63. TS転生勇者、子孫に……
「では、お前達は、このミーファのために、最後まであがくと。そういうことでいいな?」
「議論するまでもないだろ」
「わたし達みんな、ミーファさんのことが大好きですから」
「今度こそ、彼の……この子の幸せを、ちゃんと見届けるんだから」
新たな……目的地の決まっていない、旅の準備を終えて。勇者たちは志を分かち合う。
最後に、全員の視線が、ひとりの少年に集まった。
いや、もうじき少年とは呼べなくなる。7つの光を呼び集める存在――彼は、風の勇者を担う者。
「200年の呪いに、終わりを。必ずまた……6人で、共に旅を」
これは、約束だ。
寝かされていた部屋に時計はなく、あれからどれくらい眠っていたのかはわからない。身体はまた楽になったので、旅を続けるのに問題はない。
やはり勇者としては、ここからそう遠くない聖地での儀式を終えるのが先決だろう。みんなも修行を終えていたようだし、星の台座へ向かうことを提案しなければ。
そう思って、村の宿を出る。
「……みんな……?」
しかし。仲間の誰とも、会わなかった。
……村人たちに、みんなを見かけなかったか聞いてみる? あるいは、神殿の方へ行っていないか見に行く?
普通ならそうしていたと思う。でも、なぜだか、不安に襲われた。
幼い子どもの頃、家で目が覚めたら、家族が誰もいなかった……そんなときに感じた怖さだ。
だから。大事な荷物以外はほとんど持たずに、オレは村の門から外へ出る。
足取りはやがて速度を上げていき、いつの間にか走っていた。
「はっ、はっ。……あ……!」
やがて、道の途中で、探していたうちのひとりを発見する。
子どものように小柄だが、頭部に二本の強靭な角がある。魔王を名乗る少女、光の勇者マブイだ。
「おお。来たのか……。これはまた、運命的なタイミングよな」
「……? 魔王ちゃん、あの、みんなは?」
「もうここを発った。貴様を苦しめている元凶、雷魔を探す旅に出たよ」
「え――?」
「それぞれ慣れた土地から探し始めると言うんでな、赤毛とちびっこは転移術で送ってやったよ。イシガントは、まだ調べていない大陸に渡ると言っていたな」
……そんな。
みんなが、オレのために。
ここまで来ておいて、もうゴールだと言うのに、勇者の旅を投げ出して。雷魔の居場所のあてもないのに。
もしもオレが眠っていなかったなら、気持ちは嬉しいが後回しにしてくれと意見しただろう。だからみんな、オレに黙って行ってしまったんだ。
さみしさと、小さくはない喜びが、心を通り抜ける。
「シマド、おまえは我が城にてかくまう手はずである。気休めほどの時間だが、眠りの封印術をかけることで呪刻の侵攻は停滞するはず。それと我が軍団からも探索隊を派遣しよう。できる限りの安全策じゃ」
「君が、そこまでしてくれるのか」
「正直、お前には悪いが、半ばあきらめておったよ。しかしまあ、なかなかいじらしく生きている姿を、こうして見せられるとなァ」
「いじらしいとか言うなよ」
彼女が、同族でもない人間の、単なる個人にここまで肩入れしてくれるなんて。
ああいう態度だけど、これはマブイからの、最大限の友情と敬意の表明だと思う。
イシガントも、200年前にもあんなに尽くしてくれたのに。ティーダ、シーク……。こんなにも慕ってくれているなんて。
「ありがとう。君やみんなが、そこまでしてくれるなんて……。オレは幸せ者だな」
「ああ、そうだろうとも」
「でも、みんなが走り回ってるのに、当のオレがぐーすか眠ってるなんて心地が悪いよ。それに、雷魔とは自分で決着をつけたいんだ」
「………。まあ、そう言うだろうとは思っとった。おまえの性格的に」
魔王ちゃんはおもむろに目を閉じ、何かを考えるような間をつくった。
そして、再びこちらを見る。宝石のように青い眼は、オレの心の奥を視ているかのようだ。
「シマド。いや……ミーファ。たまたま、3人を見送ったところでちょうど、魔力が切れてしまってな。
……おまえの子にして孫である、ユシド。あれだけは、船でここを出るそうだ。そして、まさに今しがたここを通ったばかり。道なりに行けば追いつけるだろう」
その名前を聞いて、身体の芯が震えた。
「人よりも長いようでいて、人よりも短いおまえの生。尊く大切な時間。今度は、どうしたい?」
――走る。
懸命に、ちゃんと走っているはずなのに、なぜだか無様に息切れはするし、肺も破裂しそう。転んだりもした。前にレースで走った自分とは別人にでもなったんだろうか。
追いつきますようにと願いながら、もたもたと、もどかしく進む。
やがて。
「は、あ。あっ……!」
やっと……その背中が、見えた。
もう少しだ。そう思って、また走っていく。
ユシド。ユシド。ユシド。
ああ。何と言って呼び止めよう。隠し事を謝る? 逆に、黙っていなくなったことに文句をつけてみる? どんな話をすればいい?
一瞬で、いろんな考えが頭に浮かんだ。
「え……? ミーファ?」
でも。
振り返ったその顔を見たら、もう。
今までみたいに想いを隠すことも、見栄を張ることも……なにも、できなくなった。
乱暴にぶつかって、それでも揺れない、その背中にすがりつく。
大きかった。
「あ、えっと……」
「………待って、くれ」
みっともなく、服を掴む。子どもみたいに。
でも、いま本当のことを言えなきゃ、ユシドはもう遠くへ行ってしまう。そうしたら、二度と会えない可能性だってあるわけで。
それだけは、たえられない。ほかのみんなも大事だけど、でも、ユシドは……
オレにとっての、特別な人なんだ……。
だから。
「……離れたくない。キミとだけは、離れたくないんだ。……一緒にいたい」
息を吸いながら、何度も、同じ意味のことを言う。
「ずっと、一緒にいたい……。
ひとりで、行かないでくれ。これからずっと、一緒にいて……」
ユシドは――、ユシドも、あのとき、ずっと一緒にいてほしいとオレに言ってくれた。
オレはそれをないがしろにした。
でも本当は。きっとその想いは……こっちの方が、強いんだよ。
それを伝えたくて、何度も何度も声を絞り出して……自分のことを、見てもらう。
やがて。
ユシドはようやく、身体をこちらに向けてくれた。
島の端、海沿い、崖に続く野原。若干盛り上がっているくらいの丘に座って、二人で風を感じる。
太陽は紅く、もうすぐ地平線に沈んでいくだろうといった時間帯。
世界にはこのふたりしかいない。だから、今から自分が何を言っても、何をしてしまっても。それを知るのはユシドだけだ。
「ミーファ。君は……シマドとして生きたあと、何度も別人に生まれ変わっている……、っていうのは、本当?」
その質問には、心臓を掴まれたような感覚がした。
「それは知られたくなかった」という気持ちが一瞬、顔に出てしまったと思う。
ミーファでもシマドでもない、たくさんの自分がいたこと。彼らの、あるいは我の人生は。愉快な笑い話でも、光に彩られた日々でも、誰かに誇れる生き様でも、なかった。
「……ああ。内緒にしていて、ごめんな。でも、何度もって言っても、手指で数え切れる回数さ。魂が眠っている期間もあるから、200年ぶっ通しで生きていたわけでもない。過ぎてしまえばあっという間だったと言えるね」
……でも、もう、ユシドに隠し事をしなくていい。そう思うと少し楽になって、口が饒舌になった。
「なあ、知ってるかな。この世界は広い。オレたちの旅してきた土地なんて、全体の半分も行かないくらいだと思う。だから……今までキミが見てきた、綺麗な世界ばかりじゃなかったりする。オレたちのいるこの場所の裏側では、例えば、奴隷の扱いが悪い国もあるし、魔物はあまりいないけど、人間同士で醜く争っている国もある」
「君は、そこにいたのか?」
それには答えず。足に力を入れて、立ち上がって夕日を見る。
「でもさ! 何度も生まれ変われるなんて、どう考えてもお得だろ? だってそのおかげで、キミや仲間たちとも出会えた」
そうだ。
これは呪いだけど、本当は呪いじゃないんだと思う。
シマドが見ることのなかった景色、得られなかった想いが、たしかに自分の中に息づいている。これだけは、呪いであるはずがない。
「それは心の糧だ。だから俺は転生の果てに絶望なんてしない。この繰り返しに飽きた頃にでも、うまいこと雷魔をぶっ倒せればそれでいい。やつに魂を掴まれていても、屈することだけはしない。
……そう思っていたんだ。でも、今は……」
日が眩しくて、少しうつむく。すると、目から落ちてくるものがあった。
これは……涙だ。……これには、驚いた。
本当に、いつぶりだろう。自分が死ぬ直前にだって、泣かなかったのに。
その、むき出しになってしまった心を流しながら。
ずっと、誰にも言わず、自分でも目を背けていた、本当の想いを。震える声で、吐き出していく。
ユシド。
ユシド、オレは……
「オレは……オレは、ミーファでいたい。もう他の誰にもなりたくない。キミといたい。キミと一緒に生きて、一緒に歳を取って、一緒に眠りたい……」
そうだ。それだけが、オレの叶えたい望みになった。これ以外のことなんて、何もいらない……。
「だから、ここに置いていかないでくれ。せめて死ぬまでは、一緒に居てくれ……」
ぐすぐすとみっともなく、鼻も、目も腫らして、赤くして。
しばらく、ユシドの胸に、自分を押し付けた。
自分のことを、彼の心に刻みつけるように……。
しばらくそうしていると、さすがに頭が冷える。
恥ずかしいやつだ。オレはユシドに、甘えに甘えて、しかも自分のことを忘れられないようにとまで、たくらんでいる。
ああ、自分の嫌な面まで出してしまった。オレだって、オレがこんなやつだなんて知らなかった。
ちょっと、ショックだ。
「……女々しいだろ、お前の先祖は。幻滅したかい?」
少し痛いくらいに泣き腫らした顔を、あまり見せないようにしながら、ユシドの顔色をうかがった。
「ううん。そんなことない。僕もきっと、きみと同じ気持ちだから」
……とても、優しい声だった。
ユシドの目にも、なにかが光っている気がした。
「死なせないよ。僕も一緒に、戦う。たくさんしゃべらせちゃってごめんよ。これからは、君と離れたりしない。
……まあ、もし、仮に、そんなことはありえないんだけど、万が一……ミーファが、死んでしまうようなことになったら。今度は僕も生まれ変わって、必ずまた、君を見つけるよ。
だから、安心して。泣かないで。僕の好きな人」
ああ。
なによりも、信じられる言葉だ。
ユシドが一緒にいてくれる。なら、オレはもう無敵だ。泣き虫のまま、弱虫のまま、無敵になった。
オレは、とてもたくさんの冒険をしてきたけれど。
キミとの旅が、一番好きなんだ。
「ありがとう」
膨れ上がった愛しさと信頼を、短い文字に込めて返す。
また一緒に座って、ユシドの肩に身体を預け、夕日を眺めていた。そろそろ、古代人の言葉で言うところの、「黄昏時」だ。
相手が誰だか、ちょっとだけわかりにくくなるという、夜の次くらいに暗い時間。
けれど今のオレ達には、世界の何よりもはっきりと、互いの姿が見えていた。
「……大事な話があるんだ」
そう、切り出した。とてもありきたりな言い回しだ。
でも、だからこそ意図は伝わる。隣のユシドが緊張したのがわかった。
……まあその、さっきからほとんど口にしてるし、態度に出してるし、今更かよ……って感じなんだけど。
こうなったら、もう、伝えないといけない。いや、伝えたいんだ。
「……スタンダップ」
「は、はい」
夕日を傍目にして、ぎこちなく向かい合う。
ええと。そうだな、ちゃんと段階を踏んでいこう。まずは……
「えふん。その……これからしばらくは、ふたりで旅をしていくわけだけど……。思い出さないか? 最初の旅立ちを」
「そういう話、ちょっと前にもしなかった?」
「まあ、聞いてくれよ。キミは贈り物をオレにくれたんだ。オレをシロノトに置いていったことの、おわびだと言ってな」
それで貰いっぱなしも嫌だから、ユシドの誕生日に髪紐を贈った。
ユシドは、次のオレの誕生日に……リングを贈ってくれた。
だから……
「ほんとは次の誕生日に贈るつもりだったけど、まあ、前倒しってことで」
懐からそれを取り出す。
他の荷物は宿に置いてきてしまったけど、これだけはずっと持っていてよかった。
……そうしてユシドに見せたのは、ひとつのリング。雷の魔石をあしらった、いわゆるマジックアイテムだ。指輪だが、指につけなくとも、どこかに持っていればいい。
やっと、渡せた。これは最初に貰った、風の耳飾りへの返礼でもあり、……今自分の首から下げている、指輪への、返答だ。
「どうだい、このディティール。お前より才能あるかもよ。影の国くらいからコツコツ勉強しながらつくってたんだ」
「……次は、もっとすごいのを贈る」
「“次”? ……ぷっ。あはは……!」
そう、言ってくれるんだ。このやりとりが、これからも、何度でも続くと、ユシドは言えるんだ。
「さあ、ユシド。……図体が大きくなったな。ほら、かがんで?」
紐を通したリングを、首にかけてあげる。
それで、すごく、顔が近づいた。
互いの息遣いがわかる。
なあ、ユシド? たしか、もうすぐ19だろ。19歳は、もう大人だよ。
だから……、この指輪を贈るのには、意味がある。
お互いそれはわかっていて。でも、旅が終わるまでは、言葉にはしない。
それは、またあとで。
少し引いて、首飾りにリングを下げた彼を眺める。
うん。まあ、紫の石っていうのは、オレのセンスだと、あんまりおしゃれではないんだが。
でも、似合ってるよ。いや、似合え。無理にでも似合え。
それにはさ、いろいろ、込めてあるんだから。
「機能の話をしようか。これは風使いであるお前が身につけていても、あまり意味はない。だけど……」
ぴしゃりと音を立て、雷の装衣を纏う。肉体をいかずちと化す魔法。これは触れる者すべてを千々に切り裂く、刃の鎧だ。
こんなに近くにいるユシドには、まだ奥義に慣れない自分では、危害を与えてしまってもおかしくはない。
でも。
「この世でただ一人だけ、自らの魔力を宿した品を身に着けた者だけは、絶対に傷つけはしない。……ほら」
ユシドの頬に触れる。
「しびれる? 焼ける?」
「ううん。いつもの、ミーファの手だよ。あったかい。昔から、撫でるのがうまいんだ」
それはよかった。目論見は成功だ。
………。
手で触れるだけじゃ、物足りなくて。オレはユシドに、両腕で抱き着いた。
彼は少し驚いて、互いの胸がくっつくように押し当てると、そこが少し騒がしくなったのがわかった。
これはいい。
でも、もう一息ほしいな。
「なあ。全然物足りない。ぎゅって、してくれ」
ユシドの腕が自分を抱き寄せて、ああ、これだ、と思った。
互いの鼓動と、魔力の流れを、静かに、はっきりと感じる。オレの身体である雷が、力強さと輝きを増す。
しばらくの間、その心地よさに身を任せた。
…………。
「……なあ。ここまでしたら、わかってる、よな」
――オレの、キミへの、本当の気持ち。
「えっと、ちゃんと言葉にしてほしいというか……」
「……よ、欲張りもの」
「僕だって、ちゃんと言ったもの。2回も」
それを言われると弱い。
ま、オレも、言われっぱなしは性に合わないって、ずっと思ってた。
そんなのは、男らしくないって。
「じゃあ、ちょっと深呼吸しなさい」
なんて言いながら、自分が深呼吸をする。
これは、なるほど、一世一代の瞬間とはこういうやつだ。緊張してしまう。
「…………覚悟はいいか?」
「ん。ちょっと、落ち着かないけど」
「オレもさ。こういうのは、本当に……、初めて、だから」
雷装を解き、一歩下がる。ユシドの姿を視界に収め、息を深く吸った。
「子孫である君のことは、子であり、孫であり、弟であるように想っていた。
でも、今は違う。この旅の中、オレの心の真ん中にはずっと、キミがいた。キミを想う気持ちの意味は少しずつ、だんだんと変わって、最初のものとはもう違う……。
もう、嘘はつかないよ。隠し事もなしだ」
ああ、心臓がやかましく鳴っている。ユシドはすごいよ。こんな熱を、2回も経験して、乗り越えてるんだから。
視線が強くぶつかる。彼はその言葉を、答えを待っている。
だから――――、
ずっと言葉にしなかったその心を、いま、伝える。
「ユシド」
それは喉が焼けるほど、熱の宿った声だった。
「オレは、キミが好きだ」
……言葉にすると、じわりと、とくとくと、自分の中の想いが溢れてくる。
ああ。本当に、愛おしい。いつからかわからないけれど、ずっとそうだった。もう抑えられない。
「……髪の手触りが好きだ。首の匂いが好きだ。淡い瞳の色が好きだ。優しい声が好きだ。
一生懸命さが好き。手の暖かさが好き。心臓の音が好き。そうやって顔を赤くするところが好き。
まだ、まだたくさんあるよ。ずっと言えなかったことだから、たくさんある」
思わずここまで出してしまってから、相手の顔が真っ赤になっていることに気付く。
それはきっと、もちろん、こちらもだ。
でも、もう気持ちを隠して変な駆け引きをすることもない。これからは、一緒に恥ずかしくなろう。
「まあその。まとめて言うと……」
一歩前に出る。身長に差があって、少し下から、彼の顔を覗き込んだ。
「ユシド、キミを愛している。ずっと共に、そばにいてほしい。この雷が、キミのとなりで鳴り轟けるように――」
夕日が彼の顔を照らす。自分の顔がとても熱いのは、きっとこの紅い陽のせいで。
それともちろん、キミのせいだろう。
また、視線が重なり合う。
ああ……。
その顔が見られたなら、こうして恥をさらした甲斐はある。
一歩前に出て、翠緑のひとみを覗き込む。そこに写っていたのは、風の勇者シマドではなく、少女ミーファだった。
つま先立ちになって、互いの顔を近づけていくと、瞳の中のその姿がどんどん鮮明になっていく。
そうして……、
互いの唇が、優しく触れ合った。




