52. 闇魔ヨニナグ
地底城の扉が開くと、これまで内側に閉じ込められていただろう黒い魔力が、まるで黒煙のようにあふれ出してきた。
思わず腕で顔をかばう。……濃い。今まで地下空間や魔物たちを侵していたものは、ここから漏れ出したほんの一部に過ぎなかったんだ。
息苦しさの錯覚を振り払って、城内に足を踏み入れていく。仲間たちも最大限の注意を払っているのがわかる。この先に、間違いなく、この魔力の根源がいるのだ。
城内部の様子は、地上の魔王城と印象があまり変わらない。もしかするとあの城は、こちらに似せて作ったのかもしれない。まっすぐ先に進めば、玉座の間がある二階へと自然にたどり着くのではないだろうか。
ところが、イシガントは進むべき先を訂正した。
「玉座じゃないわ。もっと、下にいる」
「下には何がある?」
「墓」
魔王ちゃんが、平坦な表情でつぶやく。
「この城は王たちの眠る墓地。霊廟。ゆえに、そこには遺体がある」
「誰の」
「例えば、私たちのお父様。先代の王で……先代の、“闇の勇者”」
「闇の勇者? ご先代も……」
闇属性の強かった、前の魔王様のご遺体、ねえ。
……少し、予想できてきた。この嫌な予感が、具体的にどんな形になって立ちはだかるのか。
ふたりの表情も硬い。下に存在する何者かについて、考えを巡らせているのだろう。
仲間たちと共に、暗い廊下を進んでいく。向かうのは、この地底魔王城の、さらに地下の部屋。
進むにつれ、身体にかかるプレッシャーがより重いものになっていく気がする。となりを歩く少年の足が、ほんの一歩分遅れたのがわかった。
様子をうかがう。ユシドはあまり、本調子ではなさそうだ。
「大丈夫か?」
「少し……気分が、悪い」
「この黒い魔力のせいだろう。魔法障壁を構成する魔力の、光属性の割合を多くするんだ」
彼が日ごろその身にまとっている障壁は、おそらくほぼ風属性のもの。闇に対抗するには、それと反発しあう光の魔力を使ったほうがいいだろう。この光と闇の関係は、昔イシガントから教わったものだ。
ユシドの身体が、うすぼんやりと白銀色に光る。幾分ましな顔色になり、彼は礼を言った。
その様子を見て、イシガントが口を開く。
「……あ、言っておくけど、闇属性がぜんぶ人体に悪いなんてことないからねっ。魔力の持ち主によるから、ほんと。こっちは無害お姉さんなんで」
「え、ええ。イシガントさんの魔力は、人々を守る力です」
「そうでしょうとも」
イシガントの軽口に励まされ、進む足取りを強くする。
やがて、さらに地下へと続く、幅の狭い螺旋階段を見つけた。先が見通せないその暗い道のりは、まるで死の世界への入り口のようだった。
しばらく下り、城の最下層であろう階を歩いていくと、そこには大きな扉があった。
玉座の間にもひけをとらないような分厚い扉だ。こんなものが薄暗い地下に存在するのは違和感があるが、この先の一室はそれほど、魔人族たちにとって大事なものだということだろうか。
城の入り口と同じく、魔力による封がなされた鉄門を前に、魔王ちゃんが嫌そうな顔でもたつく。
「やだなー、開けたくないなー。最後に墓参りしたの、いつぶりやったっけ?」
「それこそ200年ってところじゃないかしら。ほら、王として認められたことを報告しに来たじゃない」
「カビ生えてそうじゃねぇ」
200年て。ちょうどオレが前に来たときぐらいじゃないか。ずいぶん管理をサボっていたんだな……。
果たしてちゃんと王として働いているのかね、こいつ。統治者は椅子にふんぞり返ってばかりじゃダメだよ。
「では、覚悟はよいかな、勇者諸君」
「みんな。撤退も視野に入れて、互いの状況をしっかり確認しながら行動しましょうね。せっかく4人パーティーなんだし、連携連携」
「わかりました」
「了解」
「……4人? それってうちも入ってない? 絶対戦わないからね、マジで」
そう不安そうな顔になることはない。地底城までの荷物持ちと開門という仕事を終えれば、魔王ちゃんは用済みである。魔法術を封じられた彼女など、ただの偉そうな小娘だ。元仲間として、それはちゃんと把握しているとも。
とりあえず弾除けにでもなってもらおう。
魔王が門に手を当てる。刻まれた封印の術式を白い光がなぞり、仕掛けが作動する。200年ぶりに目を覚ました重厚な扉は、ゆっくりと、静かに、来訪者を導くかのように、内側へ開いていった。
――瞬間、氾濫。
これまでの比ではない重圧と、黒い魔力が押し寄せてきて、オレ達は自分の身体をかばう。いつもは治癒術や結界を使用するときにだけ使う破邪の魔力を、体内で高め、外に出して身に纏う。
仲間たちの様子を確認し、頷きあう。重苦しい空気を振り払うように、しゃりん、と剣を抜き、足を前へと進めていく。
少し廊下を進んでいくと、広い空間に辿り着いた。天井は、巨人でも手が届かないような非常に高いところにあり、これまで降りてきた螺旋階段の長さを思い起こさせた。
墓というには広々としていて、内装からはどこか神聖な雰囲気を感じさせる。本来は清浄であるべき場所なのだろう。
しかし今は、すべてが重い魔力で淀んでいた。
そして、その発生源が……オレたちの視線の先に、ある。
部屋のど真ん中に、ぽつんと、“棺桶”がある。とても不自然な配置で、まるで、ひとりでに動いてこの位置に辿り着いたかのようだ。
そして、これが遺体を納めるための棺桶だと分かったのは、この場所が墓地だと事前に聞いていたからだ。でなければ、あの巨大な箱はなんだろう、と思っただろう。
一般的な人間用のものと比べて、数倍の大きさがある棺桶。その、ともすれば住居の屋根ほどもありそうな、厚く大きな蓋は……、すでに封を解かれ、横にずれている。
かすかな腐臭。棺桶の中には、誰もいない。
それは、部屋の奥の方に、いた。
黒い闇の塊が、立っている。
立っていると表現したのは、それが人間のシルエットをしていたから。人の足元から伸びる黒い影のようなそいつに、よく目を凝らす。
煙のような闇に覆われた巨人、だった。ときおり、纏った魔力に隙間ができて、“中の人”が垣間見える。ほとんど朽ち果てているはずの肉体は、未だに生前の力強さを思わせる体格を保ち、立派などくろに成り果てた頭には、イシガントたちにも劣らない見事な二本角が見えた。
……魔人族の男性、それも、特別に強靭な肉体を持っていた人物の死体。
姉妹の表情をうかがう。ふたりともいつになく、深刻な眼差しで相手をにらんでいた。
「お父様の遺骸に、魔物が取りついたのね。……これは故人の冒涜。このままにはしておけない」
「こういうことがあるから、これからは火葬がいいって言っといたのに。あのクソ親父、『焼かれるとか怖くね?』じゃおえんが。ハァ~」
闇の魔人と化した先代王は、こちらの方を向いているものの、動かない。
そもそもこちらを認識しているのだろうか。あれに、意思はあるのだろうか。死体を動かしている魔物の正体は? この強烈な闇の魔力は、王の身体にあったもの? それとも。
オレ達は武器を手に構えたが、どう出るか測りかねていた。
そのとき。自分の腰のあたりから、敵に語りかける声があった。
静かに耳を傾ける。
『おい。お前、ヨニナグじゃないのか?』
生物的ではないはずのイガシキの声に、今日は、彼の感情がこもっているように聞こえる。
『何をしている。お前の魔力で同胞たちが暴走しているぞ。それは本意なのか? 何があった?』
『……オ。オオ、お……』
闇の巨人が、動いた。
非情に緩慢な動作で、こちらに向かってくる。頭蓋骨をきょろきょろと回し、闇から覗く空洞の目で、オレ達をひとりひとり、見た。
そうして彼は。この中のひとりに向かって、黒い黒い巨腕を伸ばした。
『ヒカリ――光の、力――』
「おわっ!? なんじゃコイツ、人のパパの身体で!」
「姉さん、私の後ろに!!」
魔人が狙いをつけたのは、魔王ちゃんだ。腕の振りはそう素早くはないものの、それが纏う闇の衣が伸びて、いくつもの蔓のようになって魔王ちゃんを襲う。彼女が本気の身のこなしでそれらをかわすと、間に入ったイシガントが、敵と自分の闇を相殺させて、姉を庇った。
巨人はイシガントに興味を示さない。しゃれこうべの目に宿った妖しい瞳は、オレやユシドを意に介さず、魔人族の少女をじっと見ているように思えた。
……魔王ちゃんを狙っている、のか。何故だ。
『光――。行っては、ならない。あなたは――』
魔人の声は、厳かな音ではあるものの、抑揚がない。まるで寝起きの人のようで、感情、意思がそこにあるように思えない。
けれどたしかに、何かを言おうとしているのがわかる。これは闇魔の言葉なのか……?
緊張を全身に巡らせていると、腰に下げたイガシキが震えたのが、よくわかった。
『……そうか、わかったぞ……! おそらくやつは、マ・コハと本気の潰し合いをしたのだ。理由はわからんが』
「!? マリ……マ・コハと?」
意外な名前を聞いて、ほんの少し心がざわついた。
『そもそもマ・コハがあのように弱体化し、ヨニナグが人間の死体なんぞに取り憑くような事態など、この星では起こりえない。この二柱が、正面衝突でもしない限りは』
「弱体化、ね」
光魔との戦いを思い出す。確かに、思い返せば、そう派手な攻撃などは無かったし、向こうの魔力切れも早かったかもしれない。
しかしそれでも、手痛い被害を受けた戦いだった。あれで弱体化だというなら、光魔や闇魔は本来、人間では太刀打ちできない存在なのだろうか。
『そして、戦いの結果。消耗したマ・コハは人間に紛れての回復を図り、ヨニナグは……』
魔人の様子を再度見る。彼はイガシキの声や呼びかけには反応しない。魔王ちゃんの光の魔力を感知して襲い掛かるだけ。
……自我がない。知能のある魔物の動きではなかった。たぶん、あの闇の集合体は、彼の言う“ヨニナグ”ではないのだ。
『ミーファ・イユ』
初めて、その声で自分の名前を呼ばれ、どきりとした。
彼が発する、次の言葉を待つ。
『夜霊ヨニナグの魂は、そこにはない。あるのは、やつが遺してしまった強大な魔力の残り香だけだ。強い死体に憑依したのも、同胞たちを凶暴化させているのも、あいつの意図ではない。口に出している言葉は、死の直前に考えていたことが魔力に焼き付いているだけだ』
いつになく饒舌に、鉄の精霊は語る。
それで、愛想のない機械の怪物の、本当の心が少しだけ、伝わった。
きっと闇魔は、イガシキにとって……
『――手間をかけるが。あれを、消し去ってくれないか』
彼はそう言った。
こいつからちゃんとした頼み事なんていうのはこれが初めてで、こんなこと、この先もう一生聞くことはないだろう。そう思った。
……気まぐれだが、大事なときは力を貸してくれるヤツだ。いきなり倒して剣にしてしまったのだから、これくらいは聞いてあげなきゃ、天罰が下る。
それに何より。イガシキはもう、オレにとっては。
「いいぜ。仲間の頼みは断らない」
剣と鞘を強く握って立ち構え、魔人を見やる。
魔王ちゃんとイシガントの父親の尊厳。イガシキの友人の尊厳。
ふたつを守るために、あの闇を葬る。
「みんな、戦おう!」
仲間たちに声をかける。皆が頷き、各々の魔力の猛りで応えた。
「とりあえず攻撃を試みる! ふたりとも、最悪、お父さんの身体はバラバラにしてもいいか!?」
「これはもう仕方ない!」
「どうせこのあと火葬するし……うおお!?」
ぎりぎりで闇をかわす魔王ちゃんは、あまり余裕がなさそうだ。
ユシドと目配せして、剣に魔力を纏わせる。
「雷神剣……!!」
あちらが注意を引きつけているうちに、素早く地面を駆け、一番槍を買う。雷の魔力が、鋼の刃を覆い包んだ。
敵はあくまで死体に取りついた魔力。どう倒したものかわからないが……まずは、足を狙ってみよう。敵の動きを制限する!
柱のような脚を、斬り飛ばす勢いで攻撃する。……硬い!! 遺体の周りを覆う闇の魔力は、例によって、障壁の役割も果たしている。
オレの魔力は闇に阻まれ、激しい雷が迸るが、剣から離れた電光は闇の中に霧散してしまっている。やはり魔法術による遠距離攻撃は不可能であることを、改めて確かめる。
だが魔法剣なら! オレ達に残された最も信頼できるこの武器なら、障壁を切り裂くことができるはず……!
剣に詰め込む魔力を増やしていくと、黄金の光が強くなっていく。同時に剣を思い切り押し当てると、たしかに、刃が闇の鎧に沈んでいくのがわかった。このまま攻撃力を高めていけば、倒せる。
そう思ったときだ。
激しい雷光が、消えた。暗闇の衣に、ついに刃が通ったから――では、ない。
吸われた。ように、見えた。
「!!」
黒い雷が、オレの頬をかすめた。
飛び跳ねて後退し、思わぬ反撃をなんとか避ける。オレの斬りつけた魔人の下半身から、闇属性の雷が生まれ、周囲に破壊の痕を刻んでいく。
あれは……イシガントも使っていた技だ。雷属性の魔力を強化した、暗黒の雷霆!
これは一体!?
「うおおおッ!!」
雷をかいくぐり、ユシドが風の刃で斬りつけた。
そして攻撃のあと、ユシドはすぐに身を引いた。彼の立っていた位置を……、やつの身体から発生した、黒い竜巻が薙ぎ払った。
一部始終を見たイシガントが叫ぶ。
「――属性攻撃の、反射!!」
闇属性は、他の属性を強化することができるという特性を持つ。それはきっと、こういうふうに応用することができるのだ。敵の魔法術を吸収し、強化して跳ね返す、というように。
雷の魔法剣で攻撃すれば、黒い雷電がオレを襲う。風の魔法剣で攻撃すれば、暴風がユシドを脅かす。こうなっては属性攻撃は悪手だ。
しかし魔法剣の攻撃力が無ければ、あの闇の衣は切り裂けない。
……! 厄介な……っ!!
「ふたりとも、私の後に続いて!」
イシガントが、闇の魔力で形成した爪を構える。低く身を屈めて黒い触手をかわしていくと、敵の巨大な腕が彼女に向かった。
のろい速度とはいえ、大質量の打撃。それに、イシガントは、真っ向から己の掌を叩きつけた。
彼女の立つ地面にひびが入り、首や腕には青筋が立って、翼と尾を大きく広げ、全身の筋肉を怒張させている。いま、両者が凄まじい力で拮抗しているのが、傍目に見てもわかった。
「ぎぎぎ……がああッ!!」
イシガントの爪と魔人の拳が、煙のように揺らいだ。
闇の魔力が、魔人から彼女の方へ流れている。それからすぐに、魔人の纏う暗闇の内側――、腕の一部分が、闇の中から姿を見せ始めていた。
なるほど、ここかッ!
「しゃあっ!!」
跳躍し、宙を回りながら、太い腕を斬りつける。今度はたしかな手ごたえがあった。
腕を斬り飛ばすとまではいなかったものの、魔人とイシガントの勢力のバランスは崩れたようで、敵がほんの少しだけよろめいているのがわかった。
……これが、やつを討ち倒す方法。
イシガントが、彼女自身の闇で敵の鎧を相殺、あるいは吸収することで、その内側にある依代の肉体が垣間見える。その隙を、オレとユシドが攻撃する。
幸いなことに、この敵には知能がない。イガシキ曰く、闇魔の遺した魔力が遺体に取りついているだけだ。ならばこちらがどう作戦をとろうと、向こうが新しい対応をしてくる可能性は低い。この戦法を続けていくことで、敵を削っていくことは可能だ。
……だが、あの巨体。とうに朽ちているはずなのに、まだまだ動きそうだ。
「イシガント! このやり方で、君は平気なのか?」
「だいじょうぶ! 私が頑丈なの、知ってるでしょ」
「……わかった!」
闇の魔人の周囲に展開している、仲間たちに合図を送る。
本人はああいっているが、この戦いはイシガントの負担が大きい。もっとうまいやり方を模索する必要もあるかもしれない。
というか、これは、長期戦になるぞ……!
気合を入れ直して、声を張り上げる。
「まずはこの線で攻めよう! イシガントが鎧を剥がし、オレとユシドが攻撃!! 魔王ちゃんは囮っ!!!」
「……はあああああ!!?? 鬼かお前は!!」
「信頼してんだよ!」
刃を鞘に仕舞い、魔力を巡らせながら、敵の観察を続ける。
あの鎧には、イシガントが一時的に隙間を作ることはできるようだが、どうやらその源は無尽蔵らしい。すでに新しい闇が、また腕を覆っている。
だが、内側の肉体につけたさっきの傷が、治ることはないだろう。そもそもが死体だ、ヒトの動作が不可能になるほどめちゃくちゃにしてしまえば、もう動くことはないはず。
地道な戦いになる。もしも鎧を大きく剥がせたなら、その部分に強力な魔法剣をぶち当てることができるはずだが……。
体力の持続を意識し、息を整える。
暗闇の重さに負けないように、仲間たちの姿を視界に入れ、自分の気持ちを強く持ち上げた。




