第三節 カワルセカイ。-⑦
昼休み明けの授業は化学だった。前の授業でやった小テストの返却があった。順番にテスト用紙を返却していくとうわぁ~って声を上げる人が多かった。理由は宮本さんの答案を見てわかった。ミーシャが宮本さんの答案を貰うとその点数を僕に見せてくれた。
「彼女は成績がよくなかったのかい?」
百点中二十四点というなかなかに悪い点数だった。
「苦手って言って気もするけど、確かに難しい問題だったもんね」
そうこうしているうちに僕の名前が呼ばれる。返してもらったテストを見てちょっと驚いた。
先生は笑顔だった。
「何点だったんだい?」
見せるべきか少し悩んだけど、見せた。
「すごいじゃないか」
僕にしては出来過ぎる九十点だった。
「何?毎回、カンニングしてるの?」
「してないし」
即答で早見さんを否定する。
「毎回っていうのはどういうことだい?」
「こいつ、化学の点数だけはいいのよね」
「そうなのか。すごいじゃないか」
「ま、まぁね」
ほめられると素直にうれしい。得意とかどうか自分でもよくわからない。昔から実験とかが好きだった。それがどうして起こるのかを考えたり想像したりするのも好きだった。それが今の成績に繋がっているかどうかはわからない。
「ちなみに点数悪かった者には余分にプリント渡したら解いて明日までには出せよ」
僕は貰っていなかったので一安心だ。しかし、一安心できないのが僕の周りに約二名いた。
時は進んで放課後。
授業が終わり部活に行ったり、友達としゃべっていたり、さっさと帰ってしまう人、みんなそれぞれ帰りの支度をし始める。僕はこれ以上学校にいる用事もないので帰る準備をしているとミーシャが正面の席に座ってきた。
「どうしたの?」
「これを教えてもらおうと思ってさ」
それは小テストの点数が悪かった人に渡されるプリントだ。
「全然、わからないのさ」
「向こうの世界では化学は勉強しないんだ」
「するよ。ボクが解けないだけさ」
ただ、出来ないだけかい。
「このまま帰ってもいいけれど、ボクには魔術師を探す役目がある」
「それは舞さんじゃないのか?」
「彼女だけじゃないとボクは踏んでいる」
「根拠は?」
ミーシャは周りを確認してからプリントを解きながら話す。
「この街で起きている一連の行方不明事件に魔術師が関与している可能性は高い。ただ、目撃者がいないのが気がかりなんだ。なぜ、目撃者がいないのか。可能性としては目撃者を作らないよう、誰かがフォローしていることさ。新海さんの中にいる魔術師が実行役で、もうひとりが調整役とでも言うべきか」
「舞さんの中の魔術師が実行しやすいように仕掛けている魔術師がいるってこと?」
「まだ、可能性の話だ。そして、その魔術師は新海さん同様この学校の生徒に転生している可能性も非常に高いということだ」
つまり、いつどこで誰が僕らを襲ってくるかわからないってことか。
「警戒しないといけないよ。でも、君はいつも通り過ごしてもらって構わない。君にはボクが付いている」
「そうだけど…」
「何、こそこそ話してるの?」
急にしゃべりかけられたのでびっくりして顔をすぐに上げると早見さんがいた。日直で帰りのHR後、姿を見ていなかった。
「彼に勉強を教えてもらっていただけさ」
化学のプリントを見て早見さんは意外にもあっさり納得したようで、自分の席に戻って鞄を取りに行くと僕の隣の席に座った。
「え?何?」
早見さんは無言で鞄からプリントを一枚取り出した。ミーシャと同じものだ。
「あたしにも教えなさい」
「あ、はい」
プリントは真っ白だった。ミーシャは休み時間の間や授業の暇を使って格闘した跡があったけど、もはや解く気すらなかったようだ。
「さぁ、早く教えなさい」
「は、はい!」
あれ?僕は教えてあげてる立場だよね?
自分の立場に疑問を抱きながら鞄に仕舞ったばかりの教科書を取り出してまだは問題の内容を確認しようとしたときだ。
「…あ、あの」
その声はちょっとした音でかき消されてしまいそうなくらい小さくて弱々しい声だった。でも、僕らはその声を聞き逃さなかった。声のほうへ三人が一斉に向いたので、そこにいた女子は少し怯えてしまった。
セミロングの黒髪に目を覆い隠すほどの長い前髪。背はあまり大きくないけど、宮本さんほどじゃない。線は細くちょっとした刺激で折れてしまいそうだ。そんな女の子がそこにいたのだ。恥ずかしながらクラスの弾かれ者の僕には彼女が誰なのか知らない。それはもちろんミーシャも同じだ。ただ、早見さんは違った。
「どうしたのよ?三田さん」
どうやら、線の細い子は三田さんというようだ。ちゃんと覚えておこう。
そんな三田さんの胸には化学の教科書とプリントが一枚抱えられていた。
あー、もしかして…。
「君も佐藤くんに化学を教わりに来たのかい?」
「え。い、いや、えっと、その」
「ボクの隣が空いてるから座るといい」
と隣の席の椅子を引っ張ってきた。
「い、いいんですか?」
「別にいいわよ」
「あれ?僕の返事を聞かないの?」
「三田さんもボクらといっしょのほうが聞きやすかろう」
「それは僕が声をかけずらいってこと?」
「そいうことじゃないか」
ミーシャにまでそういわれると悲しくなってくるな。
なかなか座らない三田さんに僕から声をかける。
「いいよ。教えてあげるよ」
そう声をかけると。
「あ、ありがとう、ご、ございます」
少し緊張気味にミーシャの隣に座った。自動的に僕と隣になった。長い前髪から時折覗かせる大きな瞳は宝石のようできれいだった。
ちなみに三人とも化学は絶望的に苦手というか不得意というか教えるのに苦労した。気付けば、外の日は傾いていて教室もすっかり暗くなりかけていた。
「おっわったぁぁぁ!」
と声を上げて体を伸ばす早見さん。
「やっと、終わったね」
「あ、ありがとうございます。す、すごく、た、助かりました」
と小さくお辞儀をした。それからゆっくり筆記用の片づけを始めた。
「そういえば、三田さんはなんで急にこんな危ない奴から勉強を教わろうと思ったわけ?」
早見さんにそう訊かれるとビクッと怯えるように肩をびくつかせる。
「え、えっと」
教科書で顔を半分隠して恥ずかしそうに答えた。
「わ、私は前からそ、その化学が苦手だったし、それに佐藤くんって、か、化学の成績すごくいいみたいだったし、お、教えてもらいたいなってま、前から思ってて」
よく知ってるね。
「そ、それに、お昼にみ、宮本さんが言ってたこと、上辺だけじゃその人の本質はわからないってか、関わってみないとわからないって。わ、私も本当は、う、噂ほど悪い人じゃないかもって思ってたんだけど、その、怖いイメージが先に来ちゃって、そ、その」
「それで関わって見てどうだったんだい?」
ミーシャが三田さんに訊いた。
「ふ、普通で、や、優しい人でした。早見さんの言う危険な奴って、い、いう感じでもないから、そ、そのよければまた、勉強を、お、教えてもらえたら、そ、その」
「いいよ。その時はボクらもいっしょだ」
「ちょっと、ミ、宮本さん」
危ない。一瞬、ミーシャって言いかけてしまった。
「いいじゃないか。ひとりよりたくさんいたほうが楽しいじゃないか」
それは僕に向けての励ましの言葉だった。