第70話「違う道」
「俺はモラドを抜ける。そして、ALPHAに行く」
楓はおかしな冗談でも聞いたように笑った。いや、冗談であってほしいと願っていた。
「ちょっと竜太それは冗談でも言っちゃ…」
まだ本気にしていないと感じた竜太は楓の話を遮って地面を見つめていた朱色の双眸を楓に向ける。その瞳は嘘をついているような瞳ではなかった。
「本気で言ってる。お前にだけは言おうと思ってたんだ。だから、あの二人には寝てもらった」
竜太は遮光の茶色い小瓶をポケットから取り出して人差し指を親指でつまんで楓に見せた。
竜太はその小瓶をポケットに戻し両手をポケットに入れた。そして、竜太はジャンプして家を囲むブロック塀の上に立って楓を見下ろした。その後方にはこんな時を喜んでいるかのように輝く満月が竜太の背中を照らしている。
「言われたんだよキースに。俺は人間として死んだって。ヴァンパイアの生命力が嬉しんだろって。本当はその通りだ。俺は今までヴァンパイアになりたくねぇって言ってたけど、本当はこの生命力に憧れてる自分がいたし、それをキースに見透かされてた。そして、この生命力を手に入れて俺は一つの可能性を知った。それが不死身だった」
竜太は震える手で自分の顔を包み込んだ。月に照らされるその姿ははっきりと楓の緋色の双眸に写っていた。
竜太の瞳は潤み、楓の元へ届く声は今までの竜太では考えられないほど弱々しくて今にも崩れそうな声をしている。
「恐怖を克服できるんだよ。もう二度とあんな死ぬ思いはしたくない。だから、俺は不死の力を手に入れる。本当はお前をそそのかしてALPHAにつれていくことも出来ただろう。でも、お前は俺の友としてそんな姑息な手は使わない」
楓の頬に一筋の汗が伝う。そして、両手の拳を手のひらに爪が食い込むほど力強く握りしめて叫ぶように楓は感情をぶつけた。
「竜太が誰よりも死に対して恐怖を抱いていることは僕も知ってる。前に言ってたよね弟の葬式に行って遺骨を見た時あんな元気だった弟が小さい骨だけになって面影もなかったって。あの時から僕は目の前で死を見た竜太が誰よりも死に対して恐怖を抱いていることを知っていた。でも、だからってALPHAに行くことなんて無いじゃん。竜太はもう戦わなくていいし、僕が竜太をヴァンパイアにしたんだからもうこれ以上巻き込まれる必要はなんてないよ。竜太が望む生活を送ればいい。モラドのみんなだって事情を説明すればわかってくれるよ」
竜太は顔を覆っていた指の隙間から楓を見る。月光を背景に見えるその朱色の双眸はやけに映えて見える。
「今は状況が違うんだよ楓。この時代で、もうどこにいても安全なんて保証されてないんだ。お前だっていくら不死身でもそう思うだろ。人間でいればそこらへんにいるヴァンパイアに勝つことすらできない。ヴァンパイアになればALPHAのとんでもねぇ強さのヴァンパイアと戦わなくちゃいけない。仮に戦わなかったとしてもALPHAに目を付けられたら終わりだ」
「でも、竜太だったらヴァンパイアとして高い能力があるし、今まで僕を助けてくれた勇気がある。いくらALPHAに襲われても自分の身を守れる力はあるはずだよ」
竜太は楓がそう言う事をまるで予測していたかのようにフッと笑った。
「そうだよな。俺はお前の前ではそういうやつだったもんな」
「どういうこと?」
竜太は視線を上げて遠くを見つめた。どこか遠くまるで空の向こう側を見ているようにして目を細める。
「俺はな、お前が思ってるよりも強くなんか無いんだよ」
竜太は肩を落として自分を落ち着かせるように息を吐いた。
無風だった空間には風が吹き付け、竜太の瞳に滴るしずくは光の粉のように散っていった。
「本当は臆病なんだ。小学生や中学生の時、楓をいじめてるやつから助けたときも本当は見て見ぬ振りをして逃げ出したいって毎回思ってた。ヴァンパイアになってから特にそうだ。武闘会はなんとか勝てたけど本当は出たくなんてなかった。鋼星とやった特訓だって圧倒的な強さを前に震えを必死に隠していた。今すぐ逃げ出してぇって思ってた。なんかバカみたいだろ? だけど、人間の時に比べてヴァンパイアになってから死と隣合わせの出来事が多くなった。こんな日々が続くと思うと俺はもうやりきれないんだよ。もう疲れたんだ。いい加減平和とか共存とか妄想にすがってないで自分のために生きたいんだよ」
竜太は諦めに近いような笑みを見せた。それは、別の覚悟を決めたような表情にも見て取れた。
竜太は拳を自分の胸に当てた。
「人間より強い生命力を持ったっていずれこの生命はなくなる。どれだけ強い力を手に入れても陽の光に当たれば消えてなくなるし、心臓や脳を刺されれば死ぬ。この世界にいる限り人間もヴァンパイアも安全なんて保証されてないんだよ。お前だってそれはよく知ってるだろ? ゼロみたいな人間がこの世にはいるんだぞ」
楓は震える両腕を拳を強く握り締めて押し殺した。
「でも…それでも、僕は竜太をALPHAには行かせない。だって、人間を殺すことになるんだよ? 自分の手で殺せるの?」
遠くを見つめていた竜太は楓に視線を向けた。今度は楓の目をしっかりと見て言う。答えるまでの時間はそうかからなかった。
「必要な時が来ればそうするさ」
竜太はその問いに対してそれ以上語ることはなかった。
「そんなの…ひどいよ。一緒に平和を実現しようって約束したじゃん」
竜太は楓がおかしなことでも言っているかのように笑ってみせた。
「俺も最初はそう思ってたよ。この世界が平和になったらどんなに良いかって今まで何度も何度も想像してきた。いつもの3人でいつも通りの日常が送れたらどんなに良いだろうって。でも、そんなの不可能なんだよ。その証拠にモラドができて何年経つ? 少なくとも500年は経ってるらしいぜ。500年もあって未だに共存を実現できてないんだぞ? ヴァンパイアと人間の共存なんて言うのは簡単だけどそんなことは不可能だったんだよ」
すぐに楓は首を横に振った。
「そんなことない。いずれ、実現できる時が来るはずだよ。僕はそう信じてる」
竜太はまた楓が夢物語でも語っているかのように蔑み鼻で笑った。
「いい加減現実を見たらどうだ? 大垣も先祖代々モラドを受け継いでるって言ってるけど本当に共存を実現する気は無いと思うぜ」
「大垣さんはそんな事考えるような人じゃない。僕らは大垣さんがいなかったらモラドにも入れなかったし、今こうやって生きていることすらできていなかった。大垣さんに出会えなかったら僕らが人間だった時にALPHAに殺されてたかもしれないんだよ」
竜太は呆れようにため息を吐く。そして、ゆっくりと首を左右に振った。
「お前はどこまでも考えが甘いんだな。俺がゼロの人間を殺そうとしたときもそうだった。あの時、殺せていれば一人でも脅威を払えたはずなのにお前はかばった。元々人間だったから人間を殺せない気持ちも分けるけどよ。やらなきゃやられるんだよ、あいつらだって俺らを本気で殺しに来たじゃねぇか。まあそうはいってもお前にはそれがわからないよな。死なないんだから。そりゃいつ実現するのかわからない空論に期待して死なない肉体でいつまでも夢見てるほうが楽だよな」
「そんなこと…」
楓が言いかけると竜太は楓の意見はまるで聞く耳を持たないかのように遮った。口調がだんだんと強くなっていく。竜太からにじみ出る感情を楓は感じ取っていく。
「お前がモラドを味方する理由も自分の味方をしてくれる組織にいればそこが居心地良くなるからじゃないのか。お前は共存を実現したいんじゃなくてただ現状に甘んじてるだけなんじゃないのか?」
その語意には楓を嘲笑するような意味も込められているようにも感じた。
「そんなことない。僕はあの時ヴァンパイアに襲われた時に誓ったんだ。こんな事、二度と起こらないようにするって。その理想の実現に竜太も一緒にいてまた3人でいつもの日常を取り戻すんだ」
楓は腰に携えた刀の柄の部分に手を添えた。
「どうしても竜太がALPHAに行くなら僕は力ずくで止める。竜太をヴァンパイアにした責任は僕にあるから」
楓の手が刀に伸びたことを確認した竜太はまるでそれを期待していたかのように白い歯を見せた。
「まるで俺が間違えた選択肢を選んだみたいじゃないか。言っとくけど俺は誰かに洗脳されてるわけでもないし脅されてるわけでもない。自分が叶えたい欲求のために選んだ行動だ」
「でも、ALPHAに行くなんて間違ってるよ。お願いだ竜太、まだ間に合うから戻ってきて」
「わりぃな楓。これ以上話しても俺の意思は変わらない。ヴァンパイアになった時、お前に救ってもらった命とか言っといてこんな結果になったのはすまないと思ってる。でも、俺にもたまにはわがまま言わせてくれよ」




