2話:クランを辞めて新たな道へ
ライゼンは一度クランに戻り、脱退の手続きを済ませるためにギルド本部へ向かった。いつもの活気に満ちたギルドホールには、仲間たちの笑い声や武器の音が響いている。彼自身も長い間ここで冒険を重ね、数々の戦いを乗り越えてきたが、もうその日々は終わりを告げる。
カウンターにいたギルドの受付嬢が、ライゼンの姿を見ると驚いた表情を浮かべた。
「ライゼンさん、どうかされましたか?最近あまり見かけませんでしたが…」
「クランを脱退したい。今日で冒険者を辞めるんだ。」
その言葉に、受付嬢の顔にはさらに驚きが広がった。ライゼンは若くして強力なネクロマンサーとして有名で、彼のような実力者が冒険者を辞めるとは誰も想像していなかった。
ライゼンがギルドの受付嬢に脱退の意思を伝えた後、手続きを進めるためにクランのリーダー、ヴォルフのもとへ向かった。ギルドホールの奥、クラン専用の作戦部屋に入ると、ヴォルフはいつものように大きな体を椅子に沈め、地図を広げながら次のクエストについて考えていた。
「ライゼン、珍しいな。最近顔を出さないと思ってたが、何かあったのか?」ヴォルフは彼が入ってくるなり、すぐに気づき、軽く手を振った。
ライゼンは深く息をつき、少し言葉を選んでから切り出した。「ヴォルフ、話がある。俺は……クランを脱退することに決めたんだ。」
その言葉に、ヴォルフの表情が一瞬固まった。しかし、すぐに笑みを浮かべて「冗談だろ?」と聞き返すも、ライゼンの真剣な眼差しを見て、冗談ではないことを悟った。
「どうしてだ?俺たちはずっと一緒に戦ってきたんだぞ。お前はクランの中でも一番頼りになる存在だ。急に辞めるなんてどうしたんだ?」
ライゼンは静かに答えた。「今までずっと戦い続けてきたが、もう限界だ。俺には別の道があると感じているんだ。故郷に戻って、食堂を開こうと思っている。もう、命を賭けた戦いは終わりにしたいんだ。」
ヴォルフはしばらく黙ったまま、じっとライゼンを見つめていた。部屋の空気が張り詰める。しかし、やがてヴォルフは大きくため息をつき、椅子から立ち上がった。
「そうか……お前がそう決めたなら、俺が止める理由はない。だが、ライゼン、お前はクランの一員だ。俺たちは家族みたいなものだ。いつでも戻ってこい。お前の席はここにある。」ヴォルフは大きな手をライゼンの肩に置き、力強く握った。
ライゼンはその言葉に感謝しながら、わずかに笑みを浮かべた。「ありがとう、ヴォルフ。俺も、お前たちのことを忘れるつもりはない。また会える日を楽しみにしてるよ。」
二人の間に流れる静かな絆を感じながら、ライゼンは作戦部屋を後にした。背後から聞こえるヴォルフの声は、彼の背中を優しく押すようだった。「気をつけろよ、そして成功を祈ってる。」
ライゼンは一度振り返り、無言で手を振ってクランの仲間たちとの別れを胸に刻んだ。新たな人生が彼を待っている。
ライゼンが作戦部屋を出て行くと、ヴォルフは一人静かにその背中を見送った。扉が静かに閉じる音が響く中、部屋に再び重い沈黙が戻ってくる。ヴォルフは大きなため息をつき、窓の外を眺めながら、少し前のめりに肘をついた。彼の思考は、ライゼンとのこれまでの戦いの日々へと巡っていく。
ライゼンはクランにとって、ただのネクロマンサーではなかった。彼の魔法は戦力として突出していただけでなく、その冷静な判断力や戦術眼も、クランの成功を支えてきた重要な要素だった。どんな激しい戦場でも、ライゼンがいれば安心感があった。彼の存在は、まさにクランの核と言えるものだった。
「ライゼンがいなくなる……か。」ヴォルフは、深く考え込むように呟いた。
これまでクランはライゼンを中心に、敵を封じ込めつつ打撃を与える戦術を駆使してきた。しかし、その柱が突然抜け落ちるとなれば、同じ戦い方はもうできない。強力なネクロマンサーの不在は、戦術の大幅な見直しを迫ることになる。
「俺たちのやり方も、変えないとな……」ヴォルフは、クラン全体の未来を見据えた決断を考え始めた。今後のクエストや戦略を再構築し、メンバーたちの役割分担を改めて見直す必要がある。もしかすると、ライゼンの代わりに新しい魔法使いを加えることも考えるべきかもしれない。
だが、心のどこかで、ヴォルフはそれが簡単なことではないと分かっていた。ライゼンのような存在は二度と現れないかもしれないし、彼の穴を埋めるような者をすぐに見つけることも難しい。
「まあ、焦るな……まずはクランのみんなと話をして、どう動くか決めよう。」ヴォルフは、窓の外の空を見上げ、しばらく黙っていた。
ライゼンが去った今、クランはこれまでのような無敵の集団ではない。だが、ヴォルフは戦いを諦めるつもりはなかった。リーダーとしての役目は、クランを新たな方向へ導くことだ。それは容易なことではないだろうが、クランのためならやり遂げる覚悟があった。
「俺たちはまだ終わっちゃいない。」ヴォルフは立ち上がり、手元に広げた地図を見つめた。
書類にサインをし、ギルドとの長年の関係に終止符を打ったライゼンは、その足で自分の住んでいた部屋に向かった。クランの寮に置いていた私物を整理し、もう使わない装備や道具を次々と売り払っていく。かつての仲間たちが時折寂しそうに声をかけてくるが、ライゼンは軽く手を振るだけで別れを告げた。
やがて部屋は空になり、最後に残ったのはライゼン自身の決意だけだった。
数日後、ライゼンは王都から乗合馬車に乗って実家の町へと戻った。窓から見える景色は、いつもと変わらず広がる草原や山々が続いているが、彼の胸の中には何か新しい期待と不安が交錯していた。
馬車は町の入り口で止まり、ライゼンは荷物を降ろしながら周囲を見渡した。以前よりも少し人通りが少ないように感じたが、時折行き交う馬車や商人の姿が見える。決して活気に満ちた場所ではないが、それでも町の人々は穏やかに生活を続けている。
「さて、戻ってきたか…」
ライゼンは深く息を吸い、歩き出した。父の宿屋へと向かう道は馴染みのあるもので、かつての記憶が鮮明によみがえる。彼が子供の頃、この道を走り回って遊んでいた光景が頭をよぎったが、今は全く違う感覚でその道を歩いていた。
宿屋の扉を開けると、前回と同じく静寂が彼を迎えた。しかし、今回は迷わなかった。ライゼンはまっすぐにカウンターの奥へと向かい、そこには再び父が座っていた。
「戻ったよ、父さん。」
その言葉に、父親がゆっくりと顔を上げた。ライゼンは荷物を床に置き、父の前に立った。
「俺、クランを脱退した。冒険者も辞めたよ。これからはここで、父さんと一緒に宿を立て直す。」
父親の目には、一瞬驚きと迷いが浮かんだ。しかし、すぐにそれは消え、疲れたような笑みが浮かんだ。
「……お前がそんなことまで考えてくれるとは思わなかった。だが……本当に大丈夫なのか?ここでの生活は冒険者のように華やかじゃないぞ。毎日が地道な作業だ。しかも、借金も膨れ上がっている。」
「分かってる。それでも、俺は決めたんだ。冒険者としての俺が役立つかどうかは分からないけど、父さんと一緒にやっていくよ。借金のことも、一緒に何とかしよう。これからのことは、少しずつ考えればいい。」
ライゼンの言葉に、父親はしばらく黙り込んだ後、やがて小さく頷いた。
「分かった。お前がそう言うなら、もう俺も逃げるのはやめるよ。一緒にやってみよう。」
その瞬間、父と息子の間に流れていた長年の壁が、少しずつ崩れ始めたのをライゼンは感じた。彼は父の疲れた手を握りしめ、力強く頷いた。
「まずは、宿の状態を見て、どこから手をつけるべきか考えよう。やれることは山ほどあるはずだ。」
父は、かすかに笑みを浮かべた。
「そうだな……まずは掃除から始めようか。」
ライゼンはその言葉に、懐かしい温かさを感じた。これからの道は険しいものになるだろうが、父と共に歩むことができる。それが何よりの希望となった。
ライゼンは父との会話を終え、宿屋の中を改めて見回した。埃が積もり、テーブルや椅子も放置されたままの状態。年月を感じさせる木の床は、ところどころ傷んでおり、食堂はすっかり荒れていた。
「さて、どこから手をつけるか……」
父は疲れた様子で肩をすくめ、困った顔をしている。しかし、ライゼンはすでに一つの考えを頭の中に浮かべていた。
「父さん、ちょっと待っててくれ。すぐに片付けを始めるよ。」
そう言うと、ライゼンは一歩下がり、片手を掲げた。そして、静かに呪文を唱え始める。クランを脱退し、冒険者としての道を辞めたとはいえ、彼のネクロマンサーとしての力は健在だ。黒い霧が彼の足元に集まり始め、重々しい空気が室内に漂い出す。
「『召喚――スケルトン』!」
ライゼンの指先から魔力が迸り、床のあちこちに魔法陣が浮かび上がる。すると、薄暗い光の中から骸骨が音もなく現れた。ひとつ、またひとつと、骸骨のスケルトンがその痩せ細った姿を現し、最終的に4体のスケルトンが、無言のままライゼンの前に立ち並んだ。
「さて、みんな、掃除を頼む。」
ライゼンが指示を出すと、スケルトンたちは一斉に動き出した。掃除用の布やバケツを手にし、無言で埃を拭き取ったり、床を磨いたりする。骸骨たちは精密で手際が良く、淡々と作業を進めていく。
「これなら早く片付くな。」
ライゼンは、彼らの働きを満足そうに見つめながら、父に向き直った。父は最初、その光景に目を丸くしていたが、やがて微笑みを浮かべた。
「まさか、こんなやり方で掃除をするとはな。まったく……お前の魔法も、こんな風に役に立つんだな。」
「意外だろう?戦いだけじゃなくて、日常でも使えるんだよ。これなら時間もかからない。」
父親は短く笑い、肩をすくめた。「まあ、何にせよ助かるよ。これで少しはまともに営業できるかもな。」
スケルトンたちは、無心に床を磨き上げ、古びた棚の上まで手を伸ばして埃を拭き取っていた。彼らが作業を終えた後、食堂は見違えるほど綺麗になっていき、ライゼンと父はほっとした表情を浮かべた。
ライゼンは骸骨たちに食堂の掃除を任せている間、父と一緒に食堂の内装を見て回っていた。掃除で表面はきれいになったが、壁の塗装が剥げ落ちている箇所や、椅子やテーブルの傷み具合が目立っていた。特に、入り口の扉は長年の使用でガタがきており、開け閉めがうまくできない。
「掃除だけじゃ、この食堂を立て直すには不十分だな。内装も修理が必要だ。」ライゼンは目を細めながら、壁に触れてそう言った。
父も同じく食堂の状態を確認し、深く頷いた。「そうだな……ここは昔、賑わっていた頃の名残りがあるが、今のままじゃ誰も寄りつかんだろう。」
「まずは、傷んでいる椅子とテーブルを修理しよう。それから壁の塗装もやり直す必要がある。扉は、後で新しいのに交換しないといけないな。」ライゼンはそう言って、手をかざした。再び呪文を唱えると、4体の骸骨のスケルトンが彼の前に現れた。
「よし、次は修理だ。スケルトンたち、今度はこの食堂の内装を手伝ってくれ。」
スケルトンたちは無言で頷くと、さっそくテーブルや椅子の修理に取り掛かった。1体は木材を集め、もう1体は工具を手にし、手際よくテーブルの脚を直し始める。木の削り屑が床に散り、カンナで削る音が食堂内に響く。
「こういうところも、お前の魔法で補えるんだな。助かるよ、ライゼン。」父は驚いた様子で、スケルトンたちが慣れた手つきで作業を進めていく様子を見つめていた。
「戦いだけじゃなく、こういう生活の場でも使える技があるんだ。これからはこういう魔法で、店を支えていこうと思う。」
しばらくして、スケルトンたちはテーブルと椅子の修理を終え、今度は壁の塗装に取り掛かった。手際よくペンキを混ぜ、刷毛を使って壁を塗り直していく。スケルトンたちは無表情ながらも、職人顔負けのスムーズな動きで作業を進めていく。
ライゼンと父は、そんな彼らを眺めながら、次に修理が必要な場所について話し合った。
「扉の交換も大事だが、まずはこの壁がきれいになれば、ずいぶん印象が変わるだろう。」父がそう言うと、ライゼンは頷いた。
「そうだな。あと、照明も少し明るいものに変えたほうがいい。夜になると薄暗すぎるし、客の足も遠のくだろう。」
父は考え込むように顎に手を当てた。「確かに、昔の照明のままだと時代遅れかもしれん。いっそ、新しいデザインのランプに変えてみるのもいいかもしれないな。」
スケルトンたちが次々と作業を終え、壁は新しいペンキで鮮やかに生まれ変わり、テーブルや椅子も元通りに修理された。ライゼンは満足げにそれを眺め、父に向かって微笑んだ。
「これで、少しは見違えるようになったな。」
父も頷きながら、薄っすらと微笑みを返した。「ああ、確かにな。ここまでやれるとは思わなかった。お前がいてくれて、本当に助かるよ。」