第一節 我輩は魔術師である。-③
「…頭大丈夫ですか?」
「それは僕じゃなくて杉山麦ちゃんに言ってください」
場面は再び教室に戻る。
「つまり、佐藤くんが昨日出会った女の子は異世界から転生してきた魔術師だったってこと?」
「そういう設定の女の子に出会ったに訂正して。今すぐ」
そんなことをあるはずがない。
マンガ小説じゃあるまいし。
「そこでコミュ力の高い宮本さんに相談です」
「なんですか?」
「自分のことを魔術師って言う女の子の対処方法を教えてください」
クラスになじめていないコミュ力の低い僕だったからこそ、あんなわけのわからないことをずっと言い続ける少女の茶番に付き合う羽目になった。きっとうまい対処方法があったはずだ。
「そんな対処方法知らないですよ」
それは即答しないで欲しかったな…。
「でも、相手は小学生ですよね。適当に向こうの設定に合わせてあげて、満足ずれば元に戻るんじゃないですか?」
満足させるか…。十分、付き合ったっと思うんだけどな。
少しじっと考え込む宮本さん。
「私だったらそんなおもしろいことを言う子がいたら、いっしょになって遊んであげちゃいますけどね」
「マジで?」
「マジです。私、こう見えて幼稚園の先生になりたいなって思っていますので、小さな子は大好きです」
それは初耳だ。夢があるってすばらしいな。僕には夢はない。なんとなく生きている。
「この学校を選んだのも教育学部のある大学の推薦枠があるからなんですよね」
近いから選んだ僕とはまったく違うな。
「しかもですね、その教育学部の教授がすごい研究熱心な人なんですよ。待機児童とか保育園の騒音問題とか。ほら、新しい幼稚園とか建設しようとするとどうしても子供たちの声がうるさいとか騒音を問題視されて園が作れなかったりするんですよね。待機児童をどうにかしろーって声を出してる割に非協力的な大人が私は嫌いです。でも、その教授はそういう問題を解決して子供たちが安心して通える楽しい園を作るためにたくさん考えていました。ただ、子供が好きなだけじゃダメなんだって私はその教授から教わりました。だから、私もその教授の下でいろいろ勉強してから大好きな子供たちに囲まれる仕事をしたいなって思います。佐藤くんが出会ったその女の子はきっといろいろ抱えているのかもしれません。いろいろ抱えているストレスのせいで自分が魔術師だって思い込んでしまっているのなら私はその子を助けたいなって思いますよ」
彼女は自分の夢を熱く語る。そして、誰がどう考えても僕がおかしなことを言っているようにしか思えないのに、彼女は僕の話に出てきた女の子の心配をする。子供が好きだから子供のお世話をする仕事をしたい。そういう夢があるだけで僕はすごいと思う。でも、宮本さんはそれだけではダメだと。子供のために出来ることがあれば全部やる。彼女の信念に僕は敬意を賞したい。もしも、彼女があの少女のために何かしたいと思っているのなら僕は喜んで手助けするとしよう。
「ちょっと、茜。いつまでそんな害悪といっしょにいるのよ」
棘のある声が聞こえた。
「あ、薫ちゃん」
やって来たのは長くて艶のある髪。高い鼻にぷるっとした唇。気の強そうな釣り目は常に人を見下す。胸にふくらみは控えめ。身長は僕と同じくらいで女子からしたら高い方。地味な宮本さんとは少し不釣合いな高貴な華。彼女は早見薫。宮本さんといっしょにいる姿をよく目にする。そして、僕のことを毛嫌いしている。
「佐藤くんは害悪じゃないですよ」
と僕のほうを見る。
「ちょっと変態ですけど」
「おい」
フォローしたい意味ないじゃん。
「なおさら、近寄らないほうがいいわ。何考えてるかわからないんだから」
そういって早見さんは宮本さんの手を引こうとするけど、それを宮本さんは拒否した。
「なんで?変態だけど、変なことする度胸なんてある人じゃないよ」
それもフォローになってないよ。
「それに第一印象よりはけっこういい人です」
それは第一印象はよくなかったってことだよね?
「ちょっと他人と関わるのが苦手なだけで私の話を聞いてくれたり、知らない人の話を親身になって聞いてくれたりするいい人ですよ。やっぱり人は見た目で判断しちゃダメですよ」
笑顔で僕のことをフォローしてくれる姿を見るとちょっと泣けてくる。
「そう。先生が呼んでたから職員室に行ってきなさい」
「そうなの?わかった。じゃあね、佐藤くん」
と笑顔で手を振って席を立った。僕も釣られて手を振り返した。
「ねぇ、ちょっと」
刺々しい言葉と同時に僕の座る席に音を立てて手を置く。
「な、何?」
「これ以上、茜に近づかないで」
「近づかないでって向こうから勝手に来てるだけで僕は何もしてないし」
「言い訳するな」
今度は僕の座る椅子を蹴って脅す。
「あの子には夢がある。将来、目指したいものがある。その夢にあんたはただの障害でしかないの。それは自分でも自覚してるでしょ?」
何も言い返せなかった。
僕を敵視する目は宮本さんを本気で思っている目だ。
「自覚してるよ。僕と宮本さんは関わるべきじゃないよね」
「その僕っていうのもキモいわよ」
拳に力が入る。本当は今すぐこの拳をどこかにぶつけたい。でも、それでは同じことの繰り返しだ。
「ごめん」
僕は逃げるように席を立った。途中で何人かにぶつかったけど、気にもせず謝りもせずトイレに駆け込んだ。個室に入ってひとりになってゆっくり深呼吸を繰り返す。
「大丈夫。落ち着いて」
早見さんは何も悪くない。彼女は自分が僕に何かされても本望だと思う。彼女は宮本さんのことが大好きなんだ。彼女のことが守れることが出来れば、自分が傷つくこともいとわない。
「みんなすごいな。僕には何もないのに」
泣きそうになるのを必死にこらえた。