4.「超絶適当な入学式」
保健室を後にした俺は正面に配置されていた学園案内図を目視した。どうやらこの学園は四つの校舎に別れているようで、各三学年は、それぞれ1つずつ校舎を利用することになっているようだ。
要するに、一年生は第一校舎。二年生は第二校舎。三年生は第三校舎といったような豪華な使い方をしているらしい。
職員室は学年室と呼ばれており、各校舎の学年毎に別れている。ついでに体育の授業や屋内の部活で利用する場所は第四校舎に在中しているようだ。
そして今の俺の目的地は第四校舎に存在する全校集会を行う講堂だったのだ。俺が眠っていたのは、第一校舎の保健室のようだったので、校舎を移動しなければならない。
さて……この学園内の構図を頭に叩き入れた俺は、いよいよ校舎の外に踏み出すことにしたのだ。
「でかっ!」
俺は恥も外聞も無く思わず率直な感想を零してしまう。案内図を見たことや、ここまでの道のりの中でわかっていたことだが、それでも衝撃を隠すことは出来なかった。
学校説明会の際に美浜高校の学内を闊歩したことはあったが、この学園は美浜高校よりも遥かに巨大であるようだ。
そんな巨大な学校ということで、校舎間を移動するのにも一苦労だ。もしかしたらこの学園は高校というよりは、大学のキャンパスのようであると言った方が適切なのかもしれない。そんな印象を受けた。
やがて、頭を回転させながら歩みを進めていると制服を身に纏った女生徒達の姿が視界を占領するようになった。
「……そりゃ女子校みたいなもんだから、女ばっかりだよな……」
当たり前のことを俺は再認識してしまう。……ああ、男が恋しくて仕方がなかった。男の胸板に抱き着きたいぜ……と、悲しさを覚えつつも俺は講堂の方に向かう。
そして当然のことながら俺から女子生徒の姿が視界に映るように女子生徒から俺を目視することも当然のように起きてしまう。
「ねえねえ……あの人……見て見てっ!」
「あれってどうみても男の人だよね?なんでこの学園にいるんだろうね?」
沢山の新入生らしき生徒達は俺の方を指さし、密やかに話題に取り上げる。流石に気まずい気分になってしまうのは避けられなかった。
ってか、やっぱり女子校に男子生徒ってこれは相当まずいんじゃね?何だか警察にでも通報されないか不安で仕方なかった。
とはいえ、俺に為す術も無い。目立ってしまうのはやむを得ないと自分に言い聞かせて、さっさと講堂に入ることにした。
「……」
講堂の中も軽く見渡すとかなり広いようで、全校生徒が収容できるだけの席が用意されているようだ。既に半分以上の席は生徒によって埋め尽くされていた。
講堂内では全面にカーテンが引かれており、薄暗い消灯に照らされていた。映画館の電灯が消される前の明るさで、快晴の空の下よりは目立つことはなさそうだ。その状況に少しだけ安堵をしながら座るための席を探すことにした。
「……」
周囲を見渡しつつ空いている席は……ってか、どこでも自由な席を選択していいものなのかがそもそもわからない。クラス毎に出席番号とかだったら把握できないぞ、おい。
あの理事長め……やっぱり、無理やりでも案内を頼むべきだったのだろうかと少しだけ後悔をした。
結局のところ俺は目立たないように顔を隠すようにしながら、空いている左端の席に腰を掛けることにした。
「ねえ、俺も新入生なんだけどさ……この入学式って席は自由に座っていいのかな?」
俺は満面のスマイルで、姦しくお喋りをしている女生徒達ではなく、静かに佇んでいる容姿端麗な銀髪の少女に声を掛けることにした。
「……」
しかし、彼女の反応はシンプルだった。言葉を口にしていないのに伝わる敵意。純然たる冷意は俺の心まで凍らせる力を秘めていた。
ここまで女子に明確に拒絶された経験は無かったので少しだけ……いや、かなり寂しい気持ちを覚えつつも、俺は負けじと話を続けることにした。
「い、いやー。本当に実情を把握していなくてさー。困っちゃっているんだよねー」
「別に……席は決まっていないわ」
端的に告げるその声色は恐ろしい程に冷酷であり、身震いを覚えてしまいそうにもなるが、同時にその美声は同性愛者の俺から見ても魅惑的であり優美なものだった。
「ああ。そうなんだ。それじゃあ隣失礼しちゃうね?」
少し強引ではあるが、俺は彼女の隣の席に腰を掛けた。
「勝手にすれば……」
「……」
「……」
「何だか突拍子もないかもしれないけれど、この学園に入学させられちゃってさ。まだまだ、右も左もわからないんだよな」
「興味ないわ」
彼女はどこまでも俺に対して関心が薄いようだった。だが、取り立てて騒ぎ立てたりしないので、俺の存在が周囲に認知されることもあまりなさそうだ。
これでひとまず、俺は入学式を乗り越えることが出来ると期待を持てる。
「……マジか」
だが、予想していなかった一つの生理現象が起こる。膀胱が尿意を催し俺にトイレに行けと命令を下し
たのだ。
俺は席の位置をしっかりと記憶した上で、仕方なく腰を上げてトイレに向かうことにした。
「よし……ここだ」
無論、漏らしてしまうほど膀胱に尿が溜まりきっていた訳ではないが、それでも始めて訪れる場所でトイレの位置が不明瞭なことほど恐ろしいことはない。
幸いなことに、トイレの位置に関しては事前に把握してはいなかったものの、貼紙でお手洗いはこちらと案内があったので、俺は迷わずトイレに入ることが出来た。謎の違和感を覚えながらも俺は用を足すことにした。いつものように便器に座ってリラックスしながら行為に及び始める。
「ふぅー」
思えばこの学園に来てから心休まることはほとんど無かった。なし崩し的に学園に入学させられ、女以外と接触することが出来ない半ば地獄のような場所で生活をしなければならないのだ。……覚悟を決めないとな。
俺は心機一転をするために用を済ませた後に、洗顔することにした。随分と施設のレベルが高いようで、トイレにすら手を瞬間的に乾かすアレと同時に使い捨てのタオルが置いてあり、使い終わったらゴミ箱に捨てるようだ。ってかそれは勿体ないなとかも思ってしまう。
気が利いているのか知らないが、洗面台のところには使い捨ての櫛が用意されていたので、それを用いて簡単に髪の毛をセットした。
「よし……こんなもんでいいだろう」
即興にしてはそれなりに身なりになったと自負している。これならば、容姿の醜悪さや清潔感によって迫害されることは抑えられるだろう。
俺は親父のことは尊敬していないが、親父も母さんも美形のおかげで俺も何とか立派な容姿で生まれてくることが出来た。それに感謝をしていた。と――――――そんな手前味噌を思想している時に、俺は最悪の出来事に遭遇することになった。
「……」
「……」
俺の背後には女子生徒が……ん?何だ?再び俺はトイレに入って来た時と同様の猛烈な違和感を感じることになってしまった。
何かがおかしい?この違和感はなんだ?そして俺はようやく気が付いた。何というか盲点だった。だけど当然の帰結だった。
もう何度目の話かは覚えていないが、ここは女子校のような場所である。そしてあの理事長の話が真実なのであれば、在学生だけではなく教職員も全て女性。
そんな学園内に男子トイレなど存在している筈があるのだろうか?更に言えば、女子用トイレという区別を示すための配慮が為されているだろうか?
「……」
背中から嫌な汗を掻いていることを俺は自覚をしていた。仮に俺が学園内を闊歩しているだけなら百歩譲って不審に思われても、速攻不審者として処理されることはないだろう。一応はこの学園の男子用の制服を着ているのだから、もしかしたら何かを察してくれるかもしれない。
しかし、ここは女子校の敷地というだけではなく女子トイレ。そんな場面で女生徒と遭遇してしまっては……
「完全に俺、変質者じゃねえかっ!」
思わず自分でノリツッコミをしてしまう。そして、俺の背後にいる女子生徒はしばらく俺の存在の認知をすることが出来ていなかったようだが、ようやく認知をし――――そして―――――
「ハァアアアアア?キャアアアアアアアアアアアアアアアアっ!変質者っ!いや、キモイっ!キモイキモイっ!ウチも流石に貞操の危機を感じちゃうってぇえええええっ!近よらないでっ犯罪者っ!」
「いやいやいやいやっ!マジでちょっと待ってくれっ!」
ここで人でも呼ばれてしまっては明らかに俺の人生は終了してしまうことだろう。勿論、最終的には人が集まっても理事長の方にまで話が行けば多少の理解は得られるだろうが……それまでの間で事態がどのように発展するかは未知数だ。
少なくとも芳しい結果にならないだろう。俺は反射的にその場から走り出すことにした。去り際には、彼女に対してこれだけは言っておきたいことを伝えることにした。
「寧ろ俺こそが被害者だぁああああああああああっ!」
早速、前途多難な状況によって俺は絶望感を形成しながら、一目散に女子トイレの外に駆け出した。
「ふぅー」
講堂の中に戻った俺は思わず深いため息をついてしまう。何とか先ほどの女子トイレで出会った少女に捕まることもなく、その他の女生徒に見咎められることもなく元の席に辿り着いたのだ。照明が薄く視界が悪いこの講堂の中ではひとまず安心だろうと俺は思った。
「……」
「ん?どうかしたか?」
「……別に」
俺の隣に座る女子生徒。先ほどトイレに行く前もそうだったが、彼女は非常にクールな性格をしているようだ。俺が話しかけてもあまり反応を返そうとしない。それは俺が男だからとか初対面だからとかそれ以上の……何か大きな壁を感じたのだ。多分だけど俺の経験から言えば誰に対してもこんな風に壁を作り孤高の状態を保っているのだろう。
しかし、誠に残念なことに俺はそんな寂しい思想を掲げているような人物を放置しておくような素直で明快な性格をしているわけではないのだ。
たまに自分でもお節介過ぎるとは思うがな。という訳で俺は彼女の牙城を崩すためのお喋りを始めようとした瞬間だった―――――
「ねえ……」
「ん?」
予想とは異なり彼女の方から話しかけてきたことに俺は驚いてしまう。しかし、これはまたとない機会のようだ。故に即座に俺は応対しようとするが、彼女はそっけなく一言だけ言葉を伝えた。
「入学式が始まるわ」
「……」
彼女がそんな言葉を呟いてから早数秒。彼女の発言通りに照明が完全に落ちていく。そのせいで、彼女のその横顔を見ることが適わなくなる。……俺は一瞬だけ自分では予想していないとある思想を浮かべた。
―――――きっと俺があの一件に遭遇しなければ、こんな美人でクールな女子に惚れていたんだろうな。
しかしそんな理念はあくまでも幻想でしかなく、今の俺には関係のないことだったな。
やがて、豪華絢爛な作りをしているナイトの球場のように、講堂の中心にはスポットライトが照らされた。何とも金が掛かっていることだと呆れつつも、入学式は始まるようだ。
先ほどまでは口うるさくお喋りをしていた学生たちも、状況を悟ったのか、ゆっくりと静まり返り始めた。閑寂とした空気の中で、唯一としてコツコツと音が鳴り響く。それは女子学生らしいローファーの足音だった。
そして、スポットライトの中心の女子生徒は―――――――――
「それではただいまより第31回、千葉私立白花崎女学園の入学式を挙行致します」
厳粛たる雰囲気の中で彼女は堂々とした振る舞いで登壇をし、当然のようにそんなセリフを紡いだ。……どうにも先ほどまでの保健室でふざけていた女とは見違えるようだ。あんなふざけたような性格をしていても、この学園の最高責任者として相応しいと思われる風格をまとっていた。仮にも、名門白花咲女学園の理事長というのは伊達ではないのだろう。
と―――――思っているのも束の間だった。
「はあ……一応最初は理事長らしく素晴らしい美辞麗句と厳格な忠言でも加えた上で入学式を行おうと思いましたが、やはりこれでは面白くありませんね。却下です。そもそも皆さんも地元の学校等で年寄りの役に立たないお話を聞いていて退屈した思い出ありますよね?私も天上ヶ原家の会合で年寄り連中の与太話を聞かされて、非常に疲労感を募らせた思い出があります。ですから、今回の入学式は適当に行こうと思いますね。というわけで皆さん気楽にしながら聞いてくださいね」
何とも気まぐれな女だった。彼女は厳格な雰囲気を解きインフォーマルな形式で式典を進めていくようだ。
……ってか、式典であのノリの軽さって保護者から苦情来るレベルだろとか思いつつも意外とそうではないようだ。
そもそも暗闇の中でそれとなく見渡してみるが保護者らしき人物たちの姿は見受けられない。もしかしてこの学園では式典ですらも、保護者の参列を禁じているというのだろうか。私立だからって自由にやりすぎだろうと俺は茫然としそうになった。
「それでは、まずは皆さんに祝入の言葉を伝えましょう。本日は我が白花咲女学園に入学しためでたい日ですからね。本学は皆さんもご存知の通りに、入学試験は非常に倍率が高く、一般的な私立高校よりも入試形態が独特なこともあり、皆さんも必死に勉学に励んでこられたことでしょう。その努力の結晶としてこの学園に入学することが出来たのです」
「……」
その言葉を聞き、実際に俺も普通に入学試験を受けていたら受からなかったかもしれないなと少し想像を膨らませた。
「理事長である私はそんな努力を重ねてきたあなたたちに敬意を払うという意味でも、この学園に入学することが出来てよかったと心から思えるように最善の努力を払っていきたいと思います。この学園では成績に関しては非常にシビアであり毎年残念ながら留年してしまっている生徒もいますが、あなた方は決して留年することの無いように努力をして過ごしてください。まあ、言っておかなければならないことはこのくらいですね。……ああ、そうそう。そう言えば今年は男子生徒が一人だけ本学園に入学していますので、在学生も新入生も彼に対して優しく接してあげてくださいね?ちなみに彼のクラスは一年A組です。それでは、これで入学式を閉式致します。いやー、普段の式典もこれくらいの様式が一番いいかもしれませんね。皆さんが良い学園生活が訪れますように―――――」
理事長の降壇と共に静謐としていた空気が一気に解放され、講堂内は一気に騒がしさを増した。
「え?聞きましたか?殿方がいらっしゃるんですの?」
「おいおい何だよ。流石は理事長だぜ。面白いことを平然とやってのけるとはねっ!」
「……」
理事長が男子生徒の存在を公にしてくれたことで俺の肩身はほんの少しだけ広くすることが可能となっただろう。ちょっとだけだけどな。恐らく、先ほど女子トイレであった女子生徒は必ずや俺を不審者として扱い続けるだろう。
何はともあれ……え?ってかあれで本当に入学式終わったのか?流石に早すぎない?校歌を斉唱したりとか、偉い人の眠くなる話を聞くとか、あれはマジで必要ないと判断されちゃったの?理事長は自由人過ぎるだろう……と俺は周囲を見渡してみるも、全くと言っていい程に生徒達は開放気分に浸っているようだ。
本当にこれで終わりなのか?……いや、まあ楽なのはいいんだけどさ……俺は初めて式典の煩わしさを恋しく思ったのだ。
「……それじゃあ、さようなら。次は教室でオリエンテーションだから」
「ああ。席のこと教えてくれてありがとな?」
「……」
銀髪の少女は無言のまま列を組んで教室に向かう生徒達の流れに入っていったようだ。さて……俺も行かないとな。というか教室は……ああ、さっき俺の教室を理事長が暴露していたな。一年A組か。俺は目的地が決まったことで歩き出そうとすると思わぬ集団が到来する――――――
「ねえ、あなたがこの学園に唯一男として転校してきた子でしょう?」
「ちょっと話を聞かせて貰ってもいいかな?色々と聞いてみたいことがあるんだよね?」
「え……いや、その……すみません。急いでいるのでっ!」
「あ……ちょっとっ!」
俺は恐らく上級生である女生徒達の制止を振り切って教室に急ぐことにした。あのように女に囲まれると俺は酷く狼狽し体調を悪くしてしまう。身体が接触してしまえば、動悸とめまいに襲われ、尚且つわき腹がえぐられるような感覚を彷彿してしまう。
可能な限り迅速に講堂の外に出ようとするが、前が行列で詰まっているせいで、中々先に進むことが出来ない。
「ちょっと待ってよ新入生くん。ねー、いいでしょう?」
そんな中で、更なる刺客が俺の前に現れる。先ほどは数人単位だったが、今度は軽く十人以上だった。既に俺は四方八方から囲まれてしまう。何だか黒服の連中といい、最近の俺は人に囲い込められることが多すぎませんかねっ!
腕っぷしには、それなりに自身があるから、殴り蹴散らせていけば突破も不可能ではないが……
「ねえーねえー……わかっているでしょう?ちょっと話聞かせてよ」
「めっちゃ久しぶりに同年代の男子を見たよー。ねえ……イイことしない?」
「どうしよかったなー。襲っちゃおうかなー。マジで襲っちゃおうかなー?」
「無理無理無理っ!マジで無理っすからっ!」
あの一件によって培った恐怖心によってここまで情熱的な女は『彼女』を彷彿させてしまう。俺は身体が竦み逃げ出すことが出来そうになかった。
そして、女子生徒達が俺に手を伸ばそうとした瞬間のことだ――――――
「え?」
「あなたたち……夢中になることは仕方ありませんが、時間帯を考えなさい」
「た、立花さんっ!いやいやこれはですね。違うんです」
「そうだよね。今のは新入生に対する歓迎で……」
不意にその場にいた女生徒達は言い訳を始めた。俺に対する魔の手を止めてくれたのはメイド服を着た20代くらいの女性だった。髪色は純粋な黒色であり、ロングスカートと相まって清楚な印象を伺わせる。楚々とした挙止動作は優雅であり、穏やかさと気品の高さを感じさせる。
しかし、彼女の鋭い黒き眼光と全身から放つオーラは圧倒的であり、この場の雰囲気を完全に支配させた。
それにしても……先ほどまで理性を失っているような獣の如き、女子生徒達が万引きやカンニングがばれた時と同じような必死さが伝わって来る。……この人はそこまでの危険人物なのかと俺まで構えてしまいそうになる。
「幾ら異性と接する機会が少ないとはいえ、みっともありません。新学年として誇りを持ちなさい。いいですね?」
「は、はいっ!失礼しましたっ!それじゃあお元気でね新入生くん」
「今度また会おうね?バイバイーっ!」
脱兎の如く彼女たちが逃げていく。そして、軽い嘆息をついた後に立花さんと呼ばれていた女性は俺に告げる。
「ここは丁寧な挨拶を交わしておきたいところですが……ひとまず、今は失礼します。恐らく本日中に私とあなたは再び邂逅するでしょうから」
「は、はあ……そうですか」
状況が飲みこめない俺はひとまず適当に頷いておくことにした。
「それでは失礼します」
彼女はメイド服の裾を掴みちょこんと俺に挨拶をした。彼女はそのまま立ち去ろうとしたが……せめて一言くらいお礼を言わないと。流石に恩知らずにはなりたくないからな。
「あ、あのありがとうございましたっ!このお礼は必ず……」
「ええ。それでは期待していますよ、櫻井芳樹君」
「……」
何はともあれ、俺がこうしたトラブルに遭遇している間に講堂からはほとんどの生徒が消えていた。ひとまず……落ち着けるように努力しよう。
詰めよってきた女子生徒達。クソ。これは予想以上に心に負担が掛かるぞ。普通に女とお喋りをするくらいだったら何にも問題は無いんだけどな。
ああして、性的な話題や雰囲気を表せられると俺は気絶してしまいそうになる。悔しくも、親父が深慮していたことは大きな問題として俺の心の中で根付いていることは強ち間違いではないかもしれない。
そして、ここで一つの重要な事実に気が付いた。やたらと女子生徒達は、俺に対して執着を表出する。本当に図に乗っている発言だとは自分でも思うが、それなりに容姿がいい俺に対して異性として魅了されてしまうこと自体は理解出来る。更に言えば、単純な物珍しさで単純な興味関心を持つこともあり得る話だろう。
しかし、先ほど女子生徒の一人は「久しぶりに同年代の男子を見たよ」と言っていた。久しぶりにと言う言葉の範疇が人によって異なりはするものの……本当にこの学園内で三年間の生活だけで「久しぶり」などと言う言葉を使うのだろうか?今からいう仮説は俺自身が棄却されて欲しいと願うものだ。要するに俺が言いたいことを纏めると―――――
付属の小・中・高が存在する白花崎女学園の中では、最長9年間同年代の男と接したことが無い生徒も存在するのではないだろうか?
実際のところどうなのかは分からない。もしかしたら付属の小中高は、普通に男子生徒と接する機会もあったかもしれない。
しかし、もしも今の仮説が事実だとすれば……それはとてつもなく大きな問題だろう。
仮にだ。もしも俺が、『あの一件』を経験する以前に同年代の女が何年にも渡り身近にいなければ……間違いなく性欲は異常なほどに掻き立てられてしまうだろう。勿論男女差はあるだろうが……それでも思春期の好奇心と性欲は軽んじるべきではない。
これは俺が想像していたよりも、遥かにキツくなるんじゃないか?……今一度、この学園内で覚悟を決めて一年A組の教室を目指していくことにするのだった。