↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

死の恐怖の克服と人生を始める価値の無さの合理性

作者: hossa
掲載日:2018/09/25

人間以外のメスの寿命というのは

生理が終わった時に閉経した時に終わる


その群に貢献できないからということ

オスの寿命ははぐれた時


つまり

ボス争いに負けた時に終わる

それはなぜか

もう繁殖のチャンスがないから

つまり群に貢献ができないから


動植物は群に貢献することで生命力を獲得して

群に貢献できなくなったときに生命を失う


魂を抜かれるというか

それによって死に至る


ーーーー

人間はそういう生物学的な人生ではない

生物学的ではない

人間的もしくは観念的人生というものが必要である


それは反出生である

コミュニティを生活を続けていって欲しいと思う欲は理解できますが

存続させるために生殖するというのは十分な理由ではない

人々の多大な苦痛を上回るとはとても考えられない


本質的な苦と主観的な苦は全然別のもの


本質的な苦とは

悩んだり記憶したりする事で脳神経は物理的にダメージを受ける

それゆえに考えたり、

意識が存在する事は本質的に苦痛

深く考えさせる事で相手は「生きる苦しみ」を実感できる


仮に死が快楽を苦痛以上に多く感じられていても

無痛だとしても問題はほとんど解決されない


「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」

と主張しているに等しい


主観的な

「苦痛の生じない殺し」というのは原理的には可能でも、

本質的な苦痛の生じない人生は

現実的には実行不能であるため

考慮する必要はない


つまり、

生まれてくる本人の同意なしに出産をつうじて

他人の人生に影響を与える不道徳的な行為である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。