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滅びゆく竜の物語  作者: 柴咲もも
番外編
38/42

きみには言えない

番外編として別に投稿していたものを本編に統合しました。

ヒロイン視点での一人称で恋愛主体の内容になっているため隔離していたもので、とくに読まなくても本編に影響はございません。


***


本編 第二章 9)月明かりの街で より


夜の街から宿に戻ったマリアは、焼き打たれた村でゼノと再会したときのことを思い出す。

マリアには、ゼノに言えない秘密があった。

 キスを、するのだと思った。


 鼻先が触れるほどの、吐息がかかるほどの距離だったから。

 けれど、もう少しで唇が触れるそのときに、彼はわたしを遠ざけた。


 夜の坂道を登りながら、わたしは平静を装うのに必死だった。

 馬鹿みたいに心臓が暴れていた。

 彼に触れられた頬が熱くて、その火照りを冷まそうと夜風に晒すように顔を上げた。

 隣を歩く彼が落ち着いた声音で話し掛けてくるから、震える声を必死で誤魔化して、彼の横顔をそっと見上げた。

 いつもと変わらない無感情な表情(かお)で、彼は坂の上を見据えていた。


 ぎゅうっと胸が締め付けられた。

 彼に触れようと手を伸ばしたけれど、その指先は虚しく宙を掻いた。

 足早に坂道を登る彼の背中を、わたしは懸命に追いかけた。



***



 背中から誰かに声をかけられて、わたしは振り返った。

 きっちりと着込んだ制服に、更に一枚衣類を着込んだその人は、困ったように口を動かしたあと、わたしを置いて広場を去った。

 何を言われたのかはわからなかった。ただなんとなく、周りの様子から「終わった」のだと判断した。

 行動を共にしているというのに、わたしは彼等——レジオルド憲兵隊の面々と意思の疎通が図れなかった。

 炎のちからは勿論のこと、精神感応のちからも使わないようにとオルランドに言われたからだ。

 オルランドの言葉は、わたしの身を案じてのものだった。それが解っていたから、外の世界の知識がまるでなかったわたしは、彼の忠告に素直に従ったのだ。


 村は酷い有様だった。広場にはたくさんの人が惨たらしく横たわっていた。憲兵隊は村人の遺体を広場の片隅に集め、順々に並べていった。

 目を覆いたくなるような悲惨な光景。その中で、人為的に隣合わせに並べられた一組の男女の遺体が目に付いた。

 胸の前で両手を組み、眠ったように目蓋を閉じたふたりの亡骸は、その死を悼んだ誰かが居たことを示しているようだった。

 強い風でも吹いたのか、広場に、村中に、空から降り注いだかのように、花びらが散りばめられていた。

 何故だかわからないけれど、わたしにはその花びらが、誰かが村の人々を弔うために手向けたもののように感じられてならなかった。


 一息ついて、わたしは汗を拭った。赤黒い血がべっとりと頬に付着して、少し気が滅入った。

 憲兵隊の面々は既に野営の準備に取り掛かっていて、意思の疎通が図れないわたしの居場所は、そこにはないような気がした。

 陽が落ちるまで、村の入り口に建てられたアーチ状の門の前で、ぼんやりと空を見上げていた。

 もうすぐ夜になる。

 闇色に世界が染まる、わたしが大好きな時間だ。




 闇に覆われた夜の村。その坂道を、オルランドに連れられて歩いた。水汲みと、酷い汚れを落とすために、わたしたちは村の地図に描かれた湖を目指していた。

 途中、オルランドは約束どおり、()についての情報を提供してくれた。

 その情報は決して良い内容ではなかった。()がたくさんの人間を殺してしまったことを、わたしは知った。けれども何故か、わたしは()を恐ろしいとは思わなかった。

 こんなことになってしまって、()は傷付いているのではないかと、そんなふうに思った。

 わたしの無神経な言葉で機嫌を損ねてしまったのか、足早に先を行くオルランドは決して後ろを振り返ろうとはしなかった。それでも握った手は放さずに、オルランドはわたしをその場所へと導いてくれた。


 色とりどりの淡い光に彩られた幻想的な景色のなかで、湖面が静かに揺れていた。

 オルランドに促され、わたしは坂道を駆け下りた。

 まずは顔を洗いたい。可能なら、身体中の汚れを洗い流してしまいたい。

 そんなふうに浮かれた気持ちで湖面に手を伸ばしたわたしの視界の片隅に、彼の姿が映った。

 わたしは思わず声をあげた。

 湖のすぐそばで、彼は静かに眠っていた。




「彼が目覚めない原因はわからない。だが、良い加減、きみも休んだほうが良い」


 わたしの肩に手を置いて、オルランドが優しく告げた。

 本当に、オルランドはお人好しだ。出会って一日足らずのわたしの身を、何かにつけて案じてくれるのだから。


(大丈夫だよ。貴方こそ、休んだほうが良い)


 わたしが笑ってそう言うと、オルランドは困ったように微笑んで、天幕から出て行った。

 既に夜は更けていて、隊員のほとんどが寝静まっていた。

 夜鳥の哀しげな鳴き声が風に運ばれて耳に届き、不安な気持ちを掻き立てた。


「……名前、憶えててくれたんだね」


 眠ったままの彼の髪に、指先で触れた。

 湖で、たった一言。薄っすらと目を開けて、彼はわたしの名前を呼んだ。それきり目を覚まさない。気怠そうに呼吸を繰り返して眠ったままだ。

 久しぶりに間近で見る彼の顔は、以前言葉を交わしたときよりも、なんだか大人びて見えた。


 不謹慎なことに、彼が目覚めないこの状況に、わたしは微かに安堵していた。

 理由は単純なものだった。

 彼が目を覚ましたとして、そのあとどうすれば良いのか、わたしにはわからなかった。

 わたしと彼は親しい間柄ではない。

 彼にとってのわたしは、過去に一度言葉を交わしただけの赤の他人で、この想いはわたしの一方的なものだった。


 人間()の世界に於いて、無知なわたしは彼の足手纏いにしかならない。彼が目を覚ましたとして、旅の同行を許されることは、まずあり得ない。

 里に連れ戻されるならまだ良い。ひとりで帰るようにと諭されることだって、充分に考えられた。

 かと言って、一緒に里に帰ろうなどとは口が裂けても言えない。

 彼を傷付けるだけのあの里に戻る理由なんて、何処にもないのだから。

 絶望的な気分だった。

 無我夢中で里を飛び出して、やっと追いつくことが出来たのに。

 その先にはなんの希望もなかったことに、今更気付いてしまったのだから。


 彼が目を覚ましたそのときが、別れのときになる。そう思った。

 だから——。



***



「そういえば、そのコート、随分痛んでるね。繕ってあげようか?」


 部屋に戻ると、わたしは壁際に掛けられたコートを指差して言った。

 気不味そうに扉の前に佇んでいた彼は、少し考える素振りを見せたあと、


「……お願いできますか?」


と、ちょっぴり安心したようにそう応えた。

 

 彼がどうしてわたしの同行を許してくれたのかはまだわからない。

 元々優しいひとだから、わたし一人で里へ追い返すことができなかったのかもしれない。

 だけど、理由は何にしろ、わたしにとってこの状況は又とない機会(チャンス)だった。

 少しずつ、本当に少しずつではあるけれど、確実に距離は縮まっているのだと、そう感じている。

 だから、この想いが彼に届くそのときまで、()()()()は秘密にしておく。



***



 夜の天幕にふたりきり。

 静寂に包まれた闇のなかで。

 眠ったまま目覚めない彼の唇に、わたしはそっと口付けた。




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