その1
彼女が目覚めなくなってから一週間が過ぎた。親や周りの人は「おぃげらまくらにつれてかれたんだ」なんて騒いでいたけれども俺は全く信じていなかったし、こんなときこそお医者様の出番やろうが、なんて激怒していた。
だけど、俺がそのことを叫んだところでなにも変わらないことは知っていたし、頭の固い大人たちを動かせるわけでもなかい。だから彼女の恨みを食らえとばかりにを眉間に怨念を込めて皺を寄せる。目覚めて欲しいと願うのが三割、早く医者につれていけと言う激怒が七割だ。そうやっているうちに、いつの間にか願っているのはしゅるしゅるるんと小さくなる。俺は今、激怒の化身となっていた。
激怒の化身たる象徴の眉間は、日増しにその深みと頂を増し、遠くに見える山地を彷彿させていた。俺が化身となっていることは周知に事実であり、隣の席のクラスメイトにさえ指摘されるぐらいだった。
「いつまで辛気くさい顔をしてるねん、あんたほとんど関係ないやろ」
そんなことを言われ、カッチーンときた俺は学校に行くのも止める。そうなれば、行く場所は一つしかない。彼女の寝ているベッドである。
小さな町の小さな診療所のベッドでずっと寝たままの彼女。そして隣で激怒している俺。その隣のベッドで寝ていたばあちゃんは、俺の状況と心境を見かねてか、そっと俺の頭に手を置く。
「こればっかりは本人の問題やからねぇ。 りょうこちゃんがおぃげらまくらに勝ってもどってこれるとええんやけどねぇ」
「本人の問題ってなに? 勝ってって、負けることもあるん? そんなん言うんやったらもっとええ病院に送ったったらええんや」
なにしろ俺は怒っていたのだ。おぃげらまくらについての説明もされず、ただ彼女を見つめることしかできない自分に、変なものに固持にになっている大人たちに、だから、気を使ってくれたばあちゃんに対しても怒って嫌みを言ってしまう。それでも、どこか変に冷静なところがあって、ばあちゃんごめんなぁとも思った。しかし考えてみれば、ばあちゃんも俺に何の説明もしてくれないのだ。だから、怒っていい。これは正当な怒りだ。
結局、ばあちゃんに噛みついたところで、彼女は大都会の大病院に搬送されない。ただただ町の小さな診療所の中で点滴打たれて眠っているだけだ。俺の気持ちなんてなにも知らずすやすやと幸せそうな顔の彼女を見て、かわいそうだなぁ、りょうこちゃん、ここで死ぬまで眠っているだけで終わるかなぁ、なんてことを考えてしまう。そう考えると無性に泣きたくなって、ついに俺はりょうこちゃんから逃げ出してしまうのだ。
逃げ出した俺はとりあえず町中を走った。むしゃくしゃしたままの気持ちでりょうこちゃんの所にいるのは嫌だったし、このままだとなにしてしまうかわからなかったのでとりあえず走る。けれど、お金もないし子供なので結局はどこにも行けないことに気づいてしまう。親を心配させてしまうことは嫌な気がしたし、最近のりょうこちゃんへの扱いに対しての苛立ちで遠くに逃げたんだと思われるのはそれ以上に腹がたつきがした。
だから町中を爆走した。それをしてるうちに体は疲れてくるし、其れに連動して頭の中の炎が鎮静化していく感じがした。おいおい、俺の怒りはそんなものだったのか、なんて今度は自分に怒れてくるけどさすがに体が音を上げていた。だから公園に入って水道を浴び、頭を喉を潤した。そうやって息を整えていると、カラカラと自転車が通る音がした。振り向くと同じクラスの美加が呆れた顔で立っていた。
「なにしとん」
「別にええやろ、俺がなにしとった関係あらへん」
「またりょうちゃんとこ行っとったんやろ」
「関係ない言うたやん」
「ええ加減、行くんやめーや。 本人の問題やってママもりょうちゃんのママも言うとったやん。あんたが頑張ったって意味あらへん」
「なんでそういうこと言うんや、そんなんりょうちゃん可哀想やん」
「可哀想なんはあんたやん」
「俺のなにが可哀想やねんや、おぃげらまくらなんて変なもんのせいにされて治療も受けられへんりょうちゃんの方が可哀想や」
「だからそれは本人たちの問題やって」
「せやかて」
「とりあえずあっこ行くんやめて、学校きいや」
「りょうちゃん目覚めるまでいかへん」
「そんなん一生来られへんかもやん」
だからそんなんなんで言うんて俺は思ったけど、このまま美加相手に話しててもなんにも埒があかへんとも思っていた。美加がりょうちゃん起こしてくれるわけでもない。俺が起こすこともできへん。だから、俺にできることは彼女のお見舞いに行くしかない。それさえも奪おうと彼女はしている。其れに対して俺はまた怒れてきてしまうのだ。
「俺、もう行くから」
「また、りょうちゃんとこ行くんやろ」
「そんなん俺の勝手や」
「だから行くんやめやって」
「やめへんって」
堂々巡りの展開に俺の怒りはさらに大きくなる。美加は俺の腕をつかんで離さない。こうやって言い争いをしているうちにりょうちゃんが起きてきたらどないするねんって叫びたかった。りょうちゃん、薬臭い所に一人やねんぞ。親も見にこえへんねんぞ。
だけど、その言葉を飲みこざる負えなかったのは美加がこんなことを言うからだ。
「おぃげらまくらのせいなんやから仕方ないねん」
「なんやねん、おぃげらまくらてそもそも」
「おぃげらまくらはおぃげまくらや」
「知らんわそんなん、なんでみんなそれ信じとんねん」
「だってりょうちゃん寝てもうてるやん」
「それは病気やからやん」
「ちゃうやん、おぃげらんところで倒れてたんやからおぃげらまくらにやられたんや」
「だからおぃげらてなんやねん」
「教えたらあんたそこ行くやん」
「そんなん信じてへんから平気や」
「信じてようが信じてなかろうがおぃげらまくらは連れてくんや」
「じゃあ、なおさらそれについて知らなあかんやん。 何でだれも教えてくれへんねん」
「だから、教えたらあんたがそこ行くからやん。 りょうちゃんに続いてあんたになんかあったらみんな嫌やねん」
「みんなって誰やねん。 りょうちゃんかて皆に好かれたのにしゃあないしゃあない言われとるやんけ。 俺がそこいってなんかあってもしゃあないですませたらええやん」
「……少なくてもうちはあんた倒れたら嫌やもん」
「俺やってりょうちゃん倒れてもうて嫌や」
そこまで言って、ようやく美加は口を閉じる。なんだか泣きそうな顔をしていて言い過ぎたような気もするけど、教えてくれへん美加が悪いから仕方ない。俺は怒っているのだ。
「もうええわ、教えてくれる誰かんとこ行ってくるから手を離してーや」
「……誰かって誰なん?」
「俺のことあんま知らんくて口軽い奴や」
「そんなんあかんて、嫌やて。 りょうちゃんのこと聞いたらあんた……」
美加は顔を伏せながらおどおどとする。どうするべきか迷っているみたいだった。その上にまずいことを言ってしまったみたいに目を伏せられていると腹が立つ。しかし、なによりも腹が立っているのは美加がしっとって俺が知らんという事実のみやった。
「ほんまもうええから腕放すか、おぃげらんこと教えてーや」
「嫌や」
「なんでなん、俺がおぃげらんところ行っても美加に関係あらへんやん」
「そういうこと言うんやったら絶対教えへん」
「なんやねんな、俺だけ知らんのめっちゃ嫌やねん。りょうちゃん倒れてそれでなんか変なんのせいにされてんのほんまごめんやねん。ええからほんまに!」
今度は俺から美加の腕をつかんで揺さぶった。彼女の目からは困惑と不安が見て取られた。
「絶対りょうちゃんみたいにならんて約束できる」
「ならんて、信じてへんし、そんな変なもんこの時代にのこってるわけないやん」
「……そこまで言うなら、ええよ」
美加は腕を放すと、一転して自転車を押し始める。急になにしとんやこいつと、一瞬だけ思ったけど要は場所を変えたい言うことなんやろう。気が付けば、青空は傾き始め、橙色へと染まり始めていた。