神童じゃないですよ
「チェックメイトです」
僕が最後の駒を動かすと皇太子殿下は盤上をしばらく眺めてうなっていました。
「……そのようだな。余の負けだ」
殿下は負けを認めましたが、回りの取り巻きがいきり立ちました。
「貴様、不敬だぞ!」
「恐れ多くも皇太子殿下になんというマネを!」
口々に僕を罵倒しますが、僕よりも殿下が眉をひそめました。
「おかしなことを言う。これはゲームだ。余に勝ったとしても不敬でもなんでもないぞ」
「恐れながら殿下。この方達はそうは思っておられないようです。おそらく殿下に勝つのは不敬――負けるのが当然と思っておられるのでしょう」
僕が指摘すると殿下が顔をしかめました。
「つまり余は――勝ちを譲られてきたというわけか?」
察しがいいですね。そうだと思いますよ。皆さんわざと負けていたんでしょう。皆さん殿下の機嫌を損ねてあわあわしてます。
「……よいことではありませんね。常に勝たせてもらっていては強くなれません」
僕は駒を片付け始めました。
「余は弱いか?」
「悪手を打ってもわざと見逃されていては悪手と気づきません。どう打っても勝たせてもらえるので勝とうという工夫をしません。これでは強くなるのは無理でしょう」
「なるほど……勝つのも良いことばかりではないな。ではどうすればよいと思うか?」
殿下が薄く笑いながらいうのに僕は試されていると感じました。
「自分を客観的に見てくれる人を大事にしたらよいのではないかと思います。少なくとも耳に心地よいことをいう人ばかりを回りに置くのは良いことではありませんね。耳に痛いことをいう人こそ重く扱うべきかと」
にやりと殿下が笑いました。
「面白いことをいう。そなたいくつであったか?」
「先月十になりました」
「面白い。実に面白いぞ、フェルナンド・アルシアン。そなたの名、覚えておくぞ」
「光栄です、殿下」
僕の名前はフェルナンド・アルシアンといいます。男爵家の三男坊というやっと貴族という程度のものです。男爵家は兄が継ぐので、僕は自分で身を立てないと貴族ですらなくなります。
まあ、それはどうでもいいんですけどね。
僕には前世の記憶というものがあります。最初それを家族に打ち明けたとき家族も色々考えたのですが、僕が母のお腹にいたとき何度も流産しかかり治療魔法のお世話になったので、そのときに何らかの作用で魔法師の記憶が複写されてしまったのでないかという結論に至りました。
違うと思いますけどね。
なぜなら、僕の記憶はここではない世界――魔法というものが存在しない世界、日本という国の青年のものだったからです。
前世の僕はついてない男でした。
その世界で僕は大学生で卒業を間近に控えていたのに内定はとれず、レポートを提出すれば前日に他人が提出したものとそっくりだといわれ、その提出した人物というのが友人だと思っていた男で、問い詰めるためにそいつの部屋に行けば、僕の彼女とそいつがいちゃいちゃしてました――僕はレポートと彼女をそいつに盗られたわけで――逆上して殴りかかれば逆にボコボコにされたわけで――喧嘩弱かったんですよ(涙)――ボロボロにされた体を引きずって家に帰ろうとして――左折してきた車が突っ込んできたんです。
僕は見ました――ドライバーが携帯を片手に運転しているのを。携帯片手に運転するドライバーは死ねばいいと思います。
そこで僕の記憶は途絶えているので即死だったのでしょう。
…………不憫だと思います。
そうした記憶を抱えたまま僕は生まれました。
新しく生まれた世界は――自分達の世界とは別に世界があるという認識が無いので特に名前はないのですが――魔法が当たり前にある世界でした。僕は言葉と文字を必死に覚え、覚えた後はがむしゃらにこの世界のことを調べました。
ちなみにこの世界に学校というものはありません。それなりの知識を持った人を雇う家庭教師か、知識人が自らの知識を人に教える私塾のようなものしかないのです。
お金がかかります。本も高価です。貴族の家に生まれてよかったと思います。
その結果、この世界は前世の僕で言うところの中世ぐらいの文化しかなかったのです。
…………いえ、僕の知ることのできる範囲内でその程度ということで、僕の知らないところで意外に発達している文明がある……のかも知れません……あるといいな……
小さい頃からやたらと聡明で勉強したがる僕を両親は神童と呼び――二人の兄は両親に特に可愛がられている僕を忌み嫌います。
微妙な空気ですが、いずれひとり立ちするのでそれまで耐えればいいだけです。
父とは母僕を買いかぶりすぎなのです。
僕は神童でもなんでもありません。現代日本の知識を持った二十二歳の男の記憶があるだけの普通人なのです。
この世界に生まれて我慢なら無いことがいくつかありました。
とりあえず、風呂に入りたい。
この世界には風呂というものがありません。体を湯、または水で拭いて終わりです。
元日本人にこれは耐えられません!
そこでこの世界の建築というものを調べた上で図面を引いて両親にねだりました。
まず手動のポンプを作りました。この世界の水は川や池や井戸から汲んでくるものでした。井戸なんかつるべですよ。我が家の敷地にあった専用の井戸のひとつにつけてみました。昭和初期にあったような手動式のポンプですが、これが使用人に大好評でした。
離れのひとつに浴場(誰もそうと理解していませんでしたが)をつくり、上階にタンクを作ってそこから水管を通していつでも蛇口(僕が作らせました)をひねれば水が出る仕組みにしました。
余談ですが、僕は魔法を使える人間でしたので、早くから魔法の品を作れるように勉強してきました。その成果が『火炎石』です。
ぶっちゃけある一定の熱を放出し続けるというだけの品物なんですが、これを石炭のように使い薪の節約をしました。
こうして僕は念願の風呂に入れるようになったのです。前世の記憶を頼りに石鹸も作りました。
これが去年のことです。
…………手動ポンプにタンクと蛇口――というより水道ですね――そして風呂。十にもならぬ子供が発明したと噂になったようです……違います。僕が発明したのではなく、先人の知識をなぞっただけで、僕は平凡な人間です。
誰も信じてくれませんが……
まあ……九歳の子供のすることじゃありませんね……反省しています。
そんな噂を聞きつけて、なぜか皇太子殿下が僕に会いに来ました。
そしてこの世界にあるチェスのような遊技で僕と勝負しました。
その結果がこれです。
チェルスという遊技は僕も嫌いじゃありませんが、得意というほどでもありません。
僕が勝てたのはやはり殿下がいつも接待勝負しかしてこなかったせいでしょう。
光栄とはいいましたが、内心厄介ごとに巻き込まれたくないなぁ、とは思っていました。
殿下はなにをしに来たのでしょう?
謎です。
僕は貴族の子供ではありますが家督は兄が継ぐのでぼうっとしていると貴族ですらなくなります。そうした貴族の次男三男というのはどこかの家の養子になる、または自分でそれなりに身を立てないといけません。
とりあえず騎士になれば身分は保証されます。そんなわけで騎士になりたがる貴族の子弟は多いのですが、実戦で使い物になるかどうかということはまた別の話のようです。はっきり言って当てにならない腕前のものでも親の身分で騎士になれる世の中です……僕の二番目の兄もそうでした。
僕はとりあえず文官を目指しました。
喧嘩とか嫌いですから。
文官として採用されるのには国で行う試験を受けて合格しなければなりません。年齢制限は無いので僕は十代半ばという異例の若さでこれを受け採用されました。
まずは見習いとして配置されるのですが……なぜここに皇太子がいるのでしょう?
各部署に顔見世に挨拶して回っていたのですが――とある部署に皇太子が現れ、僕を見てにやりと笑いました。
「やっときたか」
……………僕の気のせいですよね?
なぜか背中が寒いような気がします。
なぜこんな話が書きたくなったのか本人にも謎です。