09. 地魔イガシキ
二度目の地下道攻略は、とても静かに進んでいった。
言葉数少なく、前回開拓した道のりを素早く進んでいく。味気ない道中なのは、もう真新しいものを見ることもないからだろう。
決して、昨日の出来事が尾を引いているとか、そういうことは、ない。
「あっ」
「え?」
暗い通路、足音や装備の擦れる音だけの行軍に、小さな高い声が足される。
反射的に振り向く。また、怪しげな呪いの装備でも見つけたんじゃないだろうね。
……とす、と腕に飛び込んできた何かを受け止める。続いて、甘い香りが鼻をくすぐった。
その何かが、長い睫毛に縁取られた眼でこちらを見上げる。不意に互いの致命的な距離へと入り込んでしまった僕たちは、急いで間隔を開けた。
後じさり過ぎてぶつかった壁に背を預け、遅れてやって来た爆発的な動悸をこらえつつ、息を整える。
いま、向こうも……ミーファも、慌てていたような。いつも僕をからかう側の彼女が、あんな態度をとるなんて。見間違いだろうか。
いやそれより。あのミーファが、たかだか整地が少しおろそかな洞窟くらいで、つまずいて転ぶなんて。……まるで、ふつうの女の子みたいに。
彼女を盗み見る。顔を伏せていて表情がわからない。
やはり調子が悪いのだろうか。悪霊に憑りつかれた影響が残っているのかもしれない。魔物退治はまた、後回しにするべきでは。
そんなことを考えていると、この暗がりにそぐわないやたらと明朗な声が地下道に響き、思考を切り裂いた。
「勘弁してくれ~、独身には目の毒だぜ。君達ね、男女二人旅でてっきりそういう関係かと思ったら何なの~もお~? まだそんなイノセントな段階?」
死ぬほどニヤニヤしながら、ティーダさんが話しかけてきた。
ああ、あの顔。人をおちょくろうと考えている人間のする表情である。
「もう、ティーダさん。ミーファはまだ本調子じゃないんです、変なからかいはよしてください」
「いやーそういうんじゃないでしょ。しかし昨日は頑張ったよなあユシド君。最後の術なんかあいでぇっ!?」
早口でまくしたてる彼の言葉が、奇声で途切れる。
ばち、と。一瞬の閃光と共に、聴き慣れた音が耳を叩く。ミーファがティーダさんをひとにらみした。
そのまま大股歩きで先へ行ってしまう。いけない、追いかけないと。
「なるほど、ミーファちゃんはいじったらダメなんだな。……これからよろしくな、ユシド君!」
電撃のダメージにも懲りず、このおじさんは良い笑顔で肩を叩いてきた。
何? どういう意味? これから(お前の方をいじっていくから)よろしく、ってこと?
……とりあえず。
ミーファのいるところでは、勘弁してください。
坑道の出口にたどり着くと、数時間ぶりに浴びる日の光が、身体を暖めてくれた。
日は僕たちの真上に来ている。朝早くに出発したことを考えると、やはりこのルートは短くていい。道中の魔物も僕かミーファが瞬殺できる程度の力量だ。結局ティーダさんがあの槍を振るうことは、一度も無かった。
あとは、どのくらい例の魔物の近くに潜り込めているか、ということが大事だ。
地下から這い出してきた僕らを迎えたのは、見上げるほどの岩山だ。これがマキラ鉱山の採掘所だろうか?
情報通り、機械虫たちの姿はない。うまく巣の密集地を避けられたようだ。ミーファとふたりで、山へ近づく。
……普通の岩山に挟まれるようにして、ずいぶん、なだらかな山肌をしている箇所がある。そこだけ綺麗に均されており、つるはしを食い込ませる隙など見えない。
拳の裏で小突くと、カンカン、という硬い音がなった。
「おーい。それ、山じゃないよー」
後ろへ振り返る。とても遠くから、ティーダさんが大声を出していた。
なぜそんな遠くから。……待て、山じゃない……?
熱くなってきた。汗がひとしずく垂れる。僕は息を呑み込んで、喉を大きく動かした。
後ろへ歩きながら、“それ”を見上げる角度を急にしていく。
鋼の山肌。その中にひとつ、異物が張り付いていた。透き通っても見えるその巨大な物体は、大きさはともかくどこかで見たことがある意匠をしている。……機械。機械の何かだ。
例えるならばあれは。
琥珀色の、目。
いつの間にか自分は、ティーダさんのいる位置まで下がっていた。そこでようやく全体像が見えてくる。
そう。それは山のように巨大な、機械の虫だった。
「あれが例の魔物だよ。動かないのは……寝てんのかな?」
絶句する。以前に戦った湖の魔物よりもはるかに巨大。こんな生物が存在することが嘘のような話だった。いや、生物なのだろうか? 機械の虫を生み出し、自らも機械のような身体を持つ、あれは。
剣の届く距離まで近付けば、ただの硬い壁にしか見えない。全力の魔法剣でも歯が立つかどうか。
これを倒す? ……人間に、可能なことなのだろうか。
「ビビるな、まずは情報収集だ。観察しろ。どんなに強い魔物でも、どこかに隙はある」
同じように隣で見上げていたミーファが、真剣な表情で僕の背中を叩く。
……何を戦う前から怖気づいているんだ、僕は。こんなことではまだ、あの湖の魔物にも勝てはしないだろう。
ミーファと二人で、攻略の糸口を見つけるんだ。まずは、そこから。
「ティーダさんは下がっていてください。……どこにいても危なそうだな。地下に戻っていてください、いざというときにはそこから逃げ帰ります」
「平気か二人とも? 死にそうになったらおじさんを呼べよ」
「初戦は深入りしないよ。ティーダ殿、剣はそこらへんに置いといてくれ」
彼が持ち込んでいた2本の片手剣が抜き放たれ、地面に突き刺さる。様子見と言いつつ、ミーファは全力でぶつかることを想定しているのだろう。今装備している剣を損なうような。
呼吸を繰り返し、体内を巡る魔力の流れを整える。まるでちっぽけな針のような剣を抜いて、小さな小さな虫でしかなくなった自分の身体に、活力を入れる。
なにがあっても生き抜き、見定める。僕は鋼鉄の山に埋まった、大きな琥珀の瞳をにらんだ。
「とりあえず小手調べの……全力!」
ミーファの掛け声にあわせ、渾身の力で斬撃の風を飛ばす。彼女が両腕から放った雷電も、今までのものとは込められた魔力が段違いであることが目に見えてわかる。太く、鋭く、眩しい。
今の剣は、あの硬い虫たちをも切り裂くつもりで放った。ボスであるやつの装甲があれ以下とは考えにくい。果たして、どうなる。
派手な音とともに、僕たちの一撃が山へとどく。
「……!?」
「これは……」
大地が揺れていた。
低く響く、人間をひどく不安にさせる音。山が動き、地面が割れるような。
いや。それは比喩ではなくなった。
鈍く光る無傷の身体をゆっくりと持ち上げ、山の主が、目を覚ます。
『……気持ちよく昼寝をしていたというのに、邪魔しおって。何かと思ったら虫――おおっと。人間ではないか』
鋼の塊から、多数の脚が生えてきた。機械虫と同じ役割を持つだろうそれが動き出したことで、やつの体高がさらに、ぐんと増した。
男のものとも、女のものともとれる、ひどく不自然な声が空気を震わせる。
人智を越えた存在であることを全感覚に訴えかけてくるその声は、しかし、とても人間じみた皮肉を交えていた。
――知能のある魔物。頭をよぎるのは、あのトオモを襲ったあいつだ。
すべてを押し流すあの強大な力を想起する。気付けば、脚が震えていた。
「虫はお前だろ」
その声を耳が受け取るころには、彼女はすでに敵へと肉薄していた。
雷速。抜き放たれた白刃が金色の輝きを纏っている。旅の中で見るのは二度目……ミーファの、雷の魔法剣だ。
剣から伸びた巨大な金色が、鋼鉄を斬りつける。
……だめだ、傷はつかない。魔法剣に付随する雷撃のダメージを受けた様子もない。やつの表皮には通用しないんだ。
走る。跳躍と飛翔の魔法術を爆発させ、やつへ迫る。剣には鋭く、しかし濃密な風を纏わせ、頑健さを高める。
狙うのは身体の中心にある一つ目。あれに弱点があるというのなら、そこ以外考えられない。
周りの景色が知覚できないほどの速さで後ろへ流れていく。向かい風を味方につけ、追い風に変える。
あの琥珀を貫き砕くべく、僕は反動も考えずに、そこへ突っ込んだ。
――風神剣・疾風――!
「うぐっ……!」
腕が痺れ、剣を取り落しそうになる。
刃を打ち立てようとした琥珀の窓には、傷のひとつも入っていない。なんという硬さだ……。
いや。違う。何か変だ。
スローな世界の中で、攻撃を受け止めたやつの瞳、そして表皮に目を凝らす。
装甲だけじゃない。気流のごとき何かが、たしかにそこにある。やつの守りは――魔力の、防護膜。
僕たちのような魔法術使いが修めている技術のひとつ、薄い魔力障壁が、鋼の肉体の強度を、さらに上の次元へと高めていた。
鉄の山を蹴り、大地へと引き返す。
あの守りは無敵だと言わざるを得ない。ただでさえ硬く、魔法術にすら耐性のある鎧を、さらに魔力で補強している。正攻法では何十年攻撃しても倒せる気がしないぞ。
大声でミーファに事実を伝える。何か、手はないか。
……観察しろ。どんなに強い魔物でも、どこかに隙はある。
「来たれ、いかずちよ!」
ミーファは雷の矢を、自分の直上の空へと投げた。敵などいない射線上には、日を遮る厚い白雲がある。……あれは!?
雲はやがて、その姿を黒く染めていく。彼女は宙へと浮き上がり、右手の剣を高く突き上げた。
あの技、雨じゃなくても使えるのか。
耳を脅かす轟きが、少女の剣に落ちる。紫の閃きが導かれ行きつく先は、彼女の眼前に立つ敵。
天空から落ちるように、ミーファの剣が振り下ろされる。
あれなら、障壁ごと装甲を灼き斬れるか――!?
「雷神剣・紫電一閃!!」
雷の落ちる鮮烈な響き。また、敵を焼く雷電に伴う、断続的な空気の悲鳴。
……そして。それをあざ笑う、不快な音。
『かゆいかゆい。だが、人間が扱うにしてはすさまじい電圧だな。気持ちいいよ』
効いていない。ミーファの一撃すら。
……僕は見た。彼女の剣戟が身体を打った瞬間、やつの脚先から、紫電が大地へ流れ出ていた。刃が装甲を焼き切る前に、纏っていた自然の雷がかき消されてしまったのだ。防御を突破できるはずの破壊力が、無かったことにされている。
ティーダさんに最初に出会ったとき、彼が言っていたことを思い出す。虫たちは、脚から雷撃を逃がすのだと。
『分散させてもお腹いっぱいになった。どれ、少し分けてあげようか――アナライズスタート』
無機質な琥珀色の目が、生物のように、僕たちを眺めているように見えた。瞳の中にある何重もの円模様が収縮している。
わけてあげる……? お腹いっぱい?
『魔力波系および遺伝子情報から、対象をT-35、W-51と予測・仮称。……まったく、人間側のパーツどもは代替わりが激しいな。そろそろ呆れるよ』
意味の測れない言葉に思考を乱される。何を言っている? いや、惑わされるな。やつは、何をしようとしている。
未知の攻撃の可能性に備え、身体を強張らせる。
『アンチサンダー/ウインドを書き込み。高濃度魔導粒子砲、充填』
敵の瞳が淡く光る。かすかな震えと音が徐々に密度を高めていき、やがて甲高く耳をかきむしる。
本能が、全身が、逃げることを訴えてくる。でも、もう遅いんじゃないかと、僕の心は思った。
激しく発光する琥珀。それはなにかが、もう、喉元まで、迫ってきているような。
『照射』
咄嗟に前へ走り、剣を失ったミーファの前に立った。
破滅の光。熱線が空を引き裂き、僕たちを照らす。
風の守りをありったけ絞り出した。あとのことは考えない。今は生き残ることだけを。
剣が極光にさらされる。白刃が閃光を切り開き、僕はまだ人間の形を保っている。だけど、熱い。あまりにも。
手の感覚がない。風の守りがあっけなく解かれていく。強い力に押され、腕がきしんでいる。足が膝を折りかける。光を見つめる目が焼けるようだ。
「……! そんな!?」
剣が。
これまでずっと美しい刀身で、旅を助けてくれた風魔の剣に、ひびが入っていた。
このままでは砕け散る。そんなことになれば、ミーファが……!
「うわ!? なん……」
突然、僕は肩を後ろから引っ張られた。ただでさえ折れかけていた膝に思いもよらない力が加わり、尻もちをつく。
……そんな! こんなときに、何が!? このままでは……
その背中を、見上げた。
僕たち二人を隠すように立ちはだかる長身。槍を肩に担ぎ、無造作に前へ突き出された左腕は、太い光線の奔流を受けてびくともしていない。
風魔の剣にひびを入れるような魔法術に、なぜ対抗できるんだ。彼の腕は光を完全に弾いて……いや。まるで、腕から熱光線を、飲み込んでいるかのようだ。
「ふたりとも。今日は撤退するか? 作戦会議、いるだろ」
「……ティーダ殿。あんたは……」
半身で振り返るティーダさんは、いつもと変わらないおおらかな笑みを浮かべている。死に物狂いの僕と違い、そのへんに散歩にやってきたかのような気楽さだ。
ティーダさん。あなたは一体――?
やがて、熱線の放射が終息する。目に死の光が焼き付いていて、少しの間見えづらくなってしまっている。僕は瞼をおさえ、かぶりをふった。
『……フン。貴様が何度現れても、決着など永遠につかんぞ。消え失せろ』
不穏な声がしたのを聞いて、なんとか視力を持ち直させる。やつの鋼の体に、無数の小さな穴が開いたのが見えた。自ら無敵の装甲に穴を……?
「やっべ」
「おわ!」
「おい! 自分で走れる!」
『対人ホーミングミサイル射出』
ティーダさんは左右の肩に僕とミーファをかつぎ、敵に背を向けて猛ダッシュのスタートを決めた。
揺らされながら、やつの挙動に目を凝らす。
穴から、細い杭のようなものが打ち出された。……自分たちを、追ってくる!
「どっちでもいい! あれは爆破の魔法術だ、今すぐ撃ち落とせ!」
「ひええ!?」
左腕を突き出し、なけなしの魔力で竜巻を巻き起こす。隣からも金の雷が伸びていた。
無数の杭が、雷を伴う嵐に巻かれる。
「うわああ!?」
閃光。いや爆炎だ。
突風に僕たちは吹き飛ばされた。
……暗い。ぱらぱらと土の撒かれる音。それ以外は静かだ。
思わず急いで立ち上がる。暗く、ひんやりとした空気。僕たちは、あの地下道へと戻って来ていた。……爆発に乗じてここへ逃れたんだ。
階段をあがって少し頭を出し、陽光照らす外の世界を見る。
鋼鉄の魔物は、ゆっくり、ゆっくりと、また山の方へと戻っていった。
追ってはこない。あれだけ強力ならば、抵抗した人間の生死など興味はないということだろうか。
こうして遠くから見るとよくわかる。山を食うというのはたとえ話ではなく、本当のことだろう。あの装甲や魔力は、マキラの良質な鉱石から得たものかもしれない。
いや。それにしては強すぎる。きっと人間よりもずっと長く生きているんだ。ああして、世界の山々をいくつも喰らってきたのではないだろうか。
……そんなやつに。僕たちが、勝つすべは、あるのか?
負け戦。
坑道を引き返し、あれから少し経った。
身体は多少回復してきたが、やはり休みたい。そしてそれ以上に剣の状態が気になる。カゲロウさんに見てもらわなければ。
グラナに戻りたい一心で足が速くなる。
……そんなときだ。ミーファが足を止め、厳しい表情で、彼に話しかけた。
「ティーダ殿。あんた、あいつの情報を多く知っていて、隠していたな」
「おや? 言ってなかったかな」
声には糾弾の色が乗っている。
……グラナに戻ったら、僕も聞こうとしていた。
ここまでついてきてくれた彼は、思えば実力の底を見せていなかった。地属性の魔法術を操るくらいのことしか、彼は腕前を明かしていない。
本人は魔物退治の経験があると言っていたが……思い返せば、機械の虫たちも、倒せないとは言っていない。僕らが勝手に助けに入っただけだ。
そして。あの山の魔物。
彼はやつの熱線をものともしなかった。あれだけは、見た物を信じられない。人を消し飛ばすのに十分な魔力がこもっていたはずだ。何か、からくりがある。
よし。ではそれは一旦置いておくとしよう。それでもまだ、謎がある。
ティーダさんがやつに匹敵する力を持つとして……ではなぜ、自分でヤツを倒さないのだろうか。……倒せない?
様々な疑問が、頭をかすめていく。
「それは別にいい。敵の情報は自分で得るのが一番いいからな。だが、あんた自身のことは流せない」
「………」
「やつの魔法術を簡単に吸収していただろう。ただの退治屋じゃないな。何者だ? あっちの手先じゃないだろうな。オレ達を陥れ、始末しようなんて腹じゃないよな」
「ミーファ! それは……」
言い過ぎだ。そんなことを企んでいる者が、土壇場で僕たちを助け出すはずがない。
そうだ。ティーダさんには秘密がある。だけどそれは、敵とか、そういうことでは、ないと思うんだ。
彼の様子を窺う。
これまで常に朗らかな笑みを保っていた顔から、表情が抜け落ちた。
「……疑うのは、こちらも同じだ。君たちは俺が信用してもいい人間なのか?」
「なんだと……!」
「魔物が活性化し台頭し始めたこのご時世に、なぜ都合よく旅人が助けに入る? 山の魔物の手先ではないのか? それとも、例の邪教の信者がグラナの機械に目を付け、潜入しに来たか?」
「あんたに恩を売ったつもりだが、そんな物言いをされるとはな」
ミーファの怒気が、バチバチと火花のように空気を鳴らす。それを正面から受けても、ティーダさんは能面のような無表情を崩さない。
……だめだ。こんなのは。真意を測るんだ。
隠し事。僕たちはいま、互いを疑っている。なら、秘密にしていることを明かしてしまえばいい。
でなければ、始まらない。僕たちとティーダさんの関係はきっと、まだ始まっていないんだ。
「二人とも。こういうのはたぶん、違う。……ティーダさん。これを見てください」
手のグローブを脱ぎ、剣の紋章を見せる。意味が伝わるかはわからないが、これが僕たちの隠し事だ。
ミーファが呆れ、頭を抱えている。……ごめんよ。
やがて彼女もガントレットを外し、勇者の証をさらした。
「今代の勇者に選ばれ、旅をしています。あなたを陥れるような素性はない」
ティーダさんは無言でそれを眺め、検めた。
勇者の紋章など見せて何になるだろうとは思うけど、こうするのが正解だと思った。
……やがて、彼の表情に動きがあった。
眉が小刻みに動き、口の端がぴくぴくと震えている。
「うっはっはっは!! いやすまん! やっぱ俺、お前らのこと好きだな。かわいい」
哄笑。なにがおかしいのか、ティーダさんはしきりに肩を揺らす。
そんなにおかしいかな。勇者をうそぶくバカだと思って笑われてる?
「勇者なのにこんなにスレてないやつ、逆に面倒くさい。旦那にしたら苦労するぞミーファちゃん」
「なっ」
変なことを言われ、変な声が漏れた。漏らしたのは僕だったか、それとも。
さんざん笑ってから、ティーダさんが、右手の手甲を外す。
その下には……。
銀のような、灰のような、鋼のような。鈍色に淡く光る、剣の紋章が刻まれていた。
「えーっと、『地の勇者』だったかな。ティーダ・カカンだ。……これで秘密はなし。改めて、よろしく」
手を差し出され、握手を交わす。
今度はグローブ越しじゃない。互いの手の温度が伝わり、心が触れあった気がした。