8話 研究者と精霊
契約詠唱が終わり、詠唱台が消える。
「改めて頑張っていこう! ……って気持ちになるね!」
フィナとステラは2度目のに契約詠唱を行って、また新たにやる気が湧き上がってるみたいだ。
1月前に詠唱師協会ダウナ支部で、儀式として行われた契約詠唱。
こうやってフィナとステラは、詠唱師と舞台師になったんだと、マイトは感慨深い気持ちになった。
実際に直に見れたのは、なんだか幸運な気がしてきて嬉しくなる。
「なんというか……2人とも本当に舞台に立ってるみたいでした」
「ホントですか? そう言われるとちょっと恥ずかしいけど、嬉しいです」
フィナがはにかんで笑う。
ステラも照れたような顔をしていて、少し意外な面を見た気がした。
マイトは舞台師という単語を聞いてから、ずっと気になってたことを、ちょうどいいので聞いてみることにする。
「詠唱台を作る人が舞台師ってことは、詠唱台を舞台に見立てて付いた名前っぽいですけど、なんか洒落たネーミングですね」
「元々は『詠唱台師』や『詠唱助手師』と呼ばれてたみたいですよ。それが一昔前に、人々の間で神や詠唱師をモチーフにしたお芝居を、お祭りなどでするようになって、それが流行ったことで舞台が誕生して、イオニアを中心に広がって舞台が一般化したんです。さっきマイトさんが言ったみたいに、詠唱師が詠唱する台が舞台に見えることから、詠唱台を作る舞台師と呼ばれるようになったんだそうです」
「そういう経緯があったのか……面白いですね」
「その頃の詠唱師協会の偉い人が舞台が好きで、イオニアの劇場に頻繁に行っていたことも、舞台師という言葉が定着する要因になったとも言われています」
そんな俗説まであるのか、と可笑しくなってしまう。
それに、この世界のお芝居や舞台にも興味が沸いた。
「舞台やお芝居は、どんなものなんですか?」
「私たちは以前、旅演芸のお芝居を観たことがありますけど、内容は詠唱師が人々に幸せをもたらす……みたいなお話しでしたね。物珍しさで楽しくは思えましたけど、私はそんなに感動はしなかったです。フィナは大興奮で観てましたけどね」
『いいじゃん別に!』といった表情と動きで、フィナはステラに文句を言いたげだった。
2人のやり取りが、微笑ましくて笑ってしまう。
「でも、イオニアの舞台はちゃんとした劇場で上演されるので、やっぱり凄いみたいですよ。一度観てみたいと思ってました。フィナが舞台好きなので、大人になってお金が貯まったら、いつかイオニアに行こうねって話してたんですけど……」
この世界にとってイオニアという街は、色んな意味で大きな存在なのだと話を聞く度に感じる。
イオニアか……。
その時、宿屋の主人が3人を呼びに来た。
「ダウナから、詠唱師協会の方が来てるのでお戻りくださーい!」
「はーい! わかりましたー! 今行きまーす!」
大声でステラが応える。
朝食の時に話していた、イオニアにある詠唱師協会本部に居た人。
逃れて来て、今はダウナ支部に居る人。
「行きましょう」
宿屋の裏に居た3人は、建物を迂回する形で玄関の方へ向かう。
玄関横にモネットのキャリッジが駐めてあり、玄関の扉の前に、背の高い男性が立っていた。
「マイトさん、あの人が協会本部の――」
男性が3人に気づいた。
マイトの姿を確認すると、姿勢を正してお辞儀をする。
「初めまして。私は詠唱師協会本部の研究部研究員、及び調査員のラング・グラントと申します。以後よろしくお願い致します」
丁寧な挨拶にマイトは面喰ってしまったが、すぐに姿勢を正し挨拶する。
「初めまして、クロエマイトといいます。マイトと呼んでください。昨日、神様に召喚される形でこちらに来ました。まだまだ解らないことも多いですが、よろしくお願いします」
「こちらこそ、あなたに会えて光栄です」
ラングは微笑みながら手を差し出す。
マイトはドギマギしながら握手をした。
年齢は20代後半くらいに見える。
マイトより20㎝は背が高く、180㎝はありそうで、体形はスラッとしている。
銀色の髪で、眼鏡をかけている顔は、穏やかで優しい雰囲気が漂う。
物腰柔らかくて、所作が丁寧な人だなとマイトは思った。
「昨日、テリルの伝達者から『神に召喚された少年が現れて、魔人を人間に戻す詠唱をもたらし、魔女を退散させた』という話を聞いてから、ずっと興奮して居ても立っても居られない状態でした。どんな人なのか気になって仕方なかったですが、優しそうな方で安心しました。マイト君とお呼びしてかまいませんか?」
「はい、もちろん……」
「マイト君の功績は絶大です。文字通り滅亡するはずだった世界を存続させ、魔人にされた人々を救う希望をもたらした。協会本部の人間として……この世界の人間として、心から感謝します」
礼儀正しいお辞儀に、マイトは慌てて返事をする。
「召喚した神様と、詠唱師のフィナとステラのおかげです。僕は神様に言われた通りにしただけなので……」
「……そうですか、フィナさんとステラさんも大役お疲れ様でした。ダウナであなた方を見送った時は、正直お別れになると思っていました」
「私達もそう覚悟していましたから……本当にマイトさんと出会えたことに感謝しています。ね? フィナ」
ステラの後ろに身を潜めるようにしていたフィナが、ひょこっと顔を出す。
マイトはその様子を見ていて、フィナが人見知りなのか、年上の男の人が苦手なのかのどちらかかな、と考えていた。
顔を出しステラの言葉に、強く頷いて同意するフィナを見て、ラングは目を見開く。
「……もうアルカナが緑になったんですか?」
「はい、今日……村の人達に、慈愛詠唱師した後に気づきました。私達も驚いたんですけど……」
「あの……それっておかしなことなんですか?」
みんなが驚いてることにマイトは、いまいちピンと来ていなかった。
「アルカナの色が、白から緑に変わるには最低1年は必要になります。声質、声量、詠むセンスなど、優れた素質を持つ詠唱師でもです。それがたった1月で……考えられるのは、やはり魔人から人間に戻した詠唱。……その時の言霊光が、どういうものだったか覚えていますか?」
あの時は確か……マイトは記憶の中から探る。
「魔人になった人が光に包まれて、その人達から光の粒がたくさん……一面に浮かび上がっていました。今日見た慈愛詠唱で発生した光の粉より、ずっと大きかったです」
「なるほど。魔人を人間に戻す詠唱は、発生する言霊光の量が、桁違いに多いと推測出来ますね」
それで、アルカナが緑になるのも早かったわけか。
「マイト君は、言霊光のことを知っているんですね」
「はい、ステラに詠唱についてや、この世界のことなど、色々教えてもらいました」
「では、精霊についても、もうご存じですか?」
精霊?
……というのは、どういうものなのか解らなかった。
「いえ……精霊のことはまだなんです」
ステラが答えると、ラングは頷いてマイトに向く。
「それでは私から、精霊について手短にお話ししたいと思います」
ラングは落ち着いた声で、マイトに語り掛ける。
「精霊とは、このラプソディアにある自然エネルギーの様な存在です。精霊は生命体ではなく、自然発生する事象であり、実体や意志はありません。世界から自然に生まれるもの……いう意味では、空気や風や水と同じです。というより、あらゆる自然物に精霊は宿っていると考えられています」
自然の恵みのようなものか、とマイトは想像する。
「詠唱というのは、この精霊に干渉して、エネルギーを得てたり、コントロールしたり、変換することによって効果を実現させるものなんです。詠唱とは、精霊と人間の共同作業といったところですかね」
言葉を発することで、普通ではない現象が起こるのは、そういう仕組みなのか。
「言霊光は、言葉と精霊が結びついた、詠唱効果による結果生まれるものです。それがアルカナに吸収され、蓄積されるようになってます」
詠唱師としての実績が蓄積されて色が変わり、詠唱師として成長していく、そんな仕組みになっているんだとマイトは関心した。
「魔人から人間に戻した詠唱は、その効果結果が大きいんだと思います。人間に戻る過程で精霊への影響力も強いのだと察します。それだけ特別な詠唱という事ですね。いや、考えてみれば、特別でないわけがない。ずっと待ち望まれていて、叶わなかった詠唱ですから……詠唱の祖である神が、わざわざ別の世界から召喚するほどの……ね」
「詠唱の祖? やっぱり詠唱って神様が作ったものなんですか?」
「そうです。詠唱というものが誕生する以前、この世界の人間には、精霊という事象をコントロールする術がなかった。精霊は自然の事象故に、気候や環境に影響を及ぼすため、天災、災害、気候変動による疫病や飢餓などで、人間が苦しんだ歴史があった。そこでイーリアスが詠唱によって精霊をコントロールした。災害を抑え、気候を安定させ五穀豊穣をもたらし、人間に健康と活力を与えた」
まさに、神の御業だ。
「それらは、全て詠唱の力によるものでした。イーリアスは、その後の人間が詠唱していける様に、詠唱師というシステムを確立して、たくさんの詠唱師を生み出し、詠唱師協会を設立して、現在に至るまで詠唱が続けられている。精霊と詠唱によって、この世界は発展し、平和が続いてきた。神が人々から信仰を集め、詠唱師が神の代行者と呼ばれている所以です」
聞けば聞くほど。あのおばあさんは凄い存在なんだと思い知らされる。
「精霊はどこにでも存在しますが、特に『精霊の森』から、多くの精霊が生まれていています。精霊の森は世界各地にあり、特に中部地域、イオニアの東に、『精霊の大森林』という広大な森が存在します。それらの精霊の森がある事によって、詠唱が行えているという事で、神が精霊の森に立ち入る事を禁止しているんです。精霊の森は精霊の領域であり、人が立ち入ってはならないと定められています。元々イーリアスが現れる以前の大昔から、精霊の森に人間が入ると、災いが起こるという言い伝えがあるくらいだったので、神が禁止して以降はより禁忌として、精霊の森は人間が荒らしてはならない聖域という考え方が広がりました」
資源を守るルールも整備されてるみたいだ。
しかし、人が入ることが許されない精霊の森か……。
何か引っ掛かりを、マイトは感じた。
「とりあえず、ざっとですが精霊についてお話しさせて頂きました」
「ありがとうございました。おかげでまた、この世界の事を知ることが出来ました」
「そうですか……では、次はマイト君の居た世界について知りたいですね」
「あっ、それは私達も知りたいです」
ステラが言うと、フィナも興味があるらしく頷いている。
マイトは困った質問だと思った。
説明が難しい。
現代とはかなり違うが、そこまで差があるわけでもない。
現に、こうしてこの世界で普通にしていられる。
それに詠唱や精霊はどう解釈したらいいんだろう……。
自然のエネルギーという意味では、電気や化石燃料が精霊にあたるのか?
それを人々の役に立つようにしたというなら、発明家や技術者が詠唱師みたいなものかな?
いや、それらが実用化されたのは近代の話で、この世界は明らかに、もっと前の時代にあたる。
「えっと……詠唱や精霊は存在しないですが、基本的には似てるところは多いと思います。自然の風景や人々の暮らし、価値観だったり食や文化などは、大きな違いはないと思います。ここは、僕が居た世界、地球の……昔の時代みたいな世界だと思います。僕が居た所は、精霊とは別の資源やエネルギーがあって、それを活用して発展していたので、その活用が始まる前の時代に似てるというか……」
自分でも、曖昧な説明になったと思うマイトだった。
フィナとステラは、イマイチよく解らないという顔をしている。
「つまり、このラプソディアは、マイト君が居た世界の昔の姿ということですか」
「そうですね、似てると思います。繰り返しになりますが、詠唱や精霊はないですけど」
「そこに精霊や詠唱という概念が追加されて、別の発展形態を持っている世界という具合ですかね。もっとも神が詠唱のために召喚したのですから、いくら別の世界と言っても、全く価値観の違う世界から召喚しても意味がないですからね」
「言われてみればそうですね」
「似ているのは必然なのかもしれません。しかし、そうなるとマイト君が居た場所とは、随分時代が違うということになる。不便ではないですか?」
フィナとステラがマイトを見る。
不便なの? という不安な顔をしていた。
「いえ……確かに違いはありますが、さっきも言った通り、基本的には似ている世界なので、僕個人としては不便とまで感じません」
みんな、ほっとした様な表情をした。
マイトの場合、ずっと引きこもっていて、不自由なことを不自由とは感じない生活をしてたのも影響してるのかもしれない。
「すみません、マイト君の居た世界にはまだまだ興味が尽きないのですが、今は目の前の問題を片付けていきましょう」
ラングは好奇心を抑えつつ、詠唱師協会の人間としてここに来たことを、遂行しようと切り出した。
「実はここに来る前に、昨日魔女によって魔人になり、元に戻った村人の方々に話を伺って来ました。何せ、魔人になり人間に戻る経験をした、世界初の人達ですからね。貴重な証言者です。しかし残念なことに曖昧な証言が多い。『パニックになって覚えていない』『意識を失い、気づいたら戻ってた』『意識が朦朧として、夢を見てるみたいだった』などです。それも仕方ないことです。魔人になってから戻るまで、5分も経ってなかったみたいですから」
「そうだと思います」
確かに、村人が魔人になり、フィナとステラが現れて詠唱したけど効果がなく、マイトが出て行って紙を渡し、詠唱されるまでの時間は5分以内だったかもしれない。
ラングは落ち着いた声で、指で眼鏡を直しながら口にする。
「つまり……元に戻れたのは、魔人になっている時間が短かったからとも考えられる」
「え?」
3人に動揺が走った。
昨日は魔人になって、間もなくだから効果があった。
では、時間が経過した他の町の人にも、同様に効果があるのか。
何も考えず、当たり前に魔人にされた人を戻していけると考えていたが、そんな保証はどこにもない。
途端に不安が押し寄せた。
それはフィナとステラも感じている様で、昨夜の希望を語っていた笑顔が見る影もなく、不安で押し潰されそうになっていた。
「そういった事情があり、人間に戻す詠唱の確認と検証をしたいと思っています。3人共お付き合い願えますか?」
フィナとステラは、まだショックが収まらないようで呆然としている。
色んな思考を巡らせているように見えた。
不安な状況に陥ったことで、マイトは肝心なことを思い出しラングに問う。
「あのっ、もし魔女がまた来たらどうするんですか?」
月に1度、現れるとは聞いた。
昨日が、その日だったことも。
しかし魔女からしたら、今回は失敗に終わってる。
次は1月後ではなく、すぐまた来るかもしれない。
「いえ、魔女はしばらく来ません。他の魔女の所に報告にいってるはずです。魔女が生まれたとされるのは、ラプソディアの北の果てなんです。今も、そこを根城にしている。ここは南の果てですから。単純に移動に時間がかかるんですよ。それでここに来るのは月に1度というわけなんです」
確信を持って、ラングは言っているようだった。
「あの子供の魔女は1人で行動し、ラプソディア南部に侵攻しているんですが、不可解なことが多い……。魔女が南部を魔人にするために行動を開始したのが、半年前です。中部と南部の境にある、オーリーホルンという大きな街が魔人にされたことで始まりました。しかし、魔女は一気には攻めてこなかった。1つか2つの街や村を魔人に変えると、北へと戻っていく。そして1月程してまた南部に現れ、いくつかの町を魔人に変えると、また北へ帰っていく。そんなことを半年もやっている。人間の私が言うのもなんですが、非常に効率が悪いことをやっている。膨大な移動時間を費やして南部まで来て、滞在もそこそこに、なぜわざわざ北の果ての他の魔女の所へ帰るのか。なにか事情や理由があるはずです。今回は魔人にした人間が元に戻ったという、魔女にとっても、かつてない出来事が起こったので、間違いなく北へ報告に行くはずです。あの魔女はまだ子供だ。他の大人の魔女に指示を仰ぐでしょう」
「なぜ魔女は、そんな回りくどいことをしてるんですか?」
「解りません。ただ、少なくとも人間全てを魔人にすることに対して……執着が無い。急いでもいない。人間全てを魔人にするのが目的なら、とっくにこの世界に人間は居なくなってる。それだけの時間は十分あった。それをしないのは、魔女にも何らかの事情が必ずあるということ。私もそれを知りたいと、ずっと思っているのですが……」
そう呟くラングが、なんだか素の表情に見えた。
知っていることを話すラングよりも、知らないことを話すラングの方が人間味が増す。
知りたいと想う欲求が、ラングの人間的な部分を引き出すのかもしれない。
「魔女は魔獣を使役して乗っているため、移動時間が遥かに早いですが、そういった過去の統計から、再び魔女が現れるまでにはあと1月ある。この期間がチャンスであり、勝負でもあります。これからもう一度、昨日の詠唱をやってもらいたい」
「今度は魔人化してから、時間が経過してる人に効果があるかどうか……ですね」
「そうです、これからの局面を左右する重大な事です。それでは、どこで詠唱をするかですが……」
「あのっ!」
ステラが口を挟んだ。
フィナと手を繋いでいて、2人は意を決した表情をしている。
「ミナルカでは駄目ですか?」
その言葉に、ラングは察した様に少し頷く。
「ミナルカは、1か月に魔人になった町……候補には入れていました。……本当に行かれますか?」
「あの、その町って……」
マイトが、ステラに問いかける。
「私達の故郷です」