鬼人婚姻
太古の昔から、鬼と人は争ってきた。
鬼は人を害し、そんな鬼を人は滅してきた。いつからか、鬼は徒党を組み、人は鬼を滅する組織「鬼狩り」を結成した。
だが、長年の争いにより両者は疲弊し、休戦協定を結ぶ。
各陣の代表から選ばれた者を婚姻させる事をその証とさせた。
「さぁ! 人と鬼との和平の一歩だべ! 飲めや騒げや!!」
どんちゃん騒ぎが始まる中、先程、婚姻の儀を終えた、鬼の頭領の次男、鬼ノ咲 夕べ(きのさき ゆうべ)は、ため息をついた。
「(何が和平だべ……。どっちもお互いを出し抜こうと、今か今かと待っとるくせして……)」
こんなの、ただの形だけだ。そんなものの犠牲になった己の立場を恨む。
「(この子も可哀想だべ……。好きでもない……しかも鬼の妻になって、鬼の本拠地で暮らすなんて……)」
夕べは、ちらりと隣を見る。そこには、綿帽子を被り、化粧を施した、まさに大和撫子という少女がいる。
百式 桃子(ひゃくしき ももこ)。鬼狩りの名門、百式家の三女。夕べの婚姻相手だ。
桃子は夕べの視線に気がついたのか、こちらを見て、上品に笑いかける。
夕べは、慌てて視線を外す。そんな夕べに、桃子は話しかけた。
「お酌、しましょうか?」
「気を使わんでいいべ」
「でも、わたくし、夕べ様の妻ですし……」
「誰でもわかる政略結婚の手本だべ。せめて自由にしていればいいべ」
「はぁ」
そんなこんなで結婚式という名の宴会は終わり、二人は夫婦として、あてがわれた部屋に着いた。
「……」
「夕べ様、どうかしました?」
開けた部屋には布団が一組だけ敷いてあった。つまり、そういう事だろう。夕べは手で顔を被って、盛大なため息を吐いた。
「布団、もう一組どっかから持ってくるべ。あんたは寝てろ。疲れたろ」
「わたくしは別に問題ありませんよ?」
「は?」
桃子の言葉に、夕べは目を見開く。
「だって、夫婦でしょう?」
「……あんな、さっきも言っだが、こんな見え見えの政略結婚に気を使わんでもいいべ。子供を望まれている訳でも無(ね)し。初対面の男に抱がれだぐねだろ?」
「はぁ」
桃子は、ピンときていない様な反応だ。
「布団探しで来(ぐ)る」
「夕べ様」
夕べの着物の袖が引っ張られる。
「なんだ?」
「じゃあ、一緒に寝ましょう。夕べ様だって、お疲れでしょう?」
「あんな、男にそんな事言うもんでね。鬼は狼だべ」
「そうであっても、夕べ様なら構いません」
夕べは引いても押してくる桃子に、本日何度目かのため息をついた。
「後悔するんでねぞ」
「はい」
桃子は相変わらず、にこにこと笑っていた。
「ん……」
「おはようございます、夕べ様」
夕べが目を覚ますと、目の前には桃子の顔があった。
「何してんだべ」
「夕べ様の寝顔が可愛らしくて、ついつい見入ってしまいました」
「……変な奴」
「変なのは夕べ様ですよ?」
「あ?」
「男は狼なんでしょう? なのに、本当に睡眠を一緒にとるだけだなんて」
「襲っでほしがっだのが?」
「どちらでも」
「……変な奴」
「ふふ」
「(雪だ……ん?)」
夕べが庭を歩いていると、桃子が椿の植え込みの前で何かをしていた。
「桃子、何しとる」
「あ、夕べ様。椿をお部屋に飾ろうと思って」
「百式の家は生け花も教えとるのか?」
「……」
黙った桃子を見て、夕べは、しまったと思った。これでは鬼を滅する事しか能の無い、と嫌味を言った様なものだ。
「あ、いや……」
「私……」
「あんな、違くて桃子……」
「戦う事は、からきしで。お花活けたりとかするのが好きなんです」
「え、あ、そうなんか」
「だから、せめて百式の役に立て、と言われ夕べ様に嫁ぎました」
「……」
「あ、これじゃ、しょうがなく夕べ様に嫁いだみたいですね……すみません……」
「同じだべ、おらも……」
「え」
「気にすんな、桃子」
夕べは桃子の手にある椿を取った。
「夕べ様……?」
そして、そっと桃子の髪に刺した。
「似合うべ」
「あ、ありがとうございます……くしゅっ!」
「そろそろ部屋に戻るべ。この寒さは堪える」
夕べは自分の羽織を桃子の肩に掛ける。
「これでは夕べ様が……」
「さっさと戻れば同じだべ」
「夕べ様……」
そう言いながら二人は部屋へと戻った。
「何してんだ?」
「あ、夕べ様。刺繍です」
「それも趣味か?」
「ええ」
「見事なもんだな」
薄紅色の羽織に、桃の花が咲いていた。
「夕べ様の羽織にも施しましょうか?」
「良いのか?」
「ご迷惑でなければ」
「頼む」
「(椿……)」
夕べは、できあがった刺繍を広げて見る。
「どうでしょう? 黒には椿が合うと思って」
「あんがとな、桃子」
「え、あ、はい」
「どした?」
「あ、えっと……」
珍しく口ごもる桃子。
「桃子?」
「……褒められるのなんて……初めてで……」
「こんなんでよけりゃ、いくらでも褒めるべ」
夕べは桃子の頭をくしゃりと撫でる。
「夕べ様……」
「あ、女子の頭を無闇に触るのは良ぐねかったな」
「いいんです……。いくらでも撫でてください」
桃子は、ふわりと笑う。夕べは、その笑顔に、どきりとした。
「夕べ様!」
「なんだ、桃子」
「あの……」
そう言って桃子が差し出したのは、黒い組み紐に赤の蜻蛉玉をつけた物だった。
「こいは……」
「わたくしが作りました髪紐です。夕べ様の瞳から想像しました。夕べ様は、お髪(おぐし)が長いので」
「桃子は器用なもんだな。ありがたく貰うべ」
夕べは髪紐を受け取ると、手を後ろに回し、早速一つくくりをして髪に着けた。
「似合うべか?」
桃子に見せる様に横を向き、癖の強い髪を揺らす。
「お似合いです」
桃子は、顔の前で指を軽くつけ、嬉しそうに手を合わせた。
「黒いのは、おらの羽織の色か?」
「あっ……えっと……」
桃子は目を泳がせる。
「ん?」
「えっと……えっと……」
彼女は顔を赤らめ、小さな声で呟く。
「わ、わたくしの……髪の色と合わせて……。あの……夫婦、なので、何か揃いの物が欲しいと……。さ、差し出がましい真似をいたしました……」
夕べは、そう言う桃子を愛しく感じた。
「何が差し出がましいか。おらは嬉しいべ」
「夕べ様……」
「桃子も髪が長いから、おらの髪と、桃子の瞳の色の髪紐を作るのは、どうだべ?」
桃子の髪にそっと触れる。
「いいんですか?」
「おらが作ってほしい」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこっちの方だべ」
「ふふっ……そうですか」
夕べは、桃子に貰った刺繍入りの羽織と髪紐を毎日着けていた。そして、会議に出る為に広間へと足を踏み入れる。
「おお、夕べ、来たか」
夕べの父親、鬼の頭領が言う。
「遅いべ」
そう言ったのは、夕べの兄、夜中(よなか)だった。
「すまね」
「ふん」
「では、会議を始めるべ。夕べ、百式の娘とは上手くやっているか?」
上手く……。仲は、良い、とは自分は思う……。ので、
「ああ」
と答えた。
「なら良いべ」
「それと、鬼の自給自足の課題だが……」
夕べは仕事の話を切り出そうとしたが……。
「そんな事より、夜中。お前の活躍は目覚ましいべな!」
「ええ、父上、当然の事だべ」
「……」
「そんな事より」。夕べは一人、拳を握り締めた。
「夕べ様、お仕事、お疲れ様です」
「ああ……」
「夕べ様……? 何か、ありましたか?」
「あ……いや……なんでも……」
「……お話、ください。わたくし達は夫婦でしょう?」
桃子は夕べの顔を手で包みこんだ。
「……」
夕べは、桃子には敵わない、とぽつり、ぽつりと話し始めた。
「おらは……次男だ」
「はい。存じ上げております」
「どんなに……努力しても、無駄なんだべ……。勉学も、刀の実力も……兄上よりでぎる……なのにっ……」
せきを切った様に言葉が溢れ出す。
「おらは期待されねっ……! どうでもいい! 兄上の予備なんだべ! 何をやったって……」
夕べは顔を歪める。
「一番にはなれね……」
「一番ですよ?」
「は?」
桃子の唐突な言葉に、夕べは呆気に取られた。
「夕べ様は、わたくしの一番です」
「え……あ……」
夕べは頬を染める。
少しの沈黙の後、夕べは桃子に顔を近づけた……が……。
「い、いや、やっぱなんでも……」
夕べが顔を離そうとした時、桃子が唇を重ねた。
「!」
桃子は唇を離して笑う。
「夫婦、でしょう?」
「桃子……」
今度は、夕べから唇を重ねた。
今日は会議の日だ。もう、何を言われようと関係ない。大切なものは、もうわかっているから。
夕べは広間の扉を開ける。そこには……。
「あら、夕べ様」
「桃……子……?」
刀を持った血まみれの桃子。辺りには大量の血と倒れ伏している鬼達。その中には夕べの親兄弟もいる。
「うふふ。ネタばらし、いたしましょうか」
「ネタ……ばらし……?」
桃子は穏やかに笑って続ける。
「この計画は、十数年前から企てられていました」
まるで、いつもの会話の様に。
「鬼と和平を組んだと思わせて、内側から隙を見て壊す。わたくしは、その為だけに生まれてきました」
「何を言って……」
「鬼を油断させる為の器量、鬼を倒す為の力量。わたくしは自由一つ与えられず、今、この時だけの為に!」
「桃子……」
刀は、ある。桃子と対峙する事は可能だ。
だが……夕べにそんな気は無かった。
夕べは桃子にゆっくりと近づき、抱き締める。
「楽しかったべ……。ありがどう」
桃子は刀を落とし、夕べにきつく抱きついた。
「あなたが……そんなのだからっ……わたくしはっ……!」
「桃子……?」
「百式の道具として育てられた、わたくしを……あなたは唯一、人として見てくれたっ……! だから、だからっ……!」
桃子の目から、涙が零れる。
「……わたくしを……殺してください……。もうすぐ、鬼狩り達が来ます。けど、あなたなら、大丈夫。手柄は全てあなたのものになります。頭領も兄もいない今、あなたが……」
「一緒に、逃げるべ」
「え?」
「おらの一番は、桃子だ」
その言葉を聞いて、桃子は子供の様に泣きじゃくった。
「はい……!」
その後来た鬼狩り達と鬼は全面戦争になった。
だが、そこに夕べと桃子はいなかった。二人の行方は誰も知らない。
「夕べ様、今度はどちらに行きましょう?」
「町ひとつ越えた先に温泉街があるらしいべ」
「良いですわね! 一緒に入りましょう」
「桃子は大胆だべなぁ……」
「ふふっ……だって」
桃子が髪に着けている白い組み紐に黒い蜻蛉玉の髪紐が揺れる。
「夫婦でしょう?」
二人が幸せに暮らしている事は誰も知らない。




