57. 雷の試練
「改めて……私はミナリ。雷の勇者として、あなたに同行します」
金の髪が美しい女性は、しかし居丈高な態度でじろりとこちらを睨みつけた。
「ですが、風の勇者なんて単なる招集役でしょう。こちらの足を引っ張らないように」
「ああ? 言ったな、おまえ!」
「まあ、なんて粗野な人なの」
「……ふん! あんたこそ」
街を出るとき、行先が東か西かでケンカになる。顔を突き合わせると、目がばちりと合って。
不覚にも、瞳の色はきれいだと思った。
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「ミナリ、合わせてくれ!!」
「ええ!」
連携で強力な魔物を仕留め、思わず互いに武器を叩き合わせ、かちゃりと鳴らした。
力を合わせると、俺達は個々で戦うよりも、何倍も強くなった気がした。
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「なかなか、勇者が見つかりませんね」
「ああ……さすがに、二人旅が長すぎて、飽きた」
「あら、ひどい人。私はそれなりに、楽しいですよ」
「そうかい。……まあ、噂ではこの地方に魔人族の里があるらしいから、そこでなら強い魔導師のひとりやふたり、見つかるだろう」
「なら、残り少ない二人旅を楽しまないと、ね?」
無遠慮に、無邪気に顔を覗き込んでくるミナリ。そういう仕草はズルいなと思いながら、目を逸らした。
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「おーい、シマドくん。きみ、どうやらあの子にしか興味ないようね。お姉さん自信なくしちゃうな」
「は……はあ? 何言ってんだ、あんた」
「告った? もう告ったかオイ? うりうり」
やたらとその女性らしい仕草で誘惑してきたイシガントが、今日はからかいの方向性を変えてきた。反応してしまって、彼女がにやにやと口を歪めるのを見て、しまったなと思った。
遠くでミナリが手を振っている。
この想いは……伝えるほどのものでも、ない。
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「が……ああああっ……!?」
「シマド!?」
背中の肉が焼けるような痛みにうずくまってしまう。それで、イシガントにも、ミナリにも、俺がみじめに敗北したことがばれた。情けないことだ。
「どうして……私がいれば、こんなことには……」
「シマド、ごめんね……」
二人は神殿で修行していたのだから、仕方がない。修練を終えて出てきた頃には、もう勝負は決していた。
でも、我ながら最低限の仕事はできたよ。あいつは誰も殺せなかったし、一生消えない傷も残してやった。勇者に求められるようなことは、ちゃんとできた。
そう悲しむことはないだろ。
さあ、集まった勇者は3人ぽっちだが、それでも旅はもうすぐ終わる。笑っていこうぜ。
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「シマドさま。旅のお仲間が、あなたに会いにと」
手を強く握って語りかけてくれる彼女の声に、なんとか反応を返す。
そろそろやばいなーと思っていたときにみんなが来てくれるなんて、やはり俺は最高に幸運だ。ちゃんと別れを言いたかった。
いやまあ、もう声は出ないんだが。みんなの顔も見えない。
「シマド、私、私ね。あいつを見つけて、倒してみせるから……。でも、でもそれができなかったら。いつかまた、あなたと会う。会えるのを、待ってるわ」
イシガントの、戦うときには氷みたいに冷たくなる手は、しかしひんやりと心地よい温度で、俺に触れてくれた。彼女は心があたたかいから、うまくバランスが取れている。
「………おやすみなさい、シマドさま」
ああ、すまない。君には望まぬことをさせたし、俺が死んでもその苦労は続いてしまうだろう。これこそ呪いみたいなものだ。
難しいかもしれないけど。これからはきっと、あなたの望むように、生きていってほしい。俺はそう願う。無責任で最悪な男だと、墓には書いておいてくれ。あ、うそうそ。墓とか弔いとか適当でいいよ、ほんと。
「ありがとう、シマド。あなたのこれからが幸福であることを、私はずっと、願い続けます」
……ミナリ。
最後に会えて嬉しいよ。俺は、その。彼女の前で、きみにこんな気持ちを向けるのは、まあ本当に人として最悪なんだけども。
俺は、君のことが――
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「……ミナリ」
「え? あれ、私もう名乗りましたっけ?」
近づいてみて、わかる。自分は随分と変わってしまった。身長は彼女よりも少し低いし、声は、彼女の落ち着いたそれよりも、やや高い。
だから、このままただのミーファとして名乗れば、きっと気付かれない。それは悲しいことでもあり、しかし、逃げ道でもあった。細くて弱そうな今の自分を、この女性に知られてしまうのは、少しだけ、怖い。だから顔を伏せて、地面を見つめる。
けれど。かつての仲間と顔を合わせて、再会の言葉も言えないなんて、苦しい。二律背反の心はやがて、ばかみたいにぽかんと開いた口から、言葉を絞り出そうとしていた。
「……お、オレは……その」
「………シマド?」
その名前を、懐かしい声で呼ばれて、顔を、上げてしまった。
「シマド、なの?」
「……ああ、そうだ。きみの仲間だった、シマドだ。ど、どうして……」
「っ――!!」
正体を看破されたことが不思議で、困惑していると。彼女は突然両手を広げて……オレのことを、抱きしめた。
魔力と術式が再現した、かりそめの肉体のはずなのに、ぬくもりと、やさしい香りが、彼女にはあって。
「あ、あの? ミナリ、さん? ちょっと、距離が。当たってるんだけど……」
「シマド……こんな、こんな形で、また会えるなんて……」
ミナリの声には、涙と嗚咽が混じっている。
ひとまず、役得だと思うことにして、しばらく彼女の好きにさせた。
神殿の真ん中、どこから水を引いているんだかわからない噴水広場の縁に腰掛け、彼女と話をする。
やはりミナリは今のオレより背が高く大人で、それがなんともまあショッキングだった。くだらないプライドが、いたく傷ついた感じだ。
「……そう。もう200年もの時間が経っているなんて。それにあなたの呪刻はやっぱり、生まれ変わりを強制する契約だったのね」
「ああ。ほんと性格悪いよ」
「そうね。あの龍は陰険です」
「傲慢で強そうな割にやり口がね、最悪だ」
「ほんと。むかつきます」
「キモい」
「おおばかもの」
「しつこいやつ」
「小心者」
『根暗』
「!? 今のは誰が……」
「あ、ごめん、オレの今の相棒だ」
ひとしきり悪口を言ってから、どちらからともなく失笑する。
オレは腰を上げて、彼女と向き合った。
「でもさ、オレは……この結果も、きっと悪くないと思っているんだ。今の“ミーファ”としての人生は、君たちと旅をしていたときくらい、かけがえのないもので……まあ、気に入ってる」
「あら。嫉妬しちゃいますね」
「なんだよ。そう言うなって」
手を広げて、彼らの姿を思い浮かべる。
「今の仲間たちは、若くて懸命で、本当に愛おしいやつらでさ。この人生じゃなきゃ彼らには出会えなかった。……君にも、会わせたかった」
「そうね。あなたがそこまで言うなんて、できることなら、会いたかった」
柔らかい笑みは、昔の彼女そのものだ。
記憶と一緒に、心の深くにしまっていたものが出てきて、オレは、胸が、少し熱くなったように思った。
「代わりに、話を聞かせて? あなたが雷の勇者としてここに来るまでの、ミーファと、仲間たちの物語を」
「もちろん、いいよ」
こっちだって、話したくて仕方がない。このミナリが、あくまで再現された仮の存在だとしてもだ。
だから笑って応える。オレの前にいるミナリは、とても懐かしそうに目を細めた。
声が枯れてしまうほど、長く、長く思い出話をした。
ミナリはにこにこと、子どもを相手にする母親のように笑い、オレの語りを聞いていた。そこに気が付くとさすがに気恥しいと感じたけど、でもそれ以上に、彼女は聞き上手だった。
「すごい。たったの2年ほどで6属性の勇者が揃うなんて、ほとんど奇跡……運命的ね」
「はは。まあ、今回の風の勇者には、かなりの幸運がついてるんだろうさ」
「そうですね。幸運の女神がね」
「?」
じっとこっちを見るミナリ。何かおかしな点でもあったかな。
「ところで。光属性の勇者は、まだ仲間になっていないのですね」
「ああ。それっぽい子には、何人か出会ったんだけどな。はずれだったよ。あ、ハズレって言い方はあの子らに悪いな……」
「“光の勇者”は魔王ちゃんですよ。気が付きませんでしたか?」
「ぷはは、魔王ちゃんね」
ぱっと脳裏に浮かぶアホ面の魔人族。彼女もまあ、強い縁で結ばれた、仲間のひとりと言っていいだろう。
………ん?
「ん? なんて?」
「魔王ちゃん、イシガントの姉上の、マブイちゃん。まだ健在だというなら、あの人が光の勇者ですよ」
「……はあああっ!? そんなバ、カな……」
これまでの彼女を思い出す。暇そうに玉座でだらけている姿。荷物持ちで死にそうにへばっている姿。
眩い光で闇魔の魔力を消し去った場面。オレたちの体力や傷をすぐに回復させた腕前……。
「この私……肉体は全盛期で再現されているようですが、晩年にもこの神殿に立ち寄ったので、年老いてからの記憶もありまして」
ミナリの語りを傾聴する。彼女は、旅を終えた後の、オレの知らないことを知っているミナリだったようだ。
「勇者の役目はとっくに終えた頃に、久しぶりに魔人族の方たちと交流の宴を催して……魔王ちゃんが、その場にいないあなたの死を嘆いて、しこたま酔ったときにね。ぽろっと漏らしたんですよ。自分は本当は、光の勇者なんだって」
「はあ」
そう言われてみれば、今まで気付かなかったのが恥ずかしいくらいだ。あいつは光属性の魔導師として、並ぶ者がいないほどの力を持っていた。当然手の甲を検めさせてもらったことはあるが、剣の紋章はなかった。今思えば幻術で誤魔化されていたに違いない。
はあ……。あいつに騙されているなんて、想像したことも無かったな。
自分よりアホだと思ってたから。いや今も思っている。
……しかし、だとしたら。
少し、悲しい。オレは彼女に、その秘密を明かすほどには、信頼されていなかったのか?
「なんで教えてくれなかったんだ……」
「彼女もあのごたごたの中で王を継いだばかりだったから、そう簡単に国を離れるわけにはいかなかったのでしょう。けれど、こんなことになるのなら、ちゃんとついていってやるべきだった。シマドに申し訳がない――、と言っていました」
……魔王ちゃんも、オレのことは悼んでくれていたのか。
なら、まあ、いいのかな。魔王ちゃんに限らず、旅の中で出会った勇者たちに対して、個人の事情を無視してまで参加を強制することは、できない。したくない。
理由があるのなら、仕方がない。
「あと……、『魔王なのに光の勇者なんて、意味分からんしかっこ悪くない? いや、むしろかっこ良すぎる? ちょっと恥ずかしい。えへへ。』とも言っていました」
「もう、殺すか――」
息を吐きながら天を仰ぐと、魔王ちゃんがムカつく笑顔で陽気なポーズを取っている姿の幻が視えた。
ゆるさん。えへへじゃないんだよ。
「……結局今回も教えてくれてないし。今のあいつは暇そうだからな。そういうことなら、ここを出たらすぐにとっちめてくれる」
「あの人のやることだから、意味のあることだとは思いますが……。一度ちゃんと話すことは、必要ですね」
ひとしきり会話をしたあと。ミナリが、おもむろに腰を上げる。
「さて。良い旅物語も聞かせてもらいましたし、そろそろ――この私の、役割を果たしましょうか」
静かだった神殿に雷鳴がとどろき、光と共に、ミナリの手の中に一振りの杖が現れた。魔導師が求められる性能を高める、彼女の得物だ。
それだけで、彼女がかつての勇者としての威厳を取り戻したように感じて、思わず息を呑む。
……雷の勇者としてやってきた今だから、わかる。オレとは、雷術使いとしての、迫力が違う。
「シマド。いえ、ミーファ。この神殿には、力をつけるために来たのでしょう。“試練”に挑みますか」
ふう、と呼吸を整え、腰の剣を抜く。
「ああ。この先、まだ何か厄介ごとが起こるかもしれない。オレに、仲間たちと、肩を並べるための力を」
「よろしい」
ミナリはオレの意思を、柔らかく受け止めてくれた。
「本来ならば、じっくりと魔法術の力を伸ばすカリキュラムを組むのですが、あなたにそれは必要ですか?」
「いや……そういうのは自分ひとりで、いつでもできる。一応、“経験者”だし」
「ならば、欲しいのは“雷の奥義”ですね」
にこりと笑い……、彼女はおもむろに、指を自分の頭に置いて、唸り始める。
傍から見てその様子は、奇妙の一言に尽きた。
「うみみみ……」
「え? 大丈夫?」
「少々お待ちを。神殿に蓄積されたデータにアクセスして、あなたに適した技を検索しているところです」
「??」
緊張を抜かれてしまった。鋼の剣を鞘に仕舞い、身体の筋肉を伸ばしたりしながら、しばし待つ。
「ぴーん!」
突然ミナリが明るい声を出し、びくっとしてしまった。
「あなた、今でも魔法剣を使っているでしょう。ちょうどいい能力を見つけました。過去の雷の勇者にも、あなたのように白兵戦を得意とした人物がいたようですね」
「そうか。ありがたい」
神殿には、ここを修行場として利用した過去の勇者たちの情報が眠っている。
新たな勇者がここを訪れると、その情報の中から、修行相手に相応しい人物を選び、再現する。そうして現れた幻影は、師として、力の底上げに協力してくれるのだ。
また、過去の勇者の情報の中には、彼らが使っていた独自の技能も蓄積されている。基礎的な能力の上達に加え、先人が編み出した特別な技を学び取ることができれば、新たな勇者の力は飛躍的に向上するだろう。
いかなる不可思議な術式でもって建設されたのか定かではないが、この神殿の仕組みにはまったく感心してしまう。
「ですが、修得は容易ではない。偉大な先人が生み出した電光石火の極致を、あなたのそのか細い身体で、受け止められるかどうか」
ミナリの表情が厳格なものになる。彼女は今、オレに教えを授けるものとして振る舞っている。
……そう。神殿の仕組みはよくできたものであるが。簡単に強くなれるかというと、もちろん違う。
過去の勇者が生み出した技。それは当然、彼ら自身の個性に最適化された技であるため、他者が修得することは困難を極める。例えば、筋骨隆々の大男が使っていた技を、腕が細く持久力のないミーファ・イユが、果たして扱うことはできるか?
だから、これは“試練”。乗り越えることで何かを得る。乗り越えられなければ、何も得られない。
「望むところだ」
「……いえ、やはり別の技を探しましょう。あなたには、向いているけど、向いていない」
「ミナリ」
神殿がもたらしたものこそが、オレにとって最も必要なものであるはず。だがその情報を得た彼女は、どうも乗り気ではなくなったようだ。
「頼む。君が授けてくれる試練なら、オレはどんなものでも乗り越えてみせる」
「………」
強く決意を示しても、ミナリの険しい表情は変わらない。
眉根を寄せ、目を閉じ……真っ直ぐにオレを見て、言う。
「わかりました。技を修得するなら……剣は必要ありません。外しておいていいでしょう」
困惑しつつ、言う通りにする。剣とは関係のない、得物に寄らない技か。
剣帯ごと外してよそに置いたら、ミナリの言葉に集中する。ここからは、彼女の口にする一言一句、聞き逃してはならない。
「これから私は、あなたの身体に幾度も雷撃を浴びせます。あなたはそれに抵抗せず、ただ耐え続けなさい」
「な、に……!?」
愕然とした。この、この弱い身体で、ミナリの雷撃を受ける……!?
長い時間が経った今でも、記憶に鮮烈に焼き付いている眩い雷光。オレなんかの雷術は、あれに比べれば偽物だ。それに、耐え続けろというのか。
ダメージはコントロールできるのだろうが、それでも、わかりやすいほど死の危険がある試練。だから彼女もためらったのか。
「そして……。この奥義がどのようなものかは、あなた自身が気付き、理解する必要がある。あなたが神殿に来るのは二度目、それはわかっていますね」
……そうだ。ヒントは与えてもらったとしても、答えには、本質には、自分で辿り着かなければならない。でなければ手にすることはできない。
かつてのオレも、そうして力を掴んだ。
拳を強く握り、頷く。
「――『その身を焼く雷と、自身との境界を考えなさい』。それがあなたの……ミーファ・イユの、“雷の試練”です」
神殿の高い天井の下。屋内にあるはずのない、黒い雷雲が立ち込める。紫電を蓄え、雷神の槍をオレの喉元に突き付けている。
心の恐れを隠すように、オレは、にっと笑ってみせる。
極大の光が降りそそぐ寸前。ミナリは、また、懐かしそうに目を細めていた。




