第78話「合格」
竜太はルイに渡された注射器を手にとった。その注射器には透明な液体がシリンダ内部に満タンに入っている。
胸の辺りに構える注射器に視線を落とす。その手は小刻みに震えている。
竜太が注射を打つことをためらっている間にすぐ隣りにある人一人入れるほどの大きさのカプセルの上部からアームが伸びて拘束されているヴァンパイアの首筋に注射器が刺された。その途端、眠っていたヴァンパイアが覚醒して、いきなり叫び声を上げてその声は密閉されているカプセルの壁を突き抜けて部屋中に響き渡った。注射器を刺されたカプセルの中にいる被験者は手足を拘束されており口から泡を吹いて苦しそうにもがいている。やがて注射器が刺された場所は沸騰しているようにボコボコと盛り上がってから煙が立ち、皮膚が溶け始めた。しばらくするとその泡は徐々に登って、顔にも発生して、顔がろうそくのようにどろどろに解けて緋色の目玉が顔から落下してポトリと音を立てて硬いカプセルの底面に当たる。
竜太は真横で行われているその出来事を横目で見て震えを抑えられないでいる。もう片方の手で必死に震えを止めようと手首を掴んだが両手も震えている状態で震えを止めることは出来なかった。
その様子を見たルイは言った。
「竜太。もしかして躊躇してる?」
え? 冗談でしょ? とでも言いたげな様子のルイだった。
それでも、床に両膝を付いて必死に震えを抑えている竜太は声のする方向へ顔を上げる。視線の先には竜太を見下ろすルイがいた。
さっきまで純粋な少年のような澄んだ瞳をしてたルイはその青い瞳から光が消えたようにくもったような目をしている。その時、竜太はルイと初めて会った時の恐怖を再び感じて汗が滲み始めた。
「わかってる…わかってるけど」
さっきまで叫んで、目玉が落ちた被験体はすっかり沈黙している。被験体のその様子から上半身のへそ辺りまで体が溶け切った時に副作用が治まったようだった。しかし、遠くの方にあるカプセルからは違う被験体の叫び声が聞こえる。しかし、そんなことには気にもかけないルイは竜太を見下ろした。まるで期待を裏切られたような失念をあらわにする青い瞳は冷徹さを感じさせた。
「大きな成果を手に入れるのはリスクを伴う。竜太は死が怖い。だから、圧倒的な強さを求めている。不死になることを求めている。その恐怖を克服するにはリスクを伴うんだよ」
ルイはしゃがみこんで竜太の耳元でそっと囁いた。絹糸のようにさらさらとした銀髪がふわりと揺れた。
「僕は君を信じている」
竜太は震える手で注射器のピストン部分に指をかけて首筋に針を触れるまで近づけて目を絞るように瞑った。ルイはその手にそっと女性のようにスラリと伸びた手をかぶせて続けて言った。
「君なら出来るよ」
親指がピストンを押し上げて注射器の中に入っている液体が竜太の首元から注入されていく。
その途端、竜太の心臓は強く拍動し、首筋の血管が血液の流れを波打つように脈動し始め、呼吸が早くなる。
「ぁぁああああ!!」
竜太は首を押さえながら床に額をこすりつける。痛みのあまり、自分で床に頭を打ち付けて額から出血している。そして、悶ながら床を転げ回った。
しばらくすると、竜太の首はカプセルの中にいた被験者のように皮膚の下で大きな泡を立てて盛り上がっている。咄嗟に握りしめた力で掴んでいた注射器が粉々に砕け散った。
「いやだ、死にたくない。俺は死にたくない。いやだ…」
「…」
ルイは何も言わず足元で悶え苦しんでいる竜太に冷徹な青い瞳で見つめていた。
竜太の首にできた3つほどの泡は首元から頬にも出来始めた。しぼんでは出来てを繰り返し、ボコボコと泡が立つ。そして、頬にできた握りこぶしほどの泡が皮膚の下で破裂して頬の肌が破れて血が弾け飛んでルイの白い革靴に付着した。そして、竜太はまた痛みに苦しみに悶える。
「痛い、イダイィ!」
カプセルの中で上半身が溶けて死んでいったヴァンパイアと同じような症状がまだ治まらないでいる。
その泡はまだ収まること無く、それどころか悪化して今度はこめかみの辺りに出来始める。こめかみから皮下を這うように移動して左目の瞳に泡は近づいていく。
その泡は竜太のこめかみ付近から姿が見えなくなったと思ったら眼球の真後ろに移動していた。その証拠に眼球が泡で押し出されているのか、竜太の左目は自らが目を開くにしてはではありえないほど大きく開けており、その後ろに泡があることが想像できた。
左目は徐々に眼からむき出し始めて眼の中に収まらないほどまで眼球が飛び出し始めた。やがて、泡がポンと破裂して竜太の片目はその泡に突き飛ばされて眼から飛び出してくる。咄嗟に竜太は左目を両手で抑えた。そして、床に張り付くようにうずくまる。
「目ががぁあああ! 目が、目が…熱い、熱いぃい」
すると、首筋から目元にかけて湧き出していた泡は次第に引いていきゴムのように伸びていた皮膚も元の姿に戻った。
ただ床には頬が張り裂けて飛び出した血液と朱色の眼球が1つ転がっている痛々しい光景だった。
ルイは足元に転がっている竜太の目玉を拾い上げた。人差し指と親指でビー玉を弄ぶかのように器用に転がして憂うような目でその眼球を眺めている。
竜太はしばらくの間、痛みに悶ていたが少し落ち着いて片手で左目を抑えながらなんとか立ち上がった。
まだ、肩を上下に揺らして息が上がっている。額には嫌なじわじわと汗がにじみ出ている。
そして、左目を覆っていた手の人差し指と中指の間隔を開いた。そこには空洞になった眼があった。その瞳からは涙のように赤い血が溢れ出ている。そして、残った朱色右目でルイを見下ろした。そして、なんとか息を整えて言った。
「これでいいんだな」
竜太には発達した牙と右目の上部の額に一本の白い角が剃るようなカーブを描いて映えていた。まさに、その姿は鬼そのものであった。
その姿を見たルイはニッと口角を上げて不敵に笑う。
勢いで飛んだ竜太の瞳がルイの足元へ転がりルイはそれを拾い上げる。
見上げた竜太をルイは青色の瞳を細めると、ぺろりと長い舌を出して掴んでいた竜太の眼球をその舌でなぞった。
「合格ぅ」




