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好きでした、さようなら  作者: @豆狸
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第十三話 私が意識を失っている間に

「アンリエット!」


 そう叫んだのは、ヘイゼルとラインハルトのどちらが先だっただろう。

 隣で崩れ落ちたアンリエットを抱き上げようと腰を下ろしたヘイゼルは、彼女に伸ばした手を弾かれた。

 見ると、ラインハルトがヘイゼルを睨みつけている。


「俺のアンリエットに触るな!」

「……君のものではない。私の妻だ」

「はあ? だったらなぜ、あんな顔してプラエドーのこと見てたんだ。隣にアンリエットがいたんだぞ!」

「っ!」


 羞恥に顔が熱くなるのを感じて、ヘイゼルは俯いた。

 その間に、ラインハルトがアンリエットを抱き上げる。

 赤みの強い茶色い髪の青年は泣いているようだ。


「アンリエット、アンリエット、大丈夫か? 死ぬな。お前がプラエドーと同じような生きた亡骸になったとしても俺がずっと守り続けてやるからな!」


 アンリエットを抱いて中庭から離れるラインハルトを止めるものはいない。


「ヘイゼル陛下」

「……」


 王太子のジークフリードとその婚約者のガートルードが、ヘイゼルを見ている。


「僕はあなたからの求婚の申し込みを辺境伯家へ伝えることに反対しませんでした。毎年の秋祭り訪問で、あなたのことを知っていると思っていたから。だけど、それは間違いだったようですね。アンリエット嬢に、どれだけ謝罪しても謝罪しきれません」

「……あんな女を、アンリエットの名前で呼ぶなんて」


 ヘイゼルが無意識に漏らした呟きは、隣にいたアンリエット以外にも届いていたようだ。


「私は……」

「先ほどのプラエドーという女は男性を魅了するわけではありません。あの精霊の力にもできることとできないことがあったのでしょう。彼女は周囲の人間の感情を煽っていた。欲情を、嫉妬を、罪悪感を……それを上手く使って、相手を思い通りに動かしていたのです。そしてその力は、彼女から三日離れれば消え去るものです」

「では、私は……」

「あなたはあなたの意思で、彼女を選び恋したのでしょう。さっきの表情を見ればだれにだってわかります。偽物と本物を間違えていたのですね。……どうして。どうして顔合わせのときに言ってくださらなかったのです!」


 子どものときから王宮で一緒に育ってきた辺境伯令嬢のアンリエットは、王太子ジークフリードにとっても特別な存在だった。

 義妹になるかもしれなかった娘で、愛しい婚約者の親友なのだ。

 ヘイゼルは顔を上げることができなかった。


★ ★ ★ ★ ★


 アンリエットは命に別状はないようだ。

 王宮で彼女が暮らしていたころの部屋で寝台に横たえられた彼女を診察した医師も薬師も、おかしなところはないとラインハルトに告げた。

 しかし、アンリエットは眠ったまま目覚めない。


「……アンリエット……」


 寝台の横に座り彼女の寝顔を見ていたラインハルトは、不意に思い出した。


「そういえば、プラエドーの精霊が言っていたな。アンリエットの育てた精霊がプラエドーの髪や瞳の色を変えたのだと。……精霊、いるのか?」

『いるよ』


 アンリエットの黒髪から、小さな子どもが姿を現した。

 蜂に似た透き通った翅が銀色に輝いている。

 髪の毛も銀色で、瞳は紫だった。ラインハルトは思わず眉間に皺を寄せた。


「……嫌な姿だな。まるでアンリエットとあの男の子どもみたいじゃないか」

『アンリエットが彼のために願ったことで生まれたから、似たようなものかもね』

「プラエドーの赤いヤツよりはまともそうだな」

『あはは。精霊にだって心があるんだよ。身勝手な思いばかりぶつけられてたら歪んでしまうよ。……アンリエットのふたつ目の願いはね、僕が実体を持つことだった。その前に僕がお願いしたからなんだ』


 ラインハルトは舌打ちを漏らす。


「アンリエットは莫迦なんだ。俺の婚約者だったときも、俺のことばかり考えてくれていた。なのに、俺は……精霊!」

『なぁに?』

「アンリエットを助けてやってくれ。代償ならなんでもやる。俺の命だったとしてもいい」

『いらないよー』

「なにがダメなんだ? お前を育てたのが俺じゃないからか?」

『そうじゃなくて、アンリエットは別に死にかけてるわけじゃないんだよ。僕が生命力をもらい過ぎたわけでもない。……ちょっとはきっかけだったかもだけど。アンリエットが眠っている一番の理由は、ずっと願っていたことが叶って気が緩んだからだよ』

「ずっと願っていたこと? そういえば、あの男のために願ったことで生まれたとか言ってたな」

『そうだよ。アンリエットはね、彼の愛する人が見つかりますように、って僕に願ったんだ』


 ラインハルトは溜息をついて、自分の顔を手で覆った。


「アンリエットは、あの男を愛しているのか?」

『知らないよー』

「プラエドーが言ってたじゃないか。お前達精霊は人の心が読めるんだろ?」

『読めるけど読まない。アンリエットはそんなこと望まないから。アンリエットはね、意識を失う直前僕に幸せになってって言ったんだ』

「……そうか」


 顔を上げ、ラインハルトは微笑んだ。

 死にかけているのでなければ、アンリエットが目覚めるのを待とう。

 誤解と婚約破棄のことを謝って、これからのことを話し合おう。ラインハルトはヘイゼルにアンリエットを渡す気はなかった。たとえ今はアンリエットの夫だとしても、彼にはその資格がない。


 ラインハルトは、アンリエットとの婚約破棄からずっと憎んでいたプラエドーを哀れに思った。

 去年の夏、彼女がヘイゼルを選んでさえいれば、だれも不幸にはならなかったのだ。

 彼女自身も王妃になるという願いを叶えられた。もっともその場合も精霊に生命力を取られて亡骸のようになっていたかもしれないが。

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