97話 変貌した街
魔女リリィが乗る魔獣を追いかける形で、マイトはモネットに乗り走って行く。
凄まじいスピードで、軽やかに駆けて行く魔獣に対して、モネットも全速力で走るが、付いて行くのが精一杯だった。
しかも、休みなくずっと走り続けているので、だんだんと引き離されてしまう。
改めて、魔獣は体力とスタミナが並外れていて、普通の生き物ではないと思い知る。
頑張っていたが、とうとう力尽きて、モネットは足を止めてしまった。
完全に疲れ切っていて、こんなに消耗しているモネットを見たのは初めてだった。
マイトは、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
動揺と混乱で、モネットに気を配るのを怠ってしまった。
無理をさせて、動けない程の負荷をかけてしまった。
「ごめん……僕のせいだ。本当に……ごめんなさい」
汗だくで息が上がっているモネットに寄り添い、マイトは謝罪を繰り返した。
マイトのモネットが付いて来なくなったのに気づいて、魔獣に乗ったリリィが引き返して来る。
「迂闊だったわ……魔獣にしか乗ったことがなかったから、ペース配分を意識していなかった。ごめんなさいね……」
そう言って、リリィはモネットに動物詠唱を行った。
光に包まれて、モネットはどんどん元気を取り戻していく。
驚きながらマイトは、呆然とリリィの行動を眺めていた。
「これで回復したはずよ。でも、このまま行っても同じことの繰り返しになる。なるべく早くイオニアに行きたいから、この子は置いて行くわ。ゆっくりと、自分のペースでイオニアまで来なさい。いいわね?」
優しく触れながら、リリィはモネットに言い聞かせていた。
「仕方ないわ……マイトも、魔獣に乗りなさい」
言っている意味が、すぐには理解出来なかったが、リリィと2人で魔獣に乗ってイオニアまで行くという事だった。
確かに、もうモネットに無理はさせられない。
しかし、恐怖心が襲ってきて躊躇してしまう。
「ほら、早くして。時間がもったいないわ」
強めに促され、黒いライグーの背に乗った。
協会の白いライグーのように、鞍はないので当然取っ手もない。
ライグーに2人乗りはフィナと経験があるが、まさか魔獣のライグーに、魔女と一緒に乗るなど想像もしていなかった。
「あまり触れられるのは本意ではないけど、落ちてしまったら大変だから、しっかりと掴まっていなさい」
マイトも魔女に触れるのは、色んな意味で抵抗があり気が進まなかったが、魔獣から落下する訳にはいかない。
腕を回して密着なんてことは出来ないが、服に掴まる事で落ちないように気を付けることにする。
背にマイトを加え、魔獣ライグーは全速力で走って行く。
信じられないスピードだ。
モネットはもちろん、ライグーよりもずっと速い。
その速度に驚き、思わずリリィにしがみつくように、腹部に手を回して抱きしめてしまう。
すぐに『しまった』と思い、パッと手を離す。
「大丈夫……そのまま、掴まってて」
さらにスピードが上がり、マイトはリリィの言葉通り腕を回したまましがみつく。
しかし、これだけ速いのに揺れが少ない。
安定感が凄まじい。
これが魔獣の力なのかと実感する。
これは、リリィの騎乗能力が高いからかもしれない。
同乗していると、それが分かった。
目の前の、真っ白な艶のある長い髪からは、花の良い香りがしてきて、細い腹部に回している手や腕からは、あたたかな体温が伝わってくる。
魔女も、人間と同じ生き物だと、否が応でも思い知らされてしまう。
魔獣は夜暗くなるまで走り続けて、夜は足を休めている魔獣にもたれかかり、リリィは眠りについていた。
マイトは少し離れた木に寄りかかりながら、眠れないまま過ごした。
ひらすら不安が襲い掛かり、残してきた皆……魔人になったフィナとステラの事が頭から離れない。
それでも、肉体と精神の疲労がマイトの意識を奪い、浅い眠りを強要する。
そんな事を繰り返して、北部入口まで7日かかった行程を、僅か3日でイオニアまで戻って来てしまった。
「やっと見えて来たわね。3人は中央にある協会本部にいるのね?」
「……はい」
協会本部がどう迎撃するのか、ラングはどんな作戦を立てたのか……。
分からない以上、トリッキーな行動はやめて、普通に対処するしかない。
まずは中央を目指す事を想定すると踏んで、正直に3人の居場所を伝えた。
少しずつ、スピードを緩めながら街に近づいて行く。
街の人の避難は済んでいるのか。どう迎え撃つのか。
思考を巡らせながら、行く先を見守る。
北区から街に入ると、マイトはその目を疑った。
街を歩く人々が……魔人になっていた。
予想外の出来事に、何が起きているのか理解出来なかった。
いったいどうして? リリィは、それらしい詠唱をしていない。
いつの間に魔人になった?
疑問だけが次々と頭を支配していき、焦燥感が沸き起こる。
「邪魔よ、道を開けなさい」
魔女の言葉で、大通りにいた魔人達は魔獣が通れるように、道を開けていく。
そこを、2人が乗った魔獣が進んで行く。
本当にみんな魔人になっている……人間は全くいない。
「何で……? 何で、魔人に……?」
思わず声に出すと、リリィが少し振り向く素振りをして答えた。
「最初に……あなた達を魔人にした時よ。あの時、全く加減をしなかったから」
フィナ達が魔人になった時に、イオニアの人々も魔人になったというのか?
あそこからここまで、何日もかかるくらいの距離があるのにも関わらず?
それが本当なら、せっかく戻した中部全域が、あの一瞬で再び魔人と化した事になる。
そう考えた時に、ずっと疑問に思っていた事が脳裏に浮かんだ。
3年前のイオス奪還作戦の直後、たった1日で北部全域が魔人と化した話。
南部と同じくらい広大な北部を、どうやって1日で魔人に変えた?
南部はニーナ、中部はスピカとスカーレット、そして北部はリリィが魔人にした。
北部だけが、たった1日で魔人と化したのは、リリィが別格の詠唱範囲を擁しているからだと思い至る。
『これだけは覚えておいて……。あなた達では、お姉様に勝てないわ』
再び、スピカの言葉を思い出した。
その事実に気づくと同時に……漠然とした不安は、確たる絶望へと変わった。
それを裏付けるように、中央区に着くと、パレードをした外環通りも、祭りメイン会場となった本部前広場も、多くの魔人で溢れ、不気味な笑い声だけが鳴り響いていた。
ついこの間……この場所には、人々の幸せな笑顔が溢れていたのに……。
今は人間が全くいない……角と牙と不自然な笑いだけがその場を支配していた。
その光景を目の当たりにして、マイトは思わず嘔吐してしまう。
慌てて手で覆うが、吐瀉物が溢れ出して服を汚していく。
嘔吐物が喉を上がっていく、気持ち悪さと苦しさで涙が滲む。
嘔吐く声に気づいて、リリィが後ろを向くと顔をしかめる。
「大丈夫? もうすぐ着くから耐えなさい」
本部前に到着すると、リリィは魔獣を降りて、マイトも抱きかかえて下ろす。
「ああ……だいぶ、汚したわね……」
マイトの手と服はゲロでまみれ、魔獣の背やリリィの背中……髪も服も嘔吐物で汚れていた。
悔しさと恥ずかしさ……若干の申し訳なさが込み上げ、マイトは絶望感と虚無感に支配されていた。
「いいわ、動かないでね」
そう言うと、リリィはその場で清浄詠唱を行い、2人と魔獣は綺麗に洗浄される。
魔人にするだけでなく、全ての詠唱が使える……リリィは詠唱師としても特化していた。
「同時に、治療詠唱と慈愛詠唱もしたわ。体調はどう?」
膝をついて屈んでいるマイトに、目線を合わせるようにしゃがんで問いかける。
身体も服も綺麗になり、吐き気も収まって、精神も落ち着いた。
正面から間近で見るリリィの顔は超常的に美しく、清浄詠唱の効果もあり、甘い花の香りをさらに漂わせていた。
今の詠唱で助けられた事は、素直に感謝の想いが湧いたが、すぐにこの状況を作り出した張本人だと認識して身構える。
少しは冷静になれた事で、やるべき事を思案する。
とにかく確認するしかない。
もしかしたら、魔人になっていない人がいるかもしれない。
特に、この協会本部になら……。
淡い期待を胸に、マイトは立ち上がって一気に走り出す。
腰を落としていたリリィは、マイトの行動に虚を突かれて、すぐには動けなかった。
急いで協会本部に入ると、ホールは魔人になった詠唱師がたくさんいた。
「くそっ!」
何とか気を落ち着かせつつ、階段を駆け上がっていく。
息を切らし、足がもつれて転びながらも、聖堂最上階へと昇っていく。
神に会って、状況の確認をしなくてはと必死に走った。
大きく息切れしながら神の部屋へ入ると、白い石に神の姿は映っておらず、その前には魔人になったイルダーナが、跪いて祈りを捧げていた。
「そんな……!?」
初めてここに来た時と、全く同じ状態がそこにはあった。
イルダーナまで、魔人になってしまっている。
それに『前と同じ』では無かった……神がいない。
石に触れても、声が聞こえない。
何度呼びかけても反応が無い。
マイトは、その場に崩れ落ちた。
涙がとめどなく溢れて来た。
言葉に出来ず、嗚咽しか出ない。
どうして、こんなことになってしまったのか。
これが現実とは思えない程、現実感が無かった。
全てが無に帰した。
こんなに、あっという間に……無くなってしまうものなのか。
焼き直された状況を受けとめられず、現実逃避するように、ただ絶望に打ちひしがれるしかなかった。
石床に額を擦り付けて、嘆くように拳を握る。
どれくらい経っただろうか。
リリィが、神の部屋に入ってきた。
「こんな場所があるのね。街を見渡せる……本当に広くて驚いたわ。イオニアという街は……」
バルコニーからの景色に、感心したようだった。
「ここでは無いようね……さあ、早く3人のところへ案内して」
マイトは動かなかった。正確には、動けなかった。
もう心が折れて、気力が無くなっていた。
「しょうがないわね……そこの女、マイトを連れて来なさい」
魔人になったイルダーナに指示を送ると、祈る格好で動かなかったイルダーナが立ち上がり、マイトの腕を掴んで無理矢理立たせる。
凄い力で、マイトは引っ張られて、浮き上がるように立ち上がった。
「アルカナ金……この女、グランドマスターなのね。いいわ、そのまま連れて来なさい」
魔人のイルダーナに引きずられるように、マイトは力無く歩き、その後をリリィが付いて行く。
「ちゃんと、3人の元へ案内しなさい」
イルダーナは、魔女3人が研究室にいることを知っている。
たとえマイトが逆らっても、自動的に命令通り3人の元へ案内するだろう。
魔人の中にいるイルダーナの意識に、『自分が魔女の言いなりになった』と罪悪感をもって欲しくないと朧気に考えて、マイトは自らの足で歩くことを決めた。
「……イルダーナさん、大丈夫。僕が1人で行きます。……命令を解いてくれ……僕が案内する」
「分かったわ、アルカナ金……あなたは元の場所に戻りなさい」
「ごめんなさい……イルダーナさん」
再び同じ状況になってしまった事を詫びて、マイトは研究室へ向けて歩き出し、リリィがそれに続く。
もはや、どうすればいいか分からず、思考回路がショートしていた。
歩きながら、リリィはマイトに話しかけた。
「あなたには、色々聞きたいことがあったの。素朴な質問だけど、別の世界というのは……どういう所なの?」
「……」
マイトは、無言のまま答えなかった。
漠然とした質問だったとリリィは考えて、もう少し答えやすい聞き方に変える。
「別の世界の、名前は何というの?」
「……日本」
「二ホン?」
「……」
「そこで、あなたは何をしていたの?」
「……ニート」
「にーと?」
『そうだ……元々僕は、ただの引きこもりのニートだ。何もできない。何の役にも立たない。誰にも必要とされない。弱い人間だ。何を勘違いしていたんだろう。誰も守れない。助けられない。1人じゃ何もできないのに……』
心の中で、念仏のように自虐を繰り返す。
その後、リリィが何を質問しても、マイトの耳に入らなくなり沈黙が続いた。
憔悴しているマイトを見て、リリィは声を掛ける。
「気の毒だけど、あなたは私でも魔人に出来ないから、そのままで居てもらうしかないわ。……でも、魔人にならず会話が可能な男は、あなたしかいない……貴重な存在よ。いつか私達と、子を成す事になるかもしれない」
その言葉に驚いて、マイトはビクッと反応し、歩みが止まる。
「もっと先の、もしかしたら……という話よ。私も男と交わるなんて考えられない……ただ、魔女という種族の事を考えた時、そういうことも気にしなければならない立場ってだけ。でも、あなたは男という感じがしないから、抵抗感はそれほど感じない……あなたみたいな男の人もいるのね」
ため息交じりの声から、落ち着いた声に変わる。
「私はイオスを出たことがなかった。今回、初めて村の外に出たわ。あの3人は、イオスの外の世界に興味を持っていてね。特にニーナは、村の外に出たがっていたわ。その時は理解出来なかったけど……3人が言っていた通り、世界は広くて……とても大きい。確かに外に出ないと、分からない事がたくさんあると思ったわ」
再び歩き出したマイトの背中に、微かに聞こえる程の声で呟いた。
「でも……私は小さい世界で良い。イオスさえあれば……」
それは最初の魔女の、心からの本音に聞こえた。




