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龍の眠るところ

作者: たかよしお

 発掘した作品でテスト投稿したものです。

 いまどきの流行とかからは完全に目をそむけているのでみなさんには面白いものではないかも知れませんが、もし少しでも楽しんでいただければ幸いです。


 人間はつまらぬことにこだわる。

 二姫はあくびをかみ殺し、精一杯に神妙な顔を作る。

 目の前では一族の者たちがうやうやしくも根気よく自分を説得しようと言葉に言葉を重ねている。

 めんどうじゃ。そも、これは姉にして総領たる一姫の仕事ではないのか?

 その一姫が「もはや自分にはそのこころはない」と長老方を説き伏せねば自分のような小娘がここに座しているわけがない。

 姉姫は心底面倒になったに違いない。つい最近に、あのような決断を下し、それがまったく思いがけなく台無しになったのだから。

 説得は滔々と続くが、やれやれ大勢を決するに値せぬ言葉ばかり。唯一の論拠はどうやら、これまでの領主の新しい当主がはなはだ頼りなく遅かれ早かれ隣接の旧領主の支配を受けるなら自ら降ったほうが後々有利の一点。ほかは旧領主の領地との通行に障害がなくなれば都合のよい者たちの自己欺瞞ばかりだ。

「もうよい」

 ぱちんと二姫は扇を閉じた。

「童でもわかるぞ。ぬしらは大事なことを言うておらん」

 よく通る声は正しい姿勢から、と二姫は退屈に崩れた居住まいを正した。

「言うとおりであるなら、いずれそのような形勢が見えたときに動けばよい。跡目争いで衰えたといえ、謀反の汚名を恐れず行動するのは思慮があまりにも足らないとは思わぬかえ?」

 いや、それは何度も申したとおりと丸め込もうとするのを二姫は大あくびで無視した。

「聞き飽きた。ことならずんば、そっ首飛ぶも覚悟、であろう? 言うておくが、それだけですむとは思うでない。汚される名誉、巻き添えになる者どものことを思えば、ぬしらの三族すべてに罪過が及ぶと知れ」

 沈黙が落ちた。が、二姫を説得しようとしていた者たちは恐れ入って下がろうとしない。

 二姫はにっこり微笑んだ。快心の笑みだった。

「西の小路家はそなたらに口止めをしたようじゃのう。なれば、あやつらも結果に確信はもっておらんの。いざとなったら知らんふりをする腹であろう」

 ざわざわと動揺が走る。

 しかし、西の小路家はこれに応じればきちんと『約定』もかわすともうしております、と主だった者が腹を割った。

「約定か、つまり主従ではあるがその条件において対等と、そういう申し出であるな?」

 然り、然り。ンガダス方との約定は更新されておりません。

「坑道に先に下ろされる小鳥の役目をやって初めて認めてもらう対等かえ? 」

 二姫は扇を広げて嘲笑で醜く歪む口元を隠した。

「龍の民も落ちぶれたものじゃ」

 二姫様のお好きなようにお決めくだされ、と海千山千は責任のバトンを押し付け、かしこまった。

「では、定めるゆえによく聞くがよい」

 二姫はふたたびぱちんと扇を閉じた。

「約定の更新においてはンガダス方に優先権を認める。しかし、その力量が問われていることも確かであるゆえに、一つ、試すこととする。ンガダス家のご当主殿がその試練も越えれぬようであれば、領土を保つことなどできぬうつけゆえ、約定の相手を変えることとするが、そうではないと知れたときにはこれまで通りンガダス家を主と仰ぐこととする。試しの間は、龍の民はどちらにも加担せぬこと。詳細は追って詰める」

 一同、頭を垂れて承服の意を表した。一部にはおもねりも含めて賞賛の声もあがる。

 まったく人間という生き物はくだらん。二姫は不機嫌にそれを無視した。

(しかし、ンガダス家のチェスマ殿、変り種のようだがどのようなお人かのう)

 楽しみといえば、それくらいだった。


 さて、一方の主人公であるこのチェスマ・ンガダスについて少し語ろうか。

 ンガダス家は広大肥沃な中原に広がるこの王国で、王家に匹敵する領土を持つ大貴族である。当然、王国でも一番の大貴族である。ただし、他の貴族たちの勢力は全部あわせてこの二家に匹敵するというバランスのため王家を補佐する役割を是として何人もの宰相を排出してきた貴族筆頭でもある。

 その勢力の大きさゆえに跡目争いの内紛もこれまで何度かおきているが、その最大のものが終わって間もないのが現状だ。

 先代ンガダス公が病に倒れ、後継者を定めることなくなると、当然というべきか後継者争いが始まった。勝利者は先代の四番目の弟であるバンカラ・ンガダス。しかしこの男は正式にンガダス公になる前、チュの守るンガダス本館への凱旋の途上、まったく意外な頓死をとげてしまったのだ。そして他の一族は死に絶えてしまった後だった。

 継承権を持つ外縁に王家があるのが問題だった。王家とンガダス家の血縁は濃く、王がンガダス当主の座を要求する正当性はあった。

 累代ンガダス公に仕えてきた老僕、執事のチュはその断絶を恐れ、必死に後継者を探した。

 それがチェスマである。彼は貴族の子弟を教育し、知識と技術を追求する王立学院の研究助手であった。

 血筋を言えば先代ンガダス公の末弟の息子となる。彼はンガダス館では育たなかった。一族に何かが気にいらなかった父親が息子を連れて家を出奔したからである。継承権はまず父親にあるはずなのだが、この父親は既に病死していた。そのため細々と続いていたンガダス家との連絡も絶え、チュが彼を見出すまでこの親子の行方は杳として知られることはなかった。

 何もなければ彼は学院の助手から教授となって、自らの出自など知らぬまま王族貴族の子弟らに教養をさずけながらくらしたであろう。

 これで遺伝のもたらす体格的な押し出しでもあればまだはったりはきくのだが、武断の家の当主とは思えないなでがたのひょろりとした若者。それがチェスマであり、貴族として育てられていないがゆえに威厳、風格の類は何もなかった。唯一それを感じるものがあるとすれば立ち居振る舞いの端正さだけであろう。それを除けば頭でっかちの若造学者である彼に多くの者が不安を覚えている。頓珍漢な失敗談は尾ひれをつけて伝わっているし、忠実な老僕のチュが人前かまわず説教する様を見た者もいる。

 これでンガダス家のひと癖ふた癖あるつわものどもをまとめていけるのであろうか。

 王都での噂では、王家がンガダス家を接収すれば王家の力が強まりすぎるという警戒から、彼の継承がかろうじて認められているのだという。

 薄氷を踏むがごときその立場を、まるで理解していないようなところもある。

「大丈夫か」

 みなが不安を覚え、老獪な者たちは薄目をあけて成り行きを見ている。

 いたってのんきな当主に、自らすえたとはいえ忠実な老僕は胃の痛くなる思いをしていた。


 そして西の小路家である。

 西の小路家は王都の西の小路とよばれる大通りに面して屋敷を構える古い有力な貴族の家である。王国がまだ三つ、四つに分かれて争っていた時代の小さい王国の王家の末裔であり、プライドの高い武断の家系である。ンガダス家が勢力をのばしてきた時には何度か私闘を繰り返し、都度敗れて独立王国時代の勢力の半分近くを失っていた。だが、これまでは力の差がありすぎて累代の当主はただただため息をつくか、そのことを気にしないにしてきたのである。

(そしてチャンスがやってきた)

 その西の小路家の次期当主であるタケマロはンガダス館で主を待っていた。

 ンガダス本館は跡目争いの内乱の炎こそ受けてはいなかったが、往時を思えばあまりにも活気がない。使用人がずいぶんと減っているせいだ。

 これなら、いけそうだ。ましてやあちらはにわか貴族、のんでかかるくらいでちょうどいい。

「こんにちわ。おまたせしちゃいましたね」

 気軽な、というか能天気な声にふいに背後から呼びかけられてタケマロはびっくりした。

 てっきり正面の重々しい扉を両手であけて精一杯使用人を並べて身の丈にあわない威厳を一生懸命まとった成り上がりがどこかおどおどと、それでも虚勢をはって重々しく入ってくると思っていた。亡くなった先代は確かにそうしたし、虚勢でもなんでもなく生まれつきの威厳がそれを満たしていた。だが、当代にはそれがない。自ら格負けし、萎縮した相手との交渉はまず思惑通りに運べるというのが彼の計算だ。そうしたくなくとも、ンガダス家の執事の老チュがならいを変えさせることは絶対にないはずだった。

 そのチュが視界の隅で絶句している。威厳において貴族以上といわれるチュであるが、この当代の庶民的非常識さは相当手をやいているようだ。

 タケマロはいらいらした。生粋の貴族である彼には耐え難いところがあった。

「始めまして。ンガダス家の当主、チェスマです」

 飾り気こそ抑えているが生地、仕立て、意匠ともにすぐれた衣装と中身の落差に傷つきながら、それでも彼は驚くべき抑制を示した。この抑制と、実利優先のしたたかさこそが貴族の貴族たるゆえんなのだ。

「ご拝謁光栄にて。西の小路家が主クロベニが息子、タケマロにございます」

 こっけいな格好をさせられた猿のようにちょこちょことンガダス家主の席に運ぶ姿をなんとか追いながら彼は優雅な礼を披露した。

「ようこそ、お父上には一度お会いしましたが、少し胆嚢の具合が悪いようでした。ご回復されましたか? 」

 タケマロの顔色がさっとかわった。確かに父親は少し体調がすぐれない。医者の見立てなんぞ覚えてはいないが胆嚢とかなんとかとは言っていたような気がする。

(情報網はきっちりはってるぞ、といっているのか? )

 完全に他意はない。チェスマは王宮で一度挨拶だけした西の小路家当主の皮膚の色から具合の悪そうなところを読み取っていただけだった。

 しかも、本気で心配していた。その時は忙しいやらへまをやったら遠慮なく足をふんづけるようになったチュが怖いやらで余計な一言がいえないままになったが、それで病状に気づかず悪化してやしないかと心配になったのだ。

 しかしなんでもない一言にも駆け引きが含まれていることに慣れた若い貴族は素直にそう取れるわけがない。

 タケマロはぎょっとした。

 疑心暗鬼にチェスマのとぼけた顔を見ればそれさえも世間をあざむく偽装に見えてくる。

 なにしろ、これでも傍系とはいえあのンガダス家の血を引いているのだ。学院で研究助手としてエンドウマメを育てて眺めていたからといって油断はできない。

 だからといってここで引き返すこともできない。

 タケマロは心細さを覚えながら、しかしそんなことはおくびにださない貴族らしい勇敢さをもって心の中で一歩前へと踏み出した。

「おかげさまをもちまして最近は具合がよいようです」

「それをきいて安心しました。僕はくわしくはないのですが、似たような症状で非常にたちのよくない病気もあると学院の医学の教授に聞いたことがあります。心配しておりました」

 他意はないのである。

 タケマロは頭がぐらぐらしていた。父は余命いくばくもないのだろうか? こいつはそれをつかんでいて、父なきあとのことをまず考えたらどうかとなぞをかけているのだろうか。

 たとえそうだとしても、すべきことはしなければならない。でなければ次期当主の座さえあやうい。

「お心遣いまことにかたじけなく。しかし今はすべき話をいたしましょう」

 かつて何度も戦いの場の地図が広げられた大テーブルに地図が手回しよく広げられている。

「先日、龍の臥所庄の名主数名が当家の石の貴族庄に助けを求めにまいりました」

 指差すのは盆地から峠を越えてすぐの西の小路家もよりの駐屯地。

「いわく、この龍の尾峠の廃砦に最近山賊どもが住み着き数をまし、しばしば被害がおよんでおるとのこと」

 指さすのはンガダス家本領に通じる峠。

「かように御家に救いをもとめようにも峠が封鎖されているため、わらにもすがる思いで当家に保護を求めにまいったようで」

 ちらっとチェスマの顔をみやれば実に怪訝な顔をしている。

「ここに山賊が? 」

 地図の上の小さな砦の絵を指差してたずねる。場所は間違っていない。タケマロはうなずいた。

「ご存知なかったので? 」

「妙だなぁ」

 指がくるくると砦を中心として臥所と反対側の村の上で円をえがく。

「こんな逃げ場のないところに山賊? 」

 質問はチュに向けられた。

「あまり聞かない話でございますな」

「妙な話だねー」

 繰り返して言うが、この若者には駆け引きとか他意とかまったくないのである。

「とにかく、今は問題がおきておるのです」

 そろそろ少しいらだちながらタケマロがさえぎった。

「助けてやりたくとも、龍の臥所は貴家の所領。されどことは火急を要します。数日中に軍を発し、山賊どもを打ち破って交通を回復せねば龍の臥所は悲惨なことになるでしょう」

 チェスマはあれ、という顔をした。

「なぜです? 」

「山賊どもが焼き討ちをするということですよ。家が一、二件くらいのはもう起こっています」

「なんでそんなに自暴自棄なんだろう」

 チェスマは首をかしげた。

「賢い山賊なら荒っぽくとも領主のようにふるまうものと聞いてますが」

「そのような書物から得た頭でっかちな知識は忘れますよう」

 この意見にはチュが思わず無言で同意した。

「現実は呵責ないのです」

 チェスマの表情が翳った。何を思ったかはもう結構長く付き合っているような気のするチュにもわからない。ただ、彼が学院に入る前は遊郭育ちだったことはタケマロも知っていることだった。遊女のくらしがどうかなど、若い貴族にはわからない。

「そこでお許しをいただきたいのですが」

 さあ、いよいよ本題だ。タケマロは気をひきしめた。

「彼らが焼き討ちを始めたとき、あるいはいよいよ始めると思われる半月後までに貴家の軍が到着していなかったら、民を助けるためにわが西の小路家の軍が出ることをお許し願いたい」

 歴代ンガダス家の当主ならこの瞬間に鼻をならしてタケマロをつまみ出していただろう。あわれな山賊は数日しないうちに全員路傍にはりつけになっているだろう。

 そうはいかない足元を見ての交渉だった。受け入れればしめたもの、拒否したらしたでどういうかは決まっている。民を見捨てるンガダス家に領主の資格なし、独断で軍を出すが、それを宣戦というならその前に戦争する軍で龍の臥所を救ってほしい。

 もちろん足元を透かし見ている。逼迫財政、そして内戦による兵力の消耗。ただ、ほんとうにンガダス家が弱りきっているのかどうかはタケマロにもこの企てを行ったその父にも、そして首尾次第で自分たちも続こうとしているほかのハゲタカ貴族たちにもよくわかっていない。これは賭けであった。

「へえ!」

 気前のいい話だね、とでもいいそうな口調が返事だった。

「おたくの兵を貸してくださる? それはありがたい話です」

 チュがこめかみを押さえた。

「ご存知の通り先年の跡目争いで荒れたままの畑や水路などがあちこち残っていて人手が足りなくてしかたないんです。龍の臥所といわず、本館までできるだけたくさんよこしてくださると本当たすかります」

 もちろん「いくらでもかかって来い。全部捕虜にしてこきつかってやる」と聞こえたのは仕方のないことだった。

 これはつまり拒否だな、と彼は判断した。

「お心延え、あいわかりました。さすがともうせましょう」

 理解できていないのはチェスマだけであった。目をぱちくりさせているが、タケマロはもう彼に振り回されるつもりはなかった。

「なれど、実際に龍の臥所の民を救えるかどうかは別。チェスマ殿が力不足の時は、当家は救いを求める手を振り払うことなどできませぬので」

 一礼、辞去の言葉、そしてさっていく高い足音。

「ねえ」

 チェスマはおそるおそるチュにたずねた。

「なにか怒らせるようなことをいったかな? 」

「そうですな」

 深いため息を禁じえず、チュは主の顔を見た。

「ンガダス家の当主としては満点でしたが、どこが満点だったかあなたはご存じないでしょう? 」

「うん、教えてほしい」

 チュは旅の占い師の使うカードの愚者を描いたものを思い出していた。天をあおぎ、がけっぷちを楽しげに歩く愚者。

 チュは大きく息を吸い込んだ。

「よろしいですかな、殿。そもそもンガダス家の当主たるもの・・・」

「え、そこで説教? 」

「まさに」

 お説教は小一時間続いた。


「すぐ集められる者は百ちょっと」

 チュは×印だらけの名簿の上に老眼鏡をおいた。

「半月いただければ千と少し。死んだものも多うございますが、所在不明になったものが多すぎますな」

 ンガダス家の歴史とともにあった作戦会議室の大テーブルの上には砦の絵図面が広げられている。龍の尾峠の砦のものだ。現状をまめに反映していたらしく何度も赤をいれた跡がある。これが限度を越えれば描きなおしというところだろう。

 その絵図面を覗き込んでいるのは白髪頭ながらがっちりした骨格の老軍人。これはンガダス家の歩兵隊長の一人だった男で通り名を鉄亀という。率いる部隊が鉄の亀のようにのろのろとでもしぶといところからそう呼ばれていた。今では隠居であり、先の跡目あらそいには参加していない。

「百人でなんとかなる? なるべく怪我人がでないように」

「心配なさるなら、死人の数になさいませ」

 鉄亀は現役時代のタフな戦いぶりと裏腹に温厚な老人だった。とても過酷な訓練を兵に課して一糸乱れぬ精鋭に鍛え上げる鬼隊長には見えない。

「この砦、放棄されておりますが状態はそう悪くはない」

 鉄亀は絵図面の何箇所かを指さした。

「城壁が破損しておるのはこことこことここですが、資材さえあれば数日でふさぐことができます。相手にそれなりの人数と心得があれば不用意にかかれば何人死なせてもなかなか落とせますまい」

「もし、ほんの何人かでねぐらにしているだけなら?」

「それなら問題になりませんが、こたびそれはありますまい」

「なぜ? 」

 鉄亀は古い戦友でもあるチュの顔をみやった。チュの心が手をあわせている。どうか見捨てないでくれ、と。

「この事件、西の小路家が龍の臥所をンガダスからうばわんがためのものとご存知ないのか? 」

 老いたりといえ歴戦の軍人には迫力がある。なで肩の当主は思わず目をきょろきょろ逃がそうとした。

「・・・チュから、それは聞いてる」

「ならば、自明でしょう? 」

「そうかなあ? 」

 おどおどしているくせにいやにきっぱり否定する。老軍人はぎろっと若き当主を睨んだ。

「お考えを、うかがいましょう」

 下手な説明をしたらただではすまされぬ雰囲気。チュははらはらしていたが、肝心の当主は自分の思考にどこを吹く風の様子。

「まず、西の小路家の真意が龍の臥所を得ることにあるなら・・・」

 なで肩の若者はまったく強そうに見えない腕組み姿で宙を睨んでぽつぽつ言葉を落とす。

「砦にはうちがすぐに動員できる兵隊を一回くらい食い止められるだけ置きたいだろう。

 でも、この山賊騒ぎが自作自演であることを知られたくはないだろうし、王家の干渉を考えたら絶対に西の小路家の手先と知れる連中は使えない。

 山賊はあんな逃げ場のないところにはこもらない。つかまっても秘密をしゃべらないような口の堅い人間か、どう考えても危ないのにだまされて乗ってくる人間か・・・

 そんな都合のいい連中を実際には何人集めることができたんだろう?

 うちの動員数をどれくらいと見たんだろう?

 見切り発車と希望的観測の甘さが彼らにないといいきれるのかな?」

「わかりませんな、そのへんは」

 一喝を覚悟していた耳に温厚な老人の声が届いた。

「だから、まずやれることをやりましょう。隊長は兵隊を集めて連れてきてください。僕は先に現地に行く」

 若き当主はチュの顔を見た。

「かまわないね? 」

「先に行かれて何をなさるおつもりか、それ次第でございますが」

 チェスマは峠をはさんで本館側にある辻町を指さした。

「まず、ここで事情を聞く。その上で現地を検分し、見通しを立てる。それと、今回の件、西の小路家だけでできるわけではないから臥所の住民がなぜ協力しているかを知りたい」

「殿は、臥所の者が謀反しておるとお考えですか? 」

 チェスマは首を振った。

「これは直感だけど」

 彼は悲しそうに老僕の目を見た。

「僕を値踏みをしたいんだと思う」

「仮にもンガダス当主を試すとはけしからん話でございます」

 言葉と裏腹にチュは彼らの気持ちが痛いほどわかった。下手をすれば生き死にに関わる。

「チュ、いろいろ聞きたいことがある。同道してくれる? 」

「もちろんでございます。殿をお一人にすると何をなさるか心配で気が狂いそうになりまするでな」

 チュはチェスマににっこり会釈すると伝統と格式あるンガダス家の使用人頭らしく優雅なしぐさで退出した。若き当主の救いを求める目にはまったく気づかないふりである。

 実際、彼は口笛を吹きたい気分だった。

 戦火で鍛えられたリアリストの鉄亀。この老軍人がチェスマを見放さないことを彼は切に願っていた。その鉄亀が条件つきであろうがチェスマに一目おいたのである。

 頼りない若造だが、代々くせのある実力者揃いであったンガダス家の血は健在なのかも知れない。チュは祈る気持ちだった。


 さて、場は少し変わってここは龍の尾峠の山腹。

 白髪まじりの麦藁帽、農夫そのままの格好の老人がかろうじて一筋の踏み分け道から数歩踏み込んだところでごそごそ地面を引っかいていた。岩場と斜面だらけで森ではあるが、空が見えて明るい。木々はたいていその根っこでがっちり岩を捕まえている。

 老人は起き上がってうれしそうに感嘆の声をあげた。

 今ほりだした太い根っこをうれしげに眺める。インテリなのかめがねをかけている。

「こりゃあ、いい人参じゃ」

 売れば高値がつくだろうが、本人そのつもりはない。

 滋養の必要な患者がくればさも当たり前の薬のように処方して渡すだろう。

 あるいはここでは入手できない貴重な薬と交換するため、時折訪れては書き溜めた論文を納めに行く「学院」に持っていくか。

 彼は医者である。もうずいぶんながくふもとの村の人々の治療を行い、この峠の山肌を歩いて薬草を採取してきた。おかげで地元の人間も知らない間にたくさんの踏み分け道もこさえている。

 人参を大事に包んでしまいこみ、さてもう少し続けたものかどうかと思っていると、薬草つみ仲間の峠むこうの村の少女が茂みのかげから姿をあらわした。

「これはこれはごきげんよう」

 老医師は優雅におおげさに挨拶をする。そのしぐさだけで、その出自は決して卑しいものではないと知れる端正さだ。

「こんにちわ。たくさん取れてる? 」

 野良着の少女はにっこり微笑んだ。

「おかげさまで、大漁だよ」

 丁寧に処置した薬草で半分ほど埋まった背負子を見せると少女は残念そうな顔をした。

「あら、じゃあもう帰るのかな? お話、聞けないのかな? 」

 賢い子だ、と医者はうれしくなる。二人は山で偶然であい、少女は医者の山野に関する知識の良き聞き手となった。理解できる聞き手ほど得がたいものはない。少女は黙って聞いているばかりではなく、疑問に思ったことを鋭く反問してくることもある。実に楽しい話し相手である。彼の与えた知識を生かして薬種採りで生活していくにしろ、あるいは女医師となって男ではなかなかできない女たち特有の病を手当てしていくにしろ、医師はかまわない。

「大丈夫だよ、もう少しだけ集めようかと思っていたところだから」

 そこで医師ははて、と首をかしげる。

「峠に変な連中がいたはずだが、よくこれたね」

「うん、ちょっと目を盗んでね」

 少女はちろっと舌を出した。

「危ないことはしないでおくれ」

「はあい、ごめんなさぁい」

 などとやりとりしているが、医師自身あぶないことをやっている。砦の胸壁から矢が届かない場所でもないのだ。

「さて、来れたからには帰れるとは思うが、心配だ。送るしかないのう」

 少女は困惑したような笑みを浮かべる。

「えっとね、どういえばいいのかな」

「なんだい? 」

「先生はわたしがいつもの薬草つみにきたと思うのかな? 峠があんななのに」

「君ならそういう気になったらそうするじゃろ? 」

「あは、確かに」

 照れ笑い。それを真顔に戻して少女は切り出した。

「あのね、うちの村のお使いとしてきたのよ」

「おや・・・」

「だから戻らないんだけど、ちょっとお願いがあるの」

「言ってごらん」

「わたしがいることは他の人には教えないでほしいの。でね、そのときがきたら言うから、お殿様のところに連れて行ってほしいの」

「ふむ」

 医師はあごをなでながら考え込んだ。

「まあ、よかろう。そのかわりいろいろお手伝いしてもらうよ」

「よろこんで」

「あと、話せるときがきたら事情を打ち明けてほしい」

「あい、必ず」

 少女は深々とお辞儀した。


 二つの月が地面に金色と赤の影を交わらせている。

 英雄の月と魔の月、と呼ばれている。英雄の月は大きく、魔の月は少し小さい。

 しかしこの魔の月が現れるまでは地上は龍や精霊のすまう別天地であったという。

 そのころの人間は魔法を自在にこなし、しかも非常に長命でほぼ不老不死であったという。彼らのことを今の人は魔物、魔族と呼んでいる。

 魔の月はその魔力を吸い上げる。力が強いほど激しく吸い上げられるため、龍や精霊はたちまち姿を消し、人間もややあって今あるような卑小な生き物になってしまった。一部の力ある人間はあるいは魔の月の力のおよばぬ地中深くに避難し、あるいは生身を捨てて石像となり、あるいは人の姿さえ捨てて神秘的な獣となって生き延びる選択を行う時間を得たが、衰弱の早さがまるで違った龍たちにその時間はまったくなかった。

 そのむかし、龍の臥所の地下には長い年月の間、その龍のたった一人の生き残りが横臥していたという。同族に処罰を受け、地下に封じられていたことが彼の命を救ったのだ。

 龍をおさえこんでいた同族の魔力は彼らが死に絶えたことで絶たれた。だが、龍は外に出ればすぐに死んでしまうことを知っていたがゆえに鬱々と牢獄にくらしつづけるしかなかったのだ。

 鬱屈した龍は、分厚い地盤をへだてても少しづつ失われる力を維持するために人間たちにいけにえを求めた。若く、生命力旺盛で、しかし子供のようにはかなくはなければ生贄として十分であったが、なぜか人間たちはいつも若い娘をささげてきた。

 そんなある日、生贄としてその娘はやってきた。おびえ、泣き、話もできないいままでの生贄と違って、ものおじせず、いやそれどころか龍を見下すように話しかけて来る娘に退屈していた龍は興味を持つ。いくさに敗れてとらわれた隣国の姫君であったという伝もある。

 娘は龍に今の話、人間たちの話をし、龍は娘に太古の話、龍の話をした。

 やがて龍は娘に誘われるまま自分の体だけをさらに地下深くに眠らせ、人間の体の分身を作り出して地上に太陽にその両手を広げて心地よくのびをする。

 龍であった男と娘は家を建て、畑をつくり、小さき命を慈しむくらしにはいった。

 娘はたくさんの子供たちを残し、二人はだんだんに老いてゆく。

 龍はかりそめの体が死ねば再び地下の眠りに戻るはずであった。

 だが、人間として長年連れ添った愛妻を先に失い、龍の心は死人も同然となった。

 そしてその体の死とともに龍は目覚めることなく、体は永遠の生にあれど、心は死んでそれを捕らえた娘のもとへと、冥府へといってしまった。

 龍の臥所の住民は龍と娘の子孫である。

 ぱたん、と本を閉じてチェスマは馬車の窓の外を見た。馬車はかなりの速度を出しており、ゆれは激しい。よくぞ本を読めたものだが、それだけ集中していたのであろう。

「分家がおさめてたのか。朽ち縄家…か」

 龍の子孫を蛇の名の一族が治めていたとはおもしろい。チェスマは隣で老眼鏡かけて帳簿をにらむチュのほうをちらっと見た。出費のおおまかなところは知らされている。あまり楽な話ではないが、こまかいやりくりをいとわなければなんとかなりそうだ。チュはまさにその細かいやりくりをやっているのだろう。

 老眼鏡をはずして、一度帳簿を閉じたあたりを見計らって彼は尋ねてみた。

「分家の朽ち縄家があそこを納めるようになったのっていつごろだい? 」

 チュはチェスマの顔を見て、まじめに聞いていると見るとこれもまじめに答えた。

「さよう、七十年ほど昔と聞き及んでおりますな」

「事情は知ってるかい? 」

「そうですなぁ」

 老僕は目をつぶり、思い出そうとする。

「確か、臥所が謀反を起こそうとしたのを、朽ち縄家の開祖が未然に防いだ功績により、臥所をあずかるようになったとかでしたな」

「ふむ、どうやって防いだんだろうね」

「さあ、ただ朽ち縄開祖でないとだめであったことからして、なんぞ約定を交わしたのでしょうな。プライドの高い土地柄ではよくあることです」

「どんな約定かわかる? 」

「いや、推測しただけでそんなものがあったかどうかはわかりかねます。たいていは水利などの保障といった実利的なもの、特に頑固者の土地ではもともとの主家の地位を兼任するといったものがありますな」

「朽ち縄家の執事とかならなんか知ってそうだね」

「そうでございますな。しかし、無事のはずなのに何も知らせてよこさなかったのが気になるところでございますよ」

「なんとかして臥所にいかなければならないなぁ」

「無茶はなりませんぞ。あなたの身はいまやあなたひとりのものではないのです」

 わかってる、わかってる、とチェスマは説教が始まらないようにあわてた。

 いつものチュならかまわずお説教というところであるが、このときはなぜか眉間にしわこそよせていたが、いたってまじめに、しかし静かにこう問うてきた。

「殿、何か気になることがございますのか? 」

「うん。実は、さっききいたことのあたりの記録がないんだ。もともとなかったんじゃない。誰かに持ち出されたように隙間ができていた。埃の具合からして最近でもないけど何年も前じゃない」

「む」

 チュは首をひねった。無断で領地の記録を持ち出せる者などそうはいない。

「バンカラ伯父だと思う」

 チェスマがかわりに答えた。

「伯父は朽ち縄家を絶やしたけど、館に火もかけなかったし、主を守って逆らったわずかな者しか手にかけなかった。チュはそういったよね? 」

「はい、確かにもうしました」

「と、すれば伯父は臥所の人たちを納得させる何かをやったのだと思う。そうでなければ今のこの事態が理解できない」

「すると持ち出された記録は…」

「伯父の館のどこかにしまってると思うよ」

「遠うございますな…」

 バンカラ・ンガダスの居城は反対の方向だ。

「記録があてにならないから、素直に聞くしかないと思う。それがだめなら、きっと何をやっても間に合わない」

「殿」

 チュはチェスマの顔を見た。時々見せる、何か別のものに憑かれたような顔はしていない。ここにいるのは素のチェスマだ。

 ならばたずねよう。

「日ごろ、領地に執着せず、うっかりすれば人にやってしまいかねぬ殿が、なにゆえ臥所にこだわりになりますのか?」

「黒王殿のような人にあげるのはいい。僕より領民をちゃんと見てくれるだろう。でも、領民の命や暮らしなんか一顧だにせぬ人たちにンガダス領を食い荒らさせたくはない。それだけだよ。でも、なにより臥所の人たちの真意を知りたい」

「殿は、そう読まれましたか」

「読むも何も」

 チェスマは苦笑した。

「西の小路家のタケマロの様子で全部わかったよ。彼は、ンガダス家に領土を保全する実力が残ってるかどうか知りたがっていた。ならば、ご同類は他にもいるだろう。西の小路家の思惑通りにいけば彼らも手をこまねいちゃいないだろう」

「おどろきました」

 ただのぼんくらではなかった。チュは目頭が熱くなった。

「学院にいれば王族貴族のそんなところはいやでもわかるよ。王子…いや陛下が玉座を暖めていなければ、チュの説得に耳なんかかさなかったな」

 若く、英邁な王は宮廷で老獪な廷臣に囲まれている。チェスマがンガダス家の主として一目置かれればその助けになることは必至だ。

「殿が陛下のご学友でなければ、このチュ、死んで先代さまにおわびするはめになったところでございました」

 目頭を押さえるその耳に寝息が聞こえてきた。疲れが出たのか、痩身の当主はすとんと眠りに落ちたようだ。

 風邪を引かないよう毛布をかけてチュもしばし眠りに落ちた。

 チュは夢を見た。


「チュよ、わしを主と認めよ。そなたが認めれば他もしたがおう」

 少しあいまいになった記憶の中で力強く威厳に満ちた声が呼びかける。

「なれど、当主は一族合議にて定めるものにてこの老骨一身の身勝手にて定めるものではございません。わたくしめよりも、他の一族のかたがたをまず説得なさいませ」

「よかろう、そうするとしよう」

 そして他の主家一族は死に絶えた。

「さあ、あとはわしひとりの合議でわしを指名するのみ。チュよ、本館にて新しい当主の出迎えのしたくをせよ」

 ほの冥い気持ちで支度を整えるチュのもとに届いたのはその訃報であった。

 暗殺でもなんでもない頓死であった。

 そのあと主一族の生き残りをなぜあそこまで必死にさがしたのか、王国一の武門ンガダス家の家内を初代のころより代々とりしきる家系のチュにもわからないところがある。

 今、チュは実に久しぶりに少しだけ安らかな眠りを得た。


 村についてからの庄屋の出迎え、事実の確認、後から来る鉄亀隊のための諸手配は紙数を費やすほどのことはない。村人は等しく驚きおののき、しかし粛々と百名の部隊の受け入れ準備にかかっただけだ。

 また、チェスマはチュと護衛の自警団数名つれて砦の様子を見にいった。

 城壁には面頬をつけた数名の見張りが石弓を手にこちらの様子を見ているのと、固く閉ざされた城門を確かめた。城壁の割れ目は土嚢でふさがれ、火をかけられぬよう常時湿らされている。中の人数は二、三十人だろうという見通しだった。

「落とせぬわけではなさそうですな」

 チュの感想だった。

「破城槌とはしごを用意させましょう」

「迂回はできないかな」

 と、チェスマ。

「あの砦、反対の門は扉ごとなくなってたはず。背後をつけば砦の人たちも手をあげないかな」

「よい考えですが、大勢が通れる道を切り開くのをただ見ていてくれるとは思えませぬ。正面から一気に落とすのと、どちらが被害が少ないかはわかりませんが、あの峠の険阻さからして、あまりよい考えとは思えませぬ」

「そうかぁ」

 残念そうなチェスマは城壁のほうに手をふった。

 チュがそちらを見るとやはり面頬で顔を隠した士官らしい甲冑姿が手をふりかえしかけてあわててやめるのが見えた。

「何をなさっておいでです」

「いや、こちらをじっと見てたから、つい」

「さようでございますか」

 忠義者そのものの顔のチュであったが、そのこめかみがぴくっと動くのは抑えられなかった。チェスマにとって幸いなのはそれに気づかなかったことである。そのかわり、彼は不思議そうにチュに尋ねた。

「あの連中、山賊にはどうしても見えない。どちらかというとちゃんとした兵隊に見えるのだけど、どう思う? 」

「もし山賊なら跡目争いで敗れた敗残兵、かもしれませんな」

「つまり、元はンガダス家の兵?」

「そうなりますな…」

 チェスマは護衛についてくれた自警団の面々を見た。従軍経験のない若者も多いが、年齢で引退した古参兵もいる。一番近い一人を彼は差し招いた。

「あの人に見覚えはありませんか? 甲冑を見てください」

 望遠鏡を渡して城壁の指揮官を指差す。

 指揮官は彼が何をやってるのか気づいて三人目で姿を消したが、その姿を見た三人のうち二人までは見覚えがあるといい、しかし確かなことはいえないといった。少なくとも彼らの村の者ではない。それだけははっきり答えた。

「彼らが元ンガダスの兵であるなら、」

 チェスマはチュに言った。

「なんとか助けるのは当主としての僕のつとめだと思う」

「殿に責任はございません」

「彼らにもない。事情をくんでなんとかしてやるのが僕の立場のすることじゃないだろうか」

「ご立派でございます」

 衷心からチュは頭を垂れた。

「しかし、のこのこ城門前までいって話しかけたりはなさらぬよう」

「やってみないとわからないじゃないか」

「矢を射掛けられたらなんとします」

「それは…」

「お聞きください」

 何か言おうとするチェスマをさえぎってチュは厳粛な顔で続けた。

「もし一人でもあなたに矢を放てば、そして彼らがンガダスの家臣であるなら、彼らは取り返しのつかない謀反人となるのです。主たるもの、家臣の立場を悪いものへと追いやることには十分に注意せねばなりません。なんとなれば、それはその家臣を虐殺しておることになるからでございますよ」

 チェスマは返事ができなかった。

「一旦、戻りましょう」


 その夜、チェスマは訪問を受けた。

 村で医者をやっているというその老人の顔を見たとたん、チェスマは驚いた。

「これは驚いた。赤蔓先生ではありませんか」

 めがねの老人は名前を呼ばれて負けず驚き、非礼も忘れてしばし彼の顔を眺めた。

「これはおどろいた。助手のチェスマ・スター君じゃないか。ンガダス家の新しい当主とは君…いやあなただったのか」

「おひさしぶりです。先生のお宅がこの村だとはついぞ知りませんでした。ご挨拶もなかった非礼をお許しください」

 チェスマは老人の節くれだった手をとって中に招き入れた。老人の後から年のころなら十二か三の野良着姿の少女がついてきた。少女は物怖じする様子もない。チェスマを興味しんしんの目で見ている。

「このひとは?」

「名は竜胆という。峠のむこうの村の娘じゃ」

 少女はちょこんとかわいらしく会釈した。

「龍の臥所庄の? 」

「さよう」

「なぜここに? 」

「それはこの娘が自分の口で言うてくれましょう」

 医師は後ろに下がり、少女の背中をそっと押した。

 少女はついっと前に出ると深々とお辞儀する。

「話して」

 うながされて少女は口を開いた。

「お殿様にお目にかかれまして、光栄にございます」

 まったく物怖じしていない、チュの眼光が鋭い。この田舎娘はなぜか貴人の前での作法を心得ている。

「僕にどんな御用ですか? 」

「村から伝言をあずかってまいりました」

 チェスマとチュは顔を見合わせた。

「聞かせて」

「西の小路家の兵は約二百。臥所庄の反対の峠を下ったところに布陣しています。村の自警団が峠の砦の門を閉ざして入ることは拒んでいますが、これより五日の後までにこちらの峠が開かれなければ、門を開けて彼らの救援を受けます」

「ならん」

 チュが思わず言った。

「それだけはならんぞ」

「では、どうかそれまでに臥所までお越し願いますよう」

「そんな猿芝居につきあういわれはないわい。殿、だまされてはなりませんぞ」

「どういうことだい? 」

「峠の山賊ども、あれは臥所の者ですぞ」

「なぜわかったの? 」

 チェスマの問いはあまりに能天気な様子だった。

「殿…自警団の古参兵どもに砦の隊長を見せたでございましょ? 望遠鏡で」

「うん」

「そろって見覚えがあるのに、くわしいことを口にしないところで察することができませなんだか?」

 ああ、とチェスマは手をうった。

「それでなんだかもやもやしてたものが晴れたよ。チュは賢いな」

「はあ、おそれいります」

 毒気を抜かれた態でチュはため息をついた。

「伝言の確認だけど」

 チェスマは少女に尋ねた。

「期日までに僕が臥所につけばいいんだね? 」

「あい、みんなしてお待ちしております」

 少女は即答した。

「ふうん」

 チェスマは面白そうに微笑んだ。そして今度は老医師に尋ねる。

「この娘は峠封鎖の前から? 」

「いや、山腹の踏み分け道を抜けてきた」

「なるほどなるほど」

 チェスマは心底楽しそうだ。

「殿、またよからぬことを…」

「チュ、君を出し抜く気はない」

「さようでございますか」

 不信の響き。

「少しだけ、考えをまとめる時間を。危険は冒さなければいけないだろうけど、たぶんうまくいく」

 少女のことも、チュのことも、老医師のことも忘れてチェスマは思考に没頭し始めた。

 老医師とチュは彼のそんなところを知っているから顔を見合わせて相身互いの苦笑を交わした。

 少女一人、興味しんしんにその横顔を眺めていた。


 鉄亀率いるつわもの百が到着したのは思ったより早かった。急いだためらしく、人数も少し足りなくて九十六名である。別に本館の倉庫から持ち出し積み込んできた輜重の馬車が三台と二十名ほどの少年や老人が雑務のために随行している。

 兵士たちはタフで無口だった。動作に無駄はなく力にあふれ、いかにも精鋭という言葉にふさわしかったが、気持ちの高揚はまったく感じられなかった。

 内乱は終わり、戦友同士で殺しあう戦いの傷はまだ癒えていない。だからこそいらぬちょっかいをかけてくるものがいることは理解していたが、気持ちの問題はそれで納得させられるものではない。

 本音を言えば彼らはうんざりしていたのだ。

 だが、鍛え抜かれた兵士の誇りが彼らを応召せしめた。

 兵の犠牲をなんとも思わない者であれば従わなかっただろう。だが、単に軟弱なだけの者を受け入れることもありえなかった。

 その意味ではまったくチェスマはがっかりな当主だった。うわさはもう聞こえていたのであからさまにそんな様子は見せなかったが、やはりその声、その姿、そして話し方に失望を確かにしたのは間違いがない。

「ここまではチュの用意してくれた原稿のままです。僕も同感ですが、一つ付け加えたいことがあります」

 ひえびえとした場の雰囲気にまるで気づかないようにチェスマは続けた。

「たとえ敵兵でも、犠牲があたりまえの戦争なんてしたくありません。どんな争いごとも、血を流さず解決できればこれにこしたことはありません」

 眉をひそめるもの、たまりかねてつぶやくもの、ざわつく中にここまで通ったのか思う声で彼は続けた。決して大きな声ではない。ただ、まちがいなく耳にとどく声だった。

「これは、とても残酷なことです。当主となってしまった以上、僕は負けるわけにはないのですから」

 この、軟弱な坊やが残酷? ほとんどはわからなかったが、一部の兵士はこう理解した。

 必要な犠牲はいかにむごたらしかろうと躊躇なく払う、ということなのだ。

 結果として、士気は特別あがらなかったが、下がる、ということもなく九十六名の兵士たちは砦の攻略準備にかかった。

 用意したのは多数の長い梯子、矢、医薬品、それに破城槌に用いるためにきりたおした大木。それに柵につかう紐と竹。

 これらを運んで矢のとどかないところに布陣すれば砦に緊張が走る。その前で悠々と本隊は破城槌の準備を始めた。


「来るなら、明日だな」

 砦の指揮官はそう読んだ。

「かねて手はず通り、おのおの方、準備しませい」

 二十四名の部下たちは見張りについているもの以外は城壁の上から投げ落とすもの、石や油や薪の束を運びあげ始める。城壁が崩れそうなので重い石はいざというときまで下においてあったし、雨の用心に屋根のあるところにしまってあったものだ。

 砦の大きさに対してやはり人数が少ないのがわざわいして、作業は多忙を極める。

 攻撃してくるとすれば、夜明けだ。双方の兵士が理解していることであった。

 指揮官が望遠鏡で見ていると、馬が三頭引き出され、厚めの甲冑を着込んだ三人がこれにまたがった。先頭の騎馬が休戦旗を受け取る。

「きた、降伏勧告だ」

 応じるのは隊長である彼の仕事だ。彼は三騎がやってくるのを待つ。

 城門の前まできた三騎の先頭の武者を見て指揮官は驚いた。

「なんとまあ鉄亀爺さんだ。引退したんじゃないのか」

「城門の者に告ぐ」

 老いたりといえ朗々たる声。彼の指揮下にいたことのある兵が首をすくめるのが見えた。

「ただちに開門いたせ」

 要求はシンプル。意図は明らか。

 指揮官の番だ。どう答えるかは自由だが、要求に即座に応じないことにかわりない。といってこの老人は苦手だ。喧嘩をうるより時間稼ぎをするとしようか。

 が、そのとき背後に気配を感じてふりむいた。その喉に剣の切っ先が突きつけられる。

 部下と似た様な甲冑姿が三名。剣をつきつけているのはなんと

「チュ殿!」

 そしてその傍にいるひょろっとした姿は

「そして殿…」

「僕たちを通してくれないか? 」

 チェスマは静かに言った。

 部下たちもこの異常に気づいて凝視している。

「それとも、まだこれ以上争う意義があるのかな?」

 指揮官は城壁の部下たちを、そして彼方のンガダス軍を見回した。眼下の軍は破城槌をほうりだしてはしごを構えて押し寄せる構えをしている。

 ここで逆らっても、チェスマはもしかしたら討ち取れるかもしれないが、その間に乗り込まれてあっという間に落城するだろう。

「謀反は選択であって本意ではなかろう」

 チュの声が険しい。

「今武器を置けば殿はおぬしらの気持ちを汲んでなかったことにすると仰せだ」

 若き当主は悲しそうに彼を見ている。なんとまあ、このお人よしの殿様は自分の危険を顧みず、自分たちの身の上を心配しているのだ。

 指揮官はじろっとチェスマを睨んだ。

「なぜこのような無茶を? 」

「無駄な犠牲をこれ以上出したくない。これがうまくいかないなら、必要な犠牲は役立たずのわが身一つでたくさんだ。でも、あんまり無茶でもなかったよ」

「参りましたな」

 指揮官は苦笑し、そしてひざをついた。

「御殿のお慈悲、ありがたくお受けいたします…我々の負けだ。開門せよ!」

 大音声に命令すると、ほっとするもの、がっくり肩を落とすものこもごもになる。

 声は城外の三人も聞こえた。砦の兵士の一人がぎりっと歯噛みして箙の矢に手をのばす。その肩にぽんと手が置かれる。仲間の兵士だ。

「やめとこうぜ」

 兵士は弓を置いてため息をついた。

 ぎちぎちと城門が開くと鉄亀とンガダス兵九十名強が入城する。

「砦の山賊は逃げ散った。諸君は我々に編入される。異論あるものは申し出よ」

 いるはずもなかった。


 ンガダス軍は臥所の町を回復した。


「見事じゃ」

 二姫はぱちんと扇を鳴らした。

「そのほうら、まだ何かいうことはあるかえ? 」

 西の小路派の者たちはうつむいて一言もない。

「では、この件はこれにて落着とする。おのおの、遺恨に思うではないぞ」

 釘をさしても、人間というものはおろかだからやはり埋み火のように今日のことを残すのであろう。二姫はそう思ったがほうっておくことにした。

「ところで、約定の更新はいかがいたしましょうや」

「その件じゃが、姉上、一つ骨を折ってはくれぬかえ? チェスマ殿に、龍の試しか、龍の血かを選んでもらうのじゃ」

「わらわに嫁げと?」

 闇の中から冷ややかに返す言葉があった。これも若い声であったが、二姫のように幼くはない。大人の声であった。

「それは姉上のご随意に。だが、まだ龍の血を選ぶとは限らぬぞえ」

「まさか、試しは危険すぎる」

「わからんぞえ」

 二姫は楽しそうにくすくす笑った。

「では、姉上、後は万事おまかせする」

 嫌な子、と一姫がつぶやいた。


 西の小路家のタケマロは今度は美麗な甲冑姿で馬上にあった。

 ぴかぴかの甲冑姿の二百の兵が美々しく槍の穂をきらめかせ、鮮やかなのぼりをかかげて付き従っている。

 見上げるは龍の臥所から西の小路領を睥睨する砦の城門。二十数名の臥所のもののふがへこんだりくすんだりした甲冑姿でンガダス家の旗をかかげて城門を閉ざしている。

「あれを今あけてくれれば後はなんとでもなるものを」

 あと二日たてば砦の兵はンガダスの旗を降ろし、城門を開け放つはずだった。その時にチェスマとンガダス勢が反対の砦の外で足踏みしていれば臥所はいただきだ。

 今あけてくれれば、そのくらいの日数ならいくらでもごまかせる。

 チェスマの成功を信じてはいないが、タケマロは不安だった。

「いっそ力任せに…」

 そう耳打ちする士官もいる。だが、タケマロはそうするわけにはいかないことをよく知っていた。

 ンガダスの旗を掲げているところを武力で攻略すればそれは正面きって戦争をしかけたことになる。そうなれば王家が仲裁に乗り出してくるだろう。西の小路家の敵はンガダス家だけではない。はなはだおもしろくない展開になるのは目に見えていた。

 それにタケマロにはわかっていた。うちの兵はぴかぴかの兜をかぶっているが、それはつまり実戦経験にかけているということだ。あの砦のへこんだ兜の二十名はみなあまたの戦闘をくぐってきた古参兵だろう。兵力でははるかに勝っているし、かくしてはいるが、攻城用の道具は用意してある。負けることはない。だが、二十人を制圧するのに、常識以上の被害を受けるかも知れない。半分以上使い物にならない被害なんぞこうむったら、たとえ臥所を制圧してもいい笑いものになり、そして臥所の者たちも従わないだろう。

 何より、臥所の龍家の姫との約束を違えることになる。それは不名誉の最たることだ。

 威容を見せ付けているのは、砦の兵が同情的になって一日早くあけてくれたりはしないか、そんな希望があるだけだ。それに、臥所の者に印象づけておくのも決して悪くはない。

 無様なところさえ見せなければそれは効果を発揮するだろう。

 そういうわけで、タケマロは辛抱強く颯爽たる武者ぶりを見せ付けていた。

 ただぼうっと待ってるのも、というわけで時々武芸大会とか乗馬大会などを開いて兵たちの退屈をまぎらわし、士気を維持している。

 本日は分列行進の練習兼デモンストレーションだ。練習量も相当になり、兵たちは一糸乱れず行進する。

「若! 」

 子供のころから彼の御守をしていたじいやが鋭く彼を呼んだ。

「どうした、じい」

「あれを」

 じいやは砦を指差している。

 城壁に立つ兵の数が、のぼりが、随分ふえていた。三、四十人はいるか? のぼりはすべてンガダス家の幟だった。砦の城門が開き、七、八名の騎馬が休戦旗を手に駆け出してくる。

「まさか…」

 事情を察した士官たちが行軍中止の号令。

 静まり返った中に駆け寄ってくる蹄の音が高く響く。

 タケマロはじいやを従えて前に進み出て休戦旗の武者たちを出迎えた。

 戦闘の騎馬は白髪の老武者だった。油断なく非礼なく見事な馬上礼をやってのける。

「西の小路家のタケマロぎみとお見受けする。やつがれはンガダス家の一隊をあずかる者でござる」

 名乗った名前に聞き覚えがあった。

「これは驚き。鉄亀隊長の御高名、この若造も聞き及んでおります」

「おそれいりましてございます。さて、この老骨、タケマロぎみの御前を汚しまするは主になりかわりお伝えすることがござるからでございます」

「あいわかった。みなまでもうすまでもない。鉄亀殿、チェスマ殿におめでとうとお伝えくださりあれ」

「かしこまりてござります。されば、これにて失礼いたしまする」

 鉄亀隊長は再度馬上礼を行うと、見事な手綱さばきで馬首をめぐらし、砦に戻っていった。

「若…」

 じいやの声も聞こえぬげにタケマロはしばらく砦を睨んでいたが、やがて鼻で一つ笑って馬首を返した。

「みなのもの、引き上げだ」

 兵たちの間に安堵が流れる。砦に増えた兵の数といかにもつわものな雰囲気、それに防御戦では聞こえた鉄亀隊長が指揮と聞いてみな気後れしていたのだ。

「あのぼんくらの力量ではあるまい」

 とぼとぼと引き上げる途上、彼はつぶやいた。

「やはりチュはあなどれぬ」

 あれさえいなければ、と彼は思った。だからといって除いたら除いたで面倒が起こる。救いはチュがたいがい高齢であることだ。待てばチュは消える。そうなればンガダスの繁栄もおしまいだ。

 館に戻った彼を一通の手紙が待っていた。

「龍家の姫君の詫び状だ」

 彼は苦々しく笑って読み終えた手紙を暖炉になげた。

 しばし、飲んだくれるとしよう。


 朽ち縄家の執事はひょろりと背の高いはげた老人だった。おまけに頭がとがっているのでまるでペンのようだ。

「お運びまことに恐悦にございまする」

 ペンがぽっきり折れてお辞儀をする。

「どうぞこちらへ」

 館は古いものだったが、掃除も手入れも行き届いている。主はほろんだが、使用人たちは楚々と館を守り続けている。

 案内されたのは広間。平素は長テーブルを置いて主と客が会食会談し、祭りの時にはテーブルを片付けてダンスホールになる館ではもっとも豪華な部屋だ。

 上座には他の椅子より古いデザインの、しかし見事な刺繍の飾りをあしらった椅子が置かれている。

「おかけくださいませ。あいにく、元の椅子は座したまま斬られたご当主さまの血で汚れておりますゆえ古いものでございますが」

 椅子のまわりを見ても、石の床でよくよくふき取ったか、血の跡はない。チェスマはおっかなびっくり腰を下ろした。

「殿、まずはチュめに質問をお許しください」

「何かいいたいことがあるんだね」

 チュはうなずいて、執事のほうを睨んだ。

「何ゆえそなたは主を見捨てたか?」

「さよう、当然のご質問でございますな」

 執事は壁にかかった初代朽ち縄卿の肖像画を見上げた。

「しかし、見捨てられましたのは我らのほうでございます。あの方は、主であることを拒まれました。正しくもうせば、主たる条件を満たすことを否定なされたのです」

「貴様は主に条件をつけるのか? 」

 忠義一徹のチュの声は厳しい。

「それが約定でありますれば」

 執事はさも当然のように答える。

「チュ殿、私どもを何者とお覚えか? 我らは臥所の庄に住まう龍の民。初代様と約定を交わしてその臣下となったものですぞ。その約定をたがえられてはもはや主従ではございませぬ。義を絶たれて我ら、本当に悲しうございました」

「む、」

 チュは納得せざるを得なかった。

「バンカラ伯父さんはその約定を知っていたと考えていい? 」

 チェスマの問いに執事はにっこり会釈した。

「はい、さようで」

「伯父さんと約定を結んだんだね? 」

「はい、さようで」

「約定についての資料を伯父さんが持ち出してしまったので、僕はそれがどんなものか知らない。教えてもらうのは約定を結ぶ障害になる? 」

「殿が約定を結んでいただけると? 」

「それが人倫にもとるものでなければ」

 執事はにっこり微笑んだ。

「喜ばしい限り。此度のご無礼、族誅あってもやむなしと思っておりました」

「それは約定の内容次第」

 なんでもないことのようにそういったものだから、執事は震え上がってしまった。

 もちろんチェスマに悪気はない。そこまで邪悪なものとは思えないからこそのうかつな台詞にすぎない。

「さ、説明を」

 うながされて執事は背筋を伸ばした。

「それにつきましてはこの方よりご説明申し上げます」

 正面の扉が開かれて、古風な衣装をまとった若い女がすべるように進み出た。

「血の司である龍家の一姫様にございます」

 女性は優雅に礼をした。所作の典雅さを差し引いてもまずなかなかの美女である。

「御前お目汚しのほど失礼いたしまする。わたくしはこの龍の民の血の司である龍家の一姫ともうす者でございます」

「血の司とはなんですか? 」

「神官のようなものとお覚えくださいませ。我らが地底の龍を先祖とあがめる民であることはご存知でしょうか? 」

 チェスマはうなずいた。

「龍の血はだいぶんに薄まりましたが、我ら、心を病むものが出やすく、あるいは感情を一部欠いた者もまれに現れます。そのような者の心を鎮め、あるいは生活を物より心の面で支えることを続けております」

「儀式で? 」

「対話で」

「それは学問として面白い分野かもしれないね。まだ、誰も研究してないけど」

「おそれいります」

 頭を下げたが一姫にはチェスマの言ったことがどうもよくわかってなかった。賞賛の響きだけ聞き取っての会釈だった。

「それで、臥所の人たちの心の支えを行っているあなたが約定の説明をしてくれるのだね」

「お許しあれば」

「うん。お願いする」

 どうもこの人とは調子が合わないな、と感じながら一姫は軽く息を整えて説明に入る。

「最初に約定を求めた相手は西の小路家の岳高公でした。そのころは自分たちの当主を立てて独立していたご先祖は公と激しく戦い、結果、敗れました。しかしご先祖が死ぬまで抵抗すると知った公は降伏を勧告します。ご先祖と約定による主従関係を築こうと。約定の上でなら対等です。ご先祖は名誉を重んじたこの申し出を受けました。そして公に二つの条件のどちらかを受け入れるように求めました。その二つとは…」

「その二つとは?」

 逡巡もつかのま、一姫は話を続けた。

「一つは龍の試し。はるか地下まで降りて眠る龍の姿を垣間見ます。眠ってはいても龍はしばしば飢えて近寄る生命を触れることなくむさぼります。それを免れるのは龍の心を持つ者のみとされます。龍の心を持つ者であれば、血の縁はなくとも同族です。主と仰ぐのに問題はありません」

「君たちはみな龍に会っても平気なのかい? 」

「まさか」

 一姫は誇らしげに微笑む。

「龍の試しを受けるものは滅多におりません。三人に一人くらいしか生きて戻らないのです。試しを受ける、受けないのは本人の意志で決して強制はありませんから、よほどの事情と覚悟がなければ行くものはいません。龍家とはそのような者の集まりなのです」

「では、あなたは龍を見たのか」

 チェスマの声にうらやましそうな響きが宿るのを聞きつけてチュの眉間にしわがよった。

「なりませんぞ。危険すぎます」

「もうひとつの約定は龍の血と呼ばれております。こちらは龍家と姻戚を結ぶことを意味します。ご本人でも、ご子息でもかまいません。継承するものに血が混ざればよいのです。岳高公も敗死した当主の姫を娶りました」

「む、」

 チュは難しい顔になった。ンガダス当主の婚姻問題は一地方の帰趨にとどまらない問題だ。軽々しく決められても困る。

「朽ち縄家の初代はどうしましたか? 」

「龍の試しをくぐったそうです。失うもののなかったご身上であったと聞きますわ」

「バンカラ伯父は? 」

「あの方は血を選びました。あのようなことがなければわたくしが嫁いでおりました」

「あったことはないのだけど、聞くにつけ伯父さんは豪快な人だなぁ…」

「大変立派な方でした」

 ちょっとほほを染めるのを見てチュは呆気に取られた。鈍感なチェスマは気づいていない。

(驚いたわい。あの暴虐そのものの方に…)

「殿、約定は人倫にもとるものでありましたかな? 」

 執事がうやうやしくたずねる。チェスマは首を振った。

「しかし、朽ち縄家の当主はなぜ? 」

「あの方には龍の血が入っておりません。先々代の御当主には子がおりませなんだゆえ、血を選ぶことを条件に迎えた養子をお父上にお持ちでしたが、そのお父上は先々代が早々になくなられたのを幸い、他所の名家から奥様をお迎えに。せめてそのご子息に、と何度もご説明と請願をいたしましたが、お聞き届けありませんでした」

「そうなんだ」

 チェスマはここでチュの渋い顔に気づいた。

「わかりました。ぜひにも約定を結びたいと思いますが、どうするかはチュと相談の上、明日回答することにしましょう」


「あらまあ、姉さまったらふられちゃったの?」

 二姫はくすくす笑った。

「ふられて結構。あんなの好みじゃないわ」

 一姫はどすんと腰を下ろすと冷えた茶を飲み干した。

「もし明日の朝、あいつが血を選んだら、誰がいくんだろうね」

「姉さまじゃないの? 」

「どうなんだろ。あいつの目、タケマロとはぜんぜん違った。あんなとっぽい顔してるけど、とんだ食わせ物かもね」

 一姫は二姫の広いおでこをこつんと小突いた。

「あんたみたいなのはああゆうのにころりとだまされるんだ」

「姉さまも渋いおじさまにころり、だったものね」

 二姫はころころ笑った。

「やな子。あんたはどうなの? 」

「わたしはああゆう変な人、好きよ」

 一姫は肩をすくめた。

「じゃ、あんたにあげる」

「あの人、たぶん『試し』を選ぶと思うよ」

「三人に一人しか助からないって聞いて? 本人がそんな素っ頓狂なこと言い出しても、チュのじいさんが絶対許さないよ」

「そうだね、きっともめてると思うから様子見てくるわ」

 変な子、と一姫は思った。しかし、龍家はそういう変人ばかりなのだ。一姫はもう龍家に居場所はないと感じていた。

「どっかに、いい男はいないもんかねぇ」


 チュの考えはこうだった。

 国を束ねる王家と王国最大のンガダス家はずっと蜜月の関係を続けてきた。であるからこそ王権は磐石であり国家はおさまっていた。この両家はそれゆえに血縁でもある。知らず学友の交わりをもった現国王とチェスマはまたいとこの間柄である。いま、国王は若く、ンガダス家は相続争いで弱っている。野心ある貴族にとって王家またはンガダス家にとってかわるにはチャンスであろう。それゆえに、王家とンガダス家はここで関係を強化しておく必要がある。チェスマはころあいを見て、いとこまたはまたいとこに当たる王家の姫の誰かを迎えなければならない。

 もう一つは危険すぎて論外である。

 チェスマの意見はこうだった。

 ここで臥所庄一つ掌握できずに何が領主か。ここで信義を失うならいずれすべてを失うだろう。彼らは無理難題をふっかけたいわけではない。ただ、彼らの中のンガダスに親しみを覚えない者もあわせて納得させる申し出として慣習的なものを持ってこざるを得なかったのだ。歩み寄り、約定を結ぶべきである。

 チュはまた言う。当主たるもの、全体を見る必要がある。すべてをうまくやることなどそもそもできるわけはないのだ。いま、一部に強いることがあっても、根気よく新たな和解の道を探っていく選択もある。当主の結婚も命の危険もこの場合ふさわしい選択ではない。

 チェスマは答えて言う。チュの言うのは緊急避難的措置である。安易に用いるべきではないし、一度そうしてしまうと繰り返してしまう。緊急避難措置ばかりでは借金だらけの財政と同じで必ず破綻が来る。八方ふさがりに見えても最後まで正道を探るべきである。正道とはこの場合、両者納得する落としどころであり、無理強いではない。

「では、お好きなだけお考えください。しかし答えを出すまで時間はあまりありませんぞ」

「わかった、しばらく一人にしてくれ」

「御意」

 二姫が話しかけたのはそうやって一人沈思するチェスマだった。

「ンガダス家のチェスマ殿。ご挨拶をもうしあげるぞえ」

「だれだい? 」

 二姫はつつましく物陰から声をかけたので、チェスマにその姿は見えていなかった。

「龍家の二姫ともうします。チェスマ殿にお目通りした一姫の妹でございます」

「龍家の人か。何の御用だい? 」

「何ぞ、お助けになることはございませんかえ? 」

「こちらへ」

 招かれるまま姿を見せると、チェスマはしばし彼女の顔を見つめ、小さくあっと声を上げた。

「君は赤蔓先生のところにいた娘だね」

「先生には内緒にしてね。いらない気をつかわせたくないの」

 二姫はがらっと言葉つきを変え、いたずらっぽく微笑んだ。

「なるほどねぇ、いろいろやるもんだ」

 チェスマの声には感心の響きがあった。

「どうぞお許しを」

 二姫は優雅にお辞儀した。

「まあいいや、教えて欲しいことがいくつかある。答えられるだけ答えてくれない? 」

 腰掛けて、と椅子をすすめると二姫はちょこんと座った。

「なんなりと」

 優雅に扇をひらひらさせながら彼女は微笑む。野良着姿とは別人のようだ。

「じゃあ、まず」

 チェスマは須臾、質問をまとると最初の質問を放った。

「血を選択する場合についてだけど、正妻でなければならない? 」

 二姫は扇を二回ひらひらさせてから答えた。

「否」

「愛人でもかまわない? 」

 ひらりと一回だけ。

「十分ではないの」

「何が必要か教えてくれないか?」

 ひらりひらりひらり、今度は3回。

「生まれた子を後継とすること。あるいは正妻としてその意志を表明すること」

「なるほど」

 チェスマはしばらく考えてから首をふった。

「次は試しについて。具体的にはどうやって試しをくぐったことを確かめるのか? 」

「龍の見える場所に置いた割符を持ち帰ればよい」

 二姫はそう答えてにやーっと笑う。

 チェスマは何かいいかけてはっとした。同じくにやーと微笑み返す。

「割符を置きに行く人が必要だね」

「あい。都度、使う割符を確かめておいてまいります」

「届ける人はなぜ無事においてこれるのかな? まさか投げこんでるんじゃないよね」

「それはありえませぬのう。必ず信用のおける龍家の者が二人以上で確かめますぞえ」

「龍家の人なら一度は試しを受けているから無事なのかな? 」

 ひらり、ひらり。

「チェスマ殿はお疑いかの? 」

「うん。龍家の人たちはただ運がよかったのじゃないかと疑っている」

 ひらり。

「聞かせてたも」

「断っておくけど、これは推理憶測だから怒らないで聞いてほしい」

「あい、心得えもうした」

 チェスマはまず、自分が読んだ龍の民の縁起物語の内容をかいつまんで説明し、間違いがないかを尋ねた。

 随分抜け落ちた挿話や微妙な違いはあると思ったが、たいした問題ではない。二姫はただうなずくだけにとどめた。

 そこから先の推理は明快だった。龍に殺されるのは龍が空腹の時だけ。試しに耐えた人たちは龍がまだ空腹でないときに試しを受けたのではないか? そして、割符を置きに行く前には龍にたらふく食べさせているのではないか?

 ひらり、ひらり、ひらり。

「試しを受ける者に教えてはならぬこと、というものがございます。されど、それでは運の説明にはなっておりませんぞえ」

 チェスマは考えた後、自分の言葉を訂正した。割符を置いた後、即座に取りに行ったものが助かり、龍が空腹を覚えるほどためらったものが死ぬでは?

 ひらり。

「教えてよいこともございます。試しを受ける者は割符が置かれてから一月のうちに取りに行かねばなりませぬ」

「なるほど。ありがとう」

「なんの」

 二姫はぱちんと扇を閉じた。

「殿が約定を結んでいただければ臥所の者にとっては無上の喜び」


「このチュめも同道いたします」

 それがチュの条件だった。

「それが確かに安全であるなら、この老いぼれがまいってもよろしうございましょう? 」

「わかった、好きにしてくれ。でも暗い地下へ降りていくわけだから足元まで責任はもてないよ」

「足腰は殿より自信がございます」

 それは事実だった。チェスマはううんとうなってチュの主張を受け入れた。

「どうぞこちらへ」

 寒さをふせぐため、フードつきマントをはおった執事がかび臭い空気の流れ出す鉄の扉を開ける。手にしたカンテラに浮かび上がるその姿は痩身長躯とあいまって気味が悪い。

「途中まではわたくしが案内いたします」

「ありがと」

 不気味な雰囲気をまるで気にしないチェスマの鈍さがチュは少しうらやましかった。

 扉の向こうは人の手になる洞窟。アーチ状に掘られた岩肌がカンテラに照らされて浮かび上がり後ろの闇に消えていく。足音は遠くまでよく響き、先がかなりの深さであることをうかがわせる。どういう仕掛けか、下から風が吹き上げてくるため、息がつまる心配はなさそうだ。

 もう海の底あたりまでおりたのじゃないかと思うくらい深くまで下ったところで、ようやく平坦な開けた場所に出た。

 幸いなことにそこには別な光源があった。大きな燭台をすえた石のテーブル。そしてフード姿が大人サイズ二つに、少女サイズ一つ。

「よくぞまいられました」

 フード姿が一斉に立ち上がり、深々とお辞儀する。

「割符はたったいま置いてまいりました。これ、こちらの片割れでございます」

 丁重に燭台の光に陶板をわったものがかざされた。龍をあらわす古代文字が一文字記されているようだ。割れ目がぴったりあって、文字が完成すればよいというわけだ。

「どういけば、いいのかな? 」

「こちらへ」

 小さなフード姿がカンテラを手に闇に閉ざされた一隅に導く。人の手でうがったとは思えない断面の坑道が再び下っている。

「まっすぐ下りて行けばつきます。五分も歩きませんから。それと、龍は見えますがあまり長く見つめないよう」

 カンテラを渡される。

「ありがとう」

「殿、やはりおやめになりませんか? どうもこの先に恐ろしいものがあるようで」

「そりゃあ、伝説の龍がいるんだ。今の人間なんか、蚤ほどにしか見えないようなのがね」

 ここにとどまるか? と問うと忠実な老僕は唇をきっと結んで首を振った。

「ではいこう」

 実を言えばチェスマも何か強い気配が前方から伝わってくるのは感じていた。元素学は得意ではなかったが、きっとこれが電素とか火素といったものの生の気配なんだろうなと適当に解釈している。

 ぬめっと生物的な岩肌の坑道をゆるやかに降りること確かに五分。坑道はどうやら行き止まりになったらしい。ただし、壁に閉ざされているのではなく、闇に閉ざされた空間に囲まれている。大きな空洞に突き出した狭い張り出し。そこで終わっているようだ。

 そこにやはり石のテーブルがおいてある。近づくと、埃をはらった後に割符がおかれていた。

「ここで明かりを持っててくれる? 」

 張り出しの手前でチュにカンテラを預けてチェスマは張り出しに半身を出した。

 頭がくらっときた。強い気配が右から来る。

 闇の中に、真っ白な羽毛につつまれた蛇がとぐろを巻いている。その羽毛がほのかにかがやいてその姿を見せているのだ。のばしてみれば体長は二十メートルくらいになるのだろうか。大きいが、伝説にうたわれる生き物にしては小さい気もした。

 その周辺に動く小さな姿がある。鶏だ。二、三羽いる。真っ暗闇の中、行き場もなく光源である龍によっているのだ。これは龍へのささげものの残りらしい。今回はあまるほどたくさん持ち込んだのだろう。万一がないように。

 龍の目は固く閉じられて開かない。その心は既に死んでいるのだと伝えられているが、はたしてそうなのか。

「いや、まて」

 何か違う。彼は目をこらして違和感の正体に気づいた。

 薄目があいている。

 はじめからあいていたのではない。

 あいたのだ。

 龍は彼を見ていた。

 チェスマは目をそらすことができなかった。

 そのとき、彼は乱暴に腕をつかまれ、引き戻された。

「殿!」

 チュの声は半ば悲鳴だった。

「身を投げるおつもりですか」

 危うく転落しそうであったらしい。

 チェスマはカンテラに照らされたチュの顔が青いらしいと気づいた。

「気分が悪いのか? 」

「空気が悪いのでしょう。割符を拾ってすみやかに戻りましょう」

「そうしよう」

 龍が目をあけていることを、彼は言うことはしなかった。

「昔、奥津城の天井を踏み抜いたことがあったね」

 かわりに道々昔話をする。

「ございますな。あれは魔族の鎮まるところでおもむきがちがいましたが」

「あのときを思い出すよ、あれも地下深く、魔物が月の影響から逃れているところだった」

「魔族が目をさまさず、そっと修繕できてようございましたな」

「う、うん」

 彼は言葉の接ぎ穂をうしなった。

 広間までもどって割符を見せると、フード姿三人は割れ目をあわせてうんとうなずいた。

「お見事でございます。殿が龍心を備えていることを確かめ、約定がここに交わされたことを確認いたしました。これ以降、チェスマさまおよびそのご子孫の代まで龍の民はンガダス家に従いましょう」

 年配の者が代表してそういう。二姫がいう台詞ではないかと思ったが、男の気の進まないひびきを感じ取ったチュが感心している様子。そういうことか、と彼は少女とは思えぬその政治手腕をうらやましく思った。

「ありがとう。納得できる形でおさめることができて、僕もうれしい」

 彼の言葉に、フードの三人は深々とお辞儀をした。

「チェスマ殿」

 二姫が当主の声で呼びかけた。

「ちょっと、目を見せてたも」

 返事をまたず小さな手が彼のフードをのける。

「ふうん」

 彼女は面白そうな顔をした。

「どうされた」

 無礼は許さんぞという響きでチュが問う。

「お二人とも、龍気のさわりを受けておられます」

 二姫はチュがぎょっとする言葉で応じた。

「薬湯を用意させますゆえ、一晩ゆるりとされてから寒気など治まったのを確かめて御出立なされますよう。すぐであれば後を引くこともありませんが、無理をなさると長びきますゆえ」

「あいわかった」

 老練の軍人でもあり、忠誠心、意志ともに申し分ない老僕が飲まれた態であった。

「いやまったく、毎度これでは身がもちませんぞ」

 地上に戻る道、チュが妙に饒舌になったのは龍の圧迫感がとけたせいだろうか。それとも小娘に気後れした不明を恥じてであろうか。

 いつもの説教というより、慣れ親しんだ世界に戻る安堵がとりとめのないことをしゃべらせたように見える。チェスマはあえて語るにまかせた。

「しかし殿」

 地上の温かみが戻ってくるにつれ、チュの言葉は解き放たれた安堵からいつもの説教口調に戻っていった。

「これはまだ始まりにすぎませんぞ。これほどの目にあわぬまでも、もっと根が深く、からまってほどくにほどけぬ因縁もございますでな」

「そんな面倒くさいのがあるのかい?」

「お館に戻ったら、じっくり説明してさしあげましょう。当主として知っておくべきことでもございますでな」

「ううん、面倒そうだな」

「殿!」

 ここでようやくいつもの説教が始まった。


 チェスマ・ンガダスはその後、いくつかの領内の問題を片付けたらしい。その話は別の機会にするとして、龍の臥所ではまたあらたに一人、試しを受けて一族に加わろうとする者がいた。

 歯の根もあわないほどがたがた震えて戻ってきた少女の年齢は十かそこら。手にはしっかり割り符をもっている。確かめるのはおつきにまかせて彼女は少女に暖かい飲み物を渡した。

「龍は見えたかの? 」

 少女はうなずいた。すっかりおびえている様子だった。無理もない。彼女は里のものではなく、伝説くらいは知っていても龍の存在とは無縁に育ってきた身の上だった。それをいきなり目の当たりにしたのである。

 二姫は彼女を持ち出された文献の回収の途上で連れ帰ったのだ。その生まれ育ったところで、共同体からはじき出され、いずれはろくでもない身の上となって早々に死んで行くであろうその身柄を引き取った。

 実のところ、龍一族はそんなはじかれものを試しを通じて受け入れてきたのだ。

「そなたの目には力がある。龍の目は見たかえ? 」

 少女はうなずいた。

「薄目をあけて、あたしを見てた。引き込まれそうだった」

 そこでもう一度ぶるっと震えた。

「そうかえ、ではそなたは本日より三姫じゃ」

「どういうことでしょう」

「龍は滅多に目をひらかぬ。が、どういうわけか特定の者には必ず薄目をあけるのじゃ。わらわも、一姫姐もそうであった。その者は龍家の姫または公子として長たる資格を得る。理由なんぞ迷信蒙昧の類であろうが、一姫姐もその前の姐さまがたも、決して資格に劣るものではなかったから、そなたも自信を持て。ただし追うべき責めは重いぞえ」

 少女はびっくりしていた。

「この、わたしが? 」

「わらわも八つで四姫になったときは同じであったゆえ。その前はそなたとそうも変わらぬ身の上であった。いずれ話してしんぜようぞ。いずれそなたが二姫となり、わらわが一姫となって後見するまで時間はたっぷりあろう」

「そのとき、一姫様はどうなるの?」

「自分の名を取り戻し、好きな人生を送るのさ。二姫に後見の必要なしと一族の判断があれば空位にしてさっさと嫁でもなんでもいけるがの」

「二姫さまもいずれ?」

「そうさな」

 二姫は扇をぱちんぱちんと開いて閉じた。

「龍の目を見た男の様子でも見に行くのじゃろな。あれは見かけより面白い男じゃ」

「面白い、ですか」

「龍一族は変わり者だらけゆえ、酔狂風狂に驚いているとやっていけぬぞ」

 二姫はころころと笑った。


 この作品は、昔、同人誌(「せる」別冊 なんと20年前です)に書いたものの続編です。こちらものせたかったのですが、データが見つからないのでこれだけの掲載となります。

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