
ミーシャは僕のことを思って言ってくれたことだけど、実際にその言葉の威力を一番思い知ったのは僕だった。
彼女の不信感は関わることで解消されて行った。何も感じないと彼女は言っているがそれが真実なのかわからないが、彼女は人間だった。普通にお腹を空かせ、甘いものが好きで、負けず嫌いで、泣き言も言う。そんなミーシャの人間らしい一面を見ていると僕の不信感とか警戒心とかは気付いたらなくなっていた。彼女は魔術が使えるだけの普通の女の子だ。
「僕はどうやって彼女にお礼をしたらいいんでしょうかね?」
彼女は、自分は何も感じないと僕に言った。苦しみも幸せも何もわからないと。わからないからわかる人に幸せになって欲しいと。それがわからない自分以外のより多くの人に感じて欲しいと。そのためにミーシャは戦っている。今もこうしてバスケをしたり、宮本さんの成績のために授業を受けたり、宿題をやったり。彼女の行動が彼女の言葉の真実を伝えている。
「お礼ね。茜さんはいらないって言いそうだよね」
「違いないです」
ミーシャはお返しなんていらないって言うだろう。君が幸せを少しでも感じてもらえるだけでボクは十分だって。
「もしかして、誠くんは茜さんのこと好きなの?」
「ふぇ?」
唐突にそんなこと訊かれたので変な返事をしてしまった。
「え、ええっとですね」
「図星だね。誠くんは茜さんに救われたんだもんね。教室で茜さんのストレートな言葉に誰もが考えたんだ。誠くんは本当に危ない人なのか?その疑問は誰もが抱いていたけど、先行する噂が厚い高い壁となってみんなを邪魔した。それを壊してくれたのが茜さん。でしょ?」
確かにそうだ。ミーシャのストレートな言葉がみんなに与えた影響は大きい。ミーシャの行動がなければ今の僕はここにはいなくて教室の隅で孤独だった。暗いところにひとりだ。そんな僕にあった壁を思いっきり壊してくれたのがミーシャだ。今は明るいところでたくさんの人がいる。舞さんに早見さん、三田さん、高島くん、安村さん。そして、ミーシャ。
彼女のことを僕はどう思っているか?
―――好きなのか?
人を嫌いになることは今までに散々あったけど、好きになったことはなかった。
「僕は好きっていう感情がよくわかりません。たぶん、わからなくなっちゃったんだと思います」
ミーシャと同じように僕にもいろいろあった。だから、わからなくなってしまった。
「彼女にもわからないことがたくさんあります」
彼女とはミーシャのことだ。
「彼女がわからないことは僕がわかるように何とかしてあげたい。彼女はたぶんそんなことしなくていいって言うかもしれない。だったら、僕が好きだっていう感情がわかるように何とかしてくれって彼女に頼むことにします。それが僕が出来る彼女の恩返しですかね」
なんか照れくさくて今すぐ走り出したい気分だ。
立ち上がろうとする僕の手を舞さんは握ってくる。
「ま、舞さん?」
「誠くん」
いつになく表情は真剣だった。
「な、なんですか?」
「君のその想いはね、好きってことだよ」
「え、えっと、そ、それはどうなんですかね?」
僕にはその確証はない。
「いいや、誠くんは茜さんのことが好きだね」
「舞さんはどこにその確証があるんですか?」
「まずは彼女のおかげで君は馴染めていないクラスに馴染めてきている。もうひとつは―――」
不意に舞さんの目の色が変わった。突然、僕の手首を握ってきた。それはとてつもない握力で血液が手首よりも先に送られなくなってしまうんじゃないかってくらいの強さだった。
「ちょ、ちょっと舞さん。痛いですよ」
抵抗しようとすると。
「あまり騒がないほうがいい。このまま手の骨が折られたくないのなら」
不敵に舞さんは笑った。舞さんはそんな風には決して笑わない。
「お、お前はまさか」
「騒がないほうが得策よ。佐藤誠くん」
間違い。魔術師だ。
不意にミーシャのほうに目を向ける。早見さんが貰ったパスからシュートを打っていた。それを防ごうと安村さんが飛び掛る。シュートは外れて飛び掛かった安村さんがバランスを崩してミーシャの上に覆いかぶさる。慌てる安村さんに対してミーシャは冷静だ。
ミーシャは今、舞さんが魔術師になっていることに気付いていない。
「大丈夫よ。佐藤くん。私はここでは君と右翼の魔術師には手を出さない。出さない理由はここには人が多過ぎるし、引力系魔術を扱う彼女にはそこそこ有利な場所よ。奇襲を仕掛けるのは自分が有利な条件で勝てる可能性が高いときよ」
つまり、それは今ではないと。じゃあ、なんで今僕の目の前に現れた。
「いい光景ね」
「な、何が?」
「この世界に順応して生きているみたいじゃない。あの魔術師は。まるでこの世界で生きていくことを想定しているみたいじゃない」
「そ、そんなことは、ミーシャは絶対にしない」
「はたしてそうかしら?人じゃなくても生き物なら普通生きたいって思うわよ」
「それでもミーシャは思わない」
それは関わって見てわかったことだ。ミーシャの言葉に嘘はない。
その硬い意思と眼差しに折れた魔術師は鼻で笑う。
「面白い反応ね。かなり右翼の魔術師と親密な関係を築いたようね。好きなんでしょ?彼女のこと?」
「そ、それは」
いったいいつから舞さんと入れ替わっていたんだ?見た目はまったく変わらなかった。話している最中も違和感はなかった。転生したことがわかる何かないのか?探りを入れる隙を魔術師は与えない。
「そんなあの魔術師が好きな佐藤くんはあの魔術師をこのまま見殺しにすることが出来るかしら?」
「そ、そんなことは」
「出来ないわよね」
言葉の上に言葉を重ねてきた。実際に出せる答えはたぶん同じだった。
「見殺しになんて出来ない。だって、佐藤くんはあの魔術師のことが好きだから。でも、このままではあの魔術師は死んでしまう」
「それは」
「なぜか?訊いていないかしら?私たちの世界はもうすぐ滅ぶ。この世界と何も変わらなかった。でも、魔術の乱用で人が生き物が住める環境ではなくなってしまった。正しくはこのままでは住めなくなってしまう。確実に。彼女も感じているように私たちも感じているのよ?」
「な、何を?」
「絶望よ」
瞳の奥にある沼のような深い深い闇。それは舞さんのもではなく魔術師のものだ。でも、その闇は魔術師自身が作り出したものではない。
「もっと、うまく魔術を使えばよかったのよ。私たち、あの魔術師も含めて私たちには何も責任はない。先代の魔術師たちが後世のことを考えず自らの生活を豊かに楽にするために乱用した魔術が世界を壊してしまった。そんな私たちを生き長らえさせる手段に転生という手段を与えた。無責任だと思わない?」
「それは…確かに」
「そうでしょ」
と急に顔を近づけて食い入ってくる。
「それに比べて私たちは魔術の乱用がどれだけ世界に影響を与えるか知っている。無能な老害とは違う。この世界に転生しても私たちならうまくやっていける」
「でも、転生する代償としてあなたは舞さんの人生を奪うことになる」
冷めたように顔を離す。
「そうかもしれないわ。でも、佐藤くんはこのままあの魔術師を見殺しにしていいの?何かしなければ何も起きない。私は生き残るために行動をしてここにいる」
ミーシャが生き残る方法。僕はそんなことは一度も考えなかった。ミーシャよりも宮本さんのことを優先したからだ。でも、今は宮本さんもそうだけどミーシャも同じくらい大切だ。天秤にかけていた重さが優先度が同等になりつつある。
「ど、どうすればいいの?ミー…じゃなくて彼女が生き残るためには」
「簡単よ」
力強く握っていた手を離した。止まっていた血が一気に手へ流れ始める。
「私たちに協力しなさい。そうすれば、彼女の命は保障するわ」
「…根拠は?」
「根拠は行動で示すものよ。考えがまとまったら今日の放課後魔術師を連れて佐藤くんの教室に来なさい」
それを告げた瞬間。
「あれ?誠くん?」
雰囲気が急に柔らかくなった。魔術師から舞さんに戻ったのだ。
「私いつの間にこんなところに?」
「舞さん」
「どうしたの?なんか難しそうな顔してるよ?」
「ちょっと僕の頬を叩いてみてください!」
「…ちょっと引く。その発言は」
「でもお願いします!」
と頼むとしぶしぶ舞さんは思い切り平手を振りぬいた。
「…も、もうちょっと手加減してくれても」
「叩けって言ったのは誠くんでしょ」
満更でもない顔しないでよ!
でも、この痛みは本物だ。夢を見ていたわけじゃない。ついさっきまで舞さんの中に魔術師が転生していた。
息を飲む。
僕は選択を迫られている。




