第51話 『ピンチをチャンスに』と言うけれどそれが出来たらピンチじゃないと僕は思う(part10)
「――はっ!」
玲さんの右腕が視認することが不可能な速さで僕の顔面めがけて飛んでくる。
「――っとっと」
しかしそれは一般人からしたらというレベルでの話だ。
僕には関係が無かった。
僕は顔を右に傾けてそのまま後ろに下がって距離を取る。
おおよそ5m。
これくらい取っておけば問題ないだろう。
それにしても……今の攻撃も未来を視ていなければ避けきれなかった……。
「――ふう」
僕は手で額を――別に汗をかいているわけでは無いが――拭い、一息つく。
それにしても、玲さんの攻撃は以前にもまして速い。
はっきり言えば、暦よりも速く、暦よりも重い。
すでに暦の力量を上回っていると言って良いだろう。
「久寿米木さん」
僕と同じく息も切らしていない玲さんが口を開く。
「なんですか」
「今まで疑問に思っていたことを1つ聞いても良いかしら」
「……どうぞ」
この局面で一体何を聞くと言うのだろうか。
予想が全くつかなかった僕はある程度構えて玲さんの言葉を待つ。
「……あなたは、いくら未来を視ることが出来て攻撃を先読みできるからと言っても、それを実行するのは普通の――至って普通の身体よね」
「そうですね」
別に身体能力も向上したりするわけでもなし。
至って普通の健康体の体だ。
「単刀直入に聞くけど、あなた、何か武道の心得でもあるのかしら」
「……と言うと?」
「鍛えていなければ、あれ程動けないわよ。凡人だったら既にへばっているレベルでしょう」
なるほど。
つまり玲さんは『いくら未来を視ることが出来るからと言っても、私の攻撃を避けるなんて、普通の体で出来ることではない。なにか特別なことでもやっているのかしら?』と言うことを聞きたいのだろう。
「まあ……確かにそうですね。身体が動かなければ、未来を視ることが出来ても意味がないですからね」
「で、どうなのよ」
「答えから言いますと、武道は嗜んでいませんね」
「『武道は』と言うことは他に何かを?」
現地を取った発言をする玲さん。
僕はこの状況で相手に有利になるようなことを言うほどお人よしではない。
「……ご想像にお任せします」
「子供のくせに、生意気ね」
玲さんはそう言っていつでも動き出せるよう構えの姿勢を取る。
僕もそれに対抗するよう構える。
ついでにちょっと挑発もしてみよう。
「子供なら良いんですよ。ただ子供の背伸びは可愛らしいですけれど大人の若づくりは醜いですよね」
「死になさい」
そう言って玲さんは2歩で5mの距離を詰めて僕の眼前まで移動して正確に僕の右眼を狙って拳打を放つ。
ちょっと挑発が効きすぎたらしい。
さっきまで憎たらしい笑みを浮かべていた顔には憤怒の形相しか見当たらない。
「――おっと危ない」
僕はそれも簡単に躱す。
というか、今の攻撃……拳の中指だけちょっと突き出ていたような気がする。
本気で眼を潰しに来ているようだ。
「本当にムカつくくらい簡単に避けてしまうわね」
苦虫をかみつぶしたような表情で、さらに殴る蹴るの連撃。
さすがに避け続けるのもきつくなってきた。
「恐悦至極です。……では、そろそろ僕の方からも――」
僕の能力は普通に未来を視るだけよりも、未来を視てその未来を変えてしまった方が代償が大きい。
そのため、あまり大きな、あるいは多く未来を変えてしまえば、その分僕の寿命は縮んでしまう。
よって、出来ることならば相手の攻撃を視るだけにしておきたいし、もしもその未来を、僕が攻撃に転ずることで変えるにしても、1撃で相手をダウンさせたい。
僕はタイミングを見計らう。
「――ふっ!」
「――おっと」
タイミングを見ている間も、玲さんの応酬はやむ気配を見せない。
今か?
……いや、まだだ。
今度は?
……駄目だ、躱される。
思い切って胸を掴んでみるか?
いや、殺される。
玲さんから生き残っても暦に。
「考え事なんて、未来を視られたら余裕で出来てしまうのね!」
「これでも頭痛に耐えるのキツいんですよ?」
それにもうそろそろ倦怠感も出てくるころ合いだろう。
そうなればこの速さを躱し続けるのも困難になってくるだろう。
……決めるならば今のうちだ。
僕は痛む頭をフル稼働させて隙を狙う。
――!
今から5秒後に隙が来る……!
ここしかチャンスが無い。
僕はそのタイミングを逃さないよう、集中する。
……5……4……3……2……1……!
「――ふっ!」
僕は玲さんの応酬の隙を縫って懐に入り込み、玲さんの腹部に膝をめり込ませた。
(ドスッ――)
響くような重い音が伝わってきた。
と、同時に、
「ぐっ……!」
さすがの玲さんも拳よりも重い膝の一撃を食らい、膝を落とす。
いや、別に上手いことを言おうと思って膝での攻撃にしたわけではないが。
「――かはっ!」
玲さんは四つん這いの状態になり、口からだらだらと涎を垂らす。
その息は荒く、肩を大きく上下させていた。
「はあ……はあ……くっ……」
「降参しますか?」
僕は玲さんに近づき、見降ろし、言った。
「……まだよ。まだ……終わるわけには……」
そう言った玲さんは顔だけ上げて僕を見る。
その目は何かおかしかった。
「どうしてそこまで僕に固執するんですか?動機がお金って言っていましたが、別に困っているわけではないでしょう?」
ようやくここで落ち着いてきたのか、淀みなく、
「……そうね。確かに困っているわけではないわ。でも、例えば目の前に3億円の宝くじが落ちていて、それをみすみす逃すようなことがあなたには出来る?出来ないでしょう!?」
一気に捲し立てる玲さん。
「……まあ。そうですね」
と、僕は一応肯定しておく。
「あなたの眼にはそれと同じ――いえ、それ以上の価値があるのよ。全世界が喉から手を――さらに腕まで出して欲しがるようなものなの、あなたの眼は。そして私にはその謎を解明する力がある」
「…………」
確かに玲さんの言う通りなのだろう。
未来を視る能力が科学的に解明されて、例えば機械化されたとしよう。
そうなれば、さらに例えば軍事面ではレーダーなど不必要になる。
相手の攻撃が予知できてしまうのだから。
もしこの機械が一国だけの手に渡ってしまえば、ありとあらゆる国が一致団結しても勝ち目はないだろう。
それくらいに僕の眼には価値がある、と言うことを言いたいのだろう。
「我慢できるわけがないでしょう!?幸い、どの国家にも知られていないようだし、知っているのはごく一部の人間だけ。そして私は、そのごく一部の人間。何でも出来るような金額を手に入れることが出来る、選ばれた人間なの!資格を持った人間なの!」
「…………」
ただの偶然ではないだろうか、と思うのは僕だけだろうか。
そもそも誰が選んだというのだろうか。
神様か?
悪魔様か?
天子様か?
どこかの変態か?
「もちろんあなたにをそれ相応の対価は支払うわ。言い値を出しても良いわ。どう?今からでも遅くはないのよ?もう1度考え直してみない?」
その顔は、眼が――瞳孔が開ききって、何かに縋る様な……それでいてその表情は気持ちの悪い笑みが張り付いていて……。
その言葉に対し僕は――
「僕は、あなたのような人間の為に、何かをしてあげたいとは思いません」
はっきりとした口調でそう言った。
「どうして……?」
そう言った玲さんの顔には涙が流れていた。
縋っていたものに見放されたような、絶望した表情と共に。
「今、あなたは泣いていますよね」
「……あなたが肯いてくれないから……」
「涙は自分の為に流すものではありません。誰かの為に流すものです」
「…………」
「転んで痛いから泣く。思い通りにならないから泣く。それでは子供と同じです。言いましたよね?『大人の若づくりは醜いですよ』と。そういう理由で泣いていいのは子供だけです。大人だったら――泣いていいのは親が死んだ時と感動した時だけです」
「誰かの為になることだったら僕は自らの命を削っても行動しましょう。しかし、あなたの為に右眼を提供するのは、あなたの『為』になりません」
「そんな……」
「昔の僕にはいたのかどうか分かりませんが……今の僕には、僕がいなくなると悲しんでくれる人が最低でも3人はいるんですよ。なので、モルモットになる気はありません」
「……お願い。……なんでもするから……本当に……」
そう言って僕の足に縋りつく玲さん。
僕は何の抵抗もしなかった。
なぜなら、その縋る力はあまりにも弱弱しく、抵抗するまでもなかったからだ。
僕はそんな玲さんを見降ろし、
「女性が『なんでもする』なんていうものじゃありませんよ。それに、どんなにお願いされても僕が首を縦に振ることはありません。それにしても、どうして――どうして、玲さんはこんな風になってしまったのか……」
僕は完璧に玲さんの申し出を拒絶すると、玲さんは四つん這いでいた体勢を、肘に力が入らなくなったのか『ドサッ』と言う音とともにうつ伏せに倒れて動かなくなった。
僕の膝蹴りが今になって効いてきたのかもしれない。
足元に崩れ落ちた玲さんから僕は離れて、一息つく。
とりあえず――警察に連絡をしよう。
こうして、僕の監禁事件は幕を下ろした。
*****
その後の話をしよう。
警察に連絡すると、夜中だと言うのに物の数分で警察が到着した。
その騒ぎで、旅館の方にやってきた理佳さんが僕に『姉が何かしたんですか?』と言ってきたのは、正直何と答えていいのか分からなかったが、とりあえず『後で話します』とその場はお茶を濁すことにした。
僕は玲さんを連行していく警察官に地下研究所の場所を教え、その場所に男がいて、その男も僕を監禁した犯人の一味だと話した。
あの研究所に行けば、証拠も残っている。
まあ、特に問題はないだろう。
きちんと、証拠になる僕に無害な資料だけ残してきたし。
それと、これは1週間ほど後の話なのだが、玲さんが覚せい剤を使っていたことが判明した。
どうやら、僕の能力のことを話したとしても狂言で片づけられそうだ。
ついでに、その玲さんの口から覚せい剤の販売ルートが割れ、販売組織が壊滅した。
この組織は、この後東京進出を狙っていたらしい。
ひょっとしたら僕がまた面倒事に巻き込まれていたかもしれないと思うと、玲さんの件はけがの功名だったり?と思うことも無きにしも非ずだ。
そして話は理佳さんに対する説明に戻る。
場所は僕達の部屋。
僕は疲れていたので、その説明は暦に任せていた。
全てを聞いた理佳さんは、
「……姉は変わってしまったんですね。近くにいたのに……私が……気付いてあげれば……」
そう言って涙を流していた。
姉と違って理佳さんは『誰かの為に涙を流す人』だった。
それだけでも、僕は救われた気がした――。
*****
2月21日。
時刻は8:30。
僕は『旅館 はなこ』の部屋で目を覚ました。
そして隣の布団を見る。
もぬけの殻だった。
理由は分かっている。
暦が僕の布団にいるからだ。
いつのまに……。
と、
「あら、久寿米木くん。起きたのね」
僕の目と鼻の先にいる暦が言った。
「おはよう。そして何故ここに?」
「おはよう、久寿米木くん。なんとなくよ」
そういえば――昨日……いや、今日の夜中は疲れていて夜の記憶が一切ない。
まさか……?
まさかのまさか……?
――事後?
「先に言っておくと、久寿米木くん。夜は何もなかったわよ。だから安心して頂戴」
「あ、そう……」
僕の表情から神がかり的に読み取った暦の言葉に心底安心した僕だった。
まさか意識の無い間に情事が行われていたら、一体僕は何だっていう話だ。
性欲の塊か?
あるいは猿?
「それにしても――ようやく落ち着いたと言うべきなのか何と言うか……」
「そうだね」
今まで僕を狙う危機があったが、それがようやく解消された。
本当に何と形容していいのか分からないが、一番近い言葉で言うとやっと落ち着いた。
落ち着くことが出来た。
「暦」
「なにかしら」
僕は隣にいる暦に寄り添いぎゅっと抱きしめるような形で言う。
「あの地下研究所で言っていたけれど――僕の親やしずかに傷ついて欲しくないって言っていたけれど……」
暦は囁くような小さな声――聞こえるか聞こえないかの小さな声で言う。
「言ったわね」
「僕に対してそんな事を思う必要は無いから」
「…………」
「僕はいつだって暦の為に行動したいし、それで例え傷ついたりしても暦の為に傷ついたと思えば何ともない。多分、暦を助けようとしてくれた人達は全員そういう思いから言ったのだと思う」
「…………」
「だから、もっと頼ってくれても良いから。頼りなくても頼っていいから」
「……そう」
暦はそれだけ言ってほんの少しの間だけ目を瞑った。
次に目を開いた時には、先ほどとはなんとなく雰囲気が変わっていた。
それはもちろん悪い意味ではなく、良い意味で――。
「それと遅くなったけれど……ありがとう、僕を助けに来てくれて」
「当然よ。私を誰だと思っているの?」
にやりと笑って暦は言う。
僕も自然に出た笑みを浮かべ、
「……僕の恋人?」
「ええ。あなたの恋人で、そして私の恋人だから助けただけよ」
「そっか……。それでも、ありがとうは言わせて……」
僕達は抱きしめあった。
言葉にしなくても、伝わるものがあったから――。
どーも、よねたにです。
監禁編が完結しました。
長かった……です……。
さて、当初ではここで終わりにするつもりだったのですが、まだ次回作を書いている途中なので、もうちょっと続けようと思います。
それにここまで長く続けていると愛着も出てきちゃいましたし(笑)
ちなみに具体的にはもう1個2個長い話があっても良いかなと思っています。
ので、もしもお時間があるようでしたらこれからも読んでいただけたらなと思います。
感想や評価いただければ幸いです。
では、また。