表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/13

第1話 : 焔の花、影の刃

──あの日、すべてが、紅に呑まれた。


夜空に浮かぶはずの月は、煤けた濃煙に覆われ、姿を消していた。

火の粉が天を焦がし、地を這うように吹き荒れる焔の海。

燃え盛る白華城が、まるで世界の終わりを告げる鐘楼のように軋んでいた。


耳の奥に残るのは、父の怒声。

母の名を叫ぶ声が、炎に呑まれて消えていく。

姉の手を、確かに掴んでいたはずなのに──


気づけば、私はひとりだった。


 


「……っ、はあ……っ」


荒れ果てた城下の瓦礫を踏みながら、私はあてもなく彷徨っていた。

どれほど歩いたのかも思い出せない。

足は鉛のように重く、喉は渇ききって、声すら出なかった。


けれど──涙は、もう出なかった。


泣きすぎて、心の奥まで乾ききっていたのだと思う。

世界に残された私という存在が、ただ空虚に歩いているだけだった。


 


崩れた柱の影に、身体を沈める。

息を吐けば、肺の底まで煤を吸い込んだ。

空を見上げても、星はどこにもなかった。


(……終わってしまったのだな)


家族も、城も、国も。

そして、私の名前さえ──この夜の炎に焼き尽くされたのだ。


 


胸元の銀の花飾りに、そっと指先を添える。

それは母から譲り受けた唯一の遺品。

白華家の象徴にして、“呪い”の起源でもある。


久遠華くおんか


生命を食らい、不老を与えるという、禁忌の花。

その種子は今──私の体内で、微かに、確かに脈動している。


(この花のせいで……)


誰が悪かったのか。

もはや分からない。

ただ、この花を巡る争いの果てに、私は全てを失い、独り残されたのだ。


 


──そのとき。


背筋を撫でるような、冷たい気配が走る。


熱でも、風でもない。

ただ鋭く、殺意だけが肌を刺した。


(……! 殺気──!)


咄嗟に振り返る。

瓦礫の陰から、黒装束の影が音もなく迫ってくる。


顔を覆う白い仮面。

その奥、瞳だけが不気味なほど煌めいていた。

まるで感情を持たぬ人形のように。


刃が振り上げられる。


避ける時間も、力も、ない──


(ここで……終わるのだな……)


そんな諦めが脳裏を過った、まさにその瞬間。


 


──風が、裂けた。


 


鋭く、乾いた音が遅れて鼓膜を震わせる。

断ち切られた空気の向こうから、ひとりの男が現れた。


 


黒の外套。

無造作に束ねられた黒髪。

左手の甲に刻まれた、黒く焼け焦げた印。

何もかもを拒むような鋭い眼差し──


その男は、一瞬で距離を詰めると、寸分の狂いもなく刃を振るった。


敵の手首が、吹き飛んだ。


血が噴き出し、短剣が地に落ちて跳ねる。

だが男は微動だにしない。


「……動くな。次は首だ」


低く、底冷えするような声。

研ぎ澄まされた殺意に、空気すら凍りつく。


刺客は一瞬だけ躊躇う。

次の瞬間、背を向けて逃げようとした──が、遅い。


刹那の間に、男の小太刀が閃く。


──喉元が断たれた。


仮面の奥から一滴の声も漏れぬまま、刺客は崩れ落ちた。


 


私は、ただその背を見つめていた。

それは、静かで、孤独で、そしてなにより──哀しい背中だった。


 


「……あなたは……何者なのですか」


私の問いに、男は肩を少しだけすくめる。


「通りすがりの忍びさ。今じゃ抜け忍って呼ばれてるがな」


「……忍……」


その言葉に、思わず視線が彼の左手に吸い寄せられる。


焼き焦げたような歪な印。

それを見た瞬間、記憶の底から父の言葉が蘇る。


「決して関わってはならぬ“影”がある」


 


黒陰こくいん


かつて滅んだはずの、異端の忍びの里。

影に生き、闇を操る者たち。


「さっきの刺客……あれも、黒陰の……?」


「ああ。外れ者の処理係ってとこだな。成功しても口封じ、失敗すりゃ捨て駒。そういう奴らだ」


彼はそう言って、血のついた小太刀を納めた。


 


そして、私を見下ろす。


「姫さん。“久遠華の器”って話……どうやら噂は本当みたいだな。今後も、似たような奴らに狙われ続けるぜ」


私は、黙って頷いた。


喉の渇きも、恐怖も、痛みすらも忘れて。

ただ、心の底からにじみ出た言葉だけが、口を突いた。


「それでも、私は──逃げたくない。もう、誰も……失いたくないのです」


男は、しばし黙って私を見つめていた。


その眼差しに、何かが揺れる。

風が吹き抜け、外套がはためいた。


そして彼は、ひとことだけ言った。


 


「……歩けるか」


 


その言葉に、私は小さく頷いた。

気づけば、手のひらが震えていた。


けれど、その背を追いたいと思った。

なぜだか分からない。ただ──


この背を見ていると、少しだけ“未来”を信じられる気がした。


 


──あの日。

焔に焼かれた廃墟の中で。

私は、生き延びることを選んだ。


かすかな灯火のような意志を、胸の奥で確かに感じながら。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ