死の恐怖の克服と人生を始める価値の無さの合理性
人間以外のメスの寿命というのは
生理が終わった時に閉経した時に終わる
その群に貢献できないからということ
オスの寿命ははぐれた時
つまり
ボス争いに負けた時に終わる
それはなぜか
もう繁殖のチャンスがないから
つまり群に貢献ができないから
動植物は群に貢献することで生命力を獲得して
群に貢献できなくなったときに生命を失う
魂を抜かれるというか
それによって死に至る
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人間はそういう生物学的な人生ではない
生物学的ではない
人間的もしくは観念的人生というものが必要である
それは反出生である
コミュニティを生活を続けていって欲しいと思う欲は理解できますが
存続させるために生殖するというのは十分な理由ではない
人々の多大な苦痛を上回るとはとても考えられない
本質的な苦と主観的な苦は全然別のもの
本質的な苦とは
悩んだり記憶したりする事で脳神経は物理的にダメージを受ける
それゆえに考えたり、
意識が存在する事は本質的に苦痛
深く考えさせる事で相手は「生きる苦しみ」を実感できる
仮に死が快楽を苦痛以上に多く感じられていても
無痛だとしても問題はほとんど解決されない
「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」
と主張しているに等しい
主観的な
「苦痛の生じない殺し」というのは原理的には可能でも、
本質的な苦痛の生じない人生は
現実的には実行不能であるため
考慮する必要はない
つまり、
生まれてくる本人の同意なしに出産をつうじて
他人の人生に影響を与える不道徳的な行為である。




