6話 慈愛詠唱
フィナとステラの2人と握手をして、覚悟を決めて、これからどうするかを考える。
昨夜、神様に言われたことを心の中で再確認する。
『魔女を倒すポエムを作る』
『それを2人に詠唱してもらう』
それで魔女を倒せれば、もう人間が魔人に変えられることも無くなり、平和が戻る。
昨日のポエム詠唱で、魔人になった人が人間に戻ったみたいに、今まで魔人にされた人々を戻していけば、世界も元通りになる。
これが、これからのやるべきこと……。
なのだが正直、実感が湧かなかった。
まず、魔女がなんなのかよく解らない。
神様さえ解らないと言っていたんだ。
しかも、今まで魔女に効果があった詠唱はないのだという。
果たしてどんなポエム書くべきなのか、想像もつかない。
どうするべきか。
神はポエムノートの中から、あれを選んで指定して、これ詠めと言った。
当たり前の話だが、なんでもいい訳じゃない。
考えないと……。
そう思っていると、ステラが朝食に行きましょうと促す。
みんなで朝食を食べようということになり、宿屋の食堂に行き、朝ごはんを頂くことにする。
丸いテーブルに3人分の朝食が用意されていた。
メニューはパン、卵とベーコンとトマトの炒め物、じゃがいものポタージュスープ。デザートは、りんごの甘煮だった。
昨日と同様に美味しく頂きながらも、今日はフィナとステラが一緒なので、マイトは少し緊張気味に料理を口に運ぶ。
「……お味はどうですか?」
ステラがマイトに尋ねる。
「とっても美味しいです。昨日の晩御飯も美味しかったけど、朝食も本当にほっとする味で、ありがたいです」
今朝の料理は、さらにマイト好みな気がした。
美味しいのはもちろん、なんだか懐かしい味だった。
「お口に合って良かったです。実は、朝食は私が作ったんです」
「えっ? ステラが?」
「はい、私料理の仕事をしてたし、料理するのが好きなので……1週間前からこの宿屋に滞在しるんですけど、ずっとおかみさんに作ってもらうのは悪い気がしたので、私も作らせてもらってたんです。昨日は忙しくて作れなかったので、今朝は私が作らせてもらいました。せっかくなので、マイトさんにも食べてもらいたかったですから」
「それは……ありがとうございます……あの、嬉しいです……」
まさかステラの手料理とは思わなかったので、さらに慎重に、料理を味わうように口に運ぶ。
ステラが『美味しい?』とフィナにだけ伝わるような小声で言うと、フィナは笑顔で頷きパクパクと食べている。
その食べっぷりはマイトとは対照的で、実に健康的な印象を受けた。
それにしても気になるワードが、耳に引っ掛かかっている。
「あの……料理の仕事をしてたというのは、アルバイトみたいなものですか?」
「学生の時にアルバイトというか……お手伝いはしてましたけど、卒業してからは、料理の仕事をしてました」
「17歳だから、まだ学生なんじゃないんですか?」
マイトの様に引きこもっているとは思えないので、2人の年齢から、高校生だと認識していた。
魔女の影響で、学校どころではない世の中なのかな?
そう、考える。
そんなマイトの言動に、ステラは少し驚きつつ、察した様子で答える。
「学生は15歳までで、16歳で成人になるんです」
「え? そうなんですか?」
「マイトさんの居た世界は違うんですか?」
「はい、18歳までは、学生なのが普通です。成人も18歳です。最近までは20歳が成人でした」
「そんな違いがあるんですね。私もフィナも15歳で学校を卒業して、フィナは保育士として、私は調理師として仕事をしてました」
「じゃあ、本当に社会人なんですね……凄い……尊敬します」
「大袈裟ですよ!」
2人とも可笑しそうに笑う。
マイトが冗談を言っていると思ってるようだ。
世界が違うとはいえ、学校に行かず、ニートで、仕事もしていなかったマイトとは対照的だ。
マイトは恥ずかしいと感じると同時に、2人がとても眩しく思えた。
昨日までなら、ここで卑屈になって、どうせ自分なんて……と自虐を始めて、眩しい2人にどう接していいか分からずに、2人に対して意味不明な態度を取って、困らせて……きっと、その無邪気な笑顔を、曇らせてしまっていただろう。
そんな事は、もう……したくない。
もう自分で自分を、嫌いになるようなことはしたくない。
嫌う必要はないんだ。
前を向いて、自分がすべきことに向き合う。
決意を無駄にしない。
2人と手を重ねて、誓ったことを。
ステラが、マイトに食べてもらいたかったからと作った料理を、3人で食べている今この時を大切にしたい。
食事しながらステラが、思い出した様にマイトに問いかける。
「そうだ、今日はダウナから詠唱師協会の人が来ると思うので、それまでに何かしたいことはありますか?」
ステラの言葉に分からない単語が出てきた。
さっきもそうだが、そもそもこの世界の事をマイトは何も知らないに等しい。
とにかく今は少しずつでも、知っていくことが大事だと思い、分からない事は躊躇わず質問しようと思った。
「その……詠唱師協会というのはなんですか?」
「あっ、すみません、そうですよね……」
ステラもフィナも、マイトが昨日この世界に来たばかりだと、理解はしている。
しかし、こうして一緒にいると、ついそれを忘れて失念してしまう。
改めて別の世界から来た人なんだと、気を引き締める様にステラが説明し始める。
「詠唱師協会は、全ての詠唱師が所属する組織で、その昔、神イーリアスが作ったと言われています。神に一番近い場所といわれる、世界一の街『中央都市イオニア』に本部がありますが、イオニアはもう魔人の街になってしまったので……実質的に詠唱師協会は、崩壊している状態です」
神様の部屋で見た、あの大きな街のことか、と思い出す……。
あの光景は衝撃的だった。
おびただしい魔人の数。
それだけたくさんの人が、あの街に住んで、暮らしていた証でもある。
それだけの多くの人が魔人となり、今もこの世界に現実として、あの場所は存在しているんだと思うと、鳥肌が立つ思いだった。
「本部は崩壊状態ですが、このラプソディア南部にも詠唱師協会の支部があるんです。それがダウナ支部です。しかも今ダウナ支部には、イオニアから逃げ延びた協会本部の方がいるんです」
「じゃあ、その詠唱師の人は、イオニアで魔人にならずに、生き残った人ということですか?」
「あ、その人は詠唱師ではなく、研究や調査を担当していると言ってました」
「詠唱師協会には、詠唱師ではない人もいるんですか?」
「そうみたいです。複数の部門があって詠唱師の活動をサポートしているみたいですね。といっても、私たちもこの間まで一般人だったので、協会については詳しく知らなくて……」
そうか、2人もまだ詠唱師になってから間もなくて……しかもこんな情勢下の中で……大変な立場なんだと実感する。
昨日も、宿屋に戻った後、マイトが部屋に居る間に、外でいろいろやる事があって、マイトの部屋に来たのは夜になってからだった。
詠唱師をサポート……。
自分にも何か出来ることはないのかな……と、考える。
この世界のことも何に知らないけれど、助けになるにはどうしたらいいのか。
「私たちが先月ダウナで詠唱師になった時に、その本部の人が立ち合ってくれて、協会の登録でお世話になったので、今日来るとしたら多分その人ですね。『神に召喚された少年のおかげで、魔人が人間に戻った』という話を、昨日テリルの伝達者がダウナに伝えに行ったので……伝達者っていうのは町の出来事など情報を他の町に伝える人達のことで、手紙などを運んだりします」
神に召喚された少年のおかげでって……なんだか誤解がある情報が伝わりそうで、マイトは落ち着かない心持ちになった。
「親切な人だったので、心配しなくても大丈夫だと思いますよ。でも研究や調査をするのが仕事だから、マイトさんはたくさん色んなことを調べられるかもしれませんね」
ステラが少し、いたずらっぽく笑う。
礼儀正しくて大人びた娘だけど、こうして年相応な表情を向けられると、ドキッとする。
でも、確かに『神様に召喚されて別の世界から来た』人物。
研究者からしたら調べたくなるだろうと、自分でも納得する。
詠唱師協会本部の研究者か……。
きっと魔女についても、何か詳しいことを知っているはずだ。
もし話が聞けたら、詠唱のヒントになるかもしれない。
むしろその人に会いたい、会わなければいけない気持ちになってきた。
そうこう話していると、3人共食事が終わり、席を立つ。
すると宿屋の玄関に、人だかりが出来ているのが見えた。
村人たちが、人間に戻してくれた詠唱師を、一目見たいと詰めかけている様だ。
昨日もフィナは詠唱の後に囲まれていた。
宿屋に帰ってからも、たくさんの人が詰めかけて、大変だったと聞いた。
「何と言っても、終わるはずだった世界を救って、初めて魔人を人間に戻した詠唱師ですから。すっかり、フィナは英雄だね」
ステラが言うと、フィナは『マイトさんのおかげ!』と、表情と仕草で必死に伝えている。
マイトは、詠唱したフィナのおかげだと思っているので、フィナの功績だと認識していた。
ステラもそれを察していて、フィナの肩に両手を乗せてにエールを送る。
「ほら、フィナ行っておいで。詠唱師は人々に愛される存在なんだから、それに応えるのも詠唱師の役目だよ」
背中を押されたフィナが、外に出て村人と対面する。
「詠唱師様だ! 詠唱師様、本当にありがとうございました!」
年配の夫婦や子供たちまで、様々な人がフィナに笑顔でお礼を言う。
フィナは英雄視されることに困惑したような、照れてるような表情で顔を赤くしながら接していた。
それでも、子供たちと接する時は自然な表情で、嬉しそうに子供と仲良く握手をしていた。
この子達を守れたことを、フィナも心から喜んでるみたいだ。
少し離れたところで、マイトとステラはその様子を微笑ましく見ていた。
すると、2人のところにも村人が来てお礼を言う。
「あなたが、神が召喚したという方ですか? 人間に戻す詠唱を、授けてくださったと伺いました。本当にありがとうございます」
そう言いながら、村人の男性がマイトに手を差し出す。
「いえ、そんな……偶然です」
マイトは戸惑い、また恥ずかしさが湧いた。
……でも。
「お役に立てて光栄です」
そう応えて、握手をさせてもらう。
自然に、素直に、受け取った。
引きこもりなのに……。
そんな資格ないから……。
そんな感情は抑える。
この人の好意と行為を、無下にしたくない。
自分を無下にする必要も、無い。
それからは他の村人も、次々とマイトとステラの元にも来て、たくさんお礼と感謝を貰う。
子供からお年寄りまで本当にたくさん……。
こんなにお礼を言われたのは、もちろん初めてで、一生分の感謝を貰った気がした。
みんな、本当に嬉しそうなのが印象的だった。
今こうしてここに居る事の、喜びが伝わってくる。
昨日、このテリルの村とダウナという町は、魔女によって魔人になり、世界から人間は居なくなるはずだった。
この世界の人々の、追い詰めらて来た恐怖と、助かった安堵感の大きさを、体感する時間だった。
そうしていると、テリルの村長がフィナの元にやってくる。
年配のおじいさんだった。
フィナに改めて、お礼と挨拶を済ませると穏やかな表情で口にする。
「詠唱師様、慈愛詠唱をお願いできますか?」
……慈愛詠唱?
マイトにとっては、初耳の言葉だった。
フィナはすぐ快諾したようで、ステラも当たり前の様に詠唱の準備に入る。
村人たちも慈愛詠唱と聞いても、特別に構えるでもなく、自然体で受け入れている様だった。
突然のことにマイトは困惑しながらも、これから詠唱が始まるという事で、ドキドキしながら2人を見ていた。
「詠唱台生成」
ステラが、両手の手のひらを地面に付けてそう言うと、フィナの足元から円形の白い台が浮かび上がる。
ステラが作り出す詠唱台。
あの台が、フィナが声を出せる場所。
フィナのみが詠唱出来る領域。
「詠唱開始」
フィナの眼が光り、首飾りが光り、声が響く。
やはり綺麗だと、マイトは想った。
『命に恵みを 生きる者に祝福を
我が想い声と鳴り 全てに届ける力と成る
暗闇を浄化し 輝きで満ちる時を作る
日々の営みを照らす 光となり舞い降りる』
詠唱されると、テリルの村に白い光の粒が降り注ぐ。
まるで大粒の雪みたいだと、マイトは思った。
光は空中でふっと現れて、そのままゆっくり下へと降りてくる。
その数は無数。
数えきれない。
そんなところも雪の様だった。
その光が人々に舞い降り、身体に触れて、吸収されていく。
マイトの身体にも、光の雪が降り注ぐ。
光に触れると身体が暖かくなり、光が体内に入ってくる様な感覚になる。
身体に染み混む光は、心まで暖めるようだった。
見た目は光る雪だが、とてもあったかい。
そのぬくもりで、身体も心も軽くなっていき、全身に力が湧いて来る様だった
すると今度は、人々から細かい光の粉が舞い上がり、スッと消えていった。
光が終わり、村長を始め村人は、フィナとステラにお礼を言っていた。
マイトは充実感に満たされ、心も体も元気になっていた。
そこで村人たちは解散となり、マイト達は宿屋の裏にある庭へ行くことにした。
朝食の時にマイトがステラに言われた『何かしたいことはないですか?』という質問を思い出して、マイトの希望で、昨日部屋の窓から見た庭に行ってみることになった。
庭に行く途中で、昨日窓の外から見えた大きな動物のいる所を通る。
その動物とは別に、近くの小屋には別の動物もいる。
「この大きな動物はどういうものなんですか? 昨日窓からフィナがご飯をあげてるのを見て、随分可愛がってる様に見えましたけど」
「ライグーですね。正式にはライグルという名前の生き物なんですけど、ライグーという愛称で呼ばれることが一般的なんです。詠唱師が乗ることが出来る、詠唱師の相棒的な動物です」
詠唱師の相棒……やはりこの世界特有の動物のようだ。
「大きいけど、おとなしくて温和な生き物ですよ。ライグーは詠唱師しか使役出来ないので、詠唱師協会にいるものなんです。この子はダウナ支部に居て、テリルに来る時に貸してもらって、フィナと私でこの子に乗ってここまで来たんですよ」
「詠唱師の乗り物というわけですね」
実際フィナと仲良さそうな感じがして、ライグーも懐いているように見えた。
「あの小屋にいるのも、ライグーの仲間ですか?」
ライグーと同じく毛は白く4足歩行。
羊の様な角が2本と、額からもう1本の計3本が生えていて、体はライグー程大きくはなく、馬くらいの大きさで、鞍が付いていることから、人が乗る動物だという事が分かる。
「あれはモネットです。この世界ではモネットで移動するのが一般的なんです。大昔は馬が主流だったそうですけど、モネットの方が体が丈夫で足も速いし、乗り心地も良いので、どの村にもモネットがいますよ。特に伝達者は、優れたモネットを所有して乗っているものなんです」
一般の人はモネット、詠唱師はライグーに乗って移動するのが、この世界の常識らしいとステラの話から伝わってきた。
「モネットには学生時代に授業で乗る機会があるので、私たちも乗ったことありますよ。きっとマイトさんも乗れると思います」
「いや、僕は動物に乗ったことが全くないので、自信ないです」
「大丈夫ですよ。野生のモネットと違って、人が乗るモネットは意思疎通がしやすくて安心ですから」
野生のモネットもいるのかと思った時、神様の部屋で見た、大地を駆ける獣の群れのことを思い出した。
あの時見たのが、確かこのモネットだった。
この世界ではポピュラーな動物なんだと、改めて思った。
ライグーとモネットに手を振ってあいさつして先に行くと、部屋の窓から見えた庭に出た。
美しい花と、水が綺麗な大きい池があり、ゆっくりと歩いて散策する。
心地よい時間の中で、マイトは先程の詠唱について、詳しく聞いてみる。
「さっきの村の人への詠唱。凄くいい詠唱でした。あれはどういう詠唱なんですか?」
「あれは慈愛詠唱と言って、もっとも一般的な詠唱です。日常に根付いた詠唱ですね」
日常的な詠唱……だから2人も、村人達も、みんな構えず自然に詠唱が行われたのか。
「私達も詠唱師になってから、毎日ダウナで慈愛詠唱をしてましたし、テリルに来てからも毎日やっていました」
なるほど。
詠唱師になってから、間もない2人にとっても、既に慣れた詠唱というわけか。
「慈愛詠唱の効果は、元気が出て、やる気になって、気持ちが晴れて、心も身体も健康になるというものです」
随分フワっとした効果だな、とマイトは思った。
でも、確かにその効果は今、自分自身で実感している。
正直昨夜は色々あって、よく眠れず疲れが取れないままで、朝から身体の具合が悪かったのに、すっかり良くなって体調は万全になっていた。
精神面でも、ずっと異世界という未知の領域に来たことによる精神的負荷が、意識的にも無意識的にもあったし、様々な不安が渦巻いていたのに、それが晴れて心が軽くなり、前向きな気持ちでやる気が満ちている。
地味ながら、凄く実用的な効果がある詠唱だと感じた。
「今は魔女のせいで、詠唱師が居なくなってしまったので、慈愛詠唱も満足に詠唱されなくなりましたけど、魔女が現れる前は、世界中で毎日の様に詠唱師によって、慈愛詠唱が詠唱されていたんです。詠唱と言えば、慈愛詠唱のことを指すのが一般的です」
「じゃあ……この世界において『詠唱師は慈愛詠唱をする人』っていう認識なんですね」
「そうです。他にも色々と詠唱はありますけど、最も詠唱されている、詠唱の代名詞が慈愛詠唱です。慈愛詠唱の恩恵は心身の健康回復だけでなく、健康維持、病気防止、怪我防止、精神安定など色んな効果もあるので、それを日常的に与えてくれる詠唱師は、神の代行者と呼ばれ、世界の人々から敬われる存在というわけです」
『詠唱師によって、幸福をもたらし、世界の平穏と安寧が保たれてきた』
神様が最初にそう言っていたのを思い出す。
そう考えると、如何に『魔女』という詠唱師が異質かが浮き彫りになる。
「この慈愛詠唱は、神イーリアスが生み出して、世界ラプソディアに定着させたと言われています」
無病息災の効果を、実体として人々に提供するシステム。
詠唱師とは、そういう面があるんだと知る。
マイトは引きこもりだった身として、この世界ならば、引きこもりは生まれないかもしれないと朧気に考える。
あの神様はやっぱり凄い人なんだなと、身をもって実感する事となった。