四四艦隊計画ー試作駆逐艦ー
「敵は見えずとも、弾道は嘘をつかない。撃て」
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試作駆逐艦《秋津風》が静かに波を裂いていた。夜明け前の薄明が海と空の境界を曖昧にし、東の水平線にかすかに陽光の兆しが見える。
艦長・新井大尉は測距盤から目を離さず、後部甲板へと声を投げた。
「主砲、方位九八、距離三千。斉射用意……撃て!」
号令と同時、連装砲4基――計8門の12.7センチ砲が一斉に火を噴いた。艦体がわずかに震え、甲板に砲煙が流れる。
右舷側に並航する姉妹艦《嵐光》もまた、同時に斉射。2隻あわせて16門の砲撃が、夜の海に雷鳴のような重低音を残して飛び去っていった。
《秋津風》《嵐光》――この2隻は、四四艦隊計画の一環として建造された“砲撃特化型駆逐艦”である。魚雷兵装は4連装発射管1基のみ、他はすべて砲撃に特化。対艦よりも対地・対陣地火力支援に重きを置いた異端艦だ。
「第二射、撃て!」
再び、海がうねるような音をたてる。着弾の爆煙が、陸岸の丘を薙ぎ払った。
双眼鏡越しに、上陸部隊の信号弾が確認された。緑。命中確認。支援完了。
「正確だ……距離変化なし、次射で砲列一斉斉射を継続」
副長の瀬戸少尉が呟きながら、報告帳に記録を取っていく。
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二隻の砲撃は、夜明けのわずか30分間で敵前哨陣地を制圧した。実際に上陸した陸戦隊の報告では、砲撃で敵火点の7割が沈黙。反撃らしい反撃はなかった。
「……ただの駆逐艦とは思えない火力です」
艦橋で瀬戸が呟いた。
「まるで軽巡が2隻並んだような……」
「いいや、それ以上さ。装甲も機関も軽いぶん、命中精度と斉射速度で勝負してる」
艦長・新井は、目の前の水平線を睨んだまま答える。
《秋津風》と《嵐光》――この2隻は、同型駆逐艦群の共通船体を活用し、徹底した火力支援型として設計された。魚雷戦は捨て、代わりに連装砲4基を搭載。電探・測距・通信設備も拡張され、精密な間接砲撃が可能な“移動火力拠点”として位置づけられていた。
「……敵艦が来れば脆い。しかし、水雷戦隊の背後で火を吐く役は、我々しか務まらん」
「はい。ですが……この艦は“使いどころ”が難しい」
「だから試作止まり、なんだろうな」
二人は黙った。彼らも知っている。次の海戦において、この艦の出番が再びあるかは、五分と五分だと。
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正午、作戦終了。輸送艦団は無傷で着岸。陸上部隊はほぼ計画通りに進出。敵小火器の抵抗のみで、重火器による反撃はなかった。
この結果に、艦隊司令部は満足した。
『秋津風・嵐光、火力支援効果顕著。戦術価値確認』
だが、次の報告で、新井たちは現実を思い知る。
『量産計画は見送り。実戦配備のまま、戦術研究対象艦とする』
「……やはりな」
新井は皮肉混じりに笑った。
艦は優秀、運用も成功、だが汎用性がない。艦隊は“突出した何か”より“融通の利く何か”を好む。
それが軍の現実だった。
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夜。戦術戦隊旗艦《嵐光》の艦橋で、瀬戸が独り言のように言った。
「でも……この火力、俺は忘れませんよ」
誰にも聞こえないような声で呟いたその時、遠くで同じように《秋津風》が砲身を静かに整列させていた。
彼女たちは量産されることはなかった。
だが、現場の兵は口を揃えて言った。
──あの艦がいてくれて助かった、と。