一緒にいる覚悟
時間は待ってくれない。こちらの事情もお構いなしに刻々と過ぎていく。
家に戻りお互いの部屋に分かれてから、早くも二時間は経とうとしていた。
時間が経てば経つほど、行きづらくなる。それは理解していても気持ちがついていかない。
やはり、怖いのだ。
怖くないのであればとっくの昔に打ち明けていただろう。
時計の針の進む音がチクタクと時の経過を教えてくれる。
今日でなくては駄目だ。それだけは分かっていた。
心を鬼にして、姉さんの隣に僕の知らない男が立っている姿を想像してみる。
心が掻きむしられるような痛みを感じ、気が付いたら姉さんの部屋の前に立っていた。
目を逸らしていただけで、深く考えなくても答えは出ていたようだ。
僕は静かな姉さんの部屋のドアをノックした。寝てしまってるかも?
そんな心配をよそに、すぐに返事があった。
「慎ちゃん? どうぞ、入ってちょうだい」
ゆっくりと開いたドアの先には、少し顔を赤らめた姉さんが立っていた。
案内された部屋の中は、片付けられておりチリ一つ落ちていなかった。ただ一つ気になるものといえば、枕元に人形があったくらいだ。男の子の人形で五頭身、どこかで見たことのある親近感の湧く人形だった。
誰かに似ていると、思い出そうとするが思い出せない。もどかしさを感じたが、今回の来訪はそんなことが目的ではない。すぐに頭を切り替える。
先にベッドに腰を下ろしている姉さんが横に座れと、掛け布団をぽんぽんと叩いた。
距離を取って大きな声になるよりはと、理由にもならない理由をつけて素直に姉さんの横に座った。
顔が赤くなるのが自分でもわかる。
きっと、今から話さなければいけないと緊張しているだけだ──
でも、本当にそうなのだろうか?
姉さんのそばにいるだけでドキドキする。
姉さんに触れられるともっとドキドキする。
まるで、恋をしているように。いや、実際に姉さんに恋をしていた。小さい頃からずっと。なのに、血のつながりがないとわかっただけで、こんなにも鼓動がうるさくて堪らなくなる。姉さんは平気なのだろうか?
そう、きっとまだ姉さんは知らないのだろう。だから、今までと変わらない距離感で接してくれるのだ。勝手に変わったのは僕自身。だから、僕が自ら姉さんに打ち明けるのが筋だ。
素直な本音をここで言えないようなら、姉さんを幸せにする男どもの試金石になれない。
覚悟を決めて口を開いた。
「小さい頃から姉さん、いや、梨花の事が大好きだった。愛していると言ってもいいくらい。でも、姉弟は結婚できないと知ってこの気持ちは封印してきた。梨花に幸せになって欲しいという気持ちには嘘偽りはない」
「うん、知ってた」
「血がつながっていない事を最近知った。それでも、やっぱり自分の気持ちより、梨花に幸せになって欲しいんだ」
「私は幸せよ。慎司は違うの?」
じっと見つめてくる梨花の瞳に吸いこまれそうになる。
「ガードを固くした僕にも責任はあるけれど、梨花には素敵な人が似合っている。僕じゃ、梨花を幸せにできるか不安だ。こんな奴に梨花を任せるなんてできないよ」
「そうかしら? 幸せって相手に委ねるものなの? 私は違うと思うの」
そのまま、梨花の顔が近づいてくると耳元でささやく
「はたから苦労しているよう見えても、自分の選んだ素敵な人と一緒に苦労するのは、幸せなことよ」
思わずそのまま抱きしめそうになるが、理性を振り絞って梨花の肩をつかんで引き離した。
「慎司は違うの?」
小首をかしげる姿に思わず抱きしめたくなる衝動を抑えるのが大変だった。
「僕は──」
本当に自分のことなどどうでもいい。ただ、梨花だけは幸せになって欲しい。
「私は嬉しかったよ。このまま、慎司に彼女ができて結婚するまでの間、思い切り慎司を堪能しても――私が選ばれる未来はなかったもの」
思考停止で固まっている状態で、いきなり体重をかけて来られたので支えきれずに背中からベッドに倒れこんだ。 梨花を抱きしめる形になった。それでも意に介さず梨花は言葉を続けた。
「本当の姉弟でないなら、血がつながっていないなら、私にもチャンスがあるんだよね。ずっと慎司のそばにいるチャンス――くれないの?」
「でも――」
「私の幸せの願ってくれるんじゃなかったの?」
「僕でいいの?」
「もちろん。というより、慎ちゃんじゃなきゃいやだよ」
下から見上げてくる梨花の瞳がうるうると潤んでいた。
「真紀との喫茶店での会話を聞いてたのは知ってるでしょう?」
「うん」
「重たい女だと引いちゃった?」
「そんなことないよ。梨花は梨花だよ。僕にとっては素敵な女性だ。嫌いになることなんてないさ」
「嘘でもうれしいわ。あの時、慎ちゃんの発言から、やっと“血のつながった姉弟じゃない”と知ったとのだとわかって、とても嬉しかったの。本当に嬉しかったの。だって、誰に気兼ねすることなく、そばにいてもいいという事だもの」
抱きしめた両腕、胸に梨花の温かな体温を感じる。 梨花が選んでくれた。その事実に心臓が押しつぶされそうになる。
ここで突き放し、健全な姉弟に戻る――そうすれば一生切れない姉弟という絆で結ばれる。 しかし、本当に僕が望んでいるものは、そんなものなのだろうか?
梨花に幸せになってほしい。弟である僕が梨花を幸せにできないのであれば、他の誰かに。その思いで梨花の横に立つ男を、梨花の男を見る目を磨いてきた。そのはずだった。 僕が梨花を幸せにしてもいい? 僕も幸せになっていい? 梨花を手に入れてもいい? そんな夢のような話があっていいわけがない。夢ならいつか覚める。ならば、ここで本心を、心の叫びを叫んだところで問題はないはず。
「僕も嬉しくなかったといえば嘘になる。でも、一番は怖いんだ。梨花を不幸にすること。そして、梨花に拒絶されること。いずれ失うのなら、せめて僕から離れていきたい。これは僕の我儘なのだろうか?」
「馬鹿ね、慎ちゃんを嫌いになることなんてないわよ。だって、慎ちゃんは私を裏切らないでしょう? 嫌いになる? 私を捨てる? 他の女の子を好きになる? そんなことは無いって知ってるわ。だから安心して一緒にいられるの。私を守っていてくれてるのも知っているわ。でもね」
心臓にあてられた手に梨花の鼓動が伝わってくる。かなり早く脈打つ鼓動は梨花の心の内を表しているようだった。
「慎ちゃんはいつも私の幸せについて考えてくれるけど、まだ一度も聞いてくれたことはないよね。私の考える幸せは慎ちゃんが思うよりずっと簡単なものよ。当ててくれるわよね?」
答えはすでに出ている。正解かどうかではなくて、僕が、僕自身の言葉で言わなければいけない言葉。 そして、梨花が本心から求めている言葉。
「梨花とずっと一緒にいたい。この気持ちが本当か嘘なのか、僕自身も確信をもって言えない。そんなに人生を長く生きているわけでもないから。でも後悔しないと思う。いや、ここで梨花を手放したらきっと後悔する。それだけは言える。 実際のところ、家族愛の延長なのか、何なのかすらよくわかっていない。でも、今、梨花と一緒にいたいという気持ちは本物だ。この気持ちが梨花と一緒だと、嬉しい」
「――」
「どうか、僕の彼女にいや、学校を卒業して社会に出て、両親の許しがもらえたら、僕のお嫁さんになってください。梨花のような素敵な女の子を野放しにしておけないよ」
「ふふふ、やっと言ってくれたんだね。私も慎ちゃんの事が大好きよ。世界で一番大切な人。距離を取られてどれだけ傷ついたか、分かる?」
すねたように梨花が僕の胸を叩く。その痛さすら心地よく感じられた。晴れて両想いになったといえども、問題は山積みだ。
義姉に手を出すような倫理観のゆるい息子を育てた、と親戚付き合いの場で思われる肩身の狭さは……もう、あきらめてもらおう。
***
「はい、あーん」
「いや、今日は僕が梨花に食べさせてもいいかな?いつも梨花に食べさせてもらってばかりだから。ね?」
「えっ、そんな、はずかしいわ」
「大丈夫、母さんも父さんも、すでに出社してるよ。それに、見られたところで──昨晩こってりと怒られたけど、二人の交際というか結婚まで認めてもらったじゃないか」
「もう、馬鹿!」
『中途半端な覚悟での付き合いなんて認めない。父さんと母さんは腹を括った。だからお前たちも腹を括りなさい。結婚する気がないなら別れる。結婚する気があるなら、二人の交際を認めて、親として応援してやる』
まさか、あっさりと公認が出るとは思ってもみなかった。
『二人の子供を見たい気持ちはあるのよ。本当よ。でも、まだおばあちゃんになる心構えは出来ていないの。いきなりの報告とかはやめてよ。それだけは本当にやめてちょうだい。おめでたいことなのはわかってるけど』
因果は巡るなんていったら、横にいる父さんにしばかれるのは分かっていたので、母さんの悩みは生暖かくスルーしておいた。
だいたい僕が姉さんに手を出すわけが──いや、僕が梨花の嫌がることを──いや、そりゃあ、健全な男子なら──そんなことじゃなくて、まだ早い。
いわゆる婚約者なんだから、大事にしてあげなくちゃ。
「はい、口をあけて」
「だから恥ずかしいよ」
「あれ?恥ずかしいことを僕にしてたのかな?」
「そんなことないけど」
「じゃあ、あきらめて」
しばらく梨花の瞳を見つめていると、やっと観念して口を開けた。
その口の中にベーコンの切れ端を放り込む。
「今日は早めに行かないと駄目だから、名残惜しいけどここまでだ。あとは自分で食べられるよね」
「うん」
顔を真っ赤にしている梨花が素直にうなづいた。
***
「やっと捕まえた! 朝は残念ながら、捕まえられなかったからね」
後ろから抱きついてきた真紀先輩に拘束された。
何事かと思えば、あの後の顛末を教えろとのこと。
「ですから、梨花の言う通りで他に何もないです。分かりましたか、真紀先輩?」
「ああ、先輩呼びに戻ってる!」
「あれ? でしたら橘先輩とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
「もう! 梨花からも何か言ってやってよ」
「慎ちゃん、あまり女の子をいじめちゃダメよ」
おいたは駄目と叱る梨花は相変わらず天使だ。
「それだよ、絶対におかしいよ。一切、梨花が嫉妬しないんだよ。こんな事や、こんな事しても」
ぬいぐるみ扱いで、真紀先輩が僕に抱きついてくるけれど、梨花はにこにこしている。
うんうん、愛されてる。信頼されてるっていうのはきっとこういう事なんだろ。
「絶対におかしい! 距離感が違いすぎるよ。付き合ってるんでしょう? それでなんで距離感が離れるの? だったら今までのイチャイチャしていた距離感は何なの?」
腑に落ちないと真紀先輩が首を傾げる。
「そりゃあ、彼氏のいない寂しい独り身としては、いちゃつかれなければ精神面で嬉しいけどさ。何か納得いかないんだよね」
振り返った瞬間に梨花と目が合う。真紀先輩なら話してもいいと、瞳が語っていた。
「鋭いですね。実はですね──」
「やっぱり何か隠し事があったんだな」
「隠し事までは行きませんが、学校には報告済みです。僕たち、親公認での婚約中だと」
「ぶっ! それのどこが隠し事じゃないのかな? よく学校の許可が出たね?」
「そりゃあ、婚姻でもなくて、婚約ですからね。しかも親公認の。反対する理由がないのでは?」
「そりゃそうか。結果として、馬鹿ップルが落ち着いたのなら、学校としても認めざるを得ないのか──」
真紀先輩は深いため息を吐いた。
「どこかにかっこいい男、落ちてないかな?」
「真紀ちゃん、駄目よ。慎ちゃんは諦めて」
普段なら僕の腕にしがみついてくるのだけれど、梨花は僕の手を強く握るだけだった。
確かに落ち着いたように見えるのかもしれない。
あれだけあった不安や恐怖がなくなった今は、ただ梨花のそばに居れるだけ満足だ。
僕は梨花の手をゆっくりと握り返した。
今の二人はこれだけで十分だった。
Fin.




