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第8話 : 血に咲く華

──血のにおいが、風に混ざった。


 闇の山道、互いの呼気と殺気だけが空気を支配していた。


 斎の足元に血が滴る。肩口を裂かれた傷から、じわじわと赤が滲む。だが、その眼差しは濁らない。獣のように荒ぶる牙嵐の一撃を受け流しながら、斎は静かに息を整えていた。


「ようやく血の匂いがしたな……忍」


 牙嵐が唸るように笑う。戦斧を背に回し、大太刀を振りかぶったその姿は、まるで処刑を愉しむ死神のようだった。


「もう斬れねぇか? “影走り”もそろそろ読めてきたぞ」


「……それはどうかな」


 斎が口元だけで笑う。その刹那、ふたたび姿が消えた。


「ほう──また来るか!」


 牙嵐は地を蹴った。斎の影走りの残像を、重斧で払う。その一撃は確かに捉えた。だが──


「──残念」


 声は真後ろ。


 斎の小太刀が、牙嵐の背へ向けて閃く。だが、ほんのわずか──一拍の遅れ。牙嵐は肩を捻り、その斬撃をわずかにずらした。


「その癖だよ、“影走り”」


 刹那、牙嵐の肘が逆に振り抜かれ、斎の脇腹に直撃した。


「……ッ!」


 呻きと共に、斎の体が地を転がる。


 刃が落ちる。地面に血が滲み、湿った土が粘ついた匂いを立てる。


「斎!」


 綾姫が叫び、駆け寄ろうとする。


 牙嵐がその声に振り向くと、薄く笑みを浮かべた。


「さあ──久遠の器よ。見せてみろ。その呪いの“真価”を」


 言葉と同時に、牙嵐はゆっくりと歩み寄ってくる。


「咲けよ。俺の前で」


 刃を手にしたまま、綾姫の前で立ち止まった。


 ──ドクン。


 また、胸の奥が鳴った。


 かつて感じたあの異音が、いま全身を走る。熱い。内側から何かがこじ開けられるように、皮膚の下で“何か”が目覚めようとしている。


「……いや……私は……」


 怯える心。だが──その傍らで、斎が咳き込みながら呻く。


「……っ、姫……後退を……」


 血に濡れた男の姿が、綾姫の視界に焼きついた。


 ──私のために、斬られた人。


 それだけで、何かが、変わった。


(……守られてばかりの私が……何もせずにいられるはずがない)


「……来ないで」


 その声は、かすかだったが、震えていなかった。


「私の中の“華”が……あなたを拒んでいる」


 牙嵐が片眉を上げたその瞬間──


 綾姫の身体から、白い花紋が浮かび上がった。


 腕に、肩に、そして胸元に──蔦のように絡みつく呪紋が広がる。


「──これは……!」


 牙嵐が一歩退いた。その瞳に、はじめて微かな“怯え”の色が走る。


 綾姫の足元から、白く濁った“瘴気”の蔦が現れた。意思を持つかのようにのたうち、牙嵐の足元へと伸びる。


「ぬ……!」


 牙嵐は反射的に跳ぶ。その蔦は空を薙ぎ、森の地面をえぐった。


 ──再生。瘴気。久遠華の第一段階。


 綾姫の手が斎の傷口へ触れた瞬間、血が引いていく。裂けた肉が再び繋がり、傷が音もなく塞がっていく。


「……おい……まさか……」


 斎が驚愕の眼差しで、綾姫を見上げた。


 だが綾姫は、ただ静かに言う。


「大丈夫。もう……あなたに斬らせません」


 白く光る文様の下、彼女の瞳はまっすぐ前を見据えていた。


 牙嵐が、低く唸る。


「ほう……“咲いた”か……」


 そして、不意に刃を収めた。


「だが、まだ未熟。第一段階では、華狩は止められん」


 瘴気を前にしてなお、退かぬ気迫──だが、確かに彼は慎重になっていた。


「次に会うときは……本気で摘みに行くぞ、“器”よ」


 そのまま牙嵐は背を向ける。斎が立ち上がり、追おうとしたが──


「……待て」


 綾姫の声に止められた。


「いま、あなたが斬るのは……私ではない」


 斎が口を閉ざす。彼女の視線の先に、ゆらりと消えていく牙嵐の後ろ姿があった。


 ──殺気ではない。“判断”がそこにあった。


 牙嵐の姿が闇に消えてゆく。


 やがて、森に再び静寂が戻った。


 綾姫は、瘴気を収めながら肩で息をつく。


「……こんな力が、私の中に……」


 癒やし。防御。再生。


 けれどそれは同時に、相手を穿つ“力”にもなる。


「私は……このまま咲いてしまえば……」


 恐怖が、再び胸に湧く。


 斎が傍らに立ち、短く言った。


「……選べ。“花”を咲かせるのか、刈らせるのかは──お前だ」


 その言葉に、綾姫は目を伏せたまま、小さく頷いた。


 ──一方。


 森の奥。獣のように佇む影が、月を仰ぐ。


 牙嵐。


 頬に付いた僅かな瘴気の痕を指先でなぞり、低く呟く。


「久遠華──あれが“原初”の苗か」


 唇が、ゆっくりと笑みに歪む。


「面白い……これほどの器は、百年に一人もいねぇ」


「綾姫……貴様が“完全に咲いた”その時が、俺の“華狩”の本懐だ」


「……今はまだ“蕾”よ──だが、それがこそそそる」


 牙嵐の背に、風が吹く。


 そのまま、彼の影は森に沈み、夜の静寂に溶けていった。


 ──“血に咲く華”は、まだ始まりにすぎない。

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