0章・ケース3『宴名咲夜』(えんな さくや)
―同日、おなじく登校時
「咲夜ー、また惣雅先輩が追っかけられてるよ」
「ほんとだ、あの格好であのスピードで走れる惣雅先輩って何気にすごくない?」
いつもの光景。
入学してまもなくからすでに繰り広げられていた追いかけっこ。
バスケ部の朝練習を終えた宴名咲夜は、教室でスポーツドリンクを飲みながらその光景を眺めていた。
「それにしても先輩ってかわいいよねぇ、セーラー服着てるとほんと女の子にしかみえないし」
「ほんと、女の私達顔負けだよねぇ」
いつもの光景、と言う物がこんなに安心するものだなんて。
あの事件があるまでは思っても居なかった。
今でも考える。
もし、あの時…
誰か1人でも欠ける様な事があったなら…
わたしは、いまでもこうやって わらっていられただろうか?
「咲夜?どしたの?」
クラスメイトが虚空を見つめだした昨夜の顔を覗き込む。
「あ、いや何でもないよ」
忘れたくても、忘れられない。
いや、忘れちゃいけない。
いえない けど わすれてもいけない
―昼休み。
『早川マドカさん、至急職員室へ…』
「あ…」
学生食堂へ向かっていた昨夜の耳に入ってくる校内放送。
(…早川先輩の、呼び出しかぁ…)
予感がした。
素行が悪いと評判のマドカが呼び出しを受けるのは珍しい事ではない。
だが、今日のこれは何か、別の物だと。
咲夜の心に重い何かがくっつけられたような感覚。
「真理、お昼なににしよーか?」
「んー、今日はご飯物がいいなぁ」
友人の石端真理とともにメニューをにらみつける二人。
「今日の放課後の練習きつそーだからなー、食べすぎることなく、かつお腹が満足するもの~」
「わたしはパンにしておこうかな」
そんな会話をしていた咲夜の目に、1人の人物が映る。
おなじクラスの『秋宮雅紀』だった。
雅紀は昼食の入った袋を手にさげて、食堂を出てゆく。
(…秋宮君、1人かな?)
余計なお世話だとはおもいつつ、そんな事を考えてしまう。
雅紀も、咲夜と同じくあの事件に巻き込まれた一人。
それまでは、ただのクラスメイトの一人だった雅紀を、あの日からどうしても意識するようになってしまっていた。
でも、それからも声をかける事はできなかった。
(…秋宮君も、思い出したくないかもしれないし)
そして自分もまた、あの感覚を思い出してしまうかもしれないから。
触れられたくないのは…秋宮君?それとも自分?
―考え出してしまうと止まらなくなる―
空腹感がその考えを中断させてくれた。
…いや、そう思い込むことにして無理矢理考えるのをやめた。
―いつまでも こんなのがつづくとは おもっていなかったし
―かならず どこかで こわれるひが くるって かんじていたから