62. サンサーラ
まず、いつもの魔力切れだと思った。
ミーファは真剣な戦いの場では、力を使い果たして動けなくなることが多い。今回も、それほど本気で僕と戦ってくれたのだから、こうなってしまうのも仕方ないと思った。
彼女を介抱しようとして、その苦し気な様子に気が付いた。
浮かぶ汗、荒い呼吸は尋常な様子ではなく、身体に触れると、おそろしいほどの熱が彼女を苛んでいるのがわかった。
僕は神殿を出て、島の宿屋に彼女を運び、仲間たちを頼った。
ティーダさんとシークも修行を終えていたらしく、狭い部屋の中に6人の勇者全員が集まった。いつだって僕たちの中心だった彼女を、みんなが心配そうに見つめる。
でもその中で、イシガントさんと魔王さまの姉妹は、何か、知った風な様子を見せた。
「この症状は……」
「まさか、もう?」
反射的に問いただすより先に、向こうが口を開いた。
「ごめん、着替えさせるから、男の子ふたりとシークちゃんはちょっと外で待っててもらっていい? 若い子には刺激が強いしね~」
「いいや……その必要はない」
イシガントさんはいつもの言動を見せてやりすごそうとしたみたいだったけど、魔王さまは違うようだった。
「ここですべて話そう、イシガント」
「姉さん、でも……」
「もうタイムリミットじゃ。こいつのわがままなんぞ聞いてられん。お前はまた後悔するつもりか?」
「………」
いつになく神妙な様子に。これまでにないほど大きく、嫌な予感がした。
衣擦れの音と、ミーファの荒い息遣いが耳に入る。やっぱり普通の状態じゃない。疫病の類か、そうでなければ……
「こっちを見ていいぞ、童ども」
すぐに振り返って、その有様を、見た。
「……なんだ、これは……!?」
ミーファはうつ伏せの姿勢で寝かされているが、衣服をはだけさせられ、白い背中が露わになっている。
いや。白い背中、とは言えない。
彼女の背には、見たことのない禍々しい紋様が描かれていた。ただの刺青でないことは一目でわかる。感覚を鋭敏にすると、何者かの魔力の気配もわずかに感じ取れた。
「呪いだよ。背中の呪刻が体力と魔力を吸っていって、模様が広がっていくほど苦しみが増す、という。よくある呪いじゃ」
……バカな。
全身を怖気が走る。魔王さまはこれを、教会で祓ってもらえばなんとかなるような、なんでもないもののような言い方をした。
だがこれを目の前にすると、決してそんなやさしい代物ではないのだと、心が感じ取り、訴えてくる。どうしてミーファがこんなものを背負っているんだ。
いったい、いつから……?
「今までの旅でも、こうやって、この子だけが魔力を激しく消耗していたことはない? 体調を崩していたことは?」
頭の中を、これまでのミーファの姿がよぎった。
旅の記憶を思い返す。大きな戦いの後では、仲間たちがまだ動けるくらいの余裕を残している中、彼女だけが力を出し切ってバテている場面があった。
考えてみれば、勇者に選ばれるほどの人間が、体力ならともかく、動けなくなるほどに魔力を絞り出すことになるなんてのは、そうそう起こりえない。シークのように、強すぎる魔力で熱が出て倒れるというケースならまだしも……。
ミーファのあれは、呪いの紋によって魔力を失っていたから、だというのか。
「……あ、の。な、治るんですか? このまま広がり続けたら、ミーファさんはどうなるんですか?」
「死ぬに決まっとるじゃろ。この様子だと、あと2年……いや1年で限界、ってとこかや」
魔王さまは軽く言い放ったが、僕にとってそれは、頭を強く殴られるよりずっと重い衝撃だった。他のみんなも、多分そうだったと思う。
シークの目にしずくが浮かぶ。
「そんな……、どうしてこんなことに……。呪いなんて、いつ?」
すぐに思い当たったのは、王都の地下で、光魔の最後の攻撃からミーファがかばってくれたときのこと。
それ以外に考えられない。あのとき、僕が不覚を取らなければ。
「こいつに呪いが刻まれたのは、約200年前のことじゃ」
「―――!?」
魔王さまの言葉に、思わず顔を上げる。
200年前? つまり、ミーファがまだ、シマドだった頃……?
いったい、何があったんだ。
「いま、すべてを話そう。お前達は、このミーファが今日まで隠してきた秘密を知る必要がある」
「……反応からして、半分くらいはユシドくんも知ったみたいね」
イシガントさんの匂わせ方からして、ミーファの隠し事、というと、彼女がシマドの生まれ変わりだという話か。
それが、この呪いのことと関係している?
……仲間たちの様子をたしかめる。
シークは困惑した様子で、ティーダさんは眉も動かさずに僕ら全員を見ている。イシガントさんはミーファの髪を優しく撫で、魔王さまは――。
魔王さまは、ゆっくりと、語り始めた。
“昔話をひとつ。”と。
ほんの200年前の、魔人族にとってはわりとはっきり思い出せるくらいの、昔の話。
星の台座を目指して旅をする男がいた。名をシマド・ウーフといい、当時の風の勇者に選ばれた者だった。
やがて彼は己のほかに、あと二人の勇者を探し出し、共に旅を続けていく。
そのまま数年のときを費やし、他の勇者たちを探したが……勇者探しをしていられるほどの余裕が世界から無くなり、ついに彼らは3人のまま、旅の終わりへと舵を切った。
そうして聖地に向かう途中、力を得るため、ある島の神殿へ立ち寄る。
このとき、シマドの命運は定まった。
仲間たちが神殿へと修行に入り、ひとり外の世界にいたシマドの元に、全身を紫光に濡らした稲妻が……竜が、降ってきたという。
今日でいう“七魔”の一騎、雷魔ロクの襲撃である。かの雷魔は精霊として高位の存在でありながら、魔物として模範的な怪物で、さっそく島の人間を焼き殺そうとした。
シマドはそれにたったひとりで応戦し、その死闘は7日続いたという。
まあ、うちはそこはウソだと思っとるけど。せいぜい2日くらいだと思う。だが、シマドが七魔とのタイマンを互角に持ち込むビックリ人間だったのは、紛れもない事実じゃ。
おほん! 話がそれたな。
死闘の果てに、シマドは雷魔を追い詰めるところまでいった。
だが、死にかけの雷魔は最後に、彼に精霊由来の強力な術をかけた。
それは死の呪いである。それだけのことで、シマドの人生に先はなくなった。
そのうえ雷魔にはとどめも刺せず、まんまと逃げおおせられたらしい。さぞ無念だっただろう。
しかし、シマドの奮闘により、島の民たちにはただのひとりも死傷者は出なかったという。やつは正しく勇者、ヒトの英雄だったといえよう。
3人の勇者たちは聖地での儀式を終え、その後は各々がシマドの呪いを解く方法を求めた。
だがそれは叶わず。背中の呪刻に魔力や生命力を吸われ、見返りに痛みと熱を与えられ、彼は衰弱していく。
そうして。務めを果たした勇者シマドは、しかしその偉業を報われることなく、若くして死んだ。ほんの数人の友に看取られてな。そうだな? イシガント。
さて。
ここまで、「勇者シマドの死」について話した。このことが、ミーファ・イユと何の関係があるのか。
もうしばし傾聴せよ。
シマドが課せられたものは、正確に言うのなら死の呪いではない。
死んだあと、その先がある。
“生まれ変わり”だ。
記憶と魂を引き継ぎ、全く別の人間として転生する。それがこの呪いの真骨頂であった。不滅の存在である最上位精霊による、魂を縛る契約だ。これくらいのことはありえる。
そうしてシマドはおそらく、この星の誰かに生まれ変わったはずだ。
そして……
ここからの話は我らの得た情報からの推測で、真実は本人と雷魔にしかわからないのだが。
非情に悪辣なのは、その転生後の身体にも、シマドを死に追いやった呪いの紋がそのまま刻まれることになる、という点だ。呪刻は肉体ではなく、魂を侵している。
だから、次の生でも、長くは生きられなかっただろう。
その次も。その次もだ。
シマドの魂は、転生の輪廻に囚われ続けている。短い生を何度も繰り返している。
雷魔はそこから、魔力と生命力……そして、シマドの絶望を喰らっているのだろう。
さあ。ここまで聞いたなら、もうわかったな?
シマドの魂は今もこの世界に生きている。そして、死の紋に痛めつけられている。
そこのベッドの上で。
此度の生では、ミーファという少女として……。
「あなたを愛しています。ずっと、ずっと一緒にいてほしい」
似たような言葉は、いつかの日にも聞いた。
だけど、そのときとはまるで意味が違う。ユシドはオレの正体を知った。きっと、今までのように、憧れてくれはしない……はずだった。
それなのに、ユシドはオレを強く抱きしめてきた。少し痛いな、と思うくらいに。こういうことをされると、今の自分の体格をわからされてしまう。ユシドの腕の中に収まるのなんて、彼より小さい身体の少女くらいのはずだから。
そして、彼は胸の鼓動を直接伝えてくる。そこに、嘘はないんだと言うように。
「……本当に? オレは、男なんだよ」
「うん」
「お前のおじいさんの、そのまたおじいさんの……とんでもないおじいさんなんだ」
「そうだね」
「性格も、こう見えて暗いんだ。気分屋だし、頑固だし、嫉妬もするし、面倒なやつなんだ」
「知ってる」
「オレは……シマドだ。ミーファでもあるけど、でも、ミーファじゃないんだ。この魂は――」
「だから、あなたに恋をした」
そう、言ってくれた。
オレの全部を肯定してくれた。
気が付くと、自分もまた、彼の背に手を回している。
すがるように。
「じゃあ、じゃあ……オレは、キミを……」
好きになっても、いいのかな?
「………」
でも、ダメだ。
ユシドの想いに応じるのは、だめなんだ。
オレはじきに死ぬ。
ユシドにはきっと傷が残る。また、愛しい人に、しかもこんなにまで思ってくれる相手に、見送らせるっていうのか。
そんなこと、してはいけない……。
大好きなキミに、死ぬところは見せられない。
「ユシドの気持ち、嬉しいよ。でも…………。一緒にいることは、できない」
彼を突き放す。
死に別れよりはマシだ。オレは……、
オレのことは、単なる想い出にしてくれればいい。キミにふさわしい伴侶でも見つけて、幸せになってほしい。それこそがオレの宝だから……。それだけで、またこの繰り返しに挑めるから。
だから。その恋だけは、あきらめてほしい。
「約束だから、聞いてあげたいんだけどさ。……ほら、その、男だから。オレにとってキミは、恋仲になるような相手じゃないんだ。悪いな」
“ふつうのこと”を言い訳に突き付ける。
ユシドは、今までに見たことがないような、悲痛さに耐えるような顔をした。
ああ、なんでオレは……。ユシドのこんな顔が見たくないって、思っただけなのに……。
「……それは。本当、に?」
「…ああ」
逃げた。
ユシドの顔を見ていられなくて、背を向けてしまった。
それで後悔した。後ろからは泣きそうな声がする。
「………………わかっ、た」
ユシドが泣いているのを最後に見たのは、最初に見たときだ。出会ったあの日、彼は木の下でべそをかいていた。
あれからキミは、どんな試練にも泣かない、強い男の子になった。
そんなキミを悲しませるオレは、世界一の悪者だ。
やがて、意識が暗いところから浮上し始める。
これは夢だ。記憶の整理。
この神殿を出ようとすれば、目が覚める。
ああ、ミナリ。せっかく背を押してくれたのに。悪いけど、きみの思ってるよりずっと、オレはダメなやつだったみたい。
周りの声が聞こえる。眠る自分を誰かが囲んでいるようだ。
まどろみを抜けて、目を開いていく。
「そして……肝心の、ミーファを救う方法だが。とても簡単で、とても困難じゃ」
手足の感覚が戻ってきて、脳みそが回転し始める。ずっと話していたのは……魔王ちゃんか。
「こいつに無限転生の契りを強制している張本人……今も世界のどこかにいる、“雷魔ロク”を殺すことができれば、この呪いは終わる」
みんなの声は、なんとなく耳に入って、眠る自分の頭に届いていた。
さすがに、かっこ悪すぎるな。ミナリにも説教されたのに、結局人に全部言わせちまった。
「やあ、みんな……」
かすれた声を出すと、仲間たちがこちらを向く。
どうも自分は、ベッドに寝かされた状態で彼らと向き合うことが多いらしい。昔話のお姫様じゃあるまいに。これに気が付くと、さすがに、あまりに情けない。
「魔王ちゃん、全部言わせちゃってごめん。……みんな。隠していて、ごめん」
仲間たち。とくに、自分がシマドの生まれ変わりだと明かしていなかった、ティーダとシークの様子をうかがいながら謝る。
これは信頼を裏切るような真似だと思う。軽蔑されても文句はいえない。
「……いや。いろんな疑問が解けて、やっとスッキリしたよ、ミーファちゃん。あっと、シマドさまって呼んだ方がいいか?」
「よしてくれ。……図々しいことを言うと、今までどおりがいいな。君たちにとってオレはミーファだし、今の自分も気に入っている……」
話しながら、ある少年のほうを見る。
彼は……、口を開こうとせず……とても、冷淡な表情をしていて。
それだけで、自分の血の気が引くのがわかった。
「な、なるほど……そうだったんですね。元は男の人。どうりで、一緒にお風呂に入ったときの目が、え、え、えっちだな、と……」
「え? ……えっちなのは君だろ、人の身体をじろじろと見てきた」
「ふぇっ!? ち、違います! あれは……」
シークはころころと表情を変える。楽しい子だ。好きだ。
でも、最後には、あまり楽しそうじゃない顔になった。
「……背中のタトゥーを、見ていました。しばらく見ないうちに、こんなに大きく広がっていたなんて」
ずき……。
と、胸に何かが響く。
知られてしまったという痛み、隠していたことへの罪悪感、結局自分では言えなかったことの情けなさ、後悔……そんなところか。
もちろん、もしも雷魔を倒すことができたなら、みんなにちゃんと話すつもりだったんだ……。こんな雰囲気にさせるのは、いやだった。
………。
しばしの沈黙を、イシガントの明るい声が破る。
「……ね! 少し休憩しましょ。みんなも外に出て? ミーファちゃんも、私達の声で起きたみたいだけど、まだ眠った方が良いんだから」
「いや、しかし……」
「無理すると侵食が早まるんだから。大人しくしてて」
イシガントはずるい。そういうふうに言ったら、みんなは出ていってしまう。
食事をもってくるから、と言う彼女を含めて、仲間たちはぞろぞろと部屋を出ていく。
もちろん……ユシドも。
「あ、ユシド――」
彼がベッドのそばから立ち上がったとき、何か言うことを考えるより先に、呼び止める声が自分から出た。
静かに見下ろしてくる目は……、いつものように、優しい目つきじゃない。それに、神殿で想いを告げてくれたときとは、全然違う……。
………。
そうだ、これでいいはずなんだ。
ユシドがオレを想うことがなければ、冷たい目を向けてくれれば、何も苦しみはないじゃないか。
最後にユシドが傷つくことがないのなら、それが正しいんだ。
「あの、さ。そういうわけだから、オレはキミの気持ちには応えられないんだ。このままじゃ死んじゃうんだから、そんな人間に、その想いはもったいない」
それが正しいはずなのに。
……どうしてかな。悲鳴を上げたい気分だ。
不安定な、震えるような声が、出てしまう。
「悪いけど、諦めてくれよ。想い出にでもしてくれたら、いい」
拙く並べ立てた自分の台詞は、そんなにも悪かったのだろうか。
ユシドは、きっ、と強くこちらを睨んだ。長く一緒に過ごしたけれど、そんな顔を向けられるのは、初めてで。
胸の内にあるものが、ぎゅっと締め付けられて、頭の後ろあたりに、がん、ときた。
「きみは、ひどい隠し事をしていた」
「……あ、ああ……。気持ちをもてあそんで、本当にごめん。オレは、オレは本当は、男なのに……」
「違う。死の運命を隠していたことだ」
語気を強くして、ユシドは訴える。
「呪いのことを知らなかったら、君の言い分を受け入れていたと思う。でも、もう知った……」
ユシドの顔が、ぐっと近づいてくる。
冷たい目、じゃなかった。強い、強い眼だ。
オレのものよりも澄んだ、きれいな翠――。
「いいか。これからは、たとえ君が僕を嫌いだと言っても、君のことを絶対にあきらめない。僕はしつこいんだ。ミーファがいない未来なんて、いやだ」
「あ――」
言いたいことを言ったのか、そのまま彼は離れていく。立ち、歩き、部屋の扉に手をかけた。
「待って……」
ユシドの言葉を、熱の回っている頭はまだ整理していない。
だから、自分の喉から、とびきり甘えたような声が出たことに、とても驚いた。
「………」
一瞬立ち止まったものの、ユシドは出ていった。
………。
いつの間にか伸ばしていた手を、下ろす。
怒っていたな。あんな顔もするんだ、って思った。
……………。
謝りたいな。
だけど、やっぱり言えなかったんだ。キミが好きだと言ってくれるほど、オレが死んだときの、その顔を想像したら、もうだめなんだ。
だから……内緒にして、いなくなろうと思っただけだ。
もちろん、雷魔をそれまでに倒せたら、全部解決で最高なんだけど。それは何度も失敗しているし。
うまくいかないな。
…………………。
ユシドのことが、頭から離れない。
今眠ったら、また、夢に出そうだ。
…………………………。
それもいいかもしれない。休むときくらい、好きなひとの、好きな顔を見ていたい。
イシガントの介抱を待たず、再び横になる。
目が覚めたら、謝りに行こう。そう思って、一度目を閉じた。




