25話:地獄の第二部隊
ライゼンは乗合馬車から降り立つと、ルディアス家の領地が見渡せる場所に佇んだ。周囲には質実剛健な雰囲気が漂っている。領主の館は立派だが、無駄な装飾は少なく、戦いのために堅牢さを重視した造りであることが見て取れる。まさに戦場を意識して設計された要塞のような館であり、領主の一族がその役割を忠実に果たしてきたことを物語っているようだった。
屋敷の周囲には、戦場へ向かう準備に追われる人々が行き交っていた。倉庫の方では、武装した傭兵たちが数組の集団を作り、装備や食糧の支給を受けている。彼らは黙々と準備を進め、誰もが厳しい表情を浮かべている。槍や盾、甲冑が並べられ、補給品や医療品も積み上げられているのが見えた。荷車に次々と物資が積み込まれていくたびに、荷車を引く兵士たちは力強く掛け声を上げ、館全体がまるで一つの生き物のように動いている。気の抜けた様子は微塵もなく、誰もが厳粛にその役割を果たしていた。
ライゼンは、目の前に広がる戦の支度に圧倒されながらも、館の入り口付近にいる男に歩み寄った。その男は、軽装だが一目で領主の家に仕える者とわかる雰囲気を持っている。ライゼンは丁寧に会釈しながら話しかけた。
「フィリップ様に呼ばれてまいりました。」そう言い、懐から取り出した小さな十字架を見せる。
男はそれを見るなり、軽く頷いて「承知しました」と答え、敬意を込めて館の中へと案内し始めた。館内の廊下も同じように質実で、壁には領主一族の歴史を感じさせる武具が飾られている。静まり返った館内を進む足音が、先程までの外の喧騒とは対照的に重厚で落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
ライゼンは案内された広間で静かに待っていた。重厚な木の机と、壁に飾られた戦士の彫像が室内を引き締めている。館内の厳格な雰囲気は、まさにルディアス家そのものだと感じさせた。ライゼンは整った室内の様子を眺めながら、戦の準備が着々と進む音を耳にしていると、ほどなくして扉が開き、フィリップが入ってきた。
「お待たせしました、ライゼン。あれから……9日目かな?ギリギリ間に合ったようだね。」フィリップは軽く笑みを浮かべながらも、その眼差しは鋭く、戦況に対する覚悟が伺えた。
「忙しいところ、申し訳ないです。早速ですが、部隊への編入手続きをお願いします。」ライゼンが静かに話すと、フィリップは軽く頷き、後ろに控えていた従者に指示を出した。すると、従者が小さな木箱を持ってきて、そっとライゼンの前に置いた。木箱を開けると、中には借金の肩代わりとして用意された金貨40枚がきらめいている。その上には、一通の手紙が添えられていた。
「これは、金貸しへの手紙だよ。」フィリップがライゼンの視線を見てそう告げる。「今後、ルディアス家に関わる者には礼儀をもって接するように、と書かせてもらった。貴族の後ろ盾がついたと理解してもらえれば、これで安心だろう。」
ライゼンは手紙を受け取って深く頭を下げ、金貨の重みと共に感じる安堵に、微かな微笑みを浮かべた。だが、それも束の間、フィリップが戦況について話し始めた。
「さて、戦況はあまり芳しくない。」フィリップは短く説明した。「ルディアス家の部隊は2日前に大きな被害を受けて撤退を余儀なくされた。現在、部隊の再編成を進めている最中だ。」
その言葉にライゼンは小さく頷き、真剣な表情で聞き入った。どうやら戦局はかなり逼迫しているようだ。フィリップは書簡を取り出し、短い指令書を書き上げると、それをライゼンに手渡した。
「君を第2部隊の傭兵隊に編入する。この指令書を持って、隊長に渡してくれ。」フィリップはそう告げ、机に指令書を置いた。ライゼンはそれを受け取りつつ、ふと考えた。この戦局において、実質的な指揮を取っているのはフィリップ自身のようだが、本来の領主は他にいる。しかし、今は病床にあるという事情を聞いて、ルディアス家の事情の重みを改めて実感した。
フィリップは指令書を手渡し終えると、少し思案顔になりながらライゼンを見た。「そうそう、報酬の金貨20枚は、無事に戻ったら払うよ」と短く付け加えると、さっさと部屋を後にした。その背中はせわしなくも迷いのない動きで、扉が閉まるまでの間にも別の指示を飛ばしているのが聞こえた。
ライゼンは、目まぐるしい館内の雰囲気とフィリップの手際の良さに少し圧倒されたが、次第に懐かしさを覚えている自分に気がついた。このあわただしく、緊張が張り詰めた空気——それは、数か月前まで所属していたクランの最前線に似ている気がした。目の前にある厳しい戦況と、自分に課せられた役割の重みが、一周回って心を落ち着かせるようでもあった。
「……なんだ、俺もずいぶん馴染んでるな。」ふと口元が緩み、思わず小さく笑いそうになった瞬間、慌てて手で口を押さえた。
エドモンド隊長との顔合わせを終えたライゼンは、その場で今日中に出発し、東の国境で再編中の本隊に合流する計画が決まった。彼が編入されたのは、隊長エドモンド・サヴェルが率いる第2傭兵隊で、総勢30名ほどの規模だ。エドモンドは厳格で、理知的な雰囲気を持ち、兵の信頼を集めている。彼の指揮下で傭兵たちはすぐさま館の門近くに集合し、支度を整え始めていた。
エドモンドが腕を組んで様子を見守る中、傭兵たちは3台の馬車に荷物を詰め込む作業に追われていた。食料や医薬品、武器類が所狭しと積み上げられ、ぎゅうぎゅうの荷台を見た者たちの間から、不満の声が漏れ始める。
「おいおい、この馬車に、俺たちも一緒に詰めるのかよ?」一人が眉をひそめて馬車を指さし、隣の男に話しかけた。
「たまったもんじゃねぇな、これじゃ酔い止めでも持ってくるべきだったぜ」と、別の傭兵が苦笑しながら肩をすくめる。
「酔い止めで済む話か?」他の者が苦い顔で応じる。「これで東の国境まで揺られ続けたら、体がバラバラになりそうだ!」
笑い声と嘆息が入り交じるなか、さらに後ろから声が上がる。「俺の剣は刃こぼれしてないが、俺の腰は行き着く前にバキバキになるかもな。誰か治療薬でも持ってるか?」
この賑やかなやり取りに、ライゼンも思わず苦笑した。自分も馬車に詰め込まれる一人と知りつつも、活気のある雰囲気にどこか懐かしさを感じた。
エドモンドはそんな喧騒の中でも冷静で、口元にわずかな笑みを浮かべていた。そして、鋭い視線を集団に投げかけると、静かに告げた。
「文句はその辺にしておけ。次に戦地に着いた時に息切れされては困るからな」
この一言で、傭兵たちは一瞬息を呑むも、再び苦笑交じりに活気づいた。「へいへい、隊長、息切れしないように頑張りまさぁ!」
「まあ、俺らが無事戻ったらの話だけどな!」
荷物の詰め込みがようやく終わると、隊長は一同に鋭い眼差しを向け、出発の準備が整ったことを確認した。そして、ライゼンに向かって頷くと、「それじゃ、行くぞ。任務は過酷だが、無事に帰還すれば金貨20枚が待っている。お前たちの働き次第だ」と言い添えた。
隊長の号令で、ようやく馬車がゆっくりと動き始める。揺れる荷台の上で、傭兵たちは不安そうな顔を見せながらも、それぞれが再び口々に話し出した。
「金貨20枚か…悪くねぇ報酬だな」
「そうだな。20枚もあれば、しばらくは安酒と宿に困らずに済む。だが、帰る頃には本当にバラバラになってたりしてな」
「笑えねぇ冗談だな。けど、帰れたらそれで十分さ」
ライゼンは彼らのやり取りを聞きながら、久々に肌で感じる戦場の雰囲気を思い出していた。重い荷物に揺られる揺動感や、笑い混じりの口論。かつて前線にいた頃の緊張感と似た空気が、彼の心を少し引き締めるようだった。気づくと彼はまた微かに笑みを浮かべており、再び手で口元を覆った。
「…昔の自分と同じように見られちゃ困るな」と小声でつぶやき、次なる戦いに思いを馳せた。
馬車の中で、ライゼンは揺れに合わせて身体を安定させようとしつつも、眠気を押し殺していた。数時間続く道中の振動はとても居眠りなど許してくれるものではなく、その時間を使って故郷のことを思い出していた。
「食堂は父に任せてきた…うまくやってくれているだろうか」と、ライゼンは内心で呟いた。エールの完成をカイルに託し、試飲会の準備もエリオンに任せた。さらには、農場の管理をダリックたちに一任したのも少し気がかりだ。こうした後ろ髪を引かれる思いを、馬車の揺れに合わせるようにぐっと抑え込み、意識を今の状況に集中させようと決心する。
そんな時、隣に座っていた傭兵の一人が、ふとライゼンに目を向けて話しかけてきた。茶色の巻き毛を持つ中年の男で、少しくたびれた鎧を着ているが、どこか経験豊富な雰囲気が漂っている。
「こういうのは初めてか?」彼がライゼンの顔を覗き込み、ニヤリと笑いながら言った。
ライゼンはその言葉に驚き、少し肩をすくめて答えた。「まあ、似たような状況はあったけど…戦場は久しぶりだな」
「そうか…だったら、一つ忠告だ」と、隣の男は真剣な眼差しで言葉を続ける。「戦場じゃ、ただの魔法使いでも、ちょっとした油断が命取りだ。自分を見失わないことだ。でないと…あっという間にあの世行きだぜ」
その言葉には、場数を踏んできた者の重みがあった。ライゼンはその視線を受け止め、軽く頷いた。「気をつけるよ。何度も痛い目を見てきたからな。名前を聞いてもいいか?」
「俺か?俺はロッド。傭兵稼業も長いもんで、なんでも見てきたってわけだ。まぁ…見たくないものも多かったがな」ロッドは苦笑を浮かべながら肩をすくめた。
「ロッドか…そうか、よろしく頼むよ。俺はライゼン」
「おう、ライゼンか。お前みたいな若造が戦場に出るなんざ、今の戦況も察しがつくってもんだな」
「本隊が負け戦の連続で…部隊も再編中と聞いたけど、実際のところ、どれだけ厳しい状況なんだ?」
ロッドは周りの傭兵たちを見渡し、声を低めて話し始めた。「状況はあまりよくない。こっちも、連戦で兵が疲弊している。それでいて補給も追いつかない。今ここにいる奴らも、ただの傭兵ってわけじゃない。腕は確かだけど、少しでも気を抜いたら死にかねない場だ」
「…そうか」ライゼンは静かにうなずき、心を引き締め直した。
「だから、あんたも一つ覚えとけ、俺らは団体戦ってやつが基本だ。見捨てられることも、たまにはあるが…互いに助け合えば、命を繋ぎやすくなる。お前のネックレスも護符も、戦場じゃ頼りになるだろうが、それ以上に信じられる仲間を見つけるんだ」
ロッドの言葉は、ライゼンにとって耳に残るものだった。彼もまた、こうして戦場に命を預ける一人であり、他人を助けることで自分も守られると知っているのだ。
ライゼンは軽く笑い、「助け合う仲間か…前にいたクランで感じてたことと、少し似ているな」と呟くように言った。
「おいおい、すっかりおセンチになってるじゃないか?」ロッドがからかうように言い、ライゼンも思わず笑みを返す。
「いいさ、覚えておくよ。ありがとう、ロッド」
こうして馬車の中での会話が続く中、道は徐々に険しくなり、ついに本隊との合流地点が近づいてきた。周囲の空気が次第に戦場の匂いに満ちていく。ライゼンは、その緊張感を肌で感じながら、身をさらに引き締めるのだった。
馬車が停まり、ライゼンたちは第二部隊の本隊が待機する野営地に到着した。見渡すと、辺りには百人規模の兵士たちが散らばり、各自の持ち場で休息や手入れに励んでいる。その様子から、疲労感と戦場の緊張感が漂っているのが感じ取れた。特に目を引いたのは、負傷兵たちの治療が行われている簡易な医療テントの近くで、あちこちに包帯が巻かれた兵士たちが横たわっていたり、少し遠巻きに見守っている仲間たちがいたりと、少々厳しい雰囲気だ。
ロッドが周囲を見渡し、「これだけ負傷者が多いと、相当な損害を出したんだろうな」と、静かに呟いた。ライゼンもその言葉に頷きつつ、部隊の一角に集まる兵士たちの方に視線を向ける。
そんな中、一人の兵士が彼らに歩み寄り、朗らかながらもどこか重苦しい表情で声をかけた。「お前たちが補充部隊か。ようこそ、地獄の第二部隊へ」
ロッドが口元をほころばせ、「確かに地獄って感じだな、どこもかしこも痛めつけられたやつばかりじゃないか」と冗談交じりに返したが、その表情には少しの同情も見えた。
「こっちは33名の交代要員だ。負傷兵と入れ替わる形になるんだな?」と、ライゼンが確認するように尋ねると、兵士は静かに頷いた。
「そうだ。今回の交代で負傷者が領地に戻れるが…正直言って、戦況は芳しくない。損害率は3割にも上るからな」兵士は目を伏せ、言葉を飲み込むようにした。「とはいえ、ここは国境だ。引くに引けない。負ければ、この先の村や町にも影響が出る」
その言葉に、ライゼンは改めて国境防衛の重みを感じた。仲間たちが静かに周囲を見渡す中、荷馬車に積んできた物資の積み下ろしが始まった。食料や医療品、燃料、武器類が次々と運ばれ、兵士たちがそれぞれの役割に従って整然と受け取っていく。
「ここで戦うのが任務だが、物資の補給も十分ではないと聞いている。これで少しでも士気が上がってくれればいいが…」と、ロッドがポツリと漏らす。
すると、もう一人の兵士が荷物の中から医療品を取り出しながら、「これで少しは持ち直せるさ」と、苦笑混じりに応じた。「負傷兵の大半は早々に後送されるけど、また戻ってくる日もそう遠くないだろうな」
一方、負傷兵の一人が荷馬車に乗り込む前に、ライゼンの方を見て声をかけてきた。「お前も新人か?…頼むから、あっちでちゃんと生き延びてくれよ」
その言葉には、どこか重みと無念さがこもっていた。ライゼンはその兵士の目を真っすぐに見つめ、「ああ、気をつけるよ」と力強く返事をした。
そこへ隊長が現れ、ライゼンたちを見渡しながら口を開いた。「諸君、ご苦労だった。今回の戦況は苦しいが、だからこそ皆の力が必要だ。新たに加わる者は、まずは自分の立ち位置をしっかりと確認しろ。油断すれば命を落とすが、団結すればこの戦いも乗り切れる」
隊長は、少し年配の男で、整った髭と鋭い目つきが印象的だった。その堂々とした姿に、ライゼンは一瞬で「この人が隊長か」と察した。
「隊長…この戦いは厳しい状況だと聞いていますが…」ライゼンが言葉を続けると、隊長は静かに頷き、「そうだ、相当厳しいな」と言った。「損害は甚大だが、これも国境を守るための戦だ。この地を守る責務が、私たちルディアス家の使命だからな」
その言葉に兵士たちは静かにうなずき、決意を新たにした様子だった。
隊長が続けてライゼンの肩を叩き、「お前も傭兵なら、戦場の厳しさは知っているだろう。くれぐれも気をつけろよ、命が惜しければな」と笑みを浮かべた。
ライゼンも、決意を新たにその言葉を胸に刻みこんだ。




