第41話 時に夢は現実のものとなることもある
2月16日。
時刻は10:00。
外は一面雪景色だった。
東京都――そして23区でも雪が観測された。
子供達は喜びはしゃぎ、大人達は電車などの交通がマヒしたことにより苛立っている。
ニュースでは画面の端に交通の情報がテロップで流れる。
豪雪地帯の人ならこれくらいの雪であわてたりしないのに、何故こんなにも大ごとになっているのだろうかと思うのは僕だけだろうか。
さて。
そんな今日、僕は今事務所にいる。
エアコンとヒーターをフル稼働させて、冷気を相殺する。
それ程外は寒かった。
そしてそんな室内には暦もいる。
暦は難しい顔をして前年の収支を計算しているらしかった。
僕はソファーでくつろぎながら、なんとなく温かい飲み物が欲しいなと思っていた。
「久寿米木くん、暑くないのかしら」
暦が自分のデスクでの計算を一旦止めて、僕に言った。
エアコンの設定温度は26度。
ヒーターも2台稼働。
なにかおかしいのか?
「いや、別に暑くない。というかむしろ丁度いいけれど」
「あ、そう。……ちょっとトイレに行きたいわね」
と、暦が席を立ってトイレへ。
暦が僕の前を通り過ぎる。
僕はなんとなく言う。
「僕はのどが渇いたよ」
と、僕がそう言うと、トイレの扉の前まで来ていた暦が僕のほうを振り向く。
え、なに?
「あら。利害が一致したわね」
「どういう意味だよ、それは!」
僕が暦のを飲むという事か!?
どんなプレイだ、どんな。
「冗談よ、冗談」
「本気だったら超引くよ……」
暦はそう言ってトイレへ入って、2分ほどで出てきた。
そして、休憩のつもりかコーヒーを僕と暦の分を入れて、僕の正面のソファーに座った。
「でも、脱水症状には気をつけることね、久寿米木くん」
僕の前に持ってきたコーヒーを置きながら暦が言った。
僕は『ありがとう』と言って、
「言われなくても気をつけるさ」
そう言って、コーヒーをすする。
身体が芯から温まる。
とても落ち着く一時だ。
「そうね、たった1つの命だもの。そしてたった1度の人生だもの。大事にしないと損よ」
「……なにその意味深発言」
なんだか深い言葉だった。
「まあ、暦は命を大事にしそうじゃないよね。動物とか生き物飼ってもすぐに死なせちゃいそうだし」
僕が軽く笑いながら言った。
すると暦が反論する。
「そんなことないわよ。というか久寿米木くんには負けるわよ」
「え、僕はそういうの大事にするけれど?」
自慢じゃないが、家では熱帯魚を長い間飼育している。
生き物を大事にするのには定評があると思う。
……自分で言っちゃうのもなんだが。
僕が暦の言葉を疑問に思っていると、何を言っているのかしらという顔で暦が言う。
「数日に1回のペースで何億も殺しているじゃない」
「……え、何の話?」
「精子よ」
「ぶーっ!」
僕は危うくコーヒーをふきだしそうになったが寸でのところで回避する。
一瞬口の外に出たコーヒーを驚異的な肺活量で、空中で吸いなおして口の中に収める。
神がかっていた。
……まあと言うのは嘘で、そんな訳ないが。
「久寿米木くん、命を大事にしたいならオナ禁しなさい」
「よく臆面なくそんな事を言えるな、暦」
彼女の口から『オナ禁』なんて言葉、聞きたくなかった僕だった。
「当然よ」
暦は何故か誇らしげだった。
僕は話を変える。
もうこの話題で、彼女の口から淫語を聞きたくなかった。
「そ、そういえばさ、昨日の夜、家に琴音が来たんだよ」
「風間さん?――ああ、あのチョコレート?」
「そうそう」
僕は14日の夜に貰っていた暦のチョコレートを今日渡していた。
「で、その時に聞いたんだけれど……。なんか、しずかと琴音が遊園地デートで観覧車の中でキスをしたらしい」
「……は?」
珍しく暦が目を大きく見開いて驚いた表情を作って見せた。
僕はそれに驚きながらも話を続ける。
「いや、だからキスだよ」
「……キスというと『接吻』のことかしら」
「何故に古めかしい言い方を……。まあ、それだよ」
「風間さんが無理矢理、と言う事かしら」
「いや、話を聞いた限りでは両者の合意があったらしい」
昨日琴音の話を聞いた限りそう言ったニュアンスは見受けられなかった。
「……それは――……そう……そう、ね」
「珍しく歯切れが悪いじゃないか、暦」
「当たり前でしょう。知り合いが突然百合に目覚めたなんて、普通に生活していれば遭遇しえない状況じゃない」
「まあ、そうだけれど」
確かに『知人が突然百合に目覚めて困っています』なんて話、聞いたこともなかった。
「本人に確認してみましょうか」
暦が少し深刻そうな表情で言った。
「琴音?」
「いえ、雨倉さんよ」
「それは――なかなかガッツのいる選択肢だね」
本人に『あなたは百合ですか』なんて到底聞けない。
かなり回りくどく聞くか、あるいはまさかの直球どストレート。
どちらにしろ根性、ガッツがいる選択肢だった。
「でも仕方がないでしょう。私だって、久寿米木くんだって気になるでしょう?」
「まあ、ね」
そりゃ、同じサークルの幼馴染の1人が百合かもしれないなんて、気にならないわけがない。
「聞きましょう」
暦が無表情で言った。
「……そうだね。聞こう」
こうしてしずかに対する査問会の開催が決定した。
*****
「それで、私はどうして『早く来ないと殺す』って暦に脅されないといけないの?何かした?突然の殺害予告、すっごく怖かったんだけど」
時刻は11:00。
場所は事務所。
僕と暦が隣同士で座るソファーの正面にしずかが座っている。
というのも、早速の査問会だ。
暦が、しずかのセリフの通り『早く来ないと殺す』という強迫により、しずかを呼び寄せた。
「そんなことはどうでもいいのよ」
暦がばっさりと切って捨てた。
「私の命はどうでもいいレベルなの!?」
「早速だけれど、雨倉さん。風間さんとデートをしたわよね」
暦が無視して話を進める。
「え、うん。したよ」
「観覧車に乗ったのかしら」
「乗った乗った」
「中で何かしたのかしら」
ストライク!
どストレートで聞いたよ、暦。
一切ぶれない、剛速球だ。
さて、しずかはどう答えるのだろうか。
「うん、したした」
「――そう」
あの暦が一瞬間を空けてしまうほど、あっさりとしずかは答えた。
「あれはチョコレートのようにとろける甘いキスだった……」
そう言って、先日の琴音同様、蕩け切った表情をするしずか。
くっ……。
僕の幼馴染が桃色世界に引きずり込まれてしまった。
恐らくもう戻ってこないだろう。
暦は1時間前に言った。
『たった1度の人生だもの。大事にしないと損よ』と。
僕はその言葉の意味を、身をもって知った。
「あー……思い出すだけでイキそう♡」
僕と暦は顔を見合わせる。
暦は首を振った。
その様はまるで、病院で臨終した人を看取った医者のようだった。
僕は天を仰ぐ。
いいんだよね、別に。
本人達が幸せなら――。
「それにしても――」
と、僕は思った。
まさか、あの嘘から始まった夢物語が現実のものとなるなんて……。
これも一種の予知――僕の能力なのだろうか。
というか、あんな伏線――全然伏せてないけれど――回収しなくていいのに。
僕と暦はは妙な倦怠感に見舞われながら、うっとりと目をつむり、回想に耽るしずかを眺めていた。
どーも、よねたにです。
短くてすみません。
さて、どうでもいい伏線?を回収しました。
……伏線でも何でもないですね。
では、また。