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滅びゆく竜の物語  作者: 柴咲もも
第一章 旅の途中
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旅立ち

挿絵(By みてみん)

「掟に縛られてこんなつまらない場所で二千年も生きるなんて僕はごめんだ。外の世界には興味深(おもしろ)いものがたくさんあるのに」


 白銀の髪を風になびかせ、金色の瞳で遥か遠方の空を見据えて彼は言った。


「だから、さよならだよ。ゼノ」



***



 カーテンの隙間から室内に注ぎ込む朝の光が眩しくて、ゼノは重たい瞼を開けた。


 懐かしい……、とても懐かしい夢を見た。

 三十年前、掟を破り故郷を捨てた親友の夢だ。


 薄暗い部屋の片隅に備え付けられたベッドの上で、闇色の髪を無造作に掻きながら身を起こす。傍らに置かれた木製のミニテーブルから着替えを手に取り腕を通すと、ゼノは部屋の窓を開け放った。谷の上流から流れてくる、朝方の冷えた空気が心地良い。

 部屋を満たしていく新鮮な空気を深く吸い込むと、窓際に置かれた椅子にゼノは腰掛けた。

 赤い表紙の本を手に取り、ぱらぱらとページをめくる。かたちの整った文字の列を追い、彼の宝玉のような紅い瞳が動いた。


 親友——イシュナードは、ゼノにとって兄のような存在だった。

 彼は里の外の世界に興味深々で、狩猟を任される度に、ゼノを連れて人間の街に出掛けていた。

 そんな暮らしが百余年も続いたある日、イシュナードはゼノにとんでもないことを打ち明けた。


「僕は、人間の伴侶とその子が欲しい」



 イシュナードが告げたその言葉に、ゼノは衝撃を受けた。

 里にはたくさんの掟があり、その中でも最も忌むべき行為とされていたものが『異種族との婚姻』だったからだ。

 ふたつの異なる種族の者同士が交わると、その子には両親の外的特徴が高確率で現れる。そして多くの場合、その姿は奇形と称され、侮蔑の対象になる。

 竜人族は、人の姿を成すことと同様に他の種族の姿を成すこともできるため、異種族に溶け込んで生活するのは然程難しいことではない。しかし、その能力は純血であるが故に備わるものであり、他種族の血が混じってしまった子供には、奇形と称される姿を隠す術がない。

 明らかな奇形種は外界では見世物として、或いは研究対象として、捕らえられ売買され、玩具の様に使い捨てられてしまう。 

 異種族との婚姻を禁じる掟は、そのような不幸な運命を背負う罪のない子供が生まれることがないように、里の住人が最も厳守してきたものだったのだ。


 イシュナードに連れられて出掛ける外の世界——とりわけ人間の世界に惹かれつつあったゼノだったが、異種族との婚姻だけは賛成することが出来なかった。

 ゼノは数日に渡り、考え直すようにとイシュナードの説得を試みた。普段から他人と会話をすることを好まないゼノが、それこそ一生分に値するのではないかというほど話をした。

 しかし、その行為もイシュナードの意思を崩すまでには至らず、数日後、彼は忽然と里から姿を消したのだ。



 いなくなった親友のことを思い出しながら、ゼノは本のページをめくった。

 この本は、イシュナードが人間について調べたことを彼なりの解釈を交えて書き綴ったものだ。イシュナードが里を去ったあと、彼の部屋でゼノが見つけた。

 里に暮らす殆どの者が読むことができない『古代竜骨文字』で書かれているのは、他の誰かに本がみつけられたときのことを考えてのことだろう。

 ゼノがこの特殊な文字を読むことができるのは、百余年のあいだイシュナードの傍にいたことで、彼が興味を抱いた知識の数々を共に学んだおかげだった。


 この里で、もしかするとゼノにしか読めないこの本を、イシュナードがわざと遺していった、その理由は——。



「いつか君も、僕と同じように彼らに恋い焦がれるときがくるかもしれないよ?」


 必死になって説得を試みるゼノに、爽やかに微笑んでイシュナードが告げた言葉。

 この本を遺していったのは、ゼノがいつか彼を追って里を出ると考えたからではないだろうか。

 

 里を降りたあと、イシュナードが何処へ向かったのか。

 消息を絶った彼の行方を知る重要な手がかりになると考えて、ゼノは今まで何度もこの本を読み返してきた。


 今朝、久しぶりにイシュナードの夢を見たのは、きっと昨夜耳に挟んだ外界の話の所為だ。

 異種族を忌み嫌い、混血種の根絶を掲げる人間の大国ベルンシュタインが、思想を同じくする国々と不可侵条約を結び、自国に友好的でない国・種族を牽制すると同時に、混血種狩りをはじめた。条約に参加した国は全て、人間が治める軍事国家だった。

 人間の姿で暮らしているはずのイシュナードには、直接の被害はないはずだ。けれど、もし彼が本当に人間の伴侶を得て、その子供と暮らしているのだとしたら。


「きみは、無事でいるのか……?」


 窓の外、峡谷を越えた遠方に広がる空を望み、本を閉じる。

 里では異質な黒いコートを羽織って、ゼノは自室をあとにした。



***



 里を出て北に向かうと、数時間後には視界が真白に覆われる。濃霧に包まれた峡谷の岩肌には、人がひとり通れるだけの細道が続いており、深い谷底へと降っていた。

 岩壁に手を触れながら足元に注意しつつ、さらに北へ北へと坂を降りると、霧の中に微かな闇が現れる。辿り着いた谷底の岩壁には、幾つもの巨大な空洞が並んでいた。

 濃霧の為に陽の光が届かない薄暗いその場所で、ゼノはランタンに火を灯し、眼前に広がる巨大な闇を仰ぐ。


 ここは竜の寝所。長い歳月を生きてきた竜達が、生の終わりを待ち望んで眠る場所。

 竜人族の寿命は平均二千歳と長いが、人の姿を保つことができるのはその生の四分の三程度だ。歳を取り、人型を保てなくなった者は、本来の竜の姿で残りの五百余年を過ごす。

 闇色の一族の長であるゼノの祖父は、ゼノが物心ついた頃にこの寝所に隠居した。


 臆することなく深い闇に飲まれるように、ゼノは洞穴の奥へと進んだ。



***



「お久しぶりです、お祖父さん」


 洞穴の最奥に横たわる巨大な黒い影に向かってゼノが声をかけると、()()はゆっくりと目蓋を開き、紅玉を思わせる真紅の瞳にゼノの姿を映した。


(……珍しいな)


 巨大な影はゼノの精神(こころ)に直接語りかけた。

 彼らは、本来の竜の姿では人の言葉を発することができない。だからこうして、精神に直接語りかけることで意思の疎通をはかるのだ。


(そろそろ曽孫の顔が見たいと思っていたところだ)


 くっくっと笑って目を細める闇色の老竜を前に、ゼノは溜め息混じりに呟いた。


「またそんな、無理難題を押し付けようとする……」



 ゼノは闇色の鱗を持つ一族で一番若い世代、最後の子だった。彼が子を成さなければ、この一族の血は断絶する。

 だが、竜の里は圧倒的な女性優位社会であり、伴侶の選択権は女性側にあった。次の世代へ血を遺すことができるのは、夫として選ばれた優秀な雄だけだ。


「残念ながら、俺は優秀でもなければ人目を引く容姿をもっているわけでもありませんよ」


 そう言って、ゼノはやれやれと肩を竦めた。


 和解して数十年の年月を経たとはいえ、今でも里にはゼノの家族を密かに侮蔑の対象にする者がいる。里の嫌われ者であるゼノが、同族の女性に伴侶として選ばれることなど、まずあり得ない。


(朱紅い鱗の女児がいたであろう。アレで構わんだろうに……)


 隠居したせいで今の里の状況がわかっていないのか、わからないふりをしているのか、老竜はゼノに構わず話を続ける。

 確かに里で未婚の女性といえば朱紅い鱗の彼女だけだが、気が強く男勝りな彼女とゼノが言葉を交わしたことなど殆どない。男衆に紛れて狩りをする彼女の、鮮血のように朱紅い長い髪が密かに気に入っていたことなど、ゼノはとうの昔に忘れていた。

 だいたい、彼女はゼノの存在など気にも留めていないだろう。


「うちの一族は俺の代で断絶ですよ。諦めて良い夢でもみててください」


 老竜を見上げ、ゼノは自虐的に微笑んだ。

 年寄りの戯れ言にいつまでも付き合ってはいられない。今日、わざわざこんなところに来た理由は別にあるのだから。

 一瞬、言葉にするのを躊躇った。だが、ゼノは意を決したように老竜を見上げると、はっきりとその言葉を口にした。


「里を出ようと思います」



 重苦しい空気が闇のなかに立ち込めていた。

 老竜はしばらくゼノを見据えたあと、特に気を荒げるでもなく問うた。


(里を出て、何をするつもりだ?)


 手元にあった岩にランタンを置き、懐から赤い表紙の本を取り出すと、ゼノはそれを差し出した。

 目的など、ひとつしかない。


「親友を……、イシュナードを捜しに行きます」


 イシュナードが掟を破ったことを老竜に告げるつもりはなかった。ただ、里を降りたきり行方不明なのだと、そう伝えた。

 人間との婚姻を目的に里を出たことを告げてしまえば、イシュナードは二度と里には戻れなくなるだろう。

 人間の寿命などたかが知れている。きっと彼は、百年近くの暇潰し程度の気持ちで里を出たに違いないのだ。

 

(……あの白銀の一族の子か)


 懐かしむように目を細め、老竜が呟いた。

 里の同世代の者達に、常に侮蔑の対象にされてきたゼノの、たったひとりの友人のことを、祖父は知っていた。


(まぁ、よかろう)


 しばらく考え込んだあとそう溢して、老竜はのっそりとゼノに背を向けた。

 黒い影に頭を垂れ、感謝の意を伝えると、ゼノは颯爽とその場をあとにした。



***



 霧の峡谷を抜けると、日はとっくに暮れていて、何処までも続く深い闇の中に点々と星が散りばめられていた。


(里の外に出るのはいつぶりだろう)


 そんなことを考えながら、ゼノは家路についた。


 夜が明けたら、旅に出よう。

 親友を捜す旅に。

 たった一冊の本だけが手掛かりの、あてのない長い旅になるだろう。

 それなのに、何故かゼノの心は高揚していた。



 ——いつか君も、僕と同じように彼らに恋い焦がれるときがくるかもしれないよ?


 イシュナードの言葉を思い出す。


 本当はわかっていた。

 イシュナードがゼノを何度も人間の街へ誘ったのは、外の世界を旅するとき、ゼノが一番幸せそうにしていたからだと。



 翌朝早く母親に置き手紙を遺し、ゼノは住み慣れた家を出た。

 目指すは遥か東の大国ベルンシュタイン。

 例の不可侵条約の締結国であり、異種族の存在を認めず、混血種を根絶やしにすることを宣言した危険な国だ。


 イシュナードが遺した本を片手に、朝霧に覆われた森の小径を降る。木々の合間から射す朝陽を受けて、ゼノは明け方の空を仰いだ。

 鳥の群れが列を成し、まばゆい陽の光に溶けて消えた。



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