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59話 中部侵攻

「イオニアへ?」


2人から、話があると言われたリリィは、『イオニアに行きたい』という決意に驚きを隠せなかった。


「あの日から……今もずっと、詠唱師に襲われる夢に苦しんで来ました。この先もきっと、この心的外傷に囚われたままで……それに、いつまた詠唱師がここに来るか分からない。不安と恐怖が追い打ちをかけるんです。常にイオニアと詠唱師に、怯えて生きなきゃいけない」


「私たちを襲った詠唱師は、イオニアが差し向けた……それに、またイオニアから詠唱師が、今度こそ私たちを殺しに来るかもしれない。イオニアを魔人にすれば、その不安は無くなるし、詠唱師に勝つ事で、恐怖に囚われた今を断ち切りたいんです」


「……あなた達の気持ちはよく分かりました。すでに、私たち魔女は世界の敵。2人の気持ちが晴れるなら、存分にやればいいと思うわ。私もこの1年で、癒しの慈愛詠唱だけでなく、敵意を防ぐ守りの詠唱を磨いたから、人間の詠唱を防げるわ。2人の力になれるはずよ」


 リリィは、2人に慈愛詠唱だけでなく、いつ再び詠唱師が襲って来ても大丈夫なように、この1年間守りの詠唱を2人にはもちろん、ニーナと自分にもかけていた。

 始めは短時間で効果が切れていたが、毎日詠唱する事で少しずつ有効時間が延びていき、今は10日間もつようになっていた。


「ありがとうございます! お姉様の守りがあれば無敵です!」


「くれぐれも、効果切れに注意してね」

「もちろん、あの苦しさは忘れようがないですから……」


 2人は神妙な表情になる。

 いくらリリィの守りがあるといっても、完璧ではないかもしれない。

 イレギュラーな事態も考えられるし、守りの詠唱が効かない場合もあるかもしれない。


 万が一、イオニアであの時のような状態になっても、近くにリリィは居ない。

 今度こそ苦しんだ挙句、死ぬことになる。


 『向こう』に攻め込むとは、そういうリスクが必ず付き纏うという事。

 死や絶望と、隣り合わせの行為だ。

 自分たちだけでなく、リリィやニーナに悲しい思いをさせることになる。


 だからこそ、この半年間悩んでいた。

 決行するか否かを。


 しかし、決断した。

 断ち切って、前に進む事を。


 リリィも、2人がそれを口にしたという事は、相当の覚悟があると理解していた。

 だから、2人の決断を尊重し、後押しする選択をした。

 そして自分の2人を想う気持ちが、詠唱となり、2人を守ってくれるはずという自負もあった。


 この1年間の、魔女の苦労と努力が報われる機会だと思った。



「ただ、いきなりイオニアを攻めるのは得策じゃないわ。スピカもスカーレットも、実際にまだ人間を魔人にした事が無い。それにここから中部に行くだけでも、魔獣でさえ何日もかかってしまう。守りの詠唱の効果期間を考えると、リスクが高い……イオニアは中部の中でも南の街だからね」


 現実問題として、距離や時間を考慮すると、イオスからイオニアは遠く、困難な道のりだった。

 2人も地図を見て確認はしていたが、実際にイオスから出たことがなく、世界の広さを実感出来ていなかった。


「では、どうすればいいですか?」

 スピカは不安そうな顔で尋ねると、リリィは安心させるように頭を撫でる。


「確実に行きましょう。中部を北から順に、魔人にしていけばいいわ。だんだんとイオニアに向けて魔人にしていけば、退路も確保出来るし、詠唱の経験値が上がっていく、効率良く人間を魔人にするスキルも身につくわ。月日がかかるだろうけど、安全に侵攻していけるはず」

 

 リリィの案に、2人も納得している様子だった。


「そうですね、急いで失敗しては元も子もない。お姉様が北部全域を魔人にしたのだから、今度は私たちで中部全域を魔人にすればいい」

「イオニアを包囲していって、確実にイオニアを攻め落とせばいいんだね!」


「その頃には、私の守りの詠唱も、もう少し効果期間が延びてるかもしれないし、みんなで少しずつ成長して成し遂げましょう」


「はい!!」



 そして、スピカとスカーレットによる中部侵攻が幕を開けた。


 スピカは魔獣ライグーに乗ったことがなく、スカーレットが手綱を握り、スピカはその後ろでスカーレットにしがみつくように乗っていた。


「スピカは怖がりだねー! 魔獣ならニーナだって1人で乗れるのに」

「しょうがないでしょ……」

 か細い声で、弱々しく口にする。


 元々、スカーレットとニーナは好奇心旺盛で、積極的に魔獣に触れあい、騎乗できるようになったが、スピカは魔獣を怖がり乗ろうとはして来なかった。

 今まではそれで良かったが、遠征となると魔獣は必須なので、怖い思いを抑えながら乗ることになった。



 漆黒のライグーは魔女2人を背に乗せて、北部の険しい道を颯爽と進んで行く。


「ちょっとスピカ! しっかり掴まっててって言ったけど、掴まり過ぎ! 痛いってば!」

 魔獣に初めて乗るスピカは、スカーレットに密着して、お腹に手を回し、必要以上に力を込めてしがみついていた。

 

 恐怖心から力が入り、スカーレットに抱きついていれば、安心だからと力が入る。

 結果、ものすごい力がスカーレットに加わることになった。

 

 普段のスピカは冷静で落ち着いていて、頼れる姉なのに、こうして子供のように怯えて自分にしがみついている様子は新鮮で、なんだか楽しくなってしまった。

 単純に『かわいいところあるなぁ』と、微笑ましくもなった。


 スピカがそんな調子なので、休憩を多めに取りながらの道中となった。


「後ろで掴まってるだけなのに、すごい汗だね。普段、汗なんてかかないのに」

「掴まるのに力を使うのと……冷や汗よ」

 スピカは、水を飲んで水分を補給する。


「行きも帰りも魔獣に乗るんだから、早く慣れた方がいいよ」

「分かってるわ」

 一息入れると地図を出す。


「もうすぐ中部に着くね。いよいよだわ」

 手で汗を拭いながら、真剣な表情に変わる。


「いくつか北部の町を通ってきた来たけど、みんなちゃんと魔人になってたねー。お姉様ってイオスから出ないのに、なんでこんなに離れたところで魔人になってるのが分かるのかな」


「たぶん、測詠唱っていうやつでしょう。それで分かるんだと思うわ。きっと、私たちのことも観測してるはず。今ここに居る事は、お姉様も感知してるでしょう」 


「お姉様が見ててくれてるって思うと、なんだか頼もしいね!」

「心を込めて守りの詠唱をしてくれたのだから、それに応えないとね」



 2人は再び魔獣に乗り、中部へと出発する。

 程なくして、中部最北の町ガリンズが見えて来た。


「あれが人間の町……」


 2人に緊張が走った。

 リリィの予想では、このガリンズには詠唱師が居る可能性が高いとみていた。

 ガリンズは中部と北部……人間と魔人の境にある町。

 故に、防衛線を引いているのではないかと思われた。


 おそらく人間も魔女を警戒している。

 北部だけでなく、中部にも侵攻して来る事態を想定して、対魔女の詠唱師を置いているかもしれない。

 十分に考えられる事だった。


 リリィからは『先手必勝よ、詠唱される前に魔人にしなさい。2人とも詠唱発現まで、ラグがあるから注意してね』と言われていた。


 スピカは、シャボン玉が割れた時。

 スカーレットは、口笛でメロディを吹き終わった時に、魔人の効果が発動する。

 

 シャボン玉を作って割れるまでの間と、口笛を吹いている間は隙が出来る。

 その間に、詠唱されてしまえばリスクとなる。

 先に仕掛けるのが大事だと、リリィは言っていた。


 しかし2人は、試しておきたい事があった為、その助言を破る選択をした。

 

「私が行くわ。スカーレットは私を置いたら離れて、何かあったら魔獣で私を回収して」

「本当に大丈夫……? 私も一緒に行くよ」

「もし2人でやられたら終わりよ。リスクは分散すべきだわ」


 2人は覚悟を決めると、魔獣で一気にガリンズ入口へと走った。

 そこでスピカだけ降りると、魔獣は町から離れて行った。



 スピカは震える身体を動かして、町へと入る。

 緊張の極みであり、胸の鼓動がうるさかった。 


「魔女だ―!」

 スピカを見た人間が、叫び声を上げた。

 

「詠唱師様を呼べ!」

「こっちです! 詠唱師様!」


 そんな声が飛び交うと、すぐに詠唱師がスピカの前に現れる。

 首に付けてるアルカナは赤。

 もう1人が来て、そちらは白だった。


 赤はイオスに来た詠唱師と同じ色。

 間違いなくリリィが言っていた、魔女防衛の為の詠唱師だと分かった。

 

「ロージャンさんの仇!」

 そう言って、赤詠唱師は憎しみを込めた顔で、スピカを見ながら詠唱を開始した。

 

 それに対して、スピカは何もせず立ったままの状態で受け入れる。


「効かない……!」

 赤詠唱師は、焦燥感に満ちた様子で叫んだ。


 防いだ。

 スピカは、何の変化も無し。

 人間の詠唱を見事に防いでいた。


 2人は、これを試したかった。

 リリィの守りの詠唱のことを、もちろん信頼していた。

 ただ、実際に防げるかは詠唱を受けてみないと分からない。


 もし効果が無かったら、1年前のあの苦しみに晒されることになる。

 しかしリリィの守りを信じて、あえて受けて実証がしたかった。

 それが成功したことにより、喜びが込み上げる。


 対して詠唱師は、悔しさと絶望に苛まれた。


「やはり、魔女に詠唱は効かないのか……!」


 やはり? 

 その言葉を聞き、困惑したがすぐに理解した。


 人間からすると、イオスへ行った詠唱師たちが戻らず、北部全域が魔人にされたという現実が全てだった。


 それ故に、魔女に詠唱は効かなかった。

 魔女に負けて魔人となり、帰って来ないという認識になったのだと。


 実際は嫌という程に効果はあった訳だが、その事実を人間は知らない。

 それならそれで、好都合だと思った。

 わざわざ、本当は詠唱が効くなんて教えてやる必要はない。

 

 守りの効果は十分だと分かったスピカは、指輪として付けていた精霊の贈り物を指から外して、それに意志を込めて息を吹く。

 黒いシャボン玉が出て来て、詠唱師を含め人々の目を引いた。

 

「なんだ? なぜ、精霊の贈り物など……」


 意味が分からず、呆然とする。

 その5秒後、シャボン玉が割れた瞬間、そこに居た人間全員が、一瞬で魔人に変わった。


 スピカは、ホッとしたように笑みを浮かべる。

 半年間、試行錯誤した末にたどり着いたシャボン玉が、実際に成功した喜びが込み上げた。


 スピカは一度町を出て、スカーレットを呼んで報告すると、スカーレットも守りとシャボン玉に、ちゃんと効果があった事に喜びを爆発させて、スピカを力いっぱい抱きしめた。


「ちょっと、痛いってば……」

「お返し……! 不安ですっごくドキドキしたけど、ホント良かった!」

 

 その強い抱擁を、優しく包むように呟く。


「まだ、終わってないわ。スカーレットの口笛も聞かせて」


 その言葉に、スカーレットは決意のこもった笑顔で応える。


 2人は町の中へ進んで行き、スカーレットの口笛が大きく綺麗に響き渡った。

 家の中に隠れてる人間にも、その音が届き、美しい音色に人々は耳を傾けた。

 音が止むと同時に、それを聞いていた人々は魔人と化す。


「やった! 魔人に出来た!」

 スカーレットは、飛び跳ねて喜ぶ。


 詠唱が出来なった2人が、形は違えど詠唱効果を生み出したことは、2人のアイデンティティーに多大な影響を与えた。


 何も持たなかった2人の少女が、魔女へと覚醒した。

 そのきっかけが、人間の詠唱師だったのだから、何とも皮肉な結果となった。


 そのままシャボン玉と口笛でガリンズの町を魔人へ変えて、2人の初陣は成功に終わった。


 しかし、実はガリンズに居た人間全てを、魔人に出来たわけではなかった。

 最初に詠唱師を魔人にして、スピカがスカーレットを呼びに行っている間に、ガリンズの伝達者がモネットに乗って、魔女襲来を他の町に伝えに出ていた。


 そのニュースは、すぐにイオニアにも届いた。

 イオス奪還作戦失敗と、北部魔人化から1年。

 ついに、魔女の中部侵攻が始まった事実は、世界に衝撃を与えた。


 それでも、この時点ではイオニアはまだ楽観的だった。

 優れた詠唱師が数多くいるこの巨大な街が、辺境の田舎を乗っ取って10年引きこもっていた、魔女なんかに負けるなどと考えていなかった。


 とは言え、魔女の中部侵攻は現実問題として世界に突き付けられ、人間はその難題に直面していくことになる。

 

 

 その後も魔女2人は、イオスと中部を行き来しながら、着実に町や村を魔人に変えて行った。

 詠唱師の対魔女詠唱を、全て無効化するリリィの守りは、本当に頼もしく心強かった。


 シャボン玉と口笛を使っていくことによって、自分たちでも理解していなかった、特性や条件などが分かるようになっていった。

 

 シャボン玉は、一度でも見れば魔人になる。

 効果が発動するのは割れた瞬間だが、それまでにシャボン玉を目にした人間は全て魔人と化す。

 つまり、シャボン玉を1度でも見てしまった時点で、魔人になるのは確定する。

 逆に目を瞑ったり、家の中に隠れたりして、シャボン玉を見なければ魔人になることはない。


 対してスカーレットの口笛は、メロディを吹き終わる事で発動するが、その過程で口笛を聞いていれば魔人となる。

 つまり、口笛を聞いた時点で魔人になるのが確定する。

 ただ、メロディを吹き終わる事なく、途中で止めた場合は魔人になることはない。


 スピカは視覚、スカーレットは聴覚によって、人間を魔人に変えていった。

 この連携を初見で防ぐのは困難であり、詠唱も効かない魔女相手に人間は成す術なく、次々と魔人になっていった。


 2人は順調に侵攻していく過程においても、慎重さを失わず、リリィの言いつけに従って、守りが切れる前に必ず撤退して、イオスに帰るようにした。

 それはひとえに、あの時の苦痛と恐怖を忘れていないからだった。

  

 リリィの守りが無ければ、死と隣り合わせな事をしている。

 その意識は常に持っていた。 

 決して功を焦らず、2人で確認し合いながら確実に中部を南下していった。

 

 中部は北部や南部より広いが、人里の数は南部より少し多い程度だった。

 イオニア及び、その周辺の街に人口が集中している為であり、南部北のオーリーホルンもその周辺の街の1つだった。


 その分、イオニア周辺以外の中部地域では、町や村が点在している為、移動に時間がかかったが、1つ1つ侵攻していった。

 


 2人はただ魔人にしていくだけでなく、いろいろと寄り道や観光もしていた。

 ずっとイオスに居た2人にとって、世界がこんなに広かったことが驚きの連続で、珍しい景色や物に触れ、旅を楽しむ感情が芽生えるようになっていった。

 

 北部には入浴の文化がある為、温泉地があり、行き帰りで通る時に温泉に入るようになった。

 中部では精霊の大森林の巨大さと、精霊光や精霊音、精霊体に感動し、ここでしか手に入らない精霊の贈り物を、リリィとニーナにおみやげで持って帰ったりした。


 特にニーナは大喜びで、リリィは2人が毎回無事元気に帰って来るだけで嬉しそうだった。

 イオスに帰った時の4人での時間が、以前よりも楽しく、特別に感じるようになった。

 

 そうして2人が中部侵攻を開始してから、もうすぐ1年が経とうとしている頃、ついにイオニアを残すのみとなり、スピカとスカーレットの目標だったイオニアへ侵攻する時が来た。


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