8話:早朝に水浴びしたいエリオン
エリオンは翌朝、柔らかな陽光の下、水浴びに向かった。昨日、フェルブーを追いかける途中で偶然見つけた美しい川が、彼女を呼んでいるかのようだった。川のせせらぎが静かに森の中で響き、澄んだ水は冷たさと新鮮さを湛えていた。
上流に歩を進めると、いくつかの大きな岩が見え、そこで彼女は足を止めた。自然の遮蔽がちょうど良く、目立つことなく水浴びをするには最適な場所だった。エリオンは慎重に周囲を確認し、岩の陰に衣類をそっと隠すと、ゆっくりと水辺へ歩み寄った。
足先を水に浸すと、ひやりとした感覚が全身を包んだが、次第に心地よい冷たさに変わり、エリオンは体全体を川へと沈めていった。肌が水を弾き、細やかな水滴がきらめきながら滑らかに彼の体を伝い、川へと吸い込まれるように消えていく。透明な流れは、彼女の体に触れるたび、まるで自然が優しく抱擁しているかのように感じられた。
エリオンは、川の冷たい水に身を沈めながら、ふと独り言を口にした。「ああ、何て気持ちいいんだろう。これが私の好きな時間。」彼女は水の感触に浸りながら、心の中で感じていた喜びを言葉にしてみた。
「毎日がこんな風に、穏やかだったらいいのに。」エリオンはふわりと笑みを浮かべ、周囲の静けさに耳を傾けた。流れる水音が彼女の言葉を優しく包み込むようだった。
水面に映る彼女の姿は、揺れる水のリズムに合わせて微かに揺らぎ、流れる水が穏やかな波紋を作っていく。エリオンの指先が軽く水をかき回すたび、冷たい感触が手のひらから伝わり、全身に広がった。身体の重みを失うような浮遊感が心地よく、自然の静寂の中で、彼は一瞬、全ての時間が止まったかのように感じた。
エリオンは水の中で心を解放しながら、独り言をつぶやいた。「ライゼンは、本当に優しい人だわ。いつも私のことを考えてくれて、私を支えてくれる。あの時、手を握ってくれたときの感触が、まだ心に残っている。」
彼女は水の中で体をひねり、柔らかな陽光に照らされる水面を見つめた。「ライゼンの笑顔を見ると、私も自然と元気になれる。彼と一緒にいると、何もかもがうまくいく気がする。これまでの私の人生には、彼のような人が必要だったんだ。」
「それに、彼は強いし、何よりも頼りがいがある。戦士としての私に、心の支えを与えてくれる。私も彼のために、もっと強くなりたいな。彼と一緒にいることで、私は成長していると感じる。彼の期待に応えられるように、頑張らないと。」
流れる川の水が、彼女の体を撫でるように、無数の小さな波となって彼の肌を通り過ぎていく。水面に触れる瞬間、水滴が小さな弧を描いて散り、太陽の光を受けて虹色の輝きを放ちながら消えていく。
最後に、エリオンは思わず微笑みながら、つぶやいた。「ライゼン…私の心は、あなたに向かっている。いつか、あなたにその気持ちを伝えられたらいいな。」
エリオンは、川での心地よいひとときを終え、衣類を拾おうと川辺に戻った。しかし、彼女の目に飛び込んできたのは、悪戯猿が彼女の衣類を咥えて、楽しげに飛び跳ねている姿だった。
「ちょ、ちょっと待って!」と、驚きの声を上げると、悪戯猿はぴょんと一跳びし、素早く木の枝へと飛び移った。彼女の呼びかけを無視するかのように、猿は彼女の衣類を振り回しながら、さらに高いところへ逃げていく。
「もう、やめてよ!」エリオンは思わず口を押さえ、笑いと苛立ちが交錯する。「どうしてこんな時に、こんな悪戯を…!」
彼女は振り向いて川を見つめた後、もう一度衣類を取り戻そうと立ち上がった。逃げる悪戯猿の後を追うために、軽快に走り出す。周囲の自然の音が、彼女の足音とともに混ざり合い、賑やかな雰囲気を醸し出す。
「待ちなさい!」エリオンは木々をかき分け、必死に追いかける。「その衣類、返して!」
木の枝を飛び越え、瞬時に目の前に現れた悪戯猿が、彼女の視線を一瞬だけ捉えた。エリオンの心が躍る。捕まえられるかもしれないと思った瞬間、猿はまたしても一跳びして逃げてしまった。
「もう…本当に手ごわいな。」彼女は息を切らしながら、木の陰に隠れている猿を見上げた。時折、悪戯猿が彼女の方を振り返り、舌を出して見せる。その姿は愛らしくも、いたずらっ子のようだった。
エリオンは少し笑いながら、衣類を取り戻すためにさらに力を入れた。悪戯猿との追いかけっこが、今の彼女にとっては楽しい冒険となっていた。
ライゼンは食堂の準備を終えた後、エリオンがどこかに出かけるのを見かけた。彼女の姿はいつもと違って、何か特別な目的があるように見えた。彼はその好奇心に駆られ、エリオンが向かっている方へ足を運ぶことにした。彼女がフェルブーを追いかけた場所に近い、緑が生い茂る森の中だった。
木々の間を抜けながら、ライゼンはエリオンの姿を探した。「一人で何をしているんだろう?」彼は心の中で問いかけながら、静かに足を進めた。
突然、彼の視界にダークエルフが飛び出してきた。鋭い耳と褐色の肌、伸びる肢体、一糸まとわぬ筋肉質な体、そして凛とした目つきが彼の心に緊張をもたらす。思わずライゼンは木の裏に隠れ、息を潜めた。心臓がバクバクと音を立て、静寂の中でその音が大きく感じられた。
「どうする…?」彼は心の中で葛藤していた、見てはいけないものを見てしまったという心が芽生えた。
黙って帰るか?見なかったことにして接することができるか?
これは後を追うべきではなかったのかもしれない。ライゼンは音をたてないように深呼吸をして、心臓が落ち着くのを待ってから、そーっと来た道を戻るのだった。
急いで食堂へ戻ると、彼はまず厨房に立ち、食材の整理から始めた。彼女がどこで何をしているのか気になりつつも、目の前の仕事に集中することにした。思い出すと集中できなくなってしまう。
(頭を振って忘れようと努めた)
父デービットはそんなライゼンを横目で不思議そうに見ていた。
食堂の準備を進める中、彼は客席の掃除も行うことにした。手間のかかる作業は、毎日スケルトンを召喚して任せている。ライゼンはスケルトンを召喚し、彼らに掃除を指示した。「さあ、みんな、客席をきれいにしてくれ。」
スケルトンたちは忠実に指示に従い、雑巾を持って客席のテーブルや椅子を丁寧に拭き始めた。彼らの動きはぎこちないが、手際よく掃除を進めていく。ライゼンはその様子を見ながら、彼の努力が実を結んでいることを実感し、少しだけ満足感を覚えた。
父デービットは、昨日の閉店時に綺麗にスケルトンに掃除をさせたこと思い出しながら、今朝も掃除をする、そんなライゼンを横目で不思議そうに見ていた。
エリオンは川での水浴びを終え、冷たい水で昨日の汗を流して心も体もすっきりとした気持ちを抱えながら、食堂の裏口から戻ってきた。彼女の髪は少し湿った空気をまとい、光を受けてキラキラと輝いていた。柔らかな陽の光が彼女の肌に当たり、まるで新たに生まれ変わったような清々しさを漂わせている。
エリオンは顔に満足げな笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩いて食堂の中へと入った。
「ライゼン、ただいま!水浴びしてきたよ。すごく気持ちよかった!」彼女の声は明るく、周囲に心地よい空気をもたらすようだった。
その瞬間、ライゼンはエリオンの言葉を聞いて、木々の影から飛び出してきた、一糸まとわぬ彼女の姿姿を思いだした。さらに、冷たい水に浸かる彼女の姿、肌を滑る水滴、そしてその表情が、彼の心を一瞬ドキリとさせた。彼女があの清々しい水の中で心からリフレッシュしている様子が、まるで彼の目の前に広がっているかのように感じられ、思い出すたびに顔が赤くなっていく。
「お、おかえり…」と口ごもりながら、ライゼンはエリオンに目を向けたが、心の中で彼女の楽しそうな様子が思い浮かんで、どうしようもない照れくささに襲われていた。エリオンの無邪気な笑顔が、ライゼンの心に影響を与え、彼はますます赤面してしまう。思わず視線を外すと、スケルトンたちが掃除を続ける様子を見つめた。
その日、食堂にはエリオンの明るい声と、ライゼンの照れた表情が溢れ、どこか穏やかな空気が漂っていた。
エリオンは、いつもと少し違う反応を示すライゼンを不思議に思い、彼の顔を覗き込んだ。彼女の明るい笑顔とは対照的に、ライゼンの頬はほんのり赤く染まっている。その様子に、エリオンの心には少しの疑問が浮かんだ。
「ライゼン、どうしたの?」彼女は首をかしげながら、彼の顔を近くで見つめる。目が合うと、ライゼンは一瞬、驚いたように目を見開き、思わず後ずさった。しかし、彼女の明るい瞳はそのまま彼を捉え、視線を逸らすことができない。
「なんでもないよ!ただ…その、君の水浴びの話を聞いてちょっと…」と、彼は言葉を濁らせた。心の中でどんどん赤くなる気持ちを隠しながら、エリオンの無邪気さが何故か胸を締め付けるように感じていた。
エリオンはその様子を見て、さらに不思議そうに目を細める。「そうなの?なんだか、いつもと違う顔してるね。」
彼女の言葉に、ライゼンはますます困惑してしまった。「あ、あの…何かついてるのか?」と焦りながら手で顔を隠すようにしてしまう。
「ううん、ただライゼンがちょっと照れてるだけじゃない?」エリオンはふふっと笑いながら言った。彼女の言葉に、ライゼンはますます顔を赤らめ、どうしていいか分からずにいた。
この不思議なやり取りに、エリオンは心の中で何かが弾けるような感覚を覚えた。彼の照れた表情が可愛らしく思えて、思わず笑みを浮かべてしまう。
「ねえ、ライゼン。どうしてそんなに顔を赤くしてるの?」エリオンは少し身を乗り出して、ライゼンの表情を探るように問いかけた。彼女の視線は真剣そのもので、ライゼンはその熱い視線に照れながらも、何とか言葉を絞り出そうとする。
「本当に何でもないんだ。ちょっとした気のせいかも…」と彼は言いながら、心の中ではエリオンへの想いがどんどん膨らんでいくのを感じていた。彼女の存在が自分にどれだけ影響を与えているのか、今まで気づかなかっただけなのだ。
「そう?それならいいけど…」エリオンは少し不安そうに目を細めた。そんな彼女の表情に心を打たれたライゼンは、思い切って心の内を言葉にしようと決意した。
「エリオン、君が水浴びをしたって聞いて、なんだか自分も清々しい気持ちになったんだ。」彼は素直に告げた。「君が楽しそうにしているのを見ると、何だか自分も元気をもらえる気がする。」
その言葉を聞いた瞬間、エリオンの表情はぱっと明るくなった。「ほんとに?それなら、もっと水浴びするべきかな!」彼女は冗談めかして笑い、周囲の空気が一気に和やかになった。
「それは…どうかな、周囲に悪戯猿がいるから、ちょっと危ないかもしれないね。」ライゼンは少し真面目な顔で言ったが、彼女の無邪気さに引き込まれてしまう。
エリオンは急にその考えが浮かんできて、思わず顔を赤らめた。
「ねえ、ライゼン…もしかして、私が猿を追いかけ回しているところ、見てたの?」彼女は口を開くのもためらうように、恥ずかしさを隠すように訊ねた。
ライゼンは目を丸くして驚き、すぐに顔を赤らめた。「えっ、な、何のことだ?」慌てて話を逸らそうとしたが、彼の表情は真っ赤になっていた。彼は心の中で「あの場面を想像したら、余計に恥ずかしい…」と混乱していた。
「それにしても、あの猿には困ったものよね。」エリオンは少し安心したように笑いながら言ったが、心の中ではまだモヤモヤした気持ちを抱えていた。「でも、あれを見られていたらどうしよう…」
ライゼンはその不安を感じ取り、「見てないよ、絶対に!」と必死に否定した。「まさか、そんな恥ずかしいことを…!」彼は心臓が高鳴りながら、頭の中でその情景を振り払おうとした。
エリオンはその様子に少し安心し、「良かった、じゃあ誰にも言わないよね?」と笑顔で返した。
「うん、言わない。絶対に秘密だ。」ライゼンは心の底からそう思った。彼はエリオンが無邪気でいる姿が好きだったし、そんな彼女の恥ずかしそうな一面も愛おしく感じていた。
その後、二人は悪戯猿の話で盛り上がり、互いの笑顔に包まれていく。