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好きでした、さようなら  作者: @豆狸
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第七話 私の心の三度目の死

 ヘイゼル陛下に言われて裏庭の花壇へ来たら、クラウディア様がいらっしゃいました。

 クラウディア様はクラウディア様で、王太后として(まつりごと)に励んでらっしゃいます。

 今月末にデクストラ王国の夏祭りを訪問するときには、シニストラ王国のことはクラウディア様にお願いしていく予定です。いつもは大公殿下ご家族が招かれていたのですが、今年は私がデクストラ人ということもあり、王太子ジークフリード殿下とその婚約者にして公爵令嬢のガートルード様の連名で私達国王夫婦にも招待状が来たのです。会議の末、今年は大公殿下ご家族が留守居をしてくださることになりました。


「お義母様」

「あら、アンリエット。今日のお仕事はもう終わり?」

「はい! ヘイゼル陛下がお気遣いくださいました」


 ふふふと笑って、クラウディア様が花壇を見ます。

 私の母は私が小さいころ、冬に流行る病で亡くなっています。クラウディア様もデクストラの王妃様も私にとっては大切な母です。

 ……本当は孫の顔を見せて差し上げたいです。いいえ。ヘイゼル陛下の愛する人が見つかれば、クラウディア様に孫の顔をお見せすることができるでしょう。デクストラの王妃様については、私ごときが心配する必要はありません。ガートルード様もプラエドー様もすぐに可愛いお子を授かることでしょう。


「まだ精霊の種は芽を出していないのね」

「は、はい。申し訳ございません」

「いいのよ。芽が出ていないということは、あなたが幸せだということだもの」

「……幸せ、ですか?」

「不幸な人間、あるいは欲深い人間ほど願いの力は強いものだから。……ふふふ、私の種はすぐに芽が出たわ」

「クラウディア様……」

「変なことを言ってごめんなさいね。あなたが精霊の種に願わないでも良いくらい幸せならいいのよ」

「でも……私の願いは陛下の幸せですから」


 このまま芽が出ないと困ってしまいます。

 学園の同級生や後輩に頼んだ調査は行き詰っていました。


「あなたがいればヘイゼルは幸せよ」

「……」

「ただ、子どもというのは仲が良過ぎてもできないものなの。たまには寝室を別にしなさいね」

「あ……」

「ごめんなさい、余計なことを言って。嫌な姑ね」

「そんなことありません」


 休憩時間が終わったと去っていくクラウディア様に、私は告げることなどできません。

 毎日同じ寝室の同じ寝台で眠っていても、ヘイゼル陛下と私の間には剣が置かれていることを。

 あの剣は、陛下が私から身を守るためのものなのかもしれません。あの方が愛しているのは私ではないのですから。


 デクストラ王国より北国のせいか、シニストラ王国の夏の光は柔らかい気がします。

 雑草を抜いた後で、私はぼんやりと花壇を眺めていました。

 ガートルード様がお好きだった加密列(カミツレ)の白い花が風に揺れています。この子は暑さと乾燥に弱いので気をつけなくてはなりません。父や兄が好きだった肉料理に使う花薄荷は薄紅の花、一斉に青い花を咲かせた菊苦菜の収穫は来年の春──


「……アンリエット様」


 だれかが呼ぶ声に振り向くと、溶けた猫を抱いたネビル様が立っていました。

 気が付くと夕方です。

 私はどれだけぼんやりしていたのでしょうか。ヘイゼル陛下もたまに、この場所に私を迎えに来てくださいます。ネビル様が言いました。


「厨房で飼ってる猫なんだけど撫でる?」

「ありがとうございます」


 辺境伯領の実家でも厨房で猫を飼っていました。

 こんなに大きくて、お腹がタルタルの猫ではありませんでしたが。

 ネビル様が地面に降ろしても、猫はだらーんとしています。私はお腹を撫でました。なかなかの手触りです。


「……ヘイゼルに言われたんだ」

「この猫を私のところへ連れて行くようにですか?」


 ネビル様は首を横に振ります。


「三年経ったら、俺とあなたで子どもを作るようにって」

「え……?」

「俺ね、ヘイゼルの従弟なのは事実だけど、アイツの異母弟でもあるんだ。サイモン先王の愛人、クラウディア様の異母姉が産んだ子ども。父上と母上……大公夫婦が哀れに思って引き取ってくれたんだ。公式にはおふたりの実子ってことになっている」

「そうなんですか。……ごめんなさい、ネビル様。陛下に大変なことを頼まれましたね」


 異母兄弟だから彼は、ヘイゼル陛下に対しても普通の口調で話していたのですね。

 ネビル様が眉間に皺を寄せます。


「なに他人事みたいに言ってるんだよ! アンリエット様はそれでいいの?」

「大丈夫ですよ、ネビル様。そんなことにはなりません。その前に私が陛下の愛する人を見つけてみせます」

「アンリエット様はヘイゼルの好きな女を知ってるの?」

「会ったことはありません。去年、デクストラ王国の夏祭りでお会いしたそうです」

「ちょっと待ってよ。それってもしかして……」

「その方は黒い髪に紫の瞳で、第二王子の婚約者の辺境伯令嬢アンリエットと名乗ったそうです」

「なんだよ、それ! ただの身分詐称の罪人じゃないか! その女のせいでアンリエット様はラインハルト王子との婚約を破棄されたんだろう?」

「……終わったことです」


 案じてくださるネビル様には申し訳ありませんが、もうなにも考えたくありません。

 とっくに亡骸になっていると思っていたのに、私の心は案外図太く蘇っていたようです。

 心のどこかで、愛する人が見つからなければヘイゼル陛下は私のことを見てくださるのではないかと思っていたのかもしれません。そんな醜い心の持ち主だから、跡取りを得るために抱くことさえ嫌だと思われたのでしょう。


 幸いなことに、涸れ果てたのか涙は出ませんでした。

 三度目の死を迎えた私は、無心で猫のお腹を撫でます。

 ──精霊の種が芽を出したのは、その翌日のことでした。私はやっと本当に願ったのでしょう。陛下の愛する人が見つかりますように、と。

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