07. 風魔の剣
日も暮れ、すでに人々は家へ帰る宵の入り。だというのに、街の大通りは多くの人でにぎわっていた。
商売の町だと言われるだけはある。立ち並ぶ店はどれも、遅い時間まで営業を続けているようだ。
大きな荷車が人々の間を抜けていく。新しい街並みに見惚れていると、すれ違う人々の視線に気付く。鉄の虫たちの上であぐらをかいていたオレは、脚を直した。
「宿の前を通るから、そこで降りとくれ。今日はゆっくり休むと良い……それとも、出会いを記念しておじさんと飲み明かすかい?」
「いいですね。まだまだ宵の口ですし」
「ユシドくん、若いのにノリがいいね。宿の1階が酒場だから待っててくんな。俺は荷物を下ろしてくるからよ」
ここまでの道すがら、ユシドはすっかりティーダなにがし氏に懐いているようだった。人付き合いのうまい方だとは知らなかったが、これも幼少期の旅の成果か。
オレはあまり、人は好きじゃない。彼らは自分たちとどこかが違う者に、とても敏感だからだ。それを知っている。
ユシドに初めて出会ったときは本当に、無責任な助言をしたものである。まっすぐに育ってくれてよかった。ただ、いささかお人よしすぎるきらいがある。
……あいつめ。なんだ、同じおっさんでも、自分に歳が近い方が良いってのか?
既にほだされているヤツの分、オレが警戒しなければ。あざむき、裏切るのは、魔物の専売特許というわけではない。商人の町ならなおさらだ。あのトオモ村のときのような顔はもう見たくない。
彼は……うそはついていないが、隠し事のにおいがする。纏っている空気が、どこか尋常ではないような。
どうしてもユシドがやつに付き合うというのなら、見極める。
そう決めて、宿へ続く広い道を眺めた。
「だかりゃな~~~オレはしゃ~~~、ユシロが心配なのらあ~~? ねええ!! わかる!? わかりゅ!?」
「お、おお。腕は立つが、まだ発展途上って感じだしな」
「わかってくれるかい!!!! ティーら!!! あんたイイやつな!!! オレぁ……オレぁ泣けてきたゆぉ! お~いおいおい」
「この子俺よりおっさんだな……」
人々の声と楽器弾きの演奏でにぎわう食堂。ミーファが顔を真っ赤にして、ティーダさんにからんでいた。
1時間前にはキリッとよそ行きの表情を決めていたし、「安物で酔ったことなどありませんわ」などと刺々しく言っていたのだが。
さすがにティーダさんもひいている。
「すみません。こんな彼女、僕も初めて見ます」
「終わったらちゃんと介抱してあげな」
「何~~!!?? 何の話!!?? ウェッ」
「あーミーファちゃん、ほら美味しい水だよ」
「みずう!? いりませんよぉ!!! ちがうのがいい!!!」
僕との旅では、素の彼女を見せてくれていると思っていたのだけど……意外と、鬱憤とか溜まっているのかな。
いつもに輪をかけて横暴なふるまいである。古代の人々の言葉ではこういうのを、傍若無人というらしい。
「明日はどうするつもりだ? キミらが良ければ案内役を買うよ」
「いいんですか? そこまでしていただいて」
「おうとも。時間が取れるのは二人のおかげだからね」
「助かります」
「ま、今日は食えよ。おごりだぜ」
言われるまま、テーブルに所狭しと並べられた料理に舌鼓を打つ。飲む人に合わせてか味が濃いめだが、活力がわいてくるようだ。
明日の朝にティーダさんに迎えに来てもらう約束をし、夜が深くなるころまで互いの話をした。こういう時間は久しぶりかもしれない。気心の知れたミーファとのひと時は一番好きだが、こうやって誰かと知り合うことも、僕は好きだ。
ただ……自分が勇者であることを隠しながら話すのは、少し、面白くなかった。
ティーダさんを店の外へ見送り、席に戻る。
テーブルに突っ伏したミーファの肩を優しく叩く。こんなところで寝ては風邪をひいてしまう。部屋へ戻るよ、と声をかけた。
機嫌の悪い猫のようにうなる彼女を、少し無理やりに起こし、肩を貸す。2、3歩進んだところで、ミーファが声を絞り出してきた。
「おぶってくれえ……」
仕方なく背中に彼女を乗せる。今吐かれたら嫌いになるかもしれない。
なるべく揺らさないようにしながら、階段を1段1段上る。
「……!」
背中に柔らかいものが当たっていた。あと、頭を首に預けてきたものだから、髪の良い匂いがものすごく近い。寝息に近い呼吸が耳を刺激する。
僕も熱くなってきた。飲んだもののせいだろうか。
精神を凪へと近づけ、悟りの境地で歩を進めていく。ミーファの部屋の戸を開ける頃には、もはや我が魂はこの世の真理にたどり着いていた。――世界を平和に導くのは勇者ではなく、何かもちもちと柔らかいものである――。
ミーファをベッドに横たわらせる。布団をかけてやり、自分の部屋に戻ろうとした。
服が後ろから掴まれた。
「ぐえ」
「据え膳食わんのかお前はああああ!? 指導してやるにょ!!!」
胴を抱えられ、無理な姿勢でベッドに叩きつけられる。痛え!
首や腰をさすって悶えていると、後ろから誰かに抱きしめられた。……な、何奴!? 振り返れない。
心臓があまりにうるさい。好きな女の子のにおいがそこら中に充満している。
数多の魔物を葬ってきた手足とは思えない、なんてやわらかい身体。こんなに密着していては、鼓動が向こうに伝わってしまう。
……ダメだ、こんなのは。僕はまだ彼女に勝っていないんだから。
約束したんだ。僕が勝ったら。決めたんだ。そのときに、君が好きだって、伝えるんだって。
こんな形でばれるのは、違うとおもう。……耐えろ! この誘惑に耐えて――
「ごごごごご。ごごごごごご」
「………」
ミーファは普段は立てないいびきを盛大に鳴らし、僕の鼓膜を揺らした。
そっと、腕の中から抜け出す。
そのときつい、見てしまった。
彼女の寝顔、きれいで、かわいくて、女神さまみたいだ。
「んごごごごごご!! ごっ!? ギリギリギリギリ」
………はい。
やかましくなってきたので、最後におやすみと言って、部屋を出る。
この子に飲ませたらダメだな。今日はひとつ、君の面白いところを覚えた。
朝日が窓からさしてきて、目を開ける。
見知らぬベッドの上にいた。……記憶がない。
身支度をして、部屋を出る。階段を下りるとそこは食堂だった。
う……あたまが……。
「おはよう」
「ご、ごきげんよう。ユシド」
不調を悟られまいと、笑って誤魔化す。
宿の朝食を口にしながら、回ってきた頭で状況を推測する。
オレは……この酒豪と呼ばれた勇者シマドが……酔っぱらっていつの間にかその辺で寝た、とでもいうのか?
バカな。何者かの罠では。
いや待てよ。そういえば。この身体に生まれ変わってからは、飲んだことがない。
……まさか、弱いのか?
テーブルの対面のユシドを見る。いつものように、優し気に視線を返してきた。……醜態を、さらしては、いないよな?
外出の準備を済ませ、宿を出る。
外にはあの目立つ赤髪――ティーダがすでに待っていた。
気さくに挨拶をしてくる。ふん、オレは心を許した覚えはない。だが無視するわけにもいかないため、ご令嬢ミーファとして応対する。
「おはようさん、ふたりとも」
「ごきげんよう、ティーダ様」
「ハハハ、なんだそりゃ。今さら上辺を取り繕わなくていいよミーファちゃん」
「な……!? なぜそれを!?」
こ、この男! この完璧な高貴さの穴を見抜くとは。やはりただ者ではない。
「いや、昨日ミーファが本性さらけ出してたからね」
3人で、グラナの街中を歩く。
昨晩も時間の割に人でにぎわっていたように見えたが、日中の活気はあれとは比べ物にならない。
行きかう人々、威勢のいい客引きの声が飛び交う。
出されている品物も、田舎の店先とは質が違って見えた。少し歩いただけでこれだ、手に入らぬものなどないと思えてくる。
知らない食材が見える度にあれは何かとティーダに聞くと、彼はつぶさに教えてくれた。
初めて見るものだと思ってひとつ買ってもらった、黄色い果実をほおばる。リンゴという名の果物はシロノトでも、前の旅でも何度も口にしたが、この同名の実は色や味が違うと感じた。
「二人は何しにグラナに来たんだっけ? 商材探しなら、いいタイミングだぞ」
ティーダが示した指の先には、昨日使った荷車と同じものがあった。人が引いているように見えて、車輪からは独特の音と、込められた魔力の気配がする。
すなわち、機械。ここ数年で研究が進められているらしい。そうしてついに実用にこぎつけた機械の第一号が、あの荷車なのだそうだ。
「何? 剣をつくりに来た? あー、それは、悪いタイミングだな」
ひっかかる物言いをしたティーダは、しかしそれについては説明せず、先導をつづけた。
やがて街並みがやや変わる。店先には立派な鎧や盾。そして武器。魔物退治に必須の装備達が、道行く人々の視線を受けていた。
「大通りのはリーズナブルかつ質が良く、商売がうまい。で、裏通りの店は、歴史は古いが大体店主が気難しくて頑固ワガママ、やる気がない」
そう説明しながらティーダは、表の道を止まらずに進んでいき、小道へと折れる。
「今の話で、なぜ大通りをスルーするんです?」
「後者の方が腕がいいんだよ。お前さんたちの力量にかなうようなオーダーメイドの武器は、偏屈な職人じゃないと作れないのさ」
妙に説得力がある。さりげなくこちらの力を見抜いたようなことを言ったし、人を見る目に長けているのだろうか。
雑談をしながら、3人で路地を進んでいく。人気はどんどん少なくなり、代わりに、鉄や油のにおいが強くなっていった。
やがてティーダは足を止め、ひとつの店へと脚を踏み入れる。
「うーっす」
「今日は店はやってないよ」
「旅のお客だぞ、バカ。めちゃくちゃ強い二人組」
店の中ではひとりの男が、鉄の塊に向かって、不思議な道具でそれをいじっていた。
いや、近づくとわかる。あの虫の魔物と同じ……機械だ。彼は鍛冶師じゃないのか?
ティーダが、互いを紹介してくれる。
「こいつは鍛冶職人のムラマサ。友達。腕はこの街では上の方」
「ムラマサ? ハヤテ・ムラマサ?」
「お? そいつは俺のじいさんのじいさんの……ええと、じいさんの名だ。君らも噂聞いて来たクチかい?」
……思わず、顔を眺める。黒い髪に黒い瞳。目つきの悪さに面影がある。
はは、200年だぞ。あいつの血、濃いな。
「俺はカゲロウ・ムラマサだ。ええと、ミーファちゃんに、ユシドくんか。おい、面白そうなやつ連れてきたな」
「え? お前そんな名前だったの?」
「いや何年の付き合い……?」
ムラマサの子孫というなら、鍛冶の腕には期待できる。
オレ達は事情をかいつまんで話した。
「ゲエ~~! どんな使い方したらこうなるの?」
剣の残骸を見たカゲロウが悲鳴を上げる。
先端から中ほどまでが消え失せ、刃元が黒ずんだ姿。柄と鞘の豪奢なつくりからわかる通り、実は金にモノを言わせて手に入れたそれなりの名剣なのだが……あられもない姿とは、まさにこのことだ。
「魔法剣ねえ。お嬢さん、魔法剣を使うなんて渋いね。お年寄りみたい」
え? 今のヤングの間ではトレンドじゃないの?
「なるほど、少ない魔力でもそこそこの威力を出す技だ。それを特大の魔力で使うと」
「こうなるわけね」
ティーダとカゲロウが感心した様子で言葉を交わす。
そう。だから単に名剣を手に入れたところで意味はない。最上級の雷の魔剣なり、魔法剣を損傷なくまとわせる機能なり、何か特別な要素が必要だ。
名工だとしても出来る仕事かどうか。
「……そっちの彼の剣。見事だな。こういうのが欲しいんだろ?」
「抜いていないのにわかるんですか?」
「それはもう。でも、よければ見せてもらってもいいかい?」
ユシドがずらりと長刀を抜く。興奮を抑えきれない様子のカゲロウを筆頭に、みんなでまじまじと剣を見下ろす。
「すごい仕事だな。高純度の風属性が宿っている。造形から考えると大昔につくられたものだが、傷のひとつもない。特上の魔法素材をわけわからん方法で鍛えてあるな」
目利きなのかそうじゃないのか、妙な解説をされる。
あんたの先祖の仕事なんだがな。これを打った職人はハヤテ・ムラマサという流れ者で、自分で鍛えた刀剣で強い魔物を斬ってまわる狂人だった。
一時期旅路を共にしたことがある。自分の最高傑作がどんな仕事をするか見たいと言ってついてきたのだ。独り身のはずだったから、あのあと、ちゃんと故郷に帰ったんだな。
「ユシドくん、これの由来はわかるか?」
「い、いえ。すみません」
なんだ知らんのか。……まあ別に剣の由来とか、人に話してなかったか。
その情報が必要だというなら、オレから教えよう。
「――七魔の伝説を知っていますか?」
顔を向けてくる3人に語りかける。
七魔。七騎の強大な魔物。
人間側の剣として七人の勇者がいるように、それと敵対する者たち……七属性それぞれの頂点に位置する、最強の魔物が存在する、という考え方だ。
「それはおとぎ話じゃないの?」
「いいえ、実在します。この風の剣がまぎれもない物証なのです」
ユシドがこっちに少し寄ってきた。興味があるらしい。
「これはオ……お、お前の先代が倒した、『風魔テルマハ』の角から作られたんだよ。風の魔法剣としてはこの世で最高のものなんだ」
「へえ……! すごいや、シマドさま」
「ふふん、そうだろう」
「なんでミーファが嬉しそうなの?」
作るのは苦労したんだぞ。そもそも魔物って倒したら消えるし。生かしたまま角を綺麗に折って(ここで失敗したらおわり)、逃げて、加工して、そのあと倒したんだぞ。そういう点もあって、魔物から作りだした武具は非常に希少価値がある。
剣の生まれを聞き、カゲロウが一度は目を輝かせたのが見て取れた。
……しかし、すぐに表情を暗くしてしまった。気付くと、ティーダの方も、奥歯にものが挟まったような顔をしている。
「このクラスの武具をつくるには、おとぎ話に出てくる怪物を倒さないといけないわけだな」
「難しい話だねえ。それに、今は……普通の剣もつくれない」
「え?」
剣が作れない? どういうことだ。
そういえば、さっきティーダが言っていた。悪いタイミングだと。
「いいものを作るのに必要な鉄鋼や魔石がとれる山が、大昔からグラナの近くにあるんだが、そこにクソ強い魔物が引っ越してきてな。……食ってんの。山を。そいつが」
「は?」
山のようにデカい魔物が、山をかじっている絵を想像する。
いやいや。大きさに言及はない。我ながらバカな想像をしたな。
「おかげで鍛冶屋はみーんな休業さ。在庫でやりくりするか、機械でも勉強するしかないんだよ」
「機械?」
脳裏をあの虫がよぎる。つながりがある気がして、ひとつ、気になっていたことを聞いた。
「あの機械の虫は、どこから来たのですか?」
「察しが良いねミーファちゃん。あれはそのお山の大ボスが、山を食った栄養で作った子どもだよ」
「………」
「そんな力を持つ魔物が……グラナは大丈夫なんですか?」
「ははは。むしろめちゃくちゃ潤っている」
ティーダが、続きをどうぞ、とカゲロウを指名した。
急に振られ、一瞬ヘンな表情。彼は先ほどいじっていた、機械の前に移動する。
「倒した虫共を苦労して解体すると、中身が伝説のマジックアイテムだとわかった。山の資源はとても手を出せないが、あれのガキなら狩れるヤツがいる。今は街中こいつに夢中ってわけ」
「なるほど……だから、高く売れると」
「そうそう。昨日はおじさん史上最高に儲かった」
わかった。
お手上げだということが。
ムラマサの子孫に会えたのは嬉しいが、剣に関しては無駄足だったようだ。
「ティーダの客だからな、力になりたいんだが……山のボスを倒さん限り無理だな。すまん」
「そいつを倒せばいいんじゃないですか?」
ユシドが言った。誰もが動きを止める。
「話を聞いた感じだと、強力な魔物ですよね。その身体の一部でも手に入れば、ミーファの剣も作れるかもしれない」
「いや、お前さんなら言うと思ってたよ」
ティーダが笑う。それは馬鹿にしたものではなく、期待と感心が込められているように感じた。
思わず口の端が上がる。そうそう、オレもそれ、言おうとしてたもんね。
「俺達地元民としても、そろそろあいつは邪魔だ。倒してもらえたらもう、この店の武具とか全部あげちゃう」
「え!? 勝手に決めた!?」
ティーダの提案にカゲロウが目を剥く。それはいい。
……方針が、少し見えてきた。
山の魔物を倒す。それで望む剣が手に入るかはわからないが、住民のためにも挑むべきだろう。
「まあそれができたら剣なんぞ何本くれてもいいか。……いやあ、オッチャン君らのこと気にいったよ。山のクソボスをぶったおす前祝に、今日は飲もうぜ」
「それもう俺がやった」
「いや! あの、おふたり、飲むのはちょっと、もう……」
ユシドが乗り気ではないらしい。昨日と態度が違うな。
オレは行きたいけどな。ティーダのことは好ましく感じてきたし、ムラマサの子孫とももっと話してみたい。
まだ見ない山の魔物を想像し、にらむ。
まあ、ユシドと二人だ。あの風魔よりは余裕だろ。まさか七魔じゃあるまいし。
早々に店じまいをしたカゲロウがユシドの肩をつかみ、引きずっていく。街を一日めぐったら、また酒場で夜を共にするそうだ。
こうして、オレ達のグラナでの最初の一日が、進んでいくのだった。
よし。今日は……飲むか!