第64話 子供はやっぱり親に似てしまうものなのかもしれないと僕は思う(part7)
「どういうことか説明してもらえると有難いのだけれど……あなたは一体何を視たのかしら」
優を人質に取った男を見据えたまま、暦が相手に聞こえないよう小声で言った。
僕が妙な自信を見せて言った一言に暦が疑問を持ったようだ。
それはそうかもしれない。
『10秒で片が付く』なんて言ったって誰が信じられるだろうか。
「まあまあ。すぐに分かるさ――暦が何もしなければ」
僕も無表情で相手を見据えたまま応えた。
10……9……。
僕は心の中でカウントする。
「…………」
暦は僕が話す気が無いと分かると、『はあ』と小さく嘆息した。
実を言うとこの後の展開、未来を視た僕だって信じられない。
なんというかまあ――さすがだなというか。
8……7……6……。
「ようやくお前らの状況が分かったようだな。お前らの方が――詰んでいるんだよ」
優を人質に取った男は、僕達が無言になったのを『打開策が無くて打ちひしがれている』ように見えたのか、自信満々に下品な笑みを浮かべて、そう言った。
……違うんだけれどね。
(ミシッ)
僕の隣からそんな音が聞こえた。
ちらっと見ると、暦が手に持った携帯電話を粉々にしそうになっていた。
携帯には既に無数の亀裂が走っていた。
どうやらあの男の言葉が彼女をいら立たせているらしい。
5……4……3……。
「俺達の要求を言うぞ。俺達の要求は――」
2……1……0。
僕の心の中のカウントダウンが『0』を刻んだ。
その瞬間――
(ドガッ――バンッ!)
「ぐあっ!」
「そんな要求は飲めないな――」
突然、何かを蹴破る音と轟音が鳴ったと思ったら、優を人質に取っていた男が倒れた。
その後の決め台詞らしきものは、あいつらしいと言えばあいつらしいか。
男が倒れた地面には血の水溜りが出来始めていた。
男は腹部から出血していた。
優は特に取り乱したり泣き叫んだりしていない。
落ち着いている。
それを見て僕はほっと息をついた。
そして僕は声がした後方へ、振り向く。
「ゴタゴタはもう良いの?」
「知らん」
息を乱して銃を片手に持った五十嵐が、そこにはいた。
*****
「優――!」
暦が優の元へ駆け寄る。
優は、近くで男が拳銃で撃たれたにも関わらず平然としていた。
他の子達は泣き叫んでいるのに……優にしては珍しい反応に僕は少し戸惑っていた。
本当なら僕も優の元に駆け寄って行きたかったけれど、どうにも今の優への接し方が分からない。
現在の優の精神状態が良く解らない僕が行くよりも、同性の母親――暦が接する方が今は良いかもしれない。
僕はそう思い、とりあえず近くにいた五十嵐に礼を言う。
「助かったよ、五十嵐」
「助けに来たんだから助かってくれないと困る」
銃をホルスターに収納しながら五十嵐が仏頂面で言う。
そして僕は、気になっていた疑問を尋ねる。
「そりゃまあ……。ところでどうしてこの場所が分かったのさ」
警察には通報できなかったからしていないし、五十嵐も忙しそうだったし場所が分かる前に連絡したきりだったから知らないはずだ。
一体どこで知ったのだろうか。
五十嵐が僕の問いに答える。
「ん?それは――」
答えようとした瞬間、
「ボクが教えたんだよ」
琴音が僕達の会話に割って入った。
……そう言えば倉庫の外で待たせていたんだっけ。
すっかり忘れていた。
僕は琴音に視線を移して、
「琴音が?」
「外で待ちくたびれていたからね」
腕組みをして如何にも『私は待たされて怒っています』というオーラを醸す琴音。
「あーうん。ごめん」
「軽いな!?忘れていたんだろう!」
「……まさか、その――の倒置法」
「って『そのまさか』じゃないかっ!」
「そんなに興奮して……変態みたいだよ?」
「そういう興奮じゃない!」
「まあまあ。と、ところで2人はどういう関係?接点があったなんて知らなかったんだけれど」
すぐにこの疑問にぶち当たった。
すると五十嵐が何事もないような表情でさらりと言葉を放った。
「琴音は俺の同僚で――婚約者だ」
……『琴音』は『俺』の『同僚』?
『婚約者』?
って言うことは何?
琴音は五十嵐の同僚ってことは警察官で……五十嵐の婚約者って言うこと?
……ああ、なるほど。
って――
「なにゅー!!」
驚愕の事実だった。
「嘘でしょ!?」
僕は五十嵐を問い詰める。
冗談はキャラだけにしてほしい。
「いや、真実だ」
しかし五十嵐は真面目腐った表情で言った。
こういう時まで嘘をつきとおすような性格ではない。
ということは……事実なのか。
「……僕は琴音が警察官だってことすら知らなかったよ」
婚約云々って言う以前に、琴音と五十嵐が同僚だったと言うことが初耳だ。
「ん、そうなのかい?言っていなかったかな」
琴音がしれっと言う。
「聞いていないよ……!」
僕は静かな怒りを乗せた視線を琴音にぶつける。
「…………」
「…………」
「……潤一くん、応援はいつ来るのかい?」
「あ、もう僕の話を聞く気は一切ないんだ」
琴音は僕からあからさまに視線を逸らして、言った。
……どうでもいいけれど、五十嵐の下の名前を久しぶりに聞いた気がする。
「もうしばらくもすれば、来るだろう」
高級そうな腕時計に目線を落として言う五十嵐。
「そう言えば大丈夫なの?クラックとかされて忙しかったんじゃ……」
僕はふと思ったことを尋ねてみた。
確か電話では、忙しいから来られない的なことを言っていたはずだ。
それなのに、今ここにいると言うことはそれなりの無茶をして来たのではないだろうか。
それに拳銃も持っている。
拳銃を携帯するには申請が必要だったはずだ。
そう簡単に個人で申請して持っていける訳が無い。
なのに五十嵐のホルスターには拳銃がある。
……ひょっとしてかなり不味い状況なのではないだろうか。
こう、クビがかかった――的な。
僕は五十嵐の答えを待つ。
「…………」
「…………」
待つ。
「…………」
「…………」
待つ。
「…………」
「あ、大丈夫じゃないんだ」
どうやら大丈夫じゃないらしい。
五十嵐は肯定する。
「……ああ。本当のことを言うと、結構不味いかもしれない。警察内部が大変な状況になっているにも関わらず、強引に出てきてしまったからな。しかも銃の携帯のおまけ付きだ。実を言うと――申請していないんだ」
拳銃携帯の申請すらしていなかった。
これって銃刀法違反とかになるのか……?
「……クビ?」
僕は恐る恐る問う。
「そうなってもおかしくない」
「あーなんか……ごめん」
これから結婚するっていう人間の職を奪うきっかけを作ってしまった。
かなりの罪悪感に僕は押しつぶされそうになる。
さっきから冷や汗が止まらない。
冷や汗で冷汁が作れてしまうくらい出ている気がする。
「いや、いいんだ。俺がしたかったからしたことだ。悔いはない。それでも気が済まないと言うことなら――お前の探偵事務所ででも雇ってくれればそれでいい」
五十嵐は珍しく笑って、そう言った。
「まあ、経営は暦がしているんだけれど、口添えくらいなら」
「ああ」
隣では琴音が『全く、この人は』的な顔で――でも微かに笑っていた。
琴音は五十嵐のこういうところに惹かれたのかもしれない。
五十嵐の、人のために自分を顧みずに動ける、こういうところに。
今まで五十嵐の本質に気が付かなかった自分が恥ずかしい。
『良かった』と言ったら変だけれど、友人の――親友の新たな一面を知ることが出来たきっかけになったこの事件に、少し感謝した僕だった。
そしてその後の話。
結果的に、五十嵐の首は繋がった。
まあ、今回の事件解決の手柄と相殺、という感じで落ち着いたようだ。
ちなみに誘拐犯達の動機は、僕達の『人身売買』という推理とは違っていて、ただのロリコンだった。
『小さい子を愛でて何が悪い!』
一様にそう、取り調べて喚き散らしたらしい。
妙なところで団結力がある人達だった。
運動会にでも出ればいいと思った。
*****
「え、暦は知っていたの?」
時刻は深夜。
僕と暦と優の久寿米木一家は帰路に付いていた。
自宅の最寄り駅から家までの途中。
優はさすがに疲れたのか、僕の背中で眠ってしまっている。
そりゃ、誘拐されたりしたら当然か。
その帰り道の途中。
僕は、暦が琴音と五十嵐の関係について知っていたことを知った。
「ええ。非正規雇用の人間――給料を出していないとはいえ私の探偵事務所で働いているのだから、それくらいの経歴は知っているわ」
「じゃあ、五十嵐と婚約していたってことも?」
「それはついこの間ね」
「なんで言ってくれなかったのさ」
一応これでも、五十嵐と琴音の両方と面識があるんだから、僕に教えてくれてもよかっただろうに。
「あなたは、彼の方から聞いて知っていると思っていたのよ」
彼――ああ、五十嵐のことか。
「いや、今度結婚するって言う話は聞いていたんだけれど、相手については何も。まさか琴音だったなんて……」
その結婚の話だって今日聞いたんだから、相手について知るわけがなかった。
「まあ、私ですら驚いたのだから、あなたが驚かないわけないものね」
いったいどんな風に驚いたんだろうか。
暦が『え、まじで!?』とか言うはずはない。
変なところに興味を持った僕だった。
「それにしても、あの五十嵐が――」
顔はいいけれど中身が厨二病のあの五十嵐が――。
一生結婚しないかと思っていた。
「そうね……。私は今回の事件で彼のイメージがガラッと変わったわね」
「と言うと?」
「今までのイメージだと、ただの厨二病患者と言うところなのだけれど……今回の事件で、友人の為に
自分を顧みず行動できる熱く良い人、とでもしておきましょうか。それに結婚もするし」
『結婚』すると人のイメージは変わる。
『優しい』とか『しっかりしている』とか。
そういうイメージというか属性が付く気がする。
例えば、見た目もバリバリの札付きの不良が結婚して、それが長く続くと『あー、見た目がこんなにも不良なのにしっかりしているんだ』みたいな印象に変わる感じ。
「……確かに、僕もイメージ変わったな」
「これからは私としても、少しは対応を改めても良いかもしれないわね」
「今まではどういう対応をしていたのか気になるけれど……まあ、いいや」
「あら、聞かないのね」
「怖いからね」
と、
「ん……」
僕の背中の温もり物体が動いた。
「あら、優が起きたわね」
どうやら優が起きたようだ。
ちょっと話しすぎたか。
本来なら、優はこの時間ぐっすりなのに、まだ外だから落ち着かないのかもしれない。
「優――か」
僕は優に関して、ある1つの推測があった。
「どうしたの、あなた。何か気になることでも?」
「あ、いや、まあ……少しね」
「何?言ってみなさい。聞いてあげなくもないわ」
暦が急に僕を見下す様に言った。
「何故、そんなに高圧的なドS顔で……。あーそうだな。家に帰ったら話す――いや、今話した方が良いかな」
「何よ、随分と歯切れが悪いわね。……でも、まあいいわ。私も優に話があるのよ」
「ん、そうなの?じゃあ、先にどうぞ」
僕の話は長くなるかもしれない。
僕はそう思って、暦の話を先にすることにした。
「あらそう。――優、ちょっとママの話を聞いて頂戴」
僕達は歩みを止めることなく、暦は優を見据えて話を始めた。
「なに?」
優が目をこすりながら返事を返した。
さっきよりは大分目が覚めてきたようで、受け答えははっきりしている。
「こうやって助かったから良いものの……いつも言っているでしょう?知らない人について行ったらいけないって。どうしてついて行ったの?」
なるほど。
そのことについてか。
確かに、暦――親だけでなく、最近は各教育機関でもその辺りは徹底して教育しているはずだ。
それなのに優は、簡単に知らないおじさん――それも小太り眼鏡のおじさんに付いて行ってしまった。
あんなの、付いて行ってはいけないおじさん像の典型なのに。
「……ごめんなさい」
優は何かを言いたそうな顔をして、しかし渋々といった感じで反省の言葉を口にした。
……なんだろう。
何が言いたいんだろう。
その言葉に対して暦は、
「反省することは良いことだけれど、今は理由を聞いているの。分かる?パパとママは心配したのよ?どうしてついて行ったりしたの?」
相も変わらず、子供にも若干とはいえSの姿勢を貫くのか。
『分かる?』とかなんか怖いよ!
確か最近の『上司に言われるとプレッシャーを感じる言葉ランキング』みたいなのでベスト3に入っていたと思う。
と、そんな僕の思考をよそに、暦の優への説教は続く。
優は、
「……パパとママがたすけに来てくれるってしってたから」
と、か細い声で言った。
……なんて庇護欲をそそる声なんだっ!
やっぱりこの子、将来、小悪魔にでもなるかも知れない。
……ん?『しってたから』?
「信じて貰えているのは嬉しいけれど、だからと言って――」
「ちょっと良いかな」
僕は立ち止まって暦の言葉を遮る。
「……何よ」
蒸気を一瞬で氷にするような冷たい視線を僕に突き刺す暦。
……夫婦間で、なんて視線を送ってくれるんだ。
僕じゃなかったら視線のナイフで惨殺死体が出来上がっていたよ。
僕は『まあまあ』と頑張って暦を制して、背中の優を地面に降ろす。
そして優と視線の高さを合わせて、
「優。僕達が助けに来てくれるって、知っていたの?」
と、一言一言ゆっくりと聞く。
「うん」
「解っていたの?」
「うん」
ここまで来たら、ほぼ確定か……。
そう、僕が優に聞きたかったことだ。
長くなると思って、先に暦に譲った、あの話。
僕は、決定的質問を優に投げかける。
「――視たの?その光景を」
「みたよ」
優は無邪気な笑みを浮かべて、答えた。
僕はそのセリフを聞いて、堪えた。
目の前が真っ暗になった。
僕のせいで、優は――
優は未来を視られるようになってしまった。
そんな僕の心内を知る由もない優は、邪気のない笑みで、
「優がつれていかれてパパたちが優をみつけてくれないと、ほかの子たちがたすかんないから。だから優はついていったの」
そう言った。
なるほど。
さっきの暦の説教の時、何か言いたそうに『ごめんなさい』といったのは、これが言いたかったのか。
優は、自分が誘拐されることで他の子達も僕達に助け出させるために、わざと攫われたのか。
こうなることが分かっていたから。
こうなる夢を見ていたから。
だから、未来を変えなかった。
「……そうか」
僕は優の頭を撫でた。
さらさらとした髪の毛の感触が手に伝わる。
「どういうこと?」
暦はこの状況をよくわかっていないようで、僕に苛立ち交じりに聞いてきた。
おっと、早く説明しないと。
僕の命の危機だ。
「……僕は、優と暦に謝らないといけないのかも知れない」
これは僕のせいだ。
僕が暦のパートナーだから。
僕が優の父親だから。
だから、2人に誤らないといけない。
「だからどういうことよ」
僕は『ふう』と息を吐いて、ゆっくりと、
「――優には、僕と同じ能力がある」
はっきりと言った。
「…………」
「別に不思議なことではないさ。僕に予知能力があるんだから、その僕の子供にも受け継がれていてもおかしくはない。今まで気が付かなかった方が変だったんだ。――いや、考えたくなかったから気が付かなかったのかもしれないけれど」
「……それは、本当に?」
暦はほんの少し、首を傾けて僕に聞いてくる。
「ああ」
「……でも、それだとおかしくないかしら」
「え?」
僕は予想と違う暦の反応に、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「だって、あなたと同じ能力だったら優は今、頭痛で気を失っているはずじゃない」
「――――」
確かにそうだ。
僕の右眼は常にコンタクトレンズで視界を奪っているから、だから能力を制限できている。
しかし、優にコンタクトレンズはない。
もしも、僕と同じように、右眼に能力があるとしたら今――と言うか能力が発現した時から、気を失っていないとおかしい。
「じゃあ、一体どういう……」
僕は様々な可能性を考慮するが、いまいちピンとこない。
僕は優に聞く。
「優。優は僕達が助けに来る光景を視たんだよね。――それは、いつ?いつ視たの?」
「いつかはわかんない。けど、ゆめでみたの」
「――夢?」
夢って……。
『I have a dream』とかの夢?
『Dream well ドリエル』とかの夢?
「『予知夢』と言う事かしら?」
暦が結論付ける。
予知夢――。
夢が現実になる。
「……なるほどね。『予知夢』か」
「よちむ?」
優は意味がよくわかっていないのか、僕に聞いてくる。
「なんでもないよ。……優は、夢で未来の――先のことがわかっちゃうのってどう思う?」
僕はそんなことを優に尋ねてみる。
一体優が、能力についてどう思っているのか。
それが僕は知りたかった。
「いいよ!おもしろい!」
「そっか……」
屈託のない笑顔でそう言う優。
僕はほっとした。
もしもここで『嫌だ』とか『怖い』とかそんな類のことを言われたら、僕は怖かった。
僕のせいで、優の人生をネガティブなものにしてしまうから。
僕は優に諭すように、
「優はこれから普通の人とは――そしてパパとも違う苦労をするかも知れない。パパと違って優はコントロール出来ないから、先に未来を知って、物事を楽しいと思えなくなるかも知れない。夢で辛い未来を視た後に現実でも同じことになったりして、2度も同じ辛い経験をすることになるかも知れない」
「パパ、なにをいってるの?よくわかんない」
ちょっと難しく言い過ぎたかもしれない。
でも、今は分からなくても良い。
いつか分かる時が来る。
「……そして、その内、パパを恨むことになるかも知れない」
「うらむ?」
そして、この言葉を理解できたとき――
「まあとにかく。今は分からなくてもいい。今を――楽しく生きていれば」
「?」
今は何も考えないで、楽しんでほしい。
今が楽しければ、それを糧にこれからも頑張れるから。
この世界には楽しいことがあることを知っていてほしい。
最初からネガティブで、この世界はつまらないと思われるよりは、ずっと良いはずだ。
「まあ、そういうことだよ、暦。優に僕はとんでもない業を背負わせてしまったかもっていう話」
僕は優をもう一度背負い、再び歩き出す。
暦もそれにならって、歩く。
歩きながら、話す。
「何を言っているのか理解できないわね。頭が悪いのかしら、あなたは。あ、失礼。頭が悪かったわね。あなたの頭の中はシャングリラだものね」
「……は?」
シャングリラって貶されているのだろうか。
確かシャングリラの意味は、イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが1933年に出版した小説『失われた地平線』に登場する理想郷の名称だったかな。
小説の設定ではチベットの未知の地域にある。ヒマラヤ山脈の西の果てを崑崙山脈のほうへ向かった辺りに、カラカル(Karakal)という名の8,500メートル以上の高峰があり、そのふもとの霧の漂う調和に満ちた谷間に、シャングリラという僧院が建っている――と言うような内容だったっけ。
まあ、ともかく、こんな言われ方は初めてだ。
要は『てめえの脳内お花畑だな』って言うことか。
……あ、貶されているのか。
「あなたは昔、その眼で苦しんだかも知れないけれど、今はどうなのよ。それと優はあなたの子供ではないわ。あなたと私の子供よ。馬鹿で阿呆なあなただけならともかく、この私の血も受け継いでいるのだから、それくらいの業は丁度良いハンデよ。というか業にすらならないわ」
「…………」
「それともなに?私とあなたの子供は、未来を視ることができるだけで潰れてしまうくらい弱い子供なのかしら?」
「……相変わらず僕に対してだけは厳しい言い方だけれど。確かにそうだね」
暦のいう通りだ。
優がこれしきの事を乗り越えられないわけがない。
僕だって出来たこと。
優に出来ないわけがない。
優には友達だっているし、僕達だっている。
何を心配することがあるんだ。
「そんな事より早く帰りましょう。疲れたわ」
「そうだね。――早く帰ろう」
迷うことはなかった。
何も。
僕達は暗い道を歩いて行く――
3人で。
*****
「ところで優。弟か妹、欲しい?」
唐突に暦がそんな事をのたまう。
「ほしい!」
「…………」
無言になる僕。
こういう話題は、なんか、入りづらい。
「あなた」
「……さっき疲れているって言っていなかった?」
僕は嘆息しながらそう反論する。
「優の願いを無下にはできないわ。それとも、あなたは優の願いごとを聞けないのかしら」
くっ!
卑怯な!
優の願い事なんて言われたら断れないじゃないか!
「……分かったよ」
僕は渋々了承した。
いや、まあ、別に暦としたくないとかそういうのじゃないよ!?
「さて、優は帰ったらすぐに寝なさい。ママ達はちょっと運動会があるから」
「……子供の前でそう言うこと言うかな、普通」
「じゃあ『営み』」
「露骨か!」
「アワビと松茸の料理」
「生々しい!?」
「パパが『栗』と『リス』で遊ぶ」
「あ、あそばないよ!?」
「クエスチョンマークが付いているわよ」
「…………」
うっかりだ。
「ならそうね。パパのビッグマグナムがママにホールインワン――」
「もう意味が分からない!」
「さっきからうるさいわね。このED野郎」
「違うよ!?違うからね!?」
「ちなみに『ED』を略さずに言うと『えっちできない』なのよ」
「違うだろ、絶対」
嘘も甚だしい豆知識だ。
「あ、『End Of Danseiki』の略だったかしら」
「その可能性はない%だよっ」
「そう言えば聞いたことがあるわね。確か『ED』の判断基準は①男性器で瓦を割れる。②男性器で釘を打てる。③男性器でブロック塀を突き破れる。この3つの内1つでも満たしていないと『ED』なのよね」
「世の中の男全員『ED』だよ!」
「???……パパって『ED』ってやつなの?」
僕の背中にいる優が、そう言った。
言ってしまった。
まさか、5歳児の愛娘からそんな言葉が出るとは……。
パパはショックだ!
「違う!暦!暦のせいで優が変な言葉を覚えちゃったじゃないか!」
「どうせいつか覚えるのよ。だったら早い方が良いわ。――あなたも早いだけに」
にやりと笑う暦。
かっちーん。
切れたよ。
切れたよ、僕。
切れたナイフだよ。
「だーもう!うるさいうるさい!早く帰るよ!」
「……えっち」
「違う!そういう目的じゃない!」
静かな夜。
僕達のくだらない会話が響く帰り道だった。
*****
ちなみにその後、男の子が生まれたとか。
どーも、よねたにです。
最終話です。
今まで読んでいただき、ありがとうございます。
とりあえずこのお話で完結ですが、改稿はすると思いますので、もうしばらくの間、ちょくちょくでも読んでいただければと思います。
この小説は――小説と言っていいのかも分からないこの作品は、正直ノリで書いてきました。
なので、色々と読みにくかったり、展開が速かったり、描写がよく分からなかったりと様々問題があったと思います。
それでも読んでいただいた皆様、本当にありがとうございました。
さて、あまり長くなってもあれなのでこの辺で失礼します。
では、またいずれお会いしましょう!