第57話 このお話は未来への序章に過ぎないと言っても過言ではないのだ
僕が大学を卒業してから6年の月日が流れた。
今現在の僕の状況はと言えば、そこそこの企業に就職してそこそこの給料をもらってそこそこの暮らしを送っている。
そんなそこそこの僕は、大学を卒業して1年後に、以前ふわっとしてしまったような気がしないでもない約束通り、暦と結婚した。
暦と、結婚、した。
……何の関係もないことを言うけれど、この世には結婚して失敗したと思う男か結婚していない男の2種類しかいないらしい。
何の関係もない話だけれど。
本当に。
さて、そんな僕には今年で4歳になる子供がいる。
娘だ。
もう、可愛らしくて仕方がない。
ちょっとした仕草や行動、表情が愛おしく思えてしまう。
今の年齢だと様々なことに興味を持ち始め、あらゆることに『なんでなんで?』と質問する。
これだけ勉強熱心だと、ひょっとしたこの子は将来天才になるのではないだろうか……!
ちょっと期待してしまう。
そしてその娘のもう1人の親である暦はと言えば。
一応主婦業や子育て――これは僕も分担している――をこなしながら、探偵事務所を経営している。
そう、あの探偵事務所だ。
今や都内でもちょっとは有名な事務所になった『久寿米木探偵事務所』は十数人の所員を抱える事務所に成長した。
僕としては、大学時代の思い出があるからこのまま出来れば続けたいなという程度の気持ちだったのだが、暦の経営手腕が馬鹿に出来ないくらい敏腕で、ここまで成長した。
してしまった。
……良いことなのか悪いことなのか僕にはわからないけれど。
で、だ。
今日3月23日。
時刻は午後20:00。
僕は、大学時代の友人であるしずかと斎藤さんとで小洒落た居酒屋にいる。
薄暗い照明と小粋な日本料理を出してくれるようなそんな店だ。
実をいうと2人とも僕達――暦と僕――が住んでいる家の近くに住居を構えており、今でもたまにこうして集まっている。
そして最近あったくだらない話や昔話に花を咲かせている。
昔はこんなことをして何が楽しいのだろうかなんて思っていたけれど。実際に体験してみるととても楽しいものだ。
経験するまでそのものごとの真意は分からないようにできているのかもしれない。
「そう言えば大学時代の少しの時期、しずかって女の子しか愛せないって言っていたよね」
僕は飲み始めて1時間ちょっと経ち、話題が落ち着いてきたこの状況にこんな話題を投下してみた。
そろそろこういう暴露的な話をしても特に問題があるという訳ではないだろう。
「な――それは忘れて!もう黒歴史だから!」
「ぶふっ!」
4人掛けのテーブルで僕の正面にいるしずかはわたわたと慌てた。
今のしずかは元のノーマルに戻り、現在はやけに理想の高い男を探しているとかしていないとか。
僕のこの発言にお酒を吹き出しそうになる斎藤さん。
斎藤さんは隣に座るしずかに、
「え、そうだったの!?私知らなかった!」
と、驚愕してあからさまに引く。
それと同時にしずかから少し距離を取る。
「だーかーら!今は違うの!離れんな!」
「ちょ、きゃー!犯されるぅー!」
しずかが斎藤さんに詰め寄って必死に釈明する。
僕は、じたばたと暴れるしずかと斎藤さんを冷めた目で見つめた。
こういうときのしずかは面倒臭いことこの上ないのを僕は知っているから。
「春希くんも冷めた目で見つめてないで助けてよ!」
斎藤さんが僕に助けを求めてくる。
「嫌だよ。ロクなことにならないから」
「態度まで冷たい!?」
そう言って斎藤さんは『よよよ』と泣く……真似をした。
どうせするならもっとクオリティをあげたらいいのに。
しずかは斎藤さんから離れて元の位置に座り直すと、真面目な顔で、
「とーにーかーく!今は違うから!そこ、忘れないように!テストに出ます!」
どこのご当地検定だ。
明石タコ検定より必要ないと思う。
「世界一無意味なテストだね」
僕はテーブルに頬杖をつきながら嘆息した。
「春希は黙ってて!元はと言えば春希が余計なことを言うから――」
「はいはい。とにかく落ち着いて。怒ると皺が増えるよ」
僕は強引にまとめに入ったしずかをなだめる。
「気にしていることを!アラサーなんだから気を使ってよ!」
最後の一言は余計だったようだ。
ここで斎藤さんが話を変える。
「で?今は『男好き』のしずかは最近どうなの?」
グッとビールの入ったジョッキを傾けて斎藤さんはしずかに問う。
「なんか悪意がこもってない……?」
斎藤さんが『男好き』のところにアクセントを置いたことにしずかが不満を漏らすが、
「まあいいや。……とにかくなかなか相手が見つからないんだよねー」
遠い目をしてしずかはため息をつく。
「そうなの?しずか、そんなに見た目は悪くないと思うんだけれど」
大学時代と比べると中身も少しは落ち着いてきているし。
僕はそんな事を思いながらフォローしてみる。
「…………」
「……なに?僕の顔に何かついている?」
「いいえー別にー。ただ私が大学生の時に『ああ』なっていなかったら今の春希はどうなっていたのかな、ってね」
しずかが僕をじっと見つめてきたので顔に何かついているのかと思ったが違ったようだ。
……なんだったんだろうか。
っていうか僕?
「でも、この中で相手がいたり結婚しているのって春希くんだけなんだよね」
そう言って斎藤さんがしずかの隣から僕の隣の席に移動してくる。
確かにこの中で結婚しているのは僕だけだ。
しずかは僕とは別の企業で働いているし、斎藤さんは実家の家業を手伝っているらしい。
それとどうでもかもしれないけれど、五十嵐――あの厨二病患者は警察官になった。
いや、なってしまったと言うべきか?
「全く、うらやましいことこの上ないわねー。憎い!逆に憎い!」
僕は斎藤さんの言葉で意識を現実に引き戻される。
そしてふと思う。
「斎藤さん……酔ってる?」
斎藤さんが僕にしなだれかかって愚痴のようなものをこぼす。
心なしか、斎藤さんの顔が赤い気がする。
今まで何度か斎藤さんともお酒を飲んだことがあったが、そう言えば斎藤さんはそれ程強くなかったっけ……。
僕がそう思っていると、
(パシャ)
そんな音と一瞬のフラッシュが前からした。
僕が視線を正面に移すと、しずかがデジカメで写真を撮っていた。
僕に、斎藤さんが、しなだれかかっている状況の、写真を。
「そう言えば最近暦と会ってないけど、元気かなー」
「なんでこのタイミングで暦の話題!?」
最悪のタイミングだった。
「深い意味はないよ?ふとそう思っただけ。……暦のアドレスは――」
「お願いしますやめてください」
「え、なんのことだい?」
『だい?』ってなんだよ。
あくまでしらばっくれるつもりか、こいつは。
もしも暦に、今撮られた写真を送られて見られてしまうと、何もやましいことが無くても何かと大変なことになってしまう気がする。
どうにかして止めなければ……。
「――って斎藤さん、早く元の席に戻ってくれるかな」
未だにしなだれかかる斎藤さんに子供をあやす様に説得する。
「いいじゃん別にぃ。春希くんに実害はないでしょ?」
「良くないの!」
っていうか実害、出かかっています。
それも重大な。
「もー意地悪!……むぃー」
斎藤さんは何を思ったのか唇を突き出して一瞬で僕に目前に迫る。
その距離はわずか数cm。
少し動けば触れてしまいそうだ。
僕はこの予想の斜め上を行く行動に、
「え、ちょ、なになになになに!?」
馬鹿みたいに慌てる。
すると、
(パシャ)
再び正面――しずかからフラッシュが。
「おっとっとー。うっかりカメラのボタンを押してしまって、しかも手が滑ってシャッターを押してしまったー」
「うっかりだったらその棒読みやめろよ!」
悪意100%のうっかりだと思うのは僕だけだろうか。
しずかの顔には狡猾な笑みが浮かんでいた。
まずい。
このままでは本当にまずい。
もしも、今の写真がこのまま暦に贈られた――もとい送られたとしよう。
そうするとどうだろう。
僕のこの先の運命は?
……考えたくもないね。
「暦にメールっと……。よし出来た。で、送信っと」
「え゛……」
僕がほんの少しの間、未来について考えているとしずかが暦にメールを送ってしまったらしい。
……うそでしょ?
僕は、まだ隣に居座る斎藤さんに視線を向ける。
「僕、なんだか酔っちゃった。今日は帰りたくないな……」
「春希、それ女の子が言うと可愛いけど、男が言うと訳わかんないよ」
誰のせいで帰りたくないと思っているんだよ。
お前のせいだ、お前の。
今外に出たら事故に遭うと分かっていて外に出る人がいますか?
台風が来ているのに旅行に行く人はいますか?
それと同じだ。
今家に帰ったら確実に酷い目に合う。
「あーあ……帰りたくないなぁ」
僕はジョッキに残っていた黄金の液体を一気に飲み干した。
*****
「まあ、結局帰ってくるわけだけれどさ」
僕は家の前にいる。
暦がいる家の前に。
僕達が住んでいるのは、僕が大学生のころから住んでいる1戸建ての家だ。
結婚と同時に暦が越してきた。
そして今は暦と愛娘が待つ家となった。
本来ならばまっすぐ帰ってきたいと思える素晴らしい場所なのだけれど、今は家出少女のごとく帰りたくないと思ってしまう。
それもすべて――
「しずかのせいだ」
あんな写真を送らなければこんなことにはならなかった。
あんな――僕と斉藤さんが浮気しているようにしか見えない写真を送りつけなければ。
「でも、こんなところでぐずぐすしているわけにもいかないか」
僕は決心を固める。
かなり揺らいでいるけれど。
「――よし」
僕は鍵穴に鍵を差し込み、グッと回し、ドアを開ける。
ギッという音とともにドアが引かれる。
と、
「お帰りなさい、あなた」
「……ただいま、暦」
昔とは僕の呼び方が変わった暦が、僕の目の前に立っていた。
大学のころとは違い、髪は、今は背中まである髪を上向きに纏め上げている。
表情も以前より柔らかくなったような気がしないでもない。
そんな暦が、目の前に立っている。
……なんでそこにいるんだよ。
「で、これはなに?」
僕の眼前に携帯電話の画面を突きつける。
ああ、やっぱり届いていたのか。
現代科学のすさまじさを改めて痛感した僕だった。
そして、これから起こることも予感した僕だった。
誰か、うまく暦を言い包める言い訳があったら教えてほしい。
300円あげるから。
どーも、よねたにです。
ちょっと短いうえにアレで微妙なお話ですが読んでいただければ幸いです。
次回のお話(4部構成くらいが目標です)でこの『未来探偵クスメギ』は完結させる予定です。
あと少し、このまま読んでいただけることを願っています。
では、また。