第49話 『ピンチをチャンスに』と言うけれどそれが出来たらピンチじゃないと僕は思う(part8)
ナイスタイミング!
本当にそうとしか言えないタイミングで暦は僕を助けに来た。
「もっと早く来てくれても良かったんじゃない?」
僕は手足を縛られ目隠しをされたままと言うなんとも情けない恰好のまま言う。
「あら、これでも最速タイムよ。ベン・ジョンソンでもこれ以上の速さで来ることはできないわ」
言いきったよ、この人は……。
そんな暦の声には一種の余裕さえ感じられる。
顔は見えないが、いやらしい笑みでも浮かべているのだろう。
表情が脳裏に浮かぶ。
まあ、最速ではないにしろ来てくれたことに変わりはない。
「あ、そう」
と、僕は簡単に応えた。
そして……なんだろう。
このやりとりがすごく懐かしくて、とても安心する。
「それよりも久寿米木くん。久寿米木くんの横にいる男が今回の黒幕なのかしら?」
いや、僕に聞かれても……。
僕は今回のこの事件に関しては一切関知していない。
知らなさすぎて、まじでヒスる5秒前だ。
「僕は目隠しされているから分からないけれど、多分暦のおっしゃる通りかと」
僕はどうせそうなのだろうと言うことでこう返した。
だって、僕と暦以外でここにいる人間は、そうとしか考えられないからね。
「そう。なら、ボコにしても良いわよね」
何故か暦の声が喜々としている気がする。
まあ、いいや。
そして僕は、暦を調子づけるために、
「もう1個『ボコ』を付けて『ボコボコ』にしてください、姉貴」
「いつあなたの姉貴になったのかしら。私はあなたの恋人よ――」
暦のその言葉の直後、床を『ダッ』と踏み込む音が響いた。
「ちょ、待て!金なら払う!だから落ち着いてくべしっ!」
暦の言葉の後、男の命乞いが聞こえたがその後の語尾から察するに殴られたのだろう。
僕も殴られたことがあるから分かるが……あれは痛い。
だから男が殴られている光景が、手に取るように分かる。
「ぐあああああああああああっ!」
(ドゴッバキッ)
悲鳴と何かが折れるような音が聞こえた。
「――――」
「ぐぶっごぶっ……げぼっ」
(ボスッバスッ)
柔らかい部分を抉るような音が聞こえた。
「――――」
「うぐっ……おろろろろろろろ」
(ビチャビチャビチャ)
液体が床に落ちる音が聞こえた。
「汚いわね――――」
(ゴスッドスッガッバキッヌチュ……)
とうとう男の声が消え、効果音だけとなった。
最後の方の液体音がなんなのか、ものすごく気になる僕だった。
「ふう」
暦の吐息が聞こえた。
どうやら終わったらしい。
「『ふう』って落ち着かないでよ。早く僕をどうにかしてくれる?」
暦が頑張って一生懸命ボコしている間、僕は未だに囚われの身だった。
先にどうにかして欲しかった。
まあ、タイミングを逃して言えなかったけれど。
「随分と上から言うのね。へー、そう。そうなの。……それにしても無様な格好ね」
そんな言葉の後、暦が、僕が動けないことをいいことに、体のあちこちを触り始めた。
正確には触るだけではない。
触って、撫でて、突いて――って!
「ちょ、へんなところ突かないで!」
僕のデリケートゾーンまで手が及ぶ。
ちょっと、本当にそこは敏感なんだからやめて!
「へんなところってどこかしら」
暦の声に『あら、楽しい』という影が見え隠れしていた。
そう言えば真正のドSだったな、暦は……。
「だから――。……とにかく、早く解放してください。お願いします」
僕は無様な格好のまま、無様に下手に出てお願いした。
泣きたかった。
「そう……最初から下手に出ていれば良いのよ」
暦が嘆息交じりに、僕を縛っていた手足のベルトや目隠しを外してくれた。
全身を心地よい解放感が包む。
久しぶりに地面に立つと、血液が全身にいきわたるような感覚があった。
伸びをすると背骨がポキポキと音を立てた。
僕は周りを見渡してみる。
目隠しされていた時に視た未来の映像と同じ、体育館程の広さのある室内。
所狭しと様々な機材と棚が設置されている。
やはりあれは未来の映像だったのか――?
「――はあ、っと」
1つ息を吐いて、これで復活。
体調に異常はないようだ。
そんな事をしていた僕を見ていた暦が、
「半日振りね、久寿米木くん」
「半日?今っていつ?」
僕には時間感覚が無くなっていた。
確か最後に覚えている記憶だと……2月20日の12:00過ぎだったか?
それ以降の記憶はない。
「今は2月21日の深夜も深夜、0:40ね」
「……意外と経ってないね」
正直2日3日は過ぎているかと思っていた。
それくらい身体や精神に負担がかかっていたのかもしれない。
そんなことを考えていると、床に転がっている物体が目に入る。
全身の良服がボロボロに裂け、破れてところどころから出血もみられる。
また顔に至っては人相の判別が不可能なほど酷い状態だ。
ダンプカーにでも轢かれたような、そんな様相を呈していた。
「……まあ、いっか」
僕は割と優しい部類に入ると言われるし自覚もしているが、こんな誘拐じみたことをした相手に対してまで情けをかけられるほどお人よしではなかった。
ということで放置することにした。
「ところで暦。僕は何がどうなっているのかさっぱりなんだけれど、説明とかしてくれる?」
僕はここまで何がどうなっているのか何も知らない。
情けない限りだ。
「面倒臭いけれど仕方がないわね。戻りながら説明してあげるわ」
暦は出入り口の方へと身体を向ける。
しかし僕はそれを止める。
「あ、ちょっと待って。ここって僕の能力に関して研究していたところなんだよね?」
「そうよ」
「だったら、研究資料を僕が見ても問題ないよね?」
「何をするつもりなのかしら、久寿米木くん」
僕が何をするつもりなのか分かっていない暦は怪訝な顔をする。
「ん?自分の能力がどういうものなのか気になるって言うのと、ここにこのまま放置して行って悪用とかされると困るから捨てたりしないといけないかな、と」
「……そうね。私としたことがすっかり抜けていたわ。確かに久寿米木くん言う通りね。なら、その資料の処理をしながら話しましょう」
「よろしく」
僕達は体育館程の広さのある室内にいくつも設置されている棚を漁る。
引き出しを開けると、様々な書類がファイリングされていた。
これだけ棚があると一苦労だな……。
適当に目を通して、後は燃やすか。
僕がそんなことを考えていると、少し離れた位置にいた暦が、この事件について説明してくれる。
「今回の久寿米木くんの誘拐事件はSH研究所の上層部が絡んだ事よ」
「やっぱりか」
僕は適当に相槌を打ちながら作業する。
「昨日の昼に私が昼食を買いに行ったすきに、多分、そこに伸びている人とその愉快なお仲間達が適当な人を雇って久寿米木くんを連れ去らせたのでしょうね。どう考えてもこんな連中に出来る芸当とは思えないから」
「ふむ」
「で、久寿米木くんが攫われたことに気がついた私はすぐにSH研究所の連中が絡んでいるという目星をつけて、久寿米木くんのご両親にこの場所を聞き出して、さらには夏に来たあの旅館の中井玲さんに嫌々詳しい場所を聞いて飛んできたという訳よ」
ああ、研究所を設立したのは僕の親だったっけ
「……1つ聞いても良い?」
僕は作業の手を止め、暦の方へと向く。
それに気がついた暦も手を止める。
「なにかしら」
「僕はそこに伸びている男に何かされて、無理矢理未来を視させられていたみたいなんだけれど、そこでは暦が、僕の親や玲さんに『一緒についていこうか?』的な申し出を受けていたんだよ。でも、暦は断っていた。僕にはこれがどうも引っかかっていて……。昔の暦ならあり得ることだけれど、今の暦からしたら少し不自然に思えた。――どうして?ちなみに、僕の言っていることは事実かな?」
遠距離の未来を視るという、今まで出来たこともやったこともないことを実際に出来たのか分からない僕は、事実確認をしながら質問した。
「……そうね。まず最初に言っておくと、久寿米木くんが視たのは私の未来で間違いないようね。どういう理屈かは分からないけれど。そして本題に入ると……確かに私は昔と比べて変わったと最近は言われるし自覚もしているわ。だからこそ、断ったのよ」
『だからこそ』と、暦は言った。
「どうして?昔の暦だったら人と関わるのが嫌いだからとか言って断っても不思議ではないけれど、今の暦は違うだろう?」
他人に対して良い意味で関心を持ったり悪い意味で関心を持ったり、最近の暦はしていると僕は思う。
基本的に後者かもしれないが。
例えば、しずかのことを『雌豚』と思ったり。
どちらにしろ、以前の暦はこんな風に、他人を考えていなかったように僕には見えた。
「……ここには久寿米木くんしかいないし、久寿米木くんだから言うけれど……。傷ついて欲しくなかったのよ」
「え?」
僕は暦の言葉が一瞬理解できなかった。
……暦の口から出てはいけないような言葉が飛び出たような気がする。
「実際にはこんな弱い年老いた男しかいなかったけれど、ここに来る前は屈強なボディーガードみたいな人達を雇っているかもしれないと考えていたのよ」
「そうらいしね」
僕はこの言葉を『視て』いた。
僕はその言葉を『視て』いたから、知っている。
「もしも、私の実力を上回るような人が出てきたら、私は久寿米木くんのご両親や雨倉さん、ついでに言えば中井玲さんを守る余裕なんてないでしょう。私は久寿米木くんを助けたいと思っていたけれど、その過程で誰かに傷ついて欲しくもなかったのよ。昔の私だったら『他人のことなんか知らないわ』と思っていたでしょうけれどね」
暦は『はっ』と自嘲気味に笑った。
暦自身、この自分の変化は人生設計の中に組み込まれていなかったのかもしれない。
でも僕は、この暦にとっての予想外な出来事は、良かったことだと思う。
「…………」
「なによ、その眼は」
暦は僕の生温かい視線に気付いてキッと睨んでくる。
しかし、暦の話を聞いた後にこういうことをされても威力は半減だ。
正直、子猫の威嚇のようにしか見えない。
「いや、別に」
僕はそっけなく答えたつもりだったが、どうしても顔に張り付いた笑みが消せない。
「ニヤついていないで手を動かして資料を処理しなさい。こんなところに長居は無用よ」
照れ隠しなのか知らないが、僕に背を向けて暦は作業を続行する。
「はいはい」
*****
どれくらいの時間が経ったのか分からないが、1時間は経ったように感じている。
暦にボコボコにされた男は未だに目を覚まさない。
というか、あの惨状をみると永遠に目を覚まさなくてもおかしくないような気がするが。
僕はこの広大な室内にあった事務用のシュレッダーに書類をかけながら、目を通していた。
暦は未だに資料を漁って、探している。
とにかく全ての資料を探し出して、後々面倒事へと繋がらないよう、今の内に出来ることをしておかなければ。
僕は黙々とシュレッダーにかけていく。
と、
「ん?」
僕はシュレッダーにかける寸前でその手を止めて、資料に目を通す。
「……暦」
「なにかしら」
暦が作業を中断し、僕の方へやってくる。
「さっき玲さんに会って、ここに来たって言ったよね?」
僕の隣に来た暦に質問する。
「ええ。それが何か?」
「何か言っていなかった?」
「何か、と言うと?」
僕のあまりに漠然とした質問に、質問で返す暦。
さすがにこれじゃあ、どう答えていいかも分からないか。
ただ、
「うーん……そう言われると困るんだけれど……。今思うと不自然だと思うこととか、何でもいい。少しでも疑問に思ったことを言って欲しい」
暦は何故こんなことを聞くの、と言った表情だったが、僕が冗談で言っているわけではないと感じたのか、左上に視線を上げて考える。
「そうね……。私が旅館に着いたとき、玲さんはその場にはいなかったのよ。妹の理佳さんが受付をしていて、私が玲さんはどこにいるのか聞いたとき『今日も朝からどこかに行っていて……』って言っていたのはなんとなく記憶に残っているわね」
「今日も……朝から……」
僕は暦の言葉を反芻して考える。
「あとは……そうね……。久寿米木くんが攫われてっていう状況を説明したら割とあっさりと理解してくれたことかしら。まあ、あの人は研究職なだけあって頭の回転は速いのかもしれないわね。それでも私はあの人は嫌いと言い切るけれど。生理的に無理ね」
「ふむ……」
「というか、そんな事を聞いてどうするのよ」
「まあ、見た方が早いかもしれないね」
僕はそう言って、暦に持っていた紙を手渡す。
暦はそれに目を通すと、
「これは?」
僕の顔を見上げて、暦は言った。
「こういうことじゃないかな」
「なるほどね」
暦はニヤリと笑った。
あ、暦にこの紙を見せたのは失敗だったかもしれない。
さっき嫌いって言っていたしな……。
僕は心の中で後悔した――。
どーも、よねたにです。
計画性がなくて、あとどれくらいで終わるか分からなくなってしまいました。
まあ、気長に読んでいただければ幸いです。
では、また。




