5話 迷いの夜と決意の朝
2人が出て行き、1人部屋に残るマイトは、自分の弱さに反吐が出る想いだった。
あんなに優しくて、強くて、勇気があって……。
しかも、年下の女性の前で……。
それに比べて自分はダメな奴だと、勝手に自虐を始めて、困らせて。
自分は何なんだろう……。
何がしたいんだろう……。
どうすればいいんだろう……。
中学時代から何万回繰り返した禅問答を、異世界に来てまでやっていることに、呆れ果ててしまう。
思考が鈍くなっている。
今日は色々あり過ぎた。
ずっと変化の無い生活をしてたこともあり、夜に暗い部屋で1人になった途端ドッと疲れと睡魔が襲ってきた。
硬いベットに身体を横たえて、そのまま眠りについていく。
「――――マイト」
……何だ?
「――マイト……聞こえるか?」
……どこだ?
暗闇の中で、神の声が聞こえる。
「届いたか……ずっと呼びかけていたが、マイトが眠っている時だけ声が届くようだ」
「神様? 声は聞こえるけど、姿が見えない」
視界は……あれ?
真っ暗だったけど、今は淡い白い光の粒が漂う空間に居た。
「ここはどこですか? 神様の部屋とは違うみたい……」
「ラプソディアからは、この白い部屋には入れないんだ。そこはマイトの夢の世界だよ」
「宿屋の窓から見た夜の景色に、似たような光が舞っていたからこんな夢を見てるのかな」
「そうかもな、私からではマイトの夢など操り様がない……それは私とは関係ない、お前の世界だ」
「今はこんな綺麗な気分では、無いはずなんですけどね」
「そんな暗い声を出すな。……それにしてもラプソディアの中に、私の声が届くなんて初めてのことだ。こうして会話をするのもな。もしかしたらマイトを召喚した際に、私とマイトの間に何らかの繋がりが出来たのかもしれない。その影響でこうして声だけでも届くのかもしれん。これは思わぬ副産物だ。おかげでこうして、またマイトと話が出来るのだからな」
昼間に神の部屋で話したときより、明らかに声が明るく、元気そうな様子が伝わってくる。
「魔人を人間に戻したこと、魔女を追い払ったこと、礼を言う……本当によくやってくれた。おかげで絶望的な状況に、希望が見出せた。これもマイトとポエムのおかげだ」
「やめてください、僕は何もしていません」
「何を言う? マイトが書いたポエムがあったから、絶望を打破できたのだ。あの娘ら……ステラも言っておったろう? マイトが居なければ、今頃皆、魔人になっていた。人間はこの世界から消えていたのだ。滅びを待つしかなかった人類が、マイトのおかげで反撃出来る機会を与えられた。大変な功績だ」
なんだろう?
ずっと……どんなに褒められても、自分のことを言われてる気がしない。
別の何かが……勝手に賞賛されてるのを、居心地悪く眺めている様な、それを『なぜ喜ばない?』と言われている様な、そんな違和感が胸の中に付き纏う。
「あの……あなたは詠唱に使える文が欲しいだけなんでしょう? このポエムノートが欲しいなら差し上げます。あの2人に渡してください……僕は関係ないです」
心がモヤモヤとする。
自分でも卑屈になっていると分かる。
そう……たぶん、自分は必要ないんだ。
偶然ポエムが詠唱に使えて、結果が良かっただけ。
その結果を神様も、ステラも、フィナも喜んでいる。
自分は居ても居なくても関係ない。
ポエムがあれば良かったんだから。
そのポエムにしても……。
もし『作品』として書いたなら、世に出たことを喜んだり、誰かに褒められたことを、嬉しいと感じるかもしれない。
でも誰にも見せるつもりなど無く、暗い中で引きこもって、吐き出すように書いたもの。
ただの自己満足……自慰行為のようなものだ。
そんなものが『役に立ちました』と賞賛されても、恥ずかしいだけ……居たたまれない気持ちで、いっぱいになるだけだった。
そもそも、自分のポエムが誰かに喜ばれるなんて、絶対にあり得ない事だ。
ポエムによる結果を褒められても、居心地が悪い……。
自分は居なくても問題ない。
必要ない。
なのにこうして居るから、卑屈になる。
だからポエムだけ置いて、消えてしまいたい。
マイトはそんな思いに駆られていた。
神様は沈黙の後、落ち着いた声でマイトに語り掛ける。
「……この世界は嫌か?」
それはポエムが、どうとかではなく、マイト個人に向けられた、感情の問いだった。
「嫌とかでは、ないですけど……」
そう、嫌ではない。
今見ている光が舞う夢も、この世界の夜の美しさが心に残って居たからだろう。
そして何より、人の優しさが心に残っていた。
宿屋の主人もおかみさんも、本当に親切で温かくて。
フィナとステラの眩しいくらいの存在感は、暗い心を明るい光で、満たしてくれるほど強かった。
だからこそ、光の中で浮かび上がった自分が、情けない存在に……否応なく見えてしまう。
あの2人の希望に満ちた笑顔が向けられる自分には、何もない。
そんな資格なんかないと、後ろめたさが襲う。
「自信がないんです……いや、怖いんです。今の僕は『神の召喚者』だから褒めてくれたり、優しくしてくれるけど、僕が弱くて何もない人間だと分かれば失望する。がっかりされる。……嫌われる」
あの笑顔が、嫌悪の顔に変わる。
その落差が、たまらなく怖い。
ただ失望されるよりも、ずっと何倍も辛い。
そしてなにより……。
「そんなに卑屈になる必要はないんだよ。謙遜することはない、マイトは文字通りこの世界に希望をもたらした救世主だ」
「だからやめてください!」
強い口調で遮る。
「―――ポエムを読まれて救世主なんて……恥ずかしくてたまらない」
この世界に来てから、ずっと感じてることだった。
口にすると、さらに情けない気持ちになる。
「僕は……僕のポエムが、大勢の前で読み上げられるのが……トラウマなんです……」
一瞬、中学2年の教室の光景が脳裏をよぎった。
取り上げられるノート。
ポエムを読む下品な声。
鳴り止まない笑い声。
懇願する自分。
押さえ付けられる自分。
嗚咽する自分。
鳴り止まない笑い声。
終わらない嘲笑。
訪れる拒絶。
無力の残骸。
現実逃避。
虚無。
無――――。
溢れ出る黒い感情を抑える様に、強く強く瞼を閉じた。
「…………それにしては、あの娘が詠唱してる時に、瞳を輝かせていたようだが」
瞬間、パッと大きく瞼が開いて、顔がカっと熱くなる。
「あれはっ! あの娘の声が、綺麗だったからっ……」
先程までとは、別の恥ずかしさが襲う。
まるで、何かを見透かされてる様な感覚になった。
「……マイト。お前が向こうの世界で、どうだったのかは想像できる。浮いていたんだよ。お前は、元の世界との結びつきが非常に弱かった。いや……結びつきが無かったと言っていい。接点から離れていたんだ。私からしたら、探してたものが宙に浮いてたという感覚だ。だから見つけることが出来たし、こちらに連れてくることが出来た」
「僕は……部屋で引きこもってただけです」
「それが私には、浮いて見えたってことさ」
神様はそう言うと、神妙な面持ちで……謝罪を口にした。
「マイトが、元の世界に未練があるなら……本当に済まないと思っている」
「それは……」
マイトは言い淀んだ。
「しかし、これだけは伝えたかった。マイトのおかげで私の命は救われた」
「え?」
「私は世界の神と言っても、人間にとっての神だ。人間の言葉による信仰のおかげで、私は存在し世界を見守ってきた。しかし、人々が魔人になり、人間が激減した今、私は衰え風前の灯火となった。あのまま人が絶滅すれば、私も同じく死んでいただろう」
『私には時間がない』
あの時の言葉を思い出した。
まさか、神様まで死んでしまう直前だったのか……。
「だから、本当に感謝している」
「でも……神様が居なくなったら、この世界はどうなるんですか?」
「魔女が新たな神になったろうさ」
「魔女って何なんですか?」
「解らない……」
「神様でも解らないの?」
「魔女は私の認知外で、この世界に現れた。困惑したよ。未知故に対処も遅れた。と、言っても元々直接干渉できない故、有効な手段がなかった。それに、告白するなら……当初はこの様な、人間が絶滅するほどの事態だとは、思っていなかったのだ。その危険性に気づいた時には……手遅れになっていた」
その声には悔しさが滲んでいた。
「マイトのおかげで希望が生まれたが、魔女が居る限りこの世界に平穏は訪れないだろう」
そうだ……たとえ魔人から人間に戻せても、また魔女に魔人にされては水の泡だ。
「お願いだ、マイト……マイトのポエムで魔女を打ち倒してはくれぬか」
「そんなこと……」
出来るわけがない。
「無茶を言ってるのは承知している。詠唱師でさえ、束になっても敵わなかった魔女が相手だ。……しかし誰も成し得なかった、魔人を人間に戻す詠唱を作ったマイトならば、魔女をも打ち砕く詠唱を、もたらしてくれると信じている……信じたいんだ」
「そんなこと、信じられても困ります……」
「いいんだ、たとえ出来なくても……今日を超えられただけで、マイトに来てもらった価値は十分にある。私の我儘に付き合わせてしまって申し訳ない……ただ、叶うならば……もう少しだけ、この世界に付き合ってもらえないだろうか」
切実な声で、神様はマイトに語りかける。
「期待に応えなくてもいい、成せなくてもいい、それでも今は信じていたいんだ。そうすることで希望が生まれる。希望には人を前に向かせる力がある。それだけでマイトが、この世界に居る意味がある。何もないなどと、自分を責める必要はない。マイトが前を向けば、フィナも、ステラも、私も、前を向ける。魔女に打ち勝ち、魔人のいない世界を、見出すことが出来る」
その声は次第に希望を宿した、強く優しい声になる。
「ゆっくりでいい。いつかそんな詠唱を、あの娘たちに詠ませてあげてくれないか。そうなるように、前を向いてもらえないか。この世界にはマイトが必要なんだ――――」
●
目が覚める。
テリルの宿屋の硬いベットの上に横たわってる。
窓の外は夜明けが近いのか、薄っすらと明るくなっていた。
解っていたけど、これは夢じゃない。
僕は昨日ラプソディアという世界に来て、今もここにいる。
僕はこれからどうするべきなのか。
幼少の頃から痩せてて、気弱だった僕は、本を読んで過ごすのが好きだった。
「もやしっ子」や「女男」とからかわれて、いじめられる様になると、より本の世界に逃げるようになった。
中学生になると、ポエムを書くようになった。
自分で文字を紡ぐのが楽しかった。
授業中に、思いついたポエムをノートに書いていたら、斜め後ろの席から見つかり、休み時間に突然ノートを奪われ、みんなの前で朗読された。
笑われ、見下され、好きだった女の子に嫌われ、トラウマになった。
以降ずっと弄られ続けた。
何を言っても、何をしても馬鹿にされた。
だから何も言わなくなったし、何もしなくなった。
あの時から、ポエムは書いてて楽しいものから、感情を吐き出す手段になった。
もう誰にも見られることはない。もう誰にも見せることはない。
僕とポエムは、部屋の外に出ることは、一生ない。
でも、昨日外に出た。
僕のポエムは別の世界に来て、助けになったのだという。
今までと正反対の世界。
真逆過ぎて頭がおかしくなりそうだ。
世界に騙されている様な、自分が自分で無い様な感覚が拭えない。
『それにしてはあの娘が詠唱してる時に、瞳を輝かせていたようだが』
……そうだ。
嘲笑されながら朗読されて、すべてを失った僕のポエムを、あんなに大事に、真剣に、大切に、綺麗に詠んでもらえて……信じられないくらい感動したんだ。
誰にも必要とされなかったのに、喜んでもらえて、誰かの役にたてて。
分相応で、恥ずかしくて、居たたまれなくて……でも本音では嬉しかった。
きっと本当は誰かに認めてもらいたかったんだ。
どんなに馬鹿にされ、見下されたポエムでも、ずっと書くのをやめなかったのは、自分とポエムを諦めたくなかったから。
フィナに詠んでもらったあのポエムも、そういう気持ちで書いたものなのだから―――。
結局は現実からも、この世界からも、逃げてるだけだった。
自分から逃げているだけ。
前を向かない言い訳を繰り返して、ずっと逃げてきた。
『ただマイトが前を向くだけで、周りの人達にも希望が生まれるんだよ』
『マイトさんが居れば、それが出来ます!』
『その奇跡に感謝しかありません。本当にありがとうございました』
神様の言葉、ステラの言葉、フィナの手紙と温もりが。
窓の外の景色のように、目の前を明るくしてくれる。
必要だと言ってくれる人が、この世界には居る。
前を向けば、僕にも、朝が来る。
●
朝の光がテリルの村を照らす。
宿屋の2階の部屋からマイトが1階に行くと、既にフィナとステラは1階のフロアにいて、マイトに気づいて声をかける。
「おはようございます、よく眠れましたか?」
「おはよう……ございます、おかげさまで……」
マイトは一呼吸して、心を落ち着かせてから、意を決して、2人の前に行く。
「あのっ……」
その言葉に2人がマイトに注目する。
「神様から、魔女を倒して、魔人がいない世界に出来るような……そんな詠唱を作って欲しいとお願いされました。そんなことが出来るか分からないけど、やれるだけ、やってみようと思います。それで、もしそれが出来たらフィナとステラに詠唱してもらいたい……です。なので、もしよかったら……これからもよろしくお願いします」
緊張しながら話し終えて、マイトは深々とお辞儀をする。
顔を上げると、笑顔の2人が居た。
フィナがマイトの手を掴み、『うんうん』頷いている。
そして繋いだ手を、上下にぶんぶん振っている。
「ありがとうございます! こちらこそよろしくお願いします」
そこに、ステラも手を重ねる。
3人で重ねた手のぬくもりを忘れないと、マイトは2人の笑顔を見ながら、心に誓った。