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君と絵の中の世界で  作者: 葉月柚子
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夏に君と出会う

売れない画家・奏と女子高校生・絵麻の出会い、そして絵麻と謎の油彩画の再会

蝉の鳴き声が頭に響く。

汗と油絵具の匂いが鼻につく。

窓からは波の音と共に海風が心地よく流れてくる。

冷房をつける贅沢などできるはずもなく、売れない画家・奏は蒸し暑い中筆を走らせる。

画に引きこまえれたかのように四時間ほど描き続けたところ、携帯の聞きなれたメロディーに現実へ引き戻された。


「もしもし」

「奏、今出てこられる?」姉の翔子だ。

「何、忙しいんだけど」奏は溜息をついた。

「バイトくんが急に体調悪くなってさ。ちょっと手伝えない?」翔子は奏の自宅近所でカフェを経営している。奏もたまに顔を出し手伝うこともあるが、今日は画に集中したいところだ。

「いやだ」

「バイト代はずむよ」翔子は奏の弱点を知っている。金だ。

「…分かった。十五分くれ」


二年前、奏は東京の有名芸術大学を卒業した。周りがデザイン事務所や美術館に就職する中、奏は油彩画を描き続けることを選んだ。だが、芸術の世界で成功する人間は一握りだ。ギャラリーなどで画が売れることもあるが、殆どアルバイトで生計を立てている。よって、たまに翔子からもらうバイト代は貴重な収入源である。


奏は身支度をし、翔子のカフェへ向かった。


-


「で、俺は何をすればいいわけ」汗でTシャツもびっしょり濡れ、奏は不機嫌だ。

「まず着替えて、臭い」翔子は容赦が無い。奏は言われた通り、カフェの制服に着替える。「とりあえず、オーダー取りに行って、あそこの女の子」


奏は窓際の席に座っている少女に目をやった。歳は奏より少し下くらいだろうか。黒いワンピースと透き通るように白い肌のコントラストに奏は思わず見惚れていた。


「ぼーっとしてないで、オーダー」翔子に声をかけられ、奏はやっと我に帰る。

「オーダー、よろしいでしょうか」

「カフェ・ラテをお願いします」少女はメニューを見ながら言う。そして、顔を上げ、奏と目が合う。薄茶色のかかったその瞳に奏は吸い込まれた。奏が思わず目を逸らすが、少女の視線はそのままだ。

「絵の具の、匂い」少女は呟いた。

「す、すみません。臭いですよね」奏は耳まで赤くなるのを感じた。奏は油絵具の匂いが好きだが、勿論それは少数派だ。

「そんなことない、いい匂い」少女は立ち上がり、顔を奏に近づける。奏は赤面しながら思わず一歩引き下がった。

「ごめんなさい。驚かせてしまった」少女は再び席に戻り、何事もなかったかのようにカバンから本を取り出し読み始めた。


バイトが終わり自宅へ戻った奏はベッドの上でカフェで出会った少女のことを考えていた。


たしかに美人ではあるが、外見的な何かより奥深い魅力をを少女は持っていたのだ。奏は少女を眼にした途端『描きたい』という衝動に駆られたのだ。そう気付くと、胸が高鳴る。


「いや、多分もう会うこともないし」そう口に出すと、どこか寂しい気もした。



カフェを出ると、黒いワンピースの少女・絵麻は三年振りに亡き祖父の自宅へと向かうべく、海沿いの道へと向かった。絵麻は祖父母と時を過ごしたこの海辺の街が大好きだった。家庭の事情で高校からは東京へ引っ越したが、夏休みの度にこの街へ帰ってきては潮の匂いに懐かしさを感じた。


「もしもし、もうすぐで着くけど」絵麻はスマホを手にする。電話の相手は母だ。

遅刻をする、という返事を聞いてから、絵麻はため息をしながらスマホをトートバッグへ仕舞った。


もう誰も住んではいない祖父の家を片付けるのに絵麻は今日駆り出されたのである。無論、大好きだった祖父の自宅へ向かうのは苦になる筈もなく、むしろ片付けがてら書道家であった祖父の数多ある作品を拝見するのを絵麻は楽しみにしていた。しかし、言い出しっぺである母が遅刻なのはいただけない。


十五分ほど歩くと、絵麻はようやく祖父の自宅に着いた。流れる汗をハンカチで拭いながら、その外観を眺めた。かつて綺麗に手入れされていた庭は荒れまくっていたが、祖父が友人である有名建築家に建てさせた和と洋の意匠を併せ持つ独特なデザインの本邸は相変わらずの迫力だ。芸術に身を捧げた祖父を、絵麻は心の中から尊敬していた。


預かっていた鍵を取り出し、重い戸を開け、玄関へ踏み入れると、埃っぽい空気が身を纏う。同時に、墨の匂いがほのかに薫る。入口からすぐ側にある物置部屋に目をやると、開いた扉の奥には相変わらず色とりどりのキャンバスや陶芸作品が沢山収納されていた。


「やっぱり、綺麗」絵麻は壁一面を覆い隠す油彩画に見惚れていた。祖父がフランスのギャラリーで購入した、タイトルおろか、作者さえ不明な謎多き画である。


多彩な淡暖色と丁寧な筆のストロークを用いてキャンバスの上半分に描かれた日没はどこか寂しげで、観賞者の感情を揺さぶる。そして作品の下半分は暗色の建築物がびっしり並び、どこか反理想郷的な世界観を写し出す。この陰鬱な描写を見つめる度、絵麻は心臓が抉られるような不快さを感じた。

もちろん、大抵の人はこの画に強い嫌悪感を抱くだろう。しかし、世にどれだけの作品が観る者からこれほどの感情を引き出せるだろうか。簡単に消費され、忘れ去られる絵画が多い中、これほど印象的な作品はない、と絵麻は評価した。


絵麻がこの謎めいた画に気を取られていると、オルゴールの音色が聞こえてきた。

「オルゴール?」この物置部屋にオルゴールが仕舞われていた記憶は、ない。すると、絵麻は突然フワッとした不思議な感覚と共に睡魔に襲われた。










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