変わりゆく日常6
練習終了直後は肩で息をしていたが、姉さんから渡されたタオルで汗を拭き取り木陰で休んでいるとすっかりと息も整った。
「慎司!」
真紀先輩の声に振り返ると真紀先輩が指差す先に、ハードルを片付けている先輩たちの姿が見えた。僕は真紀先輩に頷いてみせる。
「ちょっと行って来ますね」
姉さんと真紀先輩の二人に声を掛けてから先輩たちの方へ駆け出した。
「手伝います。これを片付ければいいんですね?」
片手にハードルを一個づつ持ち、ちょっと辛そうに運んでいるショートヘアの女先輩に声を掛けた。
女先輩は歩みを止め僕の顔をまじまじと見つめた。
「入部したばかりの子にやらせれないわよ。しかも真紀の専属マネージャーでしょう?」
「花澤慎司と言います。よろしくお願いします。専属マネージャーとか関係ないですよ。ねぇ、じゃなくて、女性が重そうにしてるのを放っておくなんてできませんよ」
思わず言い換えせずに"姉さん"と言い掛けたが何とか修正して誤魔化した。
「そう? じゃあ、お願いするわね。私は2年の橋本綾香よ、よろしく。真紀と梨花とは同じクラスよ」
「任せてください。どこに運べば良いですか?」
「あそこに見える体育倉庫の左奥よ」
「分かりました。じゃあ、片付けておきます」
橋本先輩から受け取ったハードルはズッシリと重かった。
三レーン分、計三十個のハードルを片付けた頃には再び汗まみれになっていた。
そのまま橋本先輩に完了の報告をする。
「慎司君、ありがとう。噂ってあてにならないものね。あ、そうそう、花澤君って呼ぶと梨花と区別付かなくなりそうだから慎司君って呼ぶね。嫌なら変えるけど?」
ケタケタとおかしそうに笑いながら橋本先輩が言った。どうやら笑い上戸の先輩らしい。
「いえ、好きに呼んでもらって結構です。ところで噂って何ですか?」
「えっ? 本人に言っていいのかな?」
「そんなに酷い噂なんですか?」
「違う違う、そんなんじゃないって! しょうがない、梨花達には私が言ったってのは内緒にしといてね」
橋本先輩が手招きするので近寄ると、右手を口元に当てた橋本先輩の顔が僕の耳元に近付いて来た。
「慎司君は梨花にぞっこんなシスコンの上に女嫌いだって噂があったのよ。私が話したというのは二人だけの"ヒ、ミ、ツ"よ」
耳元で囁く橋本先輩の息で耳がくすぐったくて背中がゾクゾクした。もしかしたら汗のかきすぎで風邪を引いたのかもしれない。なるべく早く着替えに行こう。
「分かりました! でも、どこからそんな噂が?」
「ふふふ、さあ? でもシスコンな所は私も目撃したから、満更嘘でも無いと思ってたわ」
「ははは、そうですね」
目撃されているなら下手な言い訳もできず、僕の口からは乾いた笑いしか出てこなかった。
「じ、じゃあ、僕は行きます。橋本先輩、お疲れ様でした!」
三十六計逃げるに如かず。一目散に撤退するのであった。
***
橋本先輩から遁走し、姉さん達二人の元に戻る。
「お疲れ様、慎ちゃん。はい!」
姉さんから渡されたタオルで再び汗を拭き取った。
「あれあれ、凄く楽しそうな感じだったけど。彼女のボクを差し置いて浮気かなぁ?」
いつものようにおどけた口調で真紀先輩が絡んでくる。
「浮気も何も片付けを手伝っただけです」
「そうかな? 手招きされて何か内緒話してたよね。こんな感じで」
真紀先輩が顔を僕の耳元に近付けた。
「梨花相手だと顔を真っ赤にするよね。ボク達なら平気な癖に。一杯練習して慣らしておくかい?」
真紀先輩の囁く息が耳に掛かってくすぐったい。
「くすぐったいのでやめて貰いたいです」
「あれ? ゾクゾクしたりしないのかな? もっと囁いてあげてもいいんだぞ」
仕方ないので真紀先輩の肩を掴んで引き離した。
「あれ?」
真紀先輩がコテン、って首を傾げる。
そんな可愛こぶっても騙されませんよ。
「ズルい! 二人で何か楽しそう。私も仲間に入れなさい」
真紀先輩を僕の前から引き離して代わりに姉さんが僕の前に立つ。そのままゆっくりと僕の左耳に口を近づけると言った。
「ふふふ。あのね、大好きだよ、慎ちゃん」
耳を掠める姉さんの吐息に背中がゾクゾクして止まらない。完全に風邪引いてしまったようだ。
顔がほてって真っ赤になり、身体中が熱を持ったように熱い。
「顔真っ赤だぞ、慎司」
揶揄うような真紀先輩の声は無視する。
「何かおかしい、風邪ひいたかも。もう帰るよ」
「早く帰りましょう、慎ちゃん!」
「一晩寝れば大丈夫だと思うよ、心配しないで、姉さん。とりあえず今日はもう帰ろう」
心配そうな姉さんを安心させると帰り支度を始めた。




