第17話
そこは文字通り聖域であった。
広々とした室内はまさに大広間と呼ぶにふさわしい。
大広間にあってもなお息が詰まるほどの霊力の濃さ、さすが結界の要、巫女のおわす場である。
しかし豪華絢爛というわけではなく装飾品は少ない。が、磨き抜かれた焦げ茶色の板目の床、重厚な梁、意匠の凝った窓など目を引くものは多い。
その中でも特に目を引き、霊力も濃いのが大広間の奥、一段上がったところに御簾がおろされており、1歩近づくたび濃密になる霊力は巫女姫の存在を確信させる。
人はあまりおらず、先ほどの老人、扉に警備員2人、御簾のそばに仕えている40半ばの男女。そして俺たち学生だ。
「……」
「おい陽太、大丈夫か?フラついてるぞ」
「…悪い、少し酔ったみたいだ。もう大丈夫だ」
霊力に少しばかり当てられたようだ。深呼吸をして気を入れなおす。
「そのままそこに腰を下ろしてくれ」
先輩の声に皆座る。雰囲気に気圧されてか、正座以外の座り方をしているものはいなかった。
しん、と静まりかえるなかスルスルと御簾があがり巫女姫様が姿をあらわす。
「初めまして、学生の皆さん。旧京都第一結界都市代表巫女、藍と申します」
見蕩れてしまうほどの美しい座礼に俺たちはぎこちない座礼で返す。
年は二十歳頃だろうか、少し痩せ気味で背も高い方ではなさそうだ。また衣装も凝ったものではなく、神社でみるような普通の巫女服で、薄紅色のストールを羽織っている。
確かに、綺麗な人ではあるが、良くも悪くも印象に残らない儚い方だ。
「ふふ。地味だなと思った方もいるようね」
他もそう思っていたのか。俺が見透かされたのかわからないが一瞬ドキリとした。
「代表巫女と言っても、仕事が多いだけで普通の巫女と少ししか変わらないの。雰囲気に吞まれがちだけどあまり気負わずにね」
と言われて誰が気を抜こうか。
目の前にいるこの巫女様が亡くなれば結界は霊力の供給を絶たれ消滅する。退魔師にとっての最優先保護対象だ。
その後は都市の歴史や発展途上であることなど話され、見学は終了した。
引率の先輩にうながされ部屋をあとにする。
「白川君は残ってください」
「はい?」
他の学生たちは帰ってしまい俺だけが取り残された。先ほど以上の緊張に包まれ、のどが渇くのを感じる。
「呼び止めてしまってごめんなさいね。少しお話をさせていただきたくって」
「はい、かまいません。この後の予定はありませんでしたので」
「ありがとう。そういえば先日は姉がお世話になったようで、ありがとうございます」
「姉、ですか……?」
最近を振り返っても猫村さんを除けば、ほかの年上女性と一緒にいた覚えはない。
「はい。墨染と言いまして、市井調査の際、嬉しそうに猫のぬいぐるみを抱えて帰ってき」「姉!!?」
先ほどの緊張はどこへやら、思いがけない事に取り乱す。取り繕う。
「し、失礼しました!あの、えっとっ」
「ふふ、気にしておりませんよ。本人も私も」
「爺や、人払いを」
は、と短い返事を返すと近くの男女、警備に視線を飛ばし退室を促す。扉の前に残ったのは爺やと呼ばれたその人だけだ。
ややあって入室してきたのは長すぎる黒髪の少女、いや女性、墨染さんだ。
「お久しぶり、と言うほどの間もあいておりませんね。こんにちは、白川様」
「こ、こんにちは…」どういう顔と態度をしていいのかわからず、半ば呆けながら返事をしていた。オウム返しに近い。
しかし、ハッと思いなおす。
「先日は知らずに無礼を」「本当にかまわないのです」
声をかぶされてしまい続きに詰まる。
「ふふ。妹が言いました通り、気にしておりませんからどうぞ、肩の力をお抜きなさいな」
姉妹にクスクスと笑われる。嫌な気分ではないが、どこか気恥ずかしい。
「私が呼び止めたのは他でもありません。鬼についてです」
「『裏切り者』と呼ばれる父を持つあなたに問いたいのです。白川様」
2人の真剣な面持ちに、こちらも居住まいを正す。
「正直に申しますと、進んで滅ぼす相手ではないように思います」
「しかし、討たねば喰われるのはこちらです」
「その通りです。ですが鬼の全部が人喰いではない。同族を喰う鬼もいる。人を喰う鬼。鬼を喰う鬼、そして…鬼に喰われる鬼、人」
「人を喰う鬼のみを滅ぼせと?」
「いえ。同族喰いの鬼は単純に力が増します。そいつらが人を襲い始めたら歯が立たない。だから喰われる鬼と手を組み、人と鬼を守る」
「少々、いえ、かなり夢物語では?」
「夢物語です。ですが、鬼と手を取り合い鬼を討つ。『弱き者を守る』これが白川家の変わらぬ方針です」
「『弱き者』には人以外にも鬼も含むと」
「はい。鬼に喰われようとしているなら助け、明星から追われているなら逃がします。『情けは人の為ならず』昔の言葉です」
巫女姫の質問の間、墨染さんは一切言葉を発しなかった。
「そう、ですか。あなたの、白川家の考えはわかりました。やはり鬼をも救うのですね」
「はい。強大な鬼がすべて滅びた後、次は人同士で闘争が始まるでしょう。殺しすぎるのはよくない」
「悪に対する結束力、必要悪」
「僕は人と都市を、鬼を守ります。父同様、裏切りと取られても」
一礼をし部屋を辞する。と、その背後から声がかけられた。
「わたくしは、白川様を影ながら応援しておりますよ」