第五話 私は精霊の種に願いを囁きます。
「精霊の種ですか?」
言われた言葉が飲み込めなくて、私はクラウディア様を見つめました。
ヘイゼル陛下のお母君です。私にとってはお義母様になります。
私がシニストラ王国に嫁いでから一ヶ月、陰になり日向になりして助けてきてくださった方です。……私と陛下が白い結婚だということは、まだお伝えしていません。
今日はクラウディア様に、王宮の裏庭にある花壇に連れてきていただきました。
「ええ、そうよ。シニストラ王国の妃に伝わってきた最後のひとつなの」
「そんな大切なものをいただいてよろしいのですか?」
「もちろんよ。ヘイゼルの妻になってくれてありがとう。ふふふ、去年あの子をデクストラ王国の夏祭りへ送り出したときには、こんなことになるとは思ってもいなかったわ。父親の反動で生真面目だったあの子が、あなたの婚約破棄……ごめんなさい」
「いいえ、もう終わったことですから」
「……そうね。おかげでシニストラ王国は最高のお妃を得られたわ。とにかく、あなたが自由になったことを知ったときのあの子の顔を見せたかったわ。デクストラ王国の辺境伯令嬢とどうしても結婚したい、幼いころから聞きわけの良かったあの子が生まれて初めて口にした我儘よ」
ヘイゼル陛下のお父君、サイモン先王陛下は長患いの末にお亡くなりになりました。
ですが病床に就かれて寝たきりになるまでは、かなりの浮気者として知られていたそうです。体を壊したのも荒淫のせいではないかと言われています。
裏切られ続けたにもかかわらず、クラウディア様は最後の瞬間までサイモン先王陛下を看病していたそうです。
「王妃になるというのは華やかなことだけではないわ。どんなに国が富み栄えていても影の部分はあるものよ。あなたには、その汚れた部分も飲み込んでいってもらわなければならない」
「……はい」
「だけど、それでは寂し過ぎるでしょう? だから精霊の種なの。願いをかけて育てれば、きっと精霊が願いを叶えてくれる。もし無理だったとしても、夢を見ている間は幸せだもの」
受け取った種を握り締め、私は頷きました。
そうです、夢を見られるのならおとぎ話でもいいのです。
「そうですね。……クラウディア様、私はヘイゼル陛下の幸せを願います」
「あの子の? 自分のことではなくて?」
「ヘイゼル陛下の幸せが私の幸せですもの」
「そうなの。あの子は本当に良いお妃を娶ったわね。この裏庭の花壇を使って頑張りなさい」
「はい!」
「……私は精霊に会えなかったけれど……」
優しく微笑んで去っていくクラウディア様はなにかを呟かれたようでしたが、私の耳には聞こえませんでした。
ひとりになった私は花壇の前にしゃがみ込みます。
この花壇に、精霊の種以外のものを植えても良いのでしょうか。
王宮ではラインハルト殿下のために香草を育ててお茶にしていました。サイモン先王陛下がお亡くなりになられて一年経つとはいえ、ヘイゼル陛下のお仕事が減るわけではありません。もちろん手伝えることは手伝っていきますが、熱いお茶やちょっとしたお菓子で心を休めるのも大切なことでしょう。
花が咲き精霊が現れるまでは、私はヘイゼル陛下のお妃です。
彼のためにできることはなんでもしましょう。
そして私は精霊の種に祈るのです。……陛下の愛する人が見つかりますように、と。
学園の同級生や後輩達に去年の夏祭りのことを聞いていますが、捗々しい結果は得られていません。
ガートルード様に事情を知られたら私を案じてヘイゼル陛下を怒ると思うので、彼女には秘密にしてもらうよう頼んでいるのも良くないのかもしれません。
やっと見つかった目撃証言によると、その女性は確かに紫色の瞳だったそうです。もしかしたら祭りに来た旅人だったのかもしれません。土地に属さない旅人なら、身分を詐称して貴族を怒らせることも気にしなかったのでしょう。
★ ★ ★ ★ ★
クラウディアはシニストラ王国の公爵家の娘だ。
夫となったサイモン王とは生まれたときからの婚約者だった。
ふたりは年が離れていたので、サイモンの弟である大公のほうが早くに結婚した。大公家の上ふたりの息子はヘイゼルよりも年上である。
サイモンは華やかで陽気な男で、クラウディアは彼が大好きだった。
年が離れているのに、クラウディアが幼いころから彼は足繁く公爵家に通ってきてくれていた。
それがクラウディアの異母姉と密会するためだったこと、彼の浮気は平民の母を持つ後ろ盾のない彼女との関係から目を逸らすためだったことを知ったのは、随分後になってからだ。
サイモンの母に精霊の種を渡されたクラウディアは、ささやかな願いを祈り続けた。
……彼を、愛しい人を独り占めにさせてください、と。
花が咲くことも精霊が現れることもなかったが、異母姉がヘイゼルの異母弟を産んで死んだ後、倒れたサイモンを看病することで願いは叶った。サイモンはクラウディアの手を握り異母姉の名前を呼んで亡くなったけれど、クラウディアは幸せだ。
だけど、たまに思うことがある。
……精霊の種に願いをかけるまでもなく、私のこの手で殺せば良かった、と。
絶対に愛してくれない人を手に入れるためには、ほかに方法はない。どんなに甲斐甲斐しい看病も思いやりも優しさも、人の心を動かすことはないのだ。意識が朦朧としたサイモンが感謝の言葉を述べたのはクラウディアに対してではなかったように。