第52話 好きな人がいれば他には何もいらないって思えることって幸せなことだと僕は思う
2月22日。
時刻は10:00。
「――って春希聞いてる!?」
僕はしずかのその言葉で現実に意識を戻された。
「……うん。聞いているよ。で?かぼちゃが馬車になってそれで?」
「シンデレラか!」
今、僕がいる場所は例のごとく事務所のソファだ。
ローテーブルを挟み、正面にはしずかがいる。
ちなみに暦はまだ来ていない。
「だーかーら!暦が!私を!殴って!気絶させて!勝手に春希を助けに行っちゃったって!どうなのよ!って言う事よ!」
「あー……」
喋り方がうざかった。
まあ、つまるところはこういうことだ。
僕が監禁された事件の時、僕のいる場所を知るために暦としずかは僕の両親のもとに行った。
そこでなんやかんやとうるさかったしずかを、暦は、頭を鷲掴みにしてテーブルに叩きつけて気絶させたり、後頭部に手刀を叩きこみ気絶させて、最終的にしずかを放置して僕を助けに行ってしまったのだ。
そしてしずかが目を覚まして慌てたところ、既に事件は解決していた、と。
「一体私は何をしに長野まで行ったのよ!?」
監禁されていたんだから僕が知るわけないじゃないか。
まあ、言わないけれど。
「でも、長野で旅行して帰ってきたんでしょ?」
「うるさい!黙れ!」
そうなのだ。
暇を持て余した神々――もといしずかは、結局長野の観光名所を軽く観光して、思いっきり楽しんでから帰って来たのだった。
しかもご丁寧なことに旅の写真も撮って。
うざいくらい見せてくるし。
「でも別にいいんじゃない?事件は解決したし」
僕はソファに背を預けながら、投げやりに言った。
もう、言葉を放り投げるように言った。
「そんな事はどうでもいいのよ!」
「そんなこと……」
僕の一大事はしずかにとって『そんなこと』らいし。
「私の顔に傷をつけた暦を許していいのかが問題なのよ!」
「あーもうさ、別にいいんじゃない?」
「良くないわよ!琴音に会えないじゃない……」
「…………」
そういえばしずかと琴音はそういう関係だったな……。
なんだろう、この虚無感は。
友達が手の届かない海外へ旅経ってしまったような、そんな喪失感だ。
「こんな顔でどうして琴音に合えようか……」
そう言うしずかの額には、ぴったりとガーゼが張り付けられていた。
暦に机に顔を叩きつけられた結果だそうだ。
……そう言えばその光景を僕は視た気がする。
血がどくどくと流れて、僕の父親が心配していた。
「普通に会えば良いんじゃないかな」
「私のプライドが許さない」
しずかはキッと僕を睨みつける。
なんで僕が責められているのだろうか。
お門違いも良いところだろう。
「なら逆にその傷をうまく使って介抱してもらうとか?」
どうして僕は百合を加速させるようなアドバイスをしているのだろう。
友達だったら正しい道に引き戻すべき……なのか?
まあ、それはそれで面倒だけれど。
早く暦、来ないかな……。
「なるほど……。良い意見ね」
そう言って『うんうん』と肯いて何やら考えているしずか。
これは悪い方向に向かっていないか……?
「っていうかしずかさ」
「なによ」
僕は今まではっきりとは聞けなかったことをズバッと聞いてみる。
「男の人が好きなの?それとも女の人が好きなの?」
と、言う質問だ。
以前、しずかが琴音とキスをしたとか、琴音が好きだ見たいな話は聞いていたけれど、どこまで本格的に百合人間になっているのかすごく知りたい。
そんな僕の質問にしずかは、指をそっと顎に触れて、暫し考える。
そしてほんの少しの沈黙の後、
「んー……もう女の子しか無理かな。だって男は汚いし」
僕の友達は海外どころか異世界へ旅立っていた。
「今は琴音のことしか考えられないね」
そして妙なところで一途な女だった。
「じゃあさ、さらに踏み込んだことを聞くけれど、いつからその……女性もOKになったの?もしも大学入って僕と再会した時には既にっていう状態だったら、先に言ってくれても良かったのに」
「なによ、先にって。FAXで送れってか?『私、実はあなたと会わない間に女の子も好きになれる身体になっちゃったの』って送れってか?ああ!?」
「なんでFAX……。いや、別にそこまでしなくても良いけれどさ、ちょっと言ってくれてもよかったのかな、なんて」
思ったり思わなかったり。
しずかは妙に遠い目をして、
「入学した時にはまだ女の子のよさなんて分からなかったわ。今思えば勿体ない8カ月間だったわね……」
『ふっ』っとアンニュイな雰囲気を醸し出した。
何を気取っているのだろう、この女は。
見ていてなんとなくこう……いらっとくる。
まあ、言わないけれど。
「じゃあ、いつから?」
僕は少し投げやりに聞く。
「前に言わなかったっけ?……琴音のキスで目覚めたのよ」
「白雪姫か!」
あの観覧車でのキスか。
なんだかんだ良く解らない理由から琴音とのデートになって、しずかが渋々行っていたあの……。
「今思い出してもゾクゾクする……」
しずかは頬をほんのり赤らめて、恍惚の表情を浮かべ、自分の体を抱きしめる。
「……そう」
言い知れぬ脱力感が僕を襲った。
……まあ、しずかが幸せならいいのか?
いや、いいんだ。
そう考えておこう。
僕は、臭いものには蓋――ではないが、そっとして見守ることにした。
頑張れ、しずか。
いつか僕達の世界に帰還することを願っているよ……。
*****
そんな事があってから30分後。
「あら、久寿米木くん早いのね」
そんなことを口にしながら、我が探偵事務所の実質的なボス――暦がやってきた。
「あっ!」
暦の姿を目にすると同時に、しずかが座っていたソファから勢いよく立ちあがって、暦の元へダッシュした。
そして暦の顔に自分の顔を近づけて『ん!』とか言っている。
「……なによ、雨倉さん」
そう気だるそうに言う暦に、しずかが自分の額を指さす。
「『なによ』じゃないわよ!この額のガーゼが目に入らぬか!」
それを見た暦がバカな子供を見るような目で、
「見えてるわよ、ババアじゃないんだから。……それがどうしたのよ」
「暦のせいでしょ、これ!」
「……ああ、あの時の」
手を叩いて、まさに今思い出したような表情を作る。
絶対に覚えていただろうが。
「思い出したわね!そうよ、あの時暦が思いっきり机にぶつけてくれたせいでこうなっちゃったのよ!」
「どういたしまして」
「『どういたしまして』ってどういう意味よ!」
「だって『ぶつけてくれた』って言ったじゃない。『くれた』ってことは感謝しているのではないの?」
「違うにきまっているでしょ!私はマゾか!」
「黙りなさい耳障りよ」
打てば響くようなタイミングで暦は言った。
さすがにここまで言われると、しずかもある可能性に行き当たったようだ。
「……なに?暦は私のこと嫌いなの?」
「言葉にしないと分からないかしら?」
「そうよね?暦と私は和解してもう仲良しの友達よね?」
「嫌いに決まっているじゃない」
流れるようなタイミングで暦はしずかの言葉に続いた。
タイムラグが一切ない……。
どれだけ嫌いなんだよ。
「がーん!」
「口で『がーん』なんて言う人、久しぶりに見たわ」
そう言い残して暦は自分のデスクへと移動する。
しずかはその場に立ち尽くしたままだ。
「暦が……私のこと……嫌い……女の子が……美少女が……私のこと……嫌い……」
……なんとなく可哀そうに見えてきた。
「暦、なんかしずかがおかしくなっているんだけれど。フォローしてあげたら?」
僕は暦の近くに行ってさり気なく耳打ちする。
暦はしずかの姿を一瞥して、
「……仕方がないわね。……雨倉さん、考えてみたらそこまであなたのこと嫌いじゃなかったわ」
「……え?」
暦のこの言葉に、まるで雲の切れ間から差す希望の光でも見つけたかのような表情をするしずか。
暦は、しずかのこの顔を見た瞬間、一瞬面倒くさそうな顔をするがすぐに持ち直していつものクールな表情に。
「例えるなら……そうね……。ロシアにいるユスポフよりは好きよ」
「誰だよユスポフ」
僕は思わずツッコんだ。
後で調べてみたら正式にはフェリックス・フェリクソヴィッチ・ユスポフ公。
ロシア帝国の貴族。
ユスポフ家は14世紀タタールの雄エディゲの血を引くロシア屈指の名門で、ロマノフ家よりも金持ちだったといわれている。
1914年にニコライ2世の姪イリナと結婚し、一人娘のイリナをもうけた。1916年12月、親友で愛人であったといわれるドミトリー・パヴロヴィチ大公らとラスプーチンを殺害した(殺害方法にはさまざまな説があり、未だに謎とされている)。
後に皇帝の命によりユスポフ家の領地に追放されている。
逆にこのことが幸いし、ロシア革命後はボリシェビキの暗殺を逃れて家族と共に亡命に成功した。
パリに移住し、回想録を記した。
なお彼は美男子であったことと、同性愛者の気があり女装の趣味があったことでも知られている――らしい(wiki参照)。
……なんでこの人のこと知っているんだろうか。
「……本当?」
しずかはそう言って無意識なのか分からないが、暦の手を両手でぎゅっと握る。
「ええ、本当よ……っ!」
何かに耐えるような表情の暦。
「そうよね!暦が私のこと嫌いなわけないもんね!あ、そうだ!さっき春希が言ってた方法琴音に使ってみるから!」
「いつ使うのさ」
「今から行ってくる!」
そう言ってしずかはバタバタとあわただしく事務所を出て行った。
僕達はしずかの出て行った扉を見つめ、
「……僕、あのテンション、正直きついよ」
「私はとっくにきついを通り越して嫌いよ」
僕達にどっと疲れが押し寄せた。
しかし、あれだけ幸せそうなしずかを見てしまうと、僕は何も文句を言えそうになかった。
*****
その日の、時刻は昼過ぎ。
天気は雲1つない快晴。
風も穏やかで、少し早いが、春が近付いていることを感じさせられる。
僕と暦は近くを通る川沿いを歩いていた。
事務所の冷蔵庫の食品が底をついたため、その買い出しだ。
その帰り道である。
「そう言えば久寿米木くん」
沢山の食料が詰まったスーパーの袋を手に持った暦が唐突に話しかける。
僕は意識を天気から暦に移す。
「なにさ」
「大学の成績の手ごたえとかはどうなのかしら。まだ成績が出ていないけれど」
大学の試験は1月の終わりにあり、成績が発表されるのは3月の半ばだったはずだ。
僕は1カ月ほど前のことを記憶から呼び起こして答える。
「うーん。まあ、問題ないんじゃない?」
正直、手ごたえはあった。
「本当に余裕そうね」
「そういう暦だってそれ程駄目な成績を取っていないでしょうが」
暦の前期の成績はほぼ『S』評価だったはずだ。
それを鑑みれば、後期もそれなりの成績を叩きだしているはずだ。
「それは、まあ、私だから」
「どんな理由だよ。でも、まあ、暦なら問題ないか。それより問題なのは――しずかだろうね」
僕は、心が異世界へと旅行中の友人の顔を思い浮かべる。
「ああ。確か試験の手ごたえが全くないとかほざいていたわね」
そう言って暦は小さい子供が初めてコーヒーをなめた時のような苦い顔をする。
その話を聞いた僕はふと思う。
「あれ、その話僕は聞いてないな。……なんだ。暦もなんやかんや言っていてもしずかのことちゃんと分かっているんだ」
僕は自然とニヤついた表情で暦に言った。
暦は僕と視線を合わせようとせずに、
「知りたくて知ったわけではないわよ。向こうが私に、馬鹿なオウムのように繰り返し話しかけてくるから覚えていただけよ」
「全く、照れちゃって……」
しずかのことを『面倒臭い』とか『嫌い』とかいくら口で言っていても、暦は嫌いきれていない。
態度を見ていれば分かる。
いつかは暦のこういうところも治っていくといいのだけれどね……。
「何か言ったかしら?」
僕がそんなことを考えていると、半眼で僕を睨みつける。
「いや、何も」
こう答えておくのが今はベターだろう。
「それよりも久寿米木くん。私は大量の荷物を持っていて手が疲れてきたのだけれど」
そう言って自分が持つビニール袋を少し持ち上げる暦。
要するに『持てよ』と言っているのだ。
僕はそれを第6感を駆使――する必要なしで察し、
「……持つよ」
そう言って手を出す。
「あらそう。悪いわね」
「そんなこと心にも思ってもいないくせに逆に清々しくなるくらい白々しいね」
「何か言ったかしら?」
ビニールの取ってから手を外して半分だけ僕に持たせようとする暦。
「いや、何も。……って全部渡してよ」
「これで良いのよ。私のちょっとした夢だったから」
今の僕達の状態は、2つの取っ手をそれぞれ片方ずつ持っている状態だ。
ちょっと恥ずかしい持ち方ではある。
「暦も可愛らしいところがあったんだ」
それに対して暦は冷たい声音で、
「何よ。私は可愛くないの?」
「いや。そういう意味じゃなくて……。暦って、こういう乙女チックなところとか見せてくれないからさ」
「確かにそうね。何と言うか隙を見せているような気がして嫌なのよ」
「いいの?今隙見せてるよ?」
僕がそう言うと、暦は堂々とした態度で、
「好きな人になら隙を見せても良いって思えるから、それで『好き』っていう言葉が生まれたのよ」
「息をするように嘘をつくなよ。でも、嬉しいけれどね」
僕は自然に、抑えることのできない笑みがこぼれた。
どーも、よねたにです。
荒削りな感じがしますが、読んでいただければ幸いです。
では、また。




