第二節 ボクは魔術師さ。-⑨
ミーシャが話を終えると時計の秒針の鮮明に静かに時を刻む音だけが響いていた。
ミーシャは再びカレーを口にする。
「このカレーもボクは一度しか口にしたことがない。あの時は確かにおいしい食べ物だって思った程度だったけど、今は違う。これほどふんだんにスパイスと食材を使った料理がおいしくないわけがない」
一口カレーを食べる。
「ボクの世界では穀物が育つ環境がほとんどない。人工的に作れるけど、それも限界がある。何もかもが不足し、枯渇している世界。それがボクの住む世界さ」
「その…なんて言うか」
言葉が出なかった。当たり前だと思っていることがミーシャの世界では当たり前じゃない。かける言葉が見つからない。
「だ、だから、その、新海さんの中にいた魔術師はこの世界に来るんだね」
そんな当たり前のことしか言えなかった。
「そうさ。時空間移動じゃすぐに絶望的な世界に戻されてしまう。でも、転生ならこの世界の物質の一部である人の中に入る魔術だ。自然の理から弾かれることはない。でも、それは他人の人生を奪って成り立つ。それが正しいことなんてボクは思わない」
「だから、ミーシャは戦うんだ。…でも、それは矛盾してると僕は思うんだ。だって、ミーシャがやっていることは自分が助かる道を自ら絶っている。ミーシャがやることに意味が見出せない」
だから、僕はあまりミーシャの言っている事を信用できない。普通の人なら死ぬのは嫌だ。生き残る術が転生魔術ならそれをなぜミーシャは否定するのか。生き残りたいと思わないのか。
「ボクは何も感じないんだ」
「感じない?」
「そうさ、この現状が苦しいのか辛いのか、楽しいのか、幸せなのか、ボクにはわからなくなってしまったんだよ。いろいろあったからね。父と兄を同時に亡くして、毎日のように泣いていたらしいよ。記憶が曖昧なのは泣き過ぎて涙といっしょに記憶もいっしょに流れたからかもしれないな」
「そ、そんなわけ」
「そんなわけないのはわかっているよ。でも、そうでしなかったら、今ここにボクはいなかっただろうね」
現実を受け入れる。楽しかった、幸せだった記憶を保持することがミーシャにとっては何よりも苦痛だった。だから、その記憶を忘れたからこそ、ミーシャは今を生きている。辛くして死にそうになるのを必死に回避した結果が今のミーシャだ。感情も何もない空っぽの少女。
「ボクがこの世界に来て魔術師を送り返すのはボクみたいな人をこれ以上増やさないためさ」
「それはつまり?」
「この世界には魔術が存在しない。いや、実際には存在するのだけど、ほぼすべての人が使えない。だから、この世界はこんなに平和なんだ。当たり前のことが当たり前なんだ。この当たり前の幸せを壊しかねないのが魔術さ。確かに魔術は便利だ。でも、便利なものには代償が生じる。それを古代からボクら人間はわかっていながらわからないふりをし続けた」
それは僕の世界でも同じだ。便利にするために森を切り開いた。便利のためなら川を汚した。そんなことを繰り返すからいろいろ自然が壊れてきた。でも、僕の世界ではそれを解決しようって動きが少なからずある。
「わからないふりをして台風を相殺した。それをすれば何が起きるかわかっていたはずなのに。安定した土地が欲しいからって魔術を使えばどうなるかわかっていたはずなのに。ボクらの滅びの道は自業自得なのさ。そんな過ちをボクら魔術師はこの世界でも再び起こそうとしている。他人の体を人生を奪ってさらにこんな豊かな君の世界すらも破壊しようとしている。魔術は便利な力さ。でも、それには代償が生じる。それを理解せずに使用すればどうなるか、ボクら魔術師ですらわからない」
ミーシャはカレーを食べるのを再開した。魔術師ですらわからない魔術を使用する代償。その代償が世界を滅すほどのもの。ジープが言っていた世界の危機ってこの事だ。今はまだ誰かの人生が奪われるだけですんでいる。でも、この魔術師たちが代償を考えず魔術を乱用すれば、ミーシャの世界と同じことがこの世界でも起きる。
僕は息を飲んだ。
「どうすれば、僕の世界は魔術師たちから救えるの?」
ミーシャはカレーを食べ終えた。ナプキンで口元を拭いて答える。
「転生を目論んでいる魔術師の計画を阻止する。それがこの世界を救う唯一の手段さ」
「でも、それだとミーシャが救われない」
「そうだね。でも、いいのさ。ボクは何も感じない。今この瞬間が幸せなのか、そうじゃないのか、わからないんだ。そんなボクにも生きるための戦うための目的くらいはある」
「それは?」
「誰かを幸せにすることさ。わからないことをわかるように努力したところでわからない。だったら、それがわかる人が幸せを少しでも多く感じてもらえればボクはそれだけで十分さ」
「…それがミーシャが転生する気が無い理由?」
「そうだね」
ミーシャは自分よりも他人という自己犠牲を元に動いている。
その行動は宮本さんのためならなんだってする僕と似ていた。




