53. 影を斬り祓う
「おら!」
鋼の十字槍が魔物を貫き、絶命せしめる。
男が槍を引き抜く間もなく、背後からはさらなる凶爪が襲い掛かる。首を狙っていたそれを、身を屈めてかわし、ティーダは地属性の魔力を拳に乗せ、地面を叩いた。得意の、岩杭を呼び出す術が展開し、彼の周囲にいる魔物たちを貫いた。
ティーダは右腕の調子を確かめるように、硬く無骨な指を開閉させた。その手で、傍の死骸に突き刺さっていた槍を抜き、握り直す。
一連の動作をする間、彼の鋼鉄の右腕からは、独特の駆動音がかすかに漏れ出ていた。
「よし……」
手首や肩を回しながら、あたりを見渡す。
ティーダを取り囲む魔物たちは、目に怒りと憎しみをためながらも、彼に跳びかかることはしない。いや、できないのだ。
魔物たちは皆、足元を、あるいは全身を、粘性の強い泥の塊によって拘束されていた。これは水属性と地属性の大魔力を使用した、ふたりの勇者による戦略的な連携魔法術である。現在この一帯を自由に動けるのは、術者である二人のみだ。
戦いを再開する。この一戦は彼にとって、新たな自分を試す機会でもある。
「結構倒せたか」
身体の調子を逐一確かめながら、周囲の敵をあらかた葬り、ティーダはひとつ息を吐く。
この腕を使っての初めての戦闘は、彼に繊細な戦闘行動を要求した。
友人であるムラマサに作成させ、ヤエヤまで送らせた『機械の義手』は、取りつければ本物の腕のように自在に動く魔法の品物……というわけでもない。内側にある疑似的な神経回路にティーダ自身の魔力を通し、その流れを精密に操作することによって、本物の腕と同じ動きを再現しているに過ぎなかった。
しかし幸いにして、彼は地属性の魔力を通じ、鉱物に人体を模倣した動きをさせる魔法技術を持っていた。だからこそ、動かせる。
ムラマサの機械技術と、ティーダの魔導師としての技が合わさってようやく動く。機械の義腕は、この時代にはまだ早すぎるテクノロジーであった。
「よし、もうひと踏ん張り……あれ」
やや離れた場所で戦っているもうひとりの仲間に加勢しようと、ティーダはそちらの方に注意を向ける。
そこでは。既に、おびただしい数の魔獣たちの死骸が、光の粒子へ還ろうとしていた。
見れば、身動きを制限された哀れな獣たちの真ん中で、一振りの武器を使い、暴虐の限りを尽くしている少女がいた。
シークの手に握られているのは、片手剣ほどの全長を持つ一本の斧。木こりの振るうものではなく、魔物の頭蓋を叩き割るための、バトルアックスだ。先端に分厚い刃がある分、見た目よりずっと重量のある武器で、小柄な少女が持つにはいささかミスマッチな品である。
しかしそれを、シークは棒きれのように軽々と振り回し、魔物たちを叩き伏せ、あまつさえ投擲もしていた。
「どんどん野蛮になっていくな、あいつ……」
「……えー!? 何か言いましたか、ティーダさん!!」
遠くからそんな声がして、ティーダはぶるりと背中を震わせた。戦闘中の彼女は、五感の一部が異常に研ぎ澄まされているようだ。
加勢を少し後回しにして、ティーダは、自分たちの後方……この戦いで守るべきものに、目を向けた。
最奥には、白く厚い壁に遮られた城塞都市、魔人族の住む街がある。
その前方には、国を守るべく、色彩豊かな肌を持つ兵士たちが展開しつつあり、自分たちが時間稼ぎの役割を果たせたことを実感する。
しかし……まだ、この戦場を彼らだけに任せるわけには、いかなかった。
兵たちの後方、都市の正門付近に、数台の馬車が停まっている。あれは魔人族たちの所有物ではなく、ティーダ自身がヤエヤ王都からこの場所まで、護衛してきたもの。
中には……、なんと、ヤエヤ王国の王女のひとりが、乗っている。
ヤエヤと魔人族の王の間には、古くから交流があり、定例会議を設けているという。これは国家間の重要な取り決めを行うものと、王族同士の個人的な交流、関係づくりで行うものの二通りがある。ヤエヤの王族が、少ない人数でこの影の国へやって来る場合は、後者のケースだ。
ティーダとシークは、仲間たちへ合流する準備を終えて旅立つ間際、かのヤエヤ国王から直々に呼び出しを受けた。
用件は、『影の国へ向かう王族の護衛』だ。
単なる移動のついでに、貴人の馬車を守るだけでそれなりの謝礼が入り、王族との縁を作れる。そんな見返りの期待できるこの依頼に、ティーダは快く承諾した。
ちなみにこのとき、シークは何も考えずに首を縦に振っていた。
しかし今、彼はそのことをやや後悔していた。
中に乗っていたヤエヤの王女が、どうにも厄介な人物だったからだ。仲間のユシドやミーファが友人になったという第三王女とは、どうも性格が違う。
今も、青い顔をして門の中へ入るよう嘆願する魔人族の兵たちに、馬車の主はノーを付きつけ、車窓から戦場を、見世物のように眺めている。
……ヤバい方の王族だ。と、ティーダは思った。
彼女が戦火の中で傷つくようなことがあれば、魔人族たちとヤエヤの国際問題。その前に、護衛を全うできなかった自分たちに大変な重責が及ぶ。
ティーダは空を仰ぎ、ため息をついた。
「……ん!? ありゃあ……」
最初は、鳥だと思った。
それにしては遠近感がでたらめで、ティーダは経験から、それを大きな鳥の魔物だと察知した。これだけの種類の魔物が凶暴化しているこの戦場だ。飛行型の種が混じっているのは、当然あり得ることだった。
「高いな……!」
常に軽薄な余裕を浮かべていたティーダの目が、細く引き絞られ、敵を睨む。
地属性の魔法術には、上空の敵を討つことの出来る手段が少ない。
少ない手札の中から、ティーダはひとつを選択する。地面に岩の砲筒を作りだし、火山噴火の要領で弾殻を撃ち出す技だ。
味方に被害の及ばない角度を計算している間に、魔鳥の群れが勇者たちの頭上を跨いでいく。ティーダは、砲弾の雨を空に向けて返した。
……だが、戦果は小なり。群れの一部を破壊したものの、魔鳥たちは十分に生きている。そして、不得手な局面で後手に回ってしまった間に、彼らは影の国の領空を侵していく。
ついには、次に砲弾を放てば味方に岩が落ちてしまうという位置に、到達してしまった。
「クソ! 空の敵はいつもユシドくんに任せてたからな……!」
「『メイルストロム』ッ!!」
ティーダの近くまで走ってきたシークが、水の魔法術を撃ち放つ。渦潮の槍は、空を行く敵から、大きく狙いを外してしまっていた。彼女は狙撃の技術に難がある。
ティーダとシーク。強力な術師である二人だが、上空高くの敵という存在は、彼らの“穴”であった。
「ティーダさん、踏み台ッ!!」
疾走するシークの呼びかけに反応し、ティーダは大地を揺るがした。
シークの進む道のりから、巨岩の多面体がいくつも隆起していく。少女はそれを足蹴にしていき、空へと跳びあがった。
足の裏側から炎を噴射し、推進力にしてさらに昇っていく。
「せえあっ!!!」
斧の振りと、水の魔法術による刃。二刀の圧力が、空の魔物たちを駆除していく。
魔鳥たちは一匹残らず撃ち落とされ、墜落しながら光に分解されていった。
「やった!」
落ちながら笑顔を見せるシーク。
そこに影が差したのは、ほんの数秒後のことだった。
「また……っ!」
「第二陣か……」
二人の目に、魔物たちの新しい群れが立てる土煙が見えた。
飛行タイプもまた混じっている。あれを通せば、後ろにも戦士たちが控えているとはいえ、どうしても致命的な被害が出る可能性は拭いきれない。
自分たちがいる限り、1%でも、その確率があってはならない。ティーダはいよいよ、槍を長杖のように大地に突き立て、体内で大魔力を練り上げ始めた。
わざわざ敵の規模に合わせた小技で仕留めなければならない、などという決まりがあるはずもない。こうなれば、大質量の巨像を創造し、全てを薙ぎ払うのみ。
「!?」
ところが、男はいま、集中を欠いた。予想外の展開が起こったからだ。
厄介な空の魔鳥たちが、次々と墜落している。
彼らの身体は……一様に、白銀の光剣によって貫かれていた。
「お……、敵の増援か。一騎当千の勇者たちも手が回らなくなってきている。ちょうどいいシチュエーションじゃないか」
荒野の戦場には不釣り合いな、豪奢な馬車。その窓から外を覗いていた女性が、ようやく車を降りた。
楚々とした態度で美しい笑顔をつくり、先ほどからこの場から退くよう説得していた魔人族の兵士を、やんわりと退ける。
そして、ドレスの裾と靴に埃がつくのをいとわず、王女は傲慢な顔つきで、戦場に足を踏み入れた。
「ふふ、これなら活躍できるな。予想外なタイミングで、うまいトラブルだ……んんっ! ……サータ? さあ、わたくしの杖を」
「……え? ありませんが」
「何?」
王女は被った猫を脱ぎ捨て、不満げな表情で傍らの従者を睨みつけた。
文句を言おうと口を開き、しかし、自分が出発時に「必要ないから捨て置け」と指示したことを思い出し、矛を収めた。
「じゃあ貴様の剣でいい。指揮棒代わりにするから、よこせ」
「は、はぁ……」
従者から徴収した剣を手に取り、懐から一冊の小冊子を取り出す。そこには彼女の書き溜めていた、独自の魔法術の術式が記録されていた。
「えーと。『剣』、『剣』、『剣剣剣』、『剣』!!」
剣の先に白銀の火がともる。少女がそれを操ると、宙にずらりと、光の刃があらわれた。
そのひとつひとつが、彼女の視線によって、遠くの空を飛行する魔鳥たちに紐づけられる。
「『射出』」
剣群が真っ直ぐに飛ぶ。やがてそれらは、確かな精度で魔物たちを貫いた。
そうして、この場に集った人々の視線が一点に集まる。いっぱしの戦士でも手こずる、飛行する敵の迎撃を成し遂げた、ひとりの少女に。
結果に満足するような表情を見せた王女に、次に、従者は小さな棒状の魔導具を手渡した。
王女がそこに向けて語りかけると、従者の保持していた大きな箱から、拡大された彼女の声が、広大な戦場へと爆発的に響いた。
「「魔人族の戦士たちよ。わたくしはパリシャ・ユイマール・ヤエヤと言います。通りすがりの小娘です」」
ヤエヤ、という名を聞き、この場にやってきたばかりの兵士たちを含め、戦場の全員が、この魔導師の少女の素性を把握する。
「「これから敵の第2陣がやってきます。さらなる増援もあるやもしれません。寝物語に語られし、勇壮なる魔人族の戦団とはいえ、少々の被害は免れないでしょう」」
少女の声には、人々の耳を引きつける、不思議な力があった。
それは拡声器の効力だけではなく、彼女自身の持つ何かだ。それが、突然現れたよそ者へ抱くはずの感情を、煙に巻く。
「「ならば……友好国であるこの国の危機を、黙って見過ごすことはできません。――私も戦います。どうか共に、守るべき世界を守りましょう」」
少女は再度、宙に光の刃を形作る。その剣群は、先ほどのものとは比べ物にならない規模であり、軍の弓兵たちが一斉射撃を行うに匹敵する、暴力の雨だ。
「「勇士たちよ! 我に続けッ!!」」
強い魔導の力とカリスマ。戦場がもたらす緊張感。自分たちの都を守るという使命感に、ノリの良い気質を持つ魔人族たちは吠え猛った。
ティーダは、別に大したことを言っていないにもかかわらず群衆を熱狂させた、お姫様の一連の演劇を見て、ヤバそうな方の王族だという認識を強めた。
この戦いが始まってから、どれほどの時間が経っただろうか。全力運動をしたときの時間感覚の加速を考慮しても、数分、というわけにはいかないだろう。
数時間。……いや、半日。いや、あるいは……。
足や手先の触覚は鈍く曖昧なものになり、今にも膝が折れそうだ。少しでも足を止めてしまうと、流した汗は体を冷やし、熱という動力源を奪っていく。
持久力切れ、である。昔は何日ぶっ通しで戦っても、割と平気だったのにな。やはりオレは、ある面では弱くなった。
今は、平気な顔で戦いを続ける仲間たちにがっかりされるのが嫌で、気力だけで身体を動かしている。ユシドも、魔王ちゃんも、自分の仕事をしっかりこなしている。イシガントはさすがに消耗しているようだが、しかし息が上がってくるにつれて、彼女はさらに発奮して調子を増していくようだった。瞳は鋭くなり、口の端はわずかに上へ吊られている。めったに見ない本気モードだった。
続いて、敵対者である、闇の魔人の様子を確認する。
オレだけが体力の限界ならばあまりに情けないが、そうではないはずだ。この長い闘いは、今にも確実に成果を上げようとしていた。
闇の内側にある先代魔王の遺体には、ここに至るまでに多くの損傷を与えた。緩慢だった各動作はさらに鈍くなり、次第にこちらの優位性は増している。
「うおおお……だああっ!!」
これまで敵の巨体をささえてきた足に、今、闇の鎧のほころびが現れたのを、ユシドは見逃さなかった。
渾身の風神剣がぶつかる。魔人は片足を切り刻まれ、ついに膝を折った。
……よしっ! ここまで削れば、勝利は目前……!
「!! ぐっ!」
巨木のような黒い腕が眼前に迫っている。オレは剣の腹を左腕で支え、衝突の力が働くだろう方向に跳躍した。
痛烈な一撃が体をきしませ、オレの軽い身体を吹き飛ばす。なんとか態勢を整えたが、肺は多くの空気を求めてきて、みっともなく肩が上下に揺れた。
……戦いが長引くと、避けられる攻撃も避けられず、このように防御を選ぶはめになる。
身体が痺れる。剣を杖にして、なんとか身体を持ち上げる。見れば、片足を破壊されて移動が難しくなった魔人は、これまで魔王ちゃんを執拗に狙っていた腕を、狙いをつけず、めちゃくちゃに振り回していた。
さらに、闇の魔力で形成された触手が、イシガントやユシドを襲っている。まだ、もう少し、ふんばらないと……!
「平気か、シマド」
「!! 悪い、ありがとう」
魔人の標的から逃れた魔王ちゃんが、いつの間にかそばにいて、オレの肩に手を当てていた。
治療・回復に調整された彼女の魔力が、肌を通して流れてくる。体の痛みは薄まり、息遣いも楽になった。
「……おまえ、本当に平気か? 体力だけでなく、魔力も尽きかけているな。……勇者に選ばれるほどの人間が、これしきの長期戦で――」
「大丈夫だって。シマドさまをなめんなよ」
「………」
笑って見せたけれど、彼女の持つ魔人族の眼は、こちらの状態を何もかも見透かしているかのようだった。
親しい仲だからってなんでも覗いていいわけじゃないぞ。オレは立ち上がり、ちょうどいいぐらいの位置にある魔王ちゃんの額を、指ではじいた。
「痛あ!? お前ぇ!」
刃に再度、魔力を纏わせる。
戦況を見てみれば、イシガントの全身を、彼女自身の強烈な闇が渦巻いているのがわかった。その強大な魔力が、空気を震わせているのを肌で感じる。闇魔の魔力に埋め尽くされたこの空間にあって、はっきり感知できるほどのものだ。
おそらくこれで決めるつもりだ。合わせる……!
「喰らうッ!!」
鋭い黒爪が、さらに巨大で禍々しいものに変わる。イシガントは獣のごとき俊敏さで敵に肉薄し、その腕を振り下ろした。
闇と闇の喰らい合い。……粗野で荒々しい数条の斬撃が、魔人の鎧を引き裂いた。
「せりゃああっ!!!」
その、闇の晴れた部分。魔人の胴体にできた黒の切れ間を、正確になぞるように、電光の刃を叩き込む。
魔人を挟んだ向こう側から、ユシドが同等の一撃を見舞っている。二色の魔力の光が、少年の顔を照らしていた。
オレたちは剣を振りぬき、互いにすれ違う。背中越しに、ついに巨人の倒れ伏す音を聞いた。
ふー、と息を吐きだし、剣を振って光の残滓を払う。
「やったか……!?」
あっ! ユシドお前、やったか、とか言うな。
誰かがそう発言すると、たいていの場合は魔物が起き上がってくる。ずっと昔からあるジンクスだ。
……いや、まあ、まだ終わってないよな。ここまではあくまで、闇魔の力が憑りついた、先代魔王の遺体という依代を損壊させる戦いだった。
オレたちが真にやるべきは、あの亡霊のような魔力を消し去ること。それがイガシキの願いだ。それを成すまで、もうひと踏ん張りしなければ。
振り返り、油断のないように構え直す。
そこには予想通り、巨大な遺骸から、黒い闇の塊が立ち上っていた。
「ふたりとも、あと一撃で決めるよ。最大攻撃の用意を!」
「……属性の反射は!?」
「一気に消し去れば、反撃なんてできないでしょ!!」
なるほど、それはそう。
イシガントの言葉に頷き、もう一度剣を強く握る。
オレは最大級の魔力を刃に注ぎ込み、激しく明滅するそれを、そのまま鞘にしまった。鞘を左手で保持し、腰を落として全力運動に備える。
イガシキ、力を貸してくれるだろ。
「オオオオッ!!」
イシガントはさらに巨大な黒爪を作りだし、悪鬼のような形相で吠え、暗闇に向かって激しく叩きつける。ほころび、きしみ、霧散しかける魔力の塊。
「風神剣・凪――!」
そして、実体のないそれを、ユシドの静かな刃が切り裂いた。魔力を斬るあの不思議な剣は、闇魔の遺した妄念にダメージを与えるだろう。
もうひと押し。最後のとどめだ!
「炎雷剣……ッ!」
柄を握る手に、熱が伝わる。
引き抜いた刃には、ごうと燃え盛る炎と弾ける雷が混じりあう。その熱をもって、オレは暗い地の底を走り抜き、黒い塊を薙ぎ払った。
……煤のように散り散りになっていく闇。それを見て、オレは自分の全身に張り巡らせていた気力の骨が、溶けてふにゃふにゃになっていくのを感じた。これで、ようやく……。
「まだ! そこから離れて!!」
「!?」
燃え残った灰のような、ほんの少しの黒が……まだ、蠢いていた。風に揺らいでいるのでもなく、先の攻撃で消しきれなかったものがたしかに、まだそこに留まっている。
ひゅ、と息を吸って動こうとすると、闇は、まるで羽虫の群れのようにオレに向かって来た。まだ害意があるのか!
闇のかすみは魔法剣の一振りをかわし、オレを包み込もうとする。イシガントの言う通り、この場を離脱した方が良い。
でも……足が、動かない。身を守るための魔力も、ほとんど底をついている。戦いが長引いたせいだ。
クソ、この程度の亡霊に、このオレが、やられてなるものか……!
「ミーファっ!!」
「……! ユ、ユシド――」
膝をついてしまったオレの前に、少年が躍り出る。大きな背中をこちらに見せて敵に立ちはだかる様子は、どうみてもこちらを守っている構図だ。
オレは、オレは、いま。ユシドに、守られている。庇われている。
……そういうことは、これまでにも何度かあったけど、あくまで仲間としての連携の範囲だったように思う。
でも今は。情けなく魔力も体力も尽きた、今は。自分がシマドであったことを強く思い出した、今は……。
本気の、大事な戦いの途中で。こうしてキミの背中に庇われてしまったら、オレは……、
一瞬、そんなふうに、妙なことを考えた。
けれどその思考は、途中でどこかへ飛んで行った。
……ユシドが、苦し気に呻く声が聞こえたからだ。
「ぐ、ぐ、が、は……!?」
「ユシド? ……ユシド!」
体力が限界だとか、そんな情けない事実は、ユシドのこの声の前では関係がない。オレは再度立ち上がり、ユシドの様子を注意深く見る。
……オレをかばった少年の、顔に。煤のような闇の魔力が、まとわりついている。
「クソっ!」
「が、あ、ぐああああ……!!」
「!!」
汚らわしい虫のような闇を振り払おうとしたとき。ユシドの腕が、オレを強く突き飛ばした。
強い力だった。みっともなく後ろに転げ、彼を見上げる。たぶん、自分は今、呆けた顔をしているだろう。
ユシドの口や鼻から、闇の魔力が体内に入り込んでいっているのが、見えた。
苦し気にうめき、身体のあちこちに青筋を立て、頭をおさえているその様子は、激しい頭痛にさいなまれているように見える。
オレはユシドに、手を伸ばした。
「があああああっっ!!!」
暴風。
黒い風が吹き荒れ、オレの身体を押す。
その、闇と風が混ざり合った魔力で、わかった。先代魔王の死骸から追い出された闇魔の亡霊は、ユシドの身体を新しい乗り物にしようとしている。
この危険性をなぜ考えなかったのだろう。この暗闇は人間の身体に憑りつく。それは死体だろうが生きている人間だろうが関係ないんだ。最初から、予測できていた性質だったのに。
ユシドは尋常でない様子で狂い叫び、魔力をほとばしらせている。抵抗しているのだろうか。オレ達に直接攻撃を仕掛けてきたり、身体を使って暴れ出すといった様子はない。だがこのまま体内の魔力を放出し続けては、いくら勇者だといっても……
……死んで、しまう。
オレをかばったばかりに、こんな――、
「ち! 厄介な!! あんな雑な憑依など、と言いたいが、まだ術封じの結界が効いとる……!!」
「さっきみたいにユシドくんの身体を傷つけるわけにもいかないし……」
魔人族の姉妹も、手が出せない様子だ。
どうする、どうする。このままじゃ……
「ミー、ファ……。逃げ、てくれ……」
「……!」
その声を聞いて、また、直前に考えていたことが飛んだ。
オレが、お前を置いて、逃げる?
……バカだな。そんなこと、ありえない。
オレは、オレはもう、キミが横にいないのは、嫌なんだから。
「……ふたりとも! ユシドの身体を、動けないように抑えつけられないか」
声かけに、ふたりは返事をしない。ただ視線を合わせてきただけだ。
それだけで、彼女たちは動きだした。ずっと昔からの仲間は、オレのことを信じてくれている。そんなふたりを、オレもまた。
魔王ちゃんがユシドを挑発するように、軽い威嚇攻撃を加える。風を切って接近する、翼で飛行しながらの蹴り。
近づいて来た彼女に、ユシドの中に潜む闇が反応した。黒き突風がやや勢力を弱め、注意が彼女に向く。
そうしてできた隙を、イシガントは見逃さない。
彼女は闇の魔力を使い、黒い拘束具を作りだし、ユシドの五体にかみつかせた。その拘束具から伸びた強靭な糸が、地面にぴんと根を張り、彼の身体をその場に縛り付ける。
これ以上ない仕事だ。……ありがとう、ふたりとも。
ユシドはまた苦し気に呻き、身じろぎをしている。内を駆け回る闇の魔力が、彼を無理やり動かそうとしているんだ。魔法術によって縛り付けているイシガントの表情からも、魔人族の彼女ですら竦ませるような力を、本来そこまでの筋力はないユシドの身体が発揮していることがわかる。身体強化の魔法術と同じ要領だろう。そんなことをすれば、彼の身体には凄まじい負担がかかっているはずだ。
オレは、正面から彼に近づいていく。
なあ。こんなこと、前にもあったな。キミは覚えているだろうか。
オレは、まあ、忘れてない。けっこう衝撃的だったからさ。
体内の魔力を振り絞る。それはここにきて底をついてしまった雷の魔力ではなく……、“光”と、“風”だ。
耳飾りからも、力をかき集める。
オレは深く息を吸いこむ動作をする。
今からやるのは、ふたつの魔力を合成した“破邪の風”をつくりだすこと。それはユシドの体内にまで入り込み、彼を蝕む闇の魔力を体外に追い出すことができるはずだ。
この作用は光属性のみでは難しい。水や風と組み合わせることにより、対称の体内から浄化を試みる魔法術。
もちろん、そんな術は、オレにとっては造作でもないこと。
そう、だった。
「……! かふっ! ゲホ、けほ……」
みっともなくむせてしまう。口元を押さえた手には、ほんの少しだけ、赤いものが付いていた。
肺が、喉が、痛い。強い風の魔力を操るのに、この身体はあまり向いていない。
けれど、もう一度、風を吸いこんだ。今はこんな方法しか思いつかないんだ。でも効果は間違いないと思う。だって、前に一度成功したことだ。キミはオレを、そうして助けてくれた。
胸の中で風と光をぐるぐるさせながら、苦しむ少年に近づく。
彼の頬に、両手で触れた。
「ユシド。ええとだな。これは、というか、これも、ノーカウントだからさ。許してくれ」
なんとなく、オレは笑顔をつくっていた。
顔を、互いの距離が無くなるまで、近づける。
ユシドの口を無理やりこじ開け、オレはそこに、破邪の風を流し込んだ。
「……ん」
唇を離すと、ユシドの苦しみ方が変わった。
喉や胸元を押さえ、天を仰ぐ。やがてユシドの口から、闇の残滓が煙のように這い出てきた。
「よし……!」
うまくいった。オレは倒れかけるユシドの身体を支え、闇から庇う。
もう油断はしない。少しでも攻撃圏内に入れば、今度こそ焼き尽くす。
黒い塊がゆらゆらと揺れる。片手で引き抜いた剣を構え、切っ先を向けて意味のない威圧をする。
「はああっ!!」
そこに、期待していた援護がきた。イシガントの手には、大昔に見たことのある、氷で作られた刃が握られている。水と闇の掛け合わせ、冷気を操る魔法術によって形成したものだ。
ずっとこの空間に仕掛けられていた、闇以外の属性を制限する結界が、ようやく効力を失っているのだとわかる。
あと一撃! それだけでこの亡霊は霧散する……!
「くっ!!」
だが黒塊は、凍てつく刃を、予期せぬ素早い動きでかわした。いや、かわしたというよりは……!
闇は一直線に、そこに向かって殺到していく。無防備な様子でそこに立っている、魔人族の少女の元に!
「マブイ!! 逃げろッ!!!」
王である少女の名を、大声で呼ぶ。また誰かを乗っ取られたりしたら、たまったものではない。オレは目を見開き、その一瞬を凝視した。
――時間の流れが、遅くなる。ここが、決戦の瞬間だ。
すべてが緩慢な世界の中で、オレは見る。
その闇を前に。彼女は、それを見下すように、つまらなさそうな表情をしていた。
マブイの、空色の瞳の奥にある黒が、ぎゅっと細く凍てついた。
「触れるな妄執。浄滅せよ、今、ここで」
極光が、オレの目を焼いた。
暗闇に覆われた地下王墓を、彼女の魔法術が真っ白に染め上げる。
強烈な光に目を閉じ……、しばらくしてから、景色を確認する。
闇の亡霊はもう、どこにもいなくなっていた。
「……いやあー、終わった終わった。帰ろうぞ勇者諸君。ようやったわほんま。さあ、回復してやろう」
上機嫌でこちらへ近づいてくる魔王ちゃん。
相変わらず、魔法術の能力だけは凄まじい。これが最初から使えたなら、荷物持ちじゃなかったんだけどな……。
魔王ちゃんの惜しみない治癒術により、ユシドはやがて目を覚ました。
身体に問題はなく、むしろ回復されて、最初と同じくらい元気なんだと。そりゃいい。
すべてが終わり、ユシドは元気にぺらぺらと魔王ちゃんやイシガントを賞賛し始める。オレは地面に尻もちをついて一息つき、その軽快に動く口元を眺めていた。
……意識を失いかけていたようだし、覚えては、いないのかな。さっきのことは。
「ミーフィよ。身体は回復させたぞ。ほれ、立たんか、うちもう帰りたいんじゃ。この変態キス魔がよ」
「キッ……!? 焼くぞお前!! あ、れ?」
立ち上がろうとして、力が入らず、がくりとまた膝を折る。
……まあ、魔力切れからくる特殊な疲労だ。この疲労度は身体能力とはまた違うところにある。魔王ちゃんがいくら身体の傷や体力を回復させてくれても、こればかりはな。
「……おまえ……」
少女の視線を無視して、どうしたもんか考える。
オレはいつも通り……どんな激戦でも最終的には毎度元気そうな少年に、声をかけた。顔には、笑顔を貼りつけて。
「ユシド。つかれた。おぶれ」
闇の脅威は、妄念は、去った。
腰に下げた鉄の鞘は、何も言わずに、ただそこで揺れていた。




