現実の何を変えるでもないけれど
茹でて庭に撒いたドングリは
地面から芽を出すことはない
食べて胃袋に到達したスイカの種は
体内で芽を出すことはない
自己満足に走り投稿した作品は
「なろう」で芽を出すことはない
でも、家の前のドングリに喜ぶ子ども
食後、スイカのようにまん丸なお腹をなでる子ども
深夜、スマホ画面に浮かぶ赤字にドキドキする自分
子どもとは違う、自分は大人
何もかもが叶う未来ではないことを知っている
現実を知っている
自己満足は所詮、自己満足だと知っている
でも、芽が出ることに期待する子どものように
芽が出ることに怯える子どものように
もしも芽が出たらと、頭の中に想像の茎を伸ばす
それは神経のように
血管のように
脳ミソのように
緻密で、繊細で
ぐにゃぐにゃして、うにゃうにゃして
きっと自分は蔓植物で
ねじれ、ひねくれ、からみ、もつれ
時に息苦しく、時に身動きが取れず
でも、蔓は伸びて、伸びて、伸びて
神経が通るべき場所を埋め尽くし
血管の巡るべき場所を隙間無く塞ぎ
脳ミソが収まるべき場所からどばどばと溢れ出る
だから、伸び過ぎた蔓をちょん切って
はみ出した葉を摘み取って
枠の中に自分を押し込めて
でも、蔓はどんどん伸びるから
葉もどんどん増えるから
関節が縮こまり、全身が痛み、皮膚呼吸すら難しく
地面から芽を出すことのないドングリのように
体内で芽を出すことのないスイカの種のように
例え無意味でも
現実の何を変えるでもなくても
自己満足な作品には自己満足な作品なりの意味がある
枠からはみ出して、節々を伸ばす
全身を弛緩させ、呼吸を楽に
評価も感想も期待出来ない作品が
自己満足が自分を保つ
これが自分、伸びに伸びた自分だと、大きく胸を張る
枠も大事、枠からはみ出ることも大事
その全てが今の自分
でもやっぱり、赤い文字が見えたら嬉しくて
だって赤い文字の先には、きっと確かな人がいる
例え無意味でも
例え自己満足でも
誰かが見てくれたと分かる赤字に感謝を
ドングリもスイカの種も自己満足な作品も
現実の何を変えるでもないけれど