第56話 期待していなくても貰えるなら貰えた方が嬉しいに決まっていると言っても過言ではないのだ(part4)
さて。
時刻は18:30。
約束の時間を3時間30分遅刻した僕が今いるのは――。
「……怒っているんだろうな」
事務所のドアの前だ。
この扉を挟んだ向こう側にはどんな表情――怒った顔しか想像できないが――しているか分からない暦がいる。
……入りたくないなー。
しかし、そんな事を思っている場合ではない。
こんなためらっている間にも時間は刻一刻と過ぎて行く。
「よし、行くか」
僕はグッとドアノブを握る。
そして『ふう』と深呼吸。
呼吸を整え、一気に――ドアノブを回す。
ガチャという音とともにドアが開く。
「こんばん――」
「あら、来たのね久寿米木くん」
僕の発言を途中でバッサリと切り捨た暦が、ソファに足を組んで優雅に座っていた。
「あー……え、来ちゃだめだった?」
僕は頭を手でポリポリとかいて、へこへことした面持ちで尋ねてみる。
「いえ、そんな事は言っていないでしょう」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「どうしたのよ。座らないのかしら?」
「え、ああ、うん。座る座る」
妙な沈黙の後、僕は暦に促されて正面に座る。
しかし座ったものの、落ち着くことは全く出来ないけれど。
トイレを我慢している時みたいに。
「遅かったから事故にでもあったかと思って心配したわ」
暦は今まで見たことのない、優しい表情で言った。
「…………」
「もう3月だけれど、夜はまだ冷えたでしょう。コーヒーでも飲む?」
暦はそう言って立ち上がり、キッチンへ向かう。
「…………」
カチャカチャと音をさせ、手際良くカップや何やらを用意しているようだ。
こちらまで音が聞こえてくる。
「久寿米木くんはミルクだけよね」
キッチンから僕に確認の声が掛けられる。
「…………」
数分後、コーヒーを2つ持って暦がやってきた。
僕用と自分用だろう。
そして何故か僕の前に2つ置く。
「出来たわ。今回はインスタントではなくコーヒーメーカーを使って入れたからおいしいはずよ」
暦はそう説明した後、僕の隣に腰を下ろす。
「……ごめん」
「最高級のキリマンジャロよ。味わって飲んで頂戴」
「……ごめん」
「何か言ったかしら?」
「ごめん。だから僕に妙な罪悪感を植え付けようとするの、やめて……」
なにこの処刑方法!?
すごく良心が苛まれるんですけれど……。
僕がそう言うと、暦は今までの優しそうな表情を一瞬で無表情へと変化させた。
そして僕の隣へと座って足を組んだ。
その流れで自分の分のコーヒーに口をつける。
1口口に含み、ごくりと音をさせて飲み込む。
「――ふう」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
時計の秒針の音が普段より大きく聞こえる。
そしてどれくらいの時間が経っただろうか。
僕は――
「はっぴいいいい!!!!ほわいとでえええええいぃぃ……」
「…………」
暦の沈黙に耐えきれなくなり、思いっきりテンションをあげてクッキーをバッグから取り出してみた。
が、暦の冷たい視線により尻すぼみに声は小さくなった。
そしてなんだか恥ずかしくなってきた。
「あ、いや、その――」
和やかな空気にはならなかった。
「久寿米木くん」
僕があたふたしていると、暦が嘆息しながら言った。
「別に私は怒っているわけではないのよ」
「……え?」
暦が怒っていない……?
「だからそんなにビクビクする必要はないわ」
「あ、そう、なの?」
僕は暦の顔を覗き込むように見つめる。
確かにその表情には怒りは見当たらない。
それどころか逆に嬉しい――そんな表情にさえ見える。
そんな暦はクッキーを持って、
「どうせ遅れたのだって、このクッキーを買っていて遅れたとかそういう理由でしょう?」
「……まあ。でも本当に怒ってないの?さっきだって優しそうな表情から一気に無表情になったりしたし」
「あれは久寿米木くんが私の気持ちを全く理解していないからよ」
「は?」
暦の気持ち?
「私はね、久寿米木くん。はっきり言ってしまうと、久寿米木くんなら連絡さえくれれば遅刻してもかまわないと思っているの。そう、連絡さえくれれば」
「連絡――」
僕は最初に遅刻しそうになったときは連絡を暦に入れた。
でも、2度目は入れていなかった。
「女々しく思われたくないから普段ならこんなことは言わないのだけれど、私は久寿米木くんが心配だったのよ。久寿米木くんってときどきもの凄く不幸だし、何かに巻き込まれやすい体質でしょう。だから何か事件や事故に巻き込まれたりしているのではないかって思ってしまうのよ」
「あー……」
確かに、僕は不幸体質と言えてしまうのかもしれない。
この1年、碌な目に遭っていない気がする。
旅行をすれば危険な目に遭い、部室にいれば火事に巻き込まれ、物を運べば骨折して、ヤクザとの関わりが出来てしまったり、友人は同性愛に目覚め、極めつけに誘拐されたり。
「ごめん」
僕は素直に謝る。
もしも逆の立場だったら僕も心配していただろう。
いや、心配というか――不安といった方が正しいのかもしれない。
「分かればいいのよ、分かれば。それに、ホワイトデーを忘れずにクッキーをくれたことは少し驚きね」
「わ、忘れるわけないじゃあないかー」
僕はうっかり目を逸らしてしまった。
こういう時目を逸らすのは自殺行為なのに!
僕はゆっくりと視線を暦に向け直す。
「……そう。私はあまり期待していなかったから正直嬉しかったわ」
どうやら気がつかれなかったようだ。
僕が今日の今日まで忘れていたということに。
しかも、女の子からの催促で思いだしたということに――。
僕はその思考を悟らせないように、すぐに脳内の話題を戻す。
「期待していなかったんだ」
「そういうものよ。でもまあ、貰えないよりは貰えた方が良いに決まっているけれど」
「そりゃね」
無いよりはあった方が良いじゃん?
「ともかく、これからは遅れる場合は事前に連絡を頂戴。もちろん遅れるに越したことはないけれど」
「もちろん」
「それと、次からは私が罰を与えましょう。今回久寿米木くんは、私からの罰を恐れてビクビクしていたし」
「……了解」
とんでもない約束をしてしまった僕だった。
*****
「ところで久寿米木くん」
「なにかな」
「ホワイトデー、忘れていたでしょう」
「そ、そんな訳ないでしょうが」
「斎藤さんからメールをもらったわ」
「…………」
斎藤さん……余計なことを。
っていうか、ここ繋がりがあったのか。
「他の女の子からの催促で私へのお返しを思い出すなんて、それって酷いことだと思わないかしら?」
僕の顔を覗き込むようにして聞く暦。
「…………」
「思わないかしら?」
「……ごめん」
結局暦に怒られるという未来は変わらなかった。
どーも、よねたにです。
ちょっとスランプ気味です。
クオリティが低いかもしれませんが、読んでいただければ嬉しいです。
次回から心機一転頑張ります。
では、また。