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滅びゆく竜の物語  作者: 柴咲もも
序章
3/42

ある竜族の少年の話②

 ゼノとイシュナードが出会ってから数十年のときが過ぎた。

 友達と呼べる存在ができたとはいえ、簡単に里に馴染むことは叶わず、ゼノは相変わらずの生活を送っていた。

 イシュナードは相変わらずゼノの祖父が遺した本に興味があるようで、度々ゼノの元を訪れては本を貸してくれとせがんだ。彼の知識欲と好奇心は尋常ではないようで、この里の歴史から外界に関することに至るまで、様々な知識を欲していた。



「イシュってさ、本当は俺の本が目当てだったんだろ」


 あるとき、ゼノがそう問いただすと、イシュナードは肩を竦めておどけて言った。


「それもあるけどさ、この里の住人ってつまらないんだよ。退屈に胡座をかいて、毎日惰眠を貪るだけ。このままじゃ僕らは絶滅の危機だっていうのに、くだらない掟を守ることだけを考えてる」


 つらつらと不満を並べたてて、イシュナードは最後に大きく溜め息を吐いた。


 確かにそうだ、とゼノは思った。

 この閉鎖的な状況で、女児の生まれない竜人族が種を存続させる術はない。それなのに、里の住人はこの緩やかな滅びを受け入れてしまっている。他人との関わりを断ち、静かに滅びを迎えるつもりだったゼノだけならいざ知らず、だ。


「掟を守ることが、そんなに重要なのかな」


 ゼノがポツリと呟くと、


「そうだろう? 掟なんて糞食らえだ! ゼノ、僕と一緒に外の世界に行こう!」


 勝ったと言わんばかりに目を輝かせたイシュナードが、猛然とゼノに詰め寄り、有無を言わせぬ強い口調で言った。


「そんなの無理だよ。俺は当然として、イシュナードだって成人の儀はまだだろ?」


 それに加え、外界の視察という任務は、里の男衆の中でも皆に信頼された優秀で品行方正な者だけに与えられる重要なものだった。里に関わろうともしないゼノは当然として、ゼノに構っているイシュナードもまた、その任を与えられるには程遠い存在に違いなかった。

 しかし、イシュナードはそんなゼノの言葉を一蹴すると、


「成人の儀の資格を得るのなんて簡単さ。それに僕はとても()()()()なんだ」


にっと笑って、得意げに言い放った。



 それから程なくして、イシュナードの成人の儀が執り行われた。その日、里はお祭り騒ぎで、全ての住人が広場に集い、イシュナードの成人を祝っていた。

 ゼノも人目につかないよう、こっそりと広場の片隅に身を潜め、儀式の進行を見守っていた。

 皆の前に姿を現したイシュナードは、白地に金の刺繍を施した神秘的な衣装を身に纏い、大衆を前にしても動じることなく凜としていた。

 口々に祝いの言葉が寄せられるその光景を前にして、ゼノはイシュナードと自分との歴然とした差を思い知った。

 ゼノの前での彼はいつも飄々としていて、常識にとらわれない変わり者にしか見えなかった。けれど今、人々の前で儀式を受けているイシュナードは、全くの別人のように思えた。


「イシュナードも遂に成人か」

「里長も肩の荷が下りるわねぇ」


 目の前で、浮かれた夫婦が楽しそうに語り合っていた。初めて耳にするイシュナードの素性に、ゼノは耳をそば立てて聞き入った。

 イシュナードは里長の一族の子だった。

 眉目秀麗で何事も卒なくこなし、里の皆に将来を期待されている彼は、この里の未婚の男衆において、おそらく最も将来を約束されているであろう存在だった。


「あの子も安心しただろうなぁ」

「悔しいけど、どう考えても婚姻相手はイシュナードだもんな」


 若い男衆のあいだから溜め息に似た呟きが漏れる。

 人混みへと視線を向け、ゼノは無意識に噂の相手の姿を探した。

 少女は人混みの中で、成人の儀を終えたイシュナードに拍手を送っていた。

 美しく成長した彼女の身体は程よく引き締まっており、鮮血のように朱紅い髪は腰にかかる程長い。整った顔立ちには、まだあどけなさがほんのりと残っていた。

 年に一度の収穫祭で舞を踊り、祭りに華を添える彼女に、里の誰もが憧れに似た感情を抱いていた。

 ゼノもまた、彼女に特別な想いを寄せていたが、その想いはこのときを最期に胸の奥深くに封じ込めることになった。


(そうか……、彼女はイシュナードを……)



 やがて成人の儀が終わり、広場では宴会が始まった。散り散りに帰路に着く人々に紛れ、ゼノも広場をあとにした。

 里の外れへと続く細い小径を歩いていると、後ろから聞き慣れた声がした。


「昼間から酒なんか飲んで、何が楽しいんだろうね」

「気持ちの問題だよ」


 振り返ることなく、ゼノは素っ気ない言葉を返した。

 竜人族の身体には、アルコールを即座に分解する特殊な酵素がある。そのため、彼らは通常の酒ではまず酔うことができない。それでも、神話の時代に神が祝杯をあげた伝説になぞらえて、祝い事の際には宴会が行われるのだ。


「なんだよ、機嫌悪いの?」


 まだ成人の儀の衣装を身に纏ったまま、イシュナードがゼノの眼前に周り込む。その姿はいつもと変わらない、ゼノの唯一人の友人のままだった。


「裏切られた気分だよ」


 大きく溜め息をついてイシュナードを押し退けると、ゼノは足早に歩き出した。

 ただの八つ当たりだった。

 幼い頃、森へ出かける朱紅い髪の少女の姿を目で追った。里の誰もがそうだったように、ゼノもまた、彼女に憧れていた。

 その彼女に生涯の伴侶として選ばれるのが唯一人の友人であろうことが、ゼノには誇らしく思えた。それと同時に、ほんの少しだけ悔しかったのだ。

 

 本当に、色々な意味で驚かされた。

 けれど、この件があったからこそ、イシュナードはゼノにとって信頼に足る、尊敬できる親友になったのだ。



***



 成人したイシュナードは瞬く間に里の大人の信頼を集め、いずれ外界の視察という重役を担う者として森の結界を抜ける術を得た。

 あの日の約束通り、ふたりは里を抜け出して、外の世界に飛び出した。

 里の大人達は、ゼノが成人の儀の資格を得るために成人したイシュナードが狩りに同伴していると信じきっていた。

 イシュナードの品行方正さは、この里の掟を掻い潜る最大の武器になった。反面、ゼノの落ちこぼれ扱いには拍車がかかったが、それも二人にとっては好都合だった。


 イシュナードはゼノの世界を変えた。

 色褪せていたゼノの世界は、瞬く間に鮮やかに彩られていった。


 多種多様な生物が存在する外の世界は、いつしか大部分が人間に支配されていた。

 なんの能力も持たない脆弱な種族だったはずの人間は、異種族から得た知識を元に創意工夫を凝らし、外敵から身を守る強固な砦や城を築き、多くの国を創り上げていた。他の種族が徐々に繁殖力を失い、その数を減らしつつあるのに対し、彼らは人口を増やし続けていた。

 滅びとは真逆の彼らの存在は、他種族にとって正しく脅威だった。人間は私利私欲のために他者を犠牲にすることを厭わない。自らの快楽のために他人の物を平気で奪う、危険な生き物だったからだ。

 竜人族が人のかたちを成したのは、元の姿が巨体であるが故の暮らし難さだけが理由ではなかったことを、ゼノは知った。人間の世において、竜の牙や角や鱗は、どんな宝石や金属よりも高額で取引されていたのだ。

 イシュナードはその危険を逆手に取り、希少素材である自らの鱗や爪を人間の国の通貨に換金した。人間の言葉を学び、交渉術を身に付けたイシュナードは、鱗一枚で数日遊んで暮らせる大金を手にすることができた。

 だが、それでもふたりの手持ちの金は、徐々に底をついていった。



「まいったなぁ。さすがにこの歳では脱皮もしないし、子供の頃の鱗が無くなるのも時間の問題だ。だからって鱗を剥ぐのもなぁ……」


 丘の上に寝転んで、イシュナードがため息混じりにぼやく。特に気にする素振りも見せず、ゼノは小さなナイフでカリカリと木彫りのペンダントに細工を施していた。

 人間の街の宝飾店で様々な装飾品を見て以来、暇を見つけては宝飾細工を練習するのが、ゼノの趣味のひとつになっていた。

 完成したペンダントに闇色の石を嵌め込み、小さく息を吐く。宝石のように輝くその石は、ゼノの鱗を研磨して作ったものだった。


「上手いもんだな」


 ゼノの手元を覗き込んでペンダントをひょいと手に取ると、イシュナードは感心したように頷いた。


「これ、寝所の爺さんとこから抜け落ちた牙拾ってきてさ、細工して売れば、当分困らないんじゃないか?」

「へ……?」


 イシュナードの提案に、ゼノは間の抜けた声を上げた。

 年老いて竜の姿に戻った竜人族は、牙や爪が徐々に抜け落ちていく。確かに、彼らが眠る寝所に行けば、たくさんの素材が見つけられるだろう。

 幼少期のものとは違い、老いた竜の牙や爪は非常に大きく持ち運びが困難で、これまで利用価値を見出せずにいた。けれど、装飾品として加工してしまえば里から持ち出すのも容易になる。

 ふたりは早速それを実行に移し、再び人間の街に出て遊びだした。


 ゼノの目に映る人間の世界は、息苦しい竜の里と比べれば、まさに楽園のようであった。


 里を捨て、外の世界で自由に暮らすことができたら、どんなに幸せだろう。

 何度も同じことを考えたが、ゼノにはそんな大それたことはできなかった。偶の息抜きにイシュナードと里を抜け出すことができれば、それで充分だった。


 けれど、そんな暮らしが永らく続いたある日、イシュナードはゼノの前から忽然と姿を消したのだった。



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