6話:行き倒れたダークエルフ
その日、町はいつものようににぎわっていた。市場では商人たちが大声を張り上げ、行き交う人々が商品を見定めながら通りを行き交っていた。アラン商会の店の前も、活気にあふれていたが、その横の路地に一つ、異様な光景があった。
そこには、一人のダークエルフが倒れていた。引き締まった足と腕が黒い外套からはみ出しており、長い銀髪が乱れ、顔は泥と汗で汚れている。その姿は、まるで力尽きたかのように動かず、路地の隅に打ち捨てられたように横たわっていた。通りを歩く人々は、その姿をちらりと見ては目をそらし、無関心に通り過ぎていく。
「おい、あれ見たか?」一人の男が友人に声をかけた。
「ああ、見たよ。ダークエルフだろ?めったに見ないよな。珍しい種族だが…」
「まあな、でも、行き倒れなんてこの町じゃ珍しくもない。特にこの場所じゃ、時々こういうのがいるんだよな」友人は肩をすくめながら言った。
「だな。手を出しても厄介なことになりかねないし、こういうのは触らぬ神に祟りなしってやつだ」と最初の男が同意し、二人はそのまま通り過ぎていった。
近くを歩いていた老婆も、ちらっと路地の方を見たが、すぐに顔をしかめてつぶやいた。
「まったく…今じゃ誰も助ける余裕なんてないってわけかねぇ。昔は違ったんだがね…」長い一方で、若い商人風の男も、倒れているダークエルフを一瞥した後、苦笑いしながら同僚に話しかけた。
「あれ、珍しいな。だが、エルフでもダークエルフでも、人間でも、こうして行き倒れるのは同じさ。誰も助けちゃくれない。特に、ああいう種族だと…」
「まあ、危険な目に遭うことだってあるからな。ダークエルフは魔法や戦闘技術に長けてるって聞くし、手を出すのは得策じゃないかもな」と同僚も応じる。
通り過ぎる人々は口々に噂を交わしながらも、誰一人として助ける様子はなかった。ダークエルフの銀色の髪が風に揺れ、わずかに動いたが、その目は閉じられたままで、呼吸も弱々しい。日差しは強く、路地の影の中でその姿はさらに孤独に見えた。
「こんなところで誰か助けてくれるわけないか…」一人の子供が母親に尋ねると、母親は小さくため息をつきながら答えた。
「そうね。でも、私たちには関係ないことよ。行き倒れなんて、ここじゃしょっちゅうあることだから」
その言葉を最後に、通りは再び日常の喧騒に戻り、ダークエルフの存在は誰の意識にも残らなくなっていった。それが何者で、なぜこの場所で倒れているのかは、誰にも知られないまま、ただ時間が過ぎていく。
だが、その場を静かに見守るように、通りから近づく影が横たわるダークエルフに触れようとしていた。それは、ただの通りすがりではなく、このダークエルフに何かを感じた者だった…。
一人の男が、倒れているダークエルフに目を留めると、近づいて足のつま先で軽く突ついた。
「おい、生きてるか?」男はつぶやきながら、様子を窺った。倒れているダークエルフは泥まみれで、その姿は見るも無惨だったが、微かに動いた。
「まったく…泥だらけ過ぎるだろう。」男は顔をしかめ、もう一度つま先で軽く突ついた。その瞬間、横たわっていたダークエルフが「うぅ…」と低い声を漏らした。生きていることを確認した男は、ふっと息をつきながらその場にしゃがみ込んだ。
「おい、こいつまだ生きてるぞ。」そう言いながら、男はアラン商会の建物の方をちらりと見た。彼はすぐそばの商会から出てきたばかりだったのだ。男は一旦店の中に戻り、しばらくしてから2人の別の男性を連れて再び路地に戻ってきた。
「引っ張り出すぞ。」男たちは声を掛け合い、倒れているダークエルフを3人で引きずるようにして路地から連れ出した。ダークエルフの身体は少々重くが、その体には疲労が色濃く刻まれているように見えた。3人はダークエルフを店の裏手に連れて行くと、倒れ込むように地面に横たえた。
「こいつ、本当に大丈夫か?」一人が不安そうに尋ねるが、最初の男は無言で桶に水を汲むと、ダークエルフの顔にざぶりと水をかけた。冷たい水が泥にまみれた顔を流れ、少しずつその素顔が現れてくる。
「おい、どうだ?目が覚めるか?」と一人が声をかける。
すると、顔にかかった水に反応して、ダークエルフはわずかにまぶたを動かし、うっすらと目を開けた。その瞬間、彼をつま先で突いていた男は、その顔を見て驚愕した。
「おまえ…エリオンか?」その名を呼びかけた瞬間、彼の声は驚きと困惑に満ちていた。
エリオンと呼ばれたダークエルフは、目の前の男を見上げ、まだ意識がはっきりしない状態で、かすれた声で「ら…ラ、ライゼン…?」と呟いた。その言葉を聞いた男――ライゼンは目を見開き、息を飲んだ。
「お前、どうしてこんなところに…?」ライゼンは思わず問いかけたが、エリオンの方はまだ話す余裕がない様子で、再び目を閉じた。かすれた声で、一言だけ何かを訴えるように口を開いた。
「…なにか…食べるものを…」
その言葉は、弱々しくも切実で、エリオンの身体が飢えと疲労で限界に達していることを物語っていた。ライゼンはその言葉を聞くと、すぐに振り返り、二人の男性に向かって言った。
「何か食べさせてやらなきゃ。こいつを見殺しにはできない。」
二人は頷き、慌ただしく店の中へと戻っていった。ライゼンはその場に残り、意識の朦朧とするエリオンを見つめながら、自分の過去と共に、今目の前にいるこの者が先日まで所属していたクランの仲間であったことを、すぐさま思い出していた。
ライゼンは、アラン商会の個室にエリオンを連れ込み、商会の男に頼んでミルク粥とパンを出してもらった。狭いが落ち着いた個室は、外の目を避けるには十分だったが、それでも街の噂というものはどこからともなく広がってしまうものだ。ライゼンはそんなことを考えながら、エリオンを見守っていた。
エリオンは椅子に座らせられ、目の前に差し出されたミルク粥とパンを見た途端、すぐに手を伸ばした。彼の手は震えており、その動きから長い間何も食べていなかったことが窺えた。エリオンは、スプーンでミルク粥を口に運び、そしてすぐにパンにも手を伸ばす。パンは少しボソボソしていて硬かったが、それでもエリオンは貪るように食べ続けた。彼の世界は今、食べ物でしか埋まっていなかった。
ライゼンはそんな彼の様子を見つめながら、商会の男に向かって小声で言った。
「本当に済まない。こんなことを頼むのは…。行き倒れを招き入れたなんて噂が広まってほしくないだろう。せっかくの商売に悪い影響が出るかもしれない。」
商会の男は少し渋い顔をしながらも、肩をすくめて応えた。
「まあ、噂ってのはどこから広まるかわからんが、ここでのことはなるべく他言しないようにするさ。ただ、ライゼンさん、こういうのはもう少し慎重にしてくれよ。」
ライゼンは深く頷き、「もちろんだ。本当にありがとう。何かあれば、すぐに俺に言ってくれ」と再び頭を下げた。
しかし、エリオンはその会話には全く耳を貸していなかった。目の前のミルク粥とパンを、必死に、飢えを紛らわせるように食べ続けている。その姿は痛々しくもあり、また哀れだった。ライゼンはふと、かつてのクランで最前線に飛び出していく元気だったエリオンの姿を思い出し、心が少し締め付けられるような感覚を覚えた。
「何があったんだ、お前に…」ライゼンは胸の中でつぶやきながら、今はエリオンが無事に食事を終え、力を取り戻すのを待つしかなかった。
ライゼンは、エリオンがパンとミルク粥を食べ終え、少しずつ元気を取り戻しつつあるのを見て、商会の担当の男に向き直った。「彼女はエリオンと言います。女性のダークエルフで、以前の王都のクランで死線を共にしていた仲間なんです。」
商会の男は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに納得したように頷いた。「そうか、エリオン…ダークエルフの仲間か。そんな彼女が行き倒れとは、何があったんだろうな。」
ライゼンはエリオンの顔を見つめ、彼女が少しずつ落ち着いているのを確認してから続けた。「エリオン、少し体が落ち着いたみたいだ。どうだ、話してくれないか? どうして行き倒れていたのか。」
ライゼンは、エリオンが少しずつ落ち着いているのを見て、商会の担当の男に向き直った。「彼女はエリオンと言います。女性のダークエルフで、以前の王都のクランで死線を共にしていた仲間なんです。」
商会の男は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに納得したように頷いた。「そうか、エリオン…ダークエルフの仲間か。そんな彼女が行き倒れとは、何があったんだろうな。」
ライゼンはエリオンの顔を見つめ、彼女が少しずつ落ち着いているのを確認してから続けた。「エリオン、少し体が落ち着いたみたいだ。どうだ、話してくれないか? どうして行き倒れていたのか。」
エリオンは小さく頷き、少しずつ顔を上げた。彼女の目には疲れが残っているものの、その奥にはかつての輝きが戻りつつあった。「私、街にライゼンを追いかけてきたの。クランは辞めた。リーダーとは意見が分かれてしまって…」
「追いかけてきたのか?」ライゼンは驚いた表情を浮かべた。「それで、どうして行き倒れになったんだ?」
「どこに住んでいるのかわからなくて、数日経ったら、何故かお金が底をついてしまったの。」エリオンの声は震え、ライゼンは心を痛めた。「食べるものも買えなくて、お腹が減って…宿代も払えなくて、結局宿を追い出されてしまった。」
彼女は俯きながら続けた。「気が付いたら、ここで行き倒れていたわ。お金の管理や計算が苦手だから、こうなっちゃったの。」
ライゼンはその言葉に、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。「そうか…それは大変だったな。もう大丈夫だ、ここは安全だから。」彼は彼女の手を優しく握りしめる。「今は何も心配しなくていい。私がいるから。」
その瞬間、エリオンの心に温かい光が差し込んだ。ライゼンの優しい言葉と、彼の真剣な眼差しが、彼女にとってまるで神のように感じられた。彼の存在が、彼女の心の奥に潜む不安を和らげていく。
「この人は、本当に頼りになる…」エリオンは彼の手の温もりを感じながら、彼がどれだけ特別な存在であるかを実感した。彼の表情には優しさと強さが同居しており、彼女はそのすべてに魅了されていく。
彼女の心の中で、ライゼンは理想の男性として浮かび上がった。
商会の男もエリオンの様子を見守りながら、静かに聞いていた。「それじゃ、助けが必要なようだな。回復するまでしばらくライゼンさんが面倒を見てあげればどうですか?」
ライゼンは頷いた。「ああ、もちろんだ。エリオン、ここにいる間は安心して過ごしてくれ。うちの宿は休業中なので部屋は開いている。食事ができるスペースだけで営業しているんだ。」彼はエリオンに向かって微笑みを送り、彼女が少しでも心を開いてくれることを願った。
その瞬間、ライゼンは思い出した。エリオンは数字が苦手で、計算ができないということを。彼は頭を抱えて天を仰ぎ、「どうしてまたこんなことになったんだ…」と心の中で嘆いた。
ライゼンはエリオンの装備を取り戻すため、追い出した宿屋へ向かうことにした。エリオンの話の通りに宿屋に着くと、町一番の高級宿だった。宿の入口に立つと、彼は一瞬ためらったが、意を決して中に入った。宿の主人に事情を説明し、エリオンの装備が無事に保管されていることを確認する。
「彼女の装備はまだある。だが、なぜお前が何のために取りに来たんだ?」宿の主人は目を細めながら問いかける。
「彼女はダークエルフで、強力な戦士です。私の仲間なんです。」ライゼンは真剣な表情で答える。
宿の主人はしばらく考え込んだ後、重い腰を上げて装備を持ってきた。ライゼンはそれを受け取り、エリオンのために大事に抱えながら宿を後にした。
アラン商会に戻ると、エリオンは食堂のテーブルに座り、温かいミルク粥を口に運んでいた。ライゼンが装備を持ち帰ると、彼女の顔に明るい笑顔が浮かんだ。「おかえり、ライゼン!」とエリオンが元気に言った。
「いつまでも食ってるんじゃない!」平手で頭を叩こうと振ると、エリオンはスッと避けた。
どうやら調子が戻ってきたような。
「これで安心だな。」と彼は装備をエリオンに渡し、彼女が身を守るための道具が揃ったことにほっとした。
その後、二人は父デービットの店へ向かうことにした。店に入ると、デービットが待っていた。ライゼンは父にエリオンの事情を説明する。ダークエルフである彼女が、宿から追い出され、行き倒れになったこと。今後はしばらく面倒をみることになって、一緒に住む必要があることなどを、簡潔にまとめた。
デービットは頷きながら、エリオンに優しい視線を向けた。「わかった。君のことは聞いたよ、エリオン。ここに滞在する間は無償で部屋を貸してあげる。ただし、少しずつでもお礼を返して欲しいから、食堂で手伝ってもらうことになるが、それでいいか?」
エリオンは目を輝かせながら、素直に頷いた。「はい、もちろんです。お世話になります。」
「それじゃあ、早速仕事を始めようか。手伝ってくれると助かる。」デービットがにっこりと笑うと、エリオンも笑顔を返した。こうして彼女は、ライゼンの家族とともに新しい生活を始めることになった。